晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

「シヅ」は鍾乳石? 8/16

2012-08-17 | 上林地名考

2012.8.16(木)曇、晴れ

 13日から14日にかけての大雨の被害が宇治市周辺に起こり、志津川左岸の家が流され行方不明になっておられた方の一人の遺体が発見された。あらかたの方が志津川ってどこよという思いだろうが、わたしは上林鳥垣渓谷のすずゆわ地名考で、スズ=シヅ=鍾乳石という仮説を掲げて、六月中旬に説を展開したのだが、すず岩の鍾乳石と思われる影像が倒木であったことで全面的に説を撤回した経緯がある。P1010939
 
シデ山山頂近くのすずゆわ。


 その際に調べた地域が宇治の志津川だったのだ。シヅ=鍾乳石なら志津川は石灰岩質の地形だろうと予想を立てたのだが、一部に石灰岩質の地形があるようだが、どうも顕著な石灰岩質の地域というわけだは無さそうだった。ただひとつ妙な地名があったので気になったことがある。
 それは明星山、読み方はおそらくみょうじょうやまと読むのだろう。
 新潟県糸魚川市小滝、姫川の支流小滝川の北に明星山(みょうじさん)という日本では数少ない石灰岩のクライミングウォールがある。そして両地域とも近隣に別所地名があるのだ。別所とは未だ研究中なのだが、古代に奥州の俘囚を移配した地というのはともかく、産鉄あるいは非鉄金属産出に関連のある地ということはほぼ間違いないと思っている。
 シヅで調べたうちに、島根県大田市静間(しづま)がある。石見銀山の東に当たる地域だが、古代地名語源辞典(楠原祐介ほか)では、静間神社が鎮座している地が垂氷山(たるひやま)ということから、垂(しづ)という地形地名だろうと解いている。垂(しづ)とは長く垂れ下がるということで傾斜地、崖を表す、ということだ。
 信太(しだ)、志高(したか)、設楽(しだら)など古い著名な地名もすべて「垂る」(しだる)からきた傾斜地、崖と解いておられるのだが、わたしは疑問に思っている。第一わたしの持っている漢和辞典に「垂る」が「しだる」とは載っていない。よしんばシダ、シヅに垂れるという意味があったとして、傾斜地、崖となすのは飛躍では無かろうか。
 わたしはシズ、シダなどに垂れるという意味はあるが、それは単純に水が垂れる様子や鍾乳石のようにしずくが垂れるという意味ととるべきだと直感的に思うのである。
 古代地名辞典に静間神社は垂氷山にあるので、垂(しづ)云々とあるが、地図を見ると神社記号の北の魚津港のところに「静ヶ窟」というのがある。調べると静ヶ窟とは海岸にできた二つの海食洞で、社伝などによると元々この洞窟に鎮座されていたということである。江戸時代に大波の侵入で地形が崩壊し、現在地に移転したということだ。さすれば静間の地名は垂氷山というより、静ヶ窟ということになりはしまいか。Img_4512
 



2007.4.20 大田市を通っているのだが、静之窟は知らなかった。
写真は仁摩の港あたりと思われる。

 この静ヶ窟の地質が、石灰岩ならわたしの説はうんと飛躍するのだが、どうやら火山角礫岩と凝灰岩ということだ。なかなか思うようにはいかないものだ。
 ちなみに国土地理院の地図では「静ヶ窟」とあるが一般的には「静之窟」(しづのいわや)と呼ばれているそうだ。

【作業日誌 8/16】
プリンスメロン防鳥ネット掛け
二度目の胡瓜胡瓜ネット掛け

【晴徨雨読】16日目 北八ツ彷徨(雨池)
 憧れていた北八ツ彷徨をする。思えば山に登って数十年、単独行は初めてなんじゃないか。組織で登っていたことや岩や沢などやってたことが原因なんだが、基本的に臆病者だからだろう。加藤文太郎の「單獨行」や山口耀久の「北八ツ彷徨」などにあこがれはもっていた。独りで山を歩くと、内面的な思いがもの凄い。むしろ総てがそうなるものだ。一人旅途中の山行だからこれ以降すべてが単独行となるのだが、結構くせになりそう。ただ、帰りの尾根でガスにまかれて右も左も解らなくなったときは、心底心細くなった。Img_0279

帰り道、ガスにまかれて視界は20mぐらいになった。



【今日のじょん】:お盆過ぎたら涼しくなるってえのは朝晩のことのようで、昼間は相変わらず暑い。体力温存のためとかみさんは言うが、とにかくじょんちゃん寝てばっかし。おとーも体力温存のため朝寝、昼寝してしまった。P1020395


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初真桑 8/15

2012-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

2012.8.15(水)曇

 先日真桑瓜を戴いた、初真桑である。西瓜やメロンなど瓜類の糖度を上げることに血道を上げ、逆に真桑のようなあっさりした味が涼を誘う。もっとも今では冷房の効いた部屋で食べるので、涼をとる必要も無いし、糖度の高いものが好まれるのかも知れない。
 芭蕉は殊の外瓜が好きであったときく、近江屋玉志亭で催された真桑の句会はそんな芭蕉の好みを知り尽くした主の趣向かもしれない。

 初真桑 四にや断ン 輪に切ン
 
 我が家ではどうするかなと思ったら、輪に切ったのが出てきた。P1020433

 



 酒田の夏は暑い、わたしが滞在したのは九月八日から十日までだが、何とも暑い毎日だった。盛夏だといかばかりかと思う次第だが、芭蕉の句で涼をとるのも一興である。

 暑き日を 海に入たり 最上川Img_0559

 
最上川河口付近(2006.9.8)



 温海山や 吹うらかけて ゆふ涼
Img_0458
温海の海岸(2006.9.2)


Img_0592
吹浦十六羅漢(2006.9.10)



 今日はお盆の墓参りをする。お墓で一句

 亡き父の 齢をこえて 盂蘭盆会   うとく

 寒~


【晴徨雨読】 15日目(2006.8.15)八千穂村閑人舎逗留
 スタートから半月、なんとも厳しい旅を続ける。この間雨は神通川沿いでの夕立のみ、自転車ツーリングの人に会ったのは一回だけ、北陸、信州と素晴らしいところを周りながら、楽しむことを知らず苦しいだけの半月であった。とにかく今日は休養に徹すること、涼しい白樺の高原でのんびり一日を過ごす。飯も酒も美味いぞ。ヘルメットが壊れて買い換える。15,400円也
Img_0268





【今日のじょん】:どうも元気が無いと思ったら、朝から草食ってる。どうも夕べの留守番花火がきいたみたいだ。P1020462神経細いんだからん。


後ろ姿も何となく心細い。

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招か猿客 8/14

2012-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

2012.8.14(火)雨、曇

 朝も明けようかという時、寝ぼけた耳に妙な鳴き声が聞こえる、猿だ。半年以上聞いたことの無い、異様な鳴き声である。遂に来たか、ひょっとすればもう二度と来ないのかと根拠のない期待をしていたのだが、、。
 桜井さんとこも中尾さんとこも、もう来ないのかと思っていたら突然に来て被害に合っているそうだ。パジャマのまま雨の中に飛び出すとボスだかなんだかがボッボッボと威嚇している。雨の中を追うわけにもいかずパチンコで防戦する。やっと逃げていったかなと思えば、隣家の栗の木にわんさかと群がっている。隣家が不在であること、雨の日には人が追ってこないことを知っているようだ。それでも栗はまだ未熟のようで諦めて山に帰っていった。ようやく眠れることとなったが、朝起こされたのはすこぶる気分が悪い。
 雨模様の間に先日切った桐の木の枝葉を燃やしてしまおうとドラム缶で燃やしていると、谷から蛇が顔を出している。おやっとよく見ると、これはマムシだ。しかも一昨年同じ場所で見つけて取り逃がしたことがあった。同じ蛇の類なんだが、マムシと普通の蛇に対してはこうも対応が違うのだろう。マムシだと妙な憎しみがわいて、瞬間に無惨に殺してしまうのだ。たまたま身近にスコップがあったので一気に叩き殺してしまった。と思ったら、まだ息の根があったので燃えさかる焚き火の中に放り込んで遂に黒焼きとなってしまった。普通の蛇に対してこのような残酷なことは絶対にできない、マムシに対するこの感情は一体何なのだろう。P1020437_2
 P1020438

刺激がきついので蛇力の無い人はアップにしないこと。


 思えば今日はお盆である。子供の時は殺生をしたらあかんでと言われ、魚捕りにも行かなかった。それなのに罪な気にもならないのが不思議だ。マムシだって人を襲うわけでもないのに、ただ毒があるというだけでかくも嫌われるのだろうか。南無阿弥陀仏、合掌。

 夜は町内会の納涼祭があり、コーヒーやかき氷の店を出す。本格的な花火大会もあって、上林の夏は真っ盛りである。
P1020444 P1020457_2
今年からかき氷始める。たまや~。




 晴徨雨読 14日目(2006.8.14) 木曽福島~八千穂村閑人舎

 旅の苦しさワースト5、いやワースト10の3日目である。作日の疲労困憊が、野宿のために一向に回復せず、疲労と睡眠不足で権兵衛峠、杖突峠、麦草峠とアルプスのでかい峠を越そうというのだから無謀である。Img_0249

権兵衛峠の下りは長くて直線的、70Km/hの最高記録。


遂に杖突峠の途中で足が廻らなくなって、徒歩で峠を越える。筋肉的な疲労というのはこの日がピーク、ところが神風が吹いて助けられるのだ。自転車を作ってもらったキャファの辻本さんが八ヶ岳で合宿をしていたのだ。茅野まで迎えに来てなんて頼んで、麦草峠は車で越える。文明の利器、自動車がこれほど素晴らしいものだと思ったのは初めてだった。

今日のじょん:おとーもおかーも居なくて、花火の音したんだからさすがにビビっていたみたい。ゴミ箱出してたんだって。

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雨読 黄金の日本史 8/13

2012-08-13 | 雨読

2012.8.13(月)曇、雨

 日曜日の讀賣新聞の楽しみは、本よみうり堂という紙面だ。新刊書の書評を掲載しているのだが、その書のジャンルにあった専門家が書いておられるのだが、実に興味深く、ものによってはその本を読まなくてもいいような素晴らしい書評もある。
 しかし本当に買って読んでみたいと思う本は数千円と高価で、手が出ない。やむなく切り取りをしておいて、やがて古書で安くなったらとか図書館で探してとかの方法となる。
 しかしよくしたもので、文庫新書というコーナーがあるのだ。3,4冊を紹介してあるのだがこれだと7,8百円で事足りる。ところが新書で買うとすれば本屋さんで中身を見ないと損だ。てなわけで図書館で検索してみると置いている図書館があるんだな。出版会社にしたら堪らないだろうなあと思いつつ借りることにする。
 
 「黄金の日本史」(加藤廣著)新潮新書2012年5月20日発行 借本(府立図書館)
P1020436
 


 Pyrite,愚かな金とは黄鉄鉱のことである。この本にぴったりと思うのだが、、。


 
人気の無い日本史の授業、教科書にもの申すとして、黄金(きん)を通して日本史を面白く、興味深く楽しめるように書かれたものである。金にからむ歴史的なエピソードが次々に出て来て大変面白い。「へーそうだったのか、なるほどそういうことか」と思わせる。
 加藤氏は小説家という肩書きだが、金融機関での経歴もあり、政治的経済的な分野からの提言でもある。
 現在の日本の政治情勢を見ていると随分程度の低いものだと誰しも思うところだが、日本の政治、特に外交の弱さ、間抜けさはなにも今始まったことではなく、遠く聖徳太子の時代からのようだ。特に徳川幕藩時代の300年は最悪であったというのはわたしの思うところである。その後の明治新政府も随分頼りない政治であったが、徳川時代の世界からの遅れというものを考えると致し方ない部分もあろうかと思う。
 しかしその後今日に至るまでろくでもない政治を続けながらも、度重なる神風に助けられてきた。そのことが余計日本人を駄目な国民にしてきたのだろう。
 まあこのへんのところが金や貨幣を巡る経済的な面から述べられているのだが、どうも愚痴ばかりで指針が示されていないように思われる。
 いずれにしても、借りて読んで良かった、買ってまで読むほどの本じゃないなあとわたしは思ったのだが、、、。

 今日のじょん:いよいよ動画を導入いたしやした。パオパオ奥さん、これがにしくりじょんだ。


 
YouTube: にしくりじょん

晴徨雨読 13日目飛騨古川~木曽福島
 最悪ベスト5のうち3日がここに固まっている。美女峠と言う美しい名前の峠に足を使わされ、塩沢温泉の食堂で昼食をとったとき、そこで泊まれば良かった。開田高原で宿が無く困ったが、そこで野営をすれば良かった。お盆の木曽福島で暗くなるまで彷徨って結局野宿をするハメになり、精神的にも肉体的にも疲労はピークとなった。日本アルプスを越える峠に対し余りにも安易な考えであった。
Img_0234
最も大きな峠は長峰峠だったのだが、美女峠の急登が足にきた。 

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猪鼻のこと(18) 8/12

2012-08-12 | 上林界隈(AKB)

2012.8.12(日)曇

 京北(現京都市右京区)の下黒田町に井花(イハナ)という地名と井花谷(イノハナダニ)という谷がある。周囲にはマンガン鉱の鉱山跡が目白押しで、(片波川西谷、小塩、筒江、狭間峠など)この谷にも坑跡があるのではないかと思っている。是非訪ねてみたいところの一つだ。この井花こそが鉱脈の露頭を表す言葉なのでは無いだろうかと思っている。
 イ、ゐ、井というのは基本的に水を表す言葉のようだが、金属関連用語として竪坑をあらわすという説がある。「古代の朱」(松田壽男著)に古事記の神武天皇の吉野巡りの話として書かれている。
 
 その地より幸行されると、尾の生えた人が井のなかから出てきた。その井は光があった。ここに「汝は誰ぞ」と問われると、答えていうのに「僕は国つ神で、名は井氷鹿(いひか)というと。

 この井が竪坑で、光るのは鉱物、この場合は朱砂であるという説だ。井氷鹿というのが吉野首(よしのおびと)の祖であるとしている。なぜ井が竪坑で光が朱砂なのか原文を読んでみよう。

 (前略)、日本でも朱砂は丹井つまり地表の露頭部からはじまり、露天掘りの竪坑によって採掘されている。(中略)、とにかく、こうして経営されていた丹井すなわち朱砂坑は、その壁面に自然水銀を汗のように吹き出している。気温や地熱の関係などで、それがはなはだしい場合も珍しくない。その自然水銀は竪坑の底部にたまる。それはまさに光のある井戸ではないか。

 そしてこの本ではないが、朱砂の露頭部のことを「朱の花」と呼ぶ旨書いてある書があった。マンガンや朱砂だけでなく鉱物の露頭のことを花と呼んだのではないか。
 井=竪坑→鉱脈 花=露頭部(花びらのように地表に現れている)という構図が考えられまいか。井花、猪鼻、亥鼻などのイノハナ地名の中には金属、鉱山を由来とするものがあるとすれば、猪鼻が鉱山の付近に存在することも、およそ水とは無縁の地にも存在することの説明がつく。
 たくさんピックアップした全国のイノハナ地名に関しての調査は後の稿に譲るとして、発端となった、若丹国境稜線上の猪鼻峠について少し書いておきたい。

 猪鼻峠についてはその麓に猪鼻というところがあるものかと調べたのだが、関屋にも横津海(よこつみ)にも青にも見当たらなかった。もちろん丹波上林側にも一向に見当たらないのだ。猪鼻峠の南の坪坂峠が関屋の坪に由来することと対照的である。P1010836
 
猪鼻峠附近から猪森ヶ嶽(丸山)をのぞむ。


P1010551P1010835 



坪坂峠の地蔵堂と地蔵さま、坪坂峠と猪鼻峠はすぐに合流して関屋に下る。

 ただ関屋の小字として猪鼻峠のある位置が小字猪鼻峠で、上林で丸山という545mのピーク、サンドラ岩のある山の地域が、小字猪森ヶ嶽(いもりがだけ)なのである。従って猪鼻峠の地名は猪鼻峠のある地域に由来するのではないかと考えるのである。おわり(猪鼻のこと(17)は2012.8.9)

晴徨雨読 11日目(2006.8.11)金沢~富山
 旅行中で最もつまらない一日だった。走ったコースも新しい道で見るものも無く。富山の街も鱒の寿司以外これと言ったものは無かった。

晴徨雨読 12日目(2006.8.12)富山~飛騨古川
 つらい行程ベスト5の内のひとつである。神通川沿いの国道41号線は無数のトンネルがあり、狭くて暗く、路面が悪くてしかも通行量が多くて逃げ道がない。トンネル通行の恐怖を嫌というほど味わされた。その上もの凄い夕立があったりして、肉体的にも精神的にも疲れ果てた。Img_0209




あまりのトンネルの恐怖に神通川沿いの旧道を走ろうとしたが、とても荷物を持った自転車で走れるものでは無かった。チエントラブルは起こるはGPSはこの橋から落としそうになるは、散々だった。


 今日のじょん:最近アマガエルが家の中に入ってくる。じょんが大騒ぎするので参っている。写真はよしずにとまって金色になった黄金のアマガエル。P1020403

 

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変だぜ、パソコン 8/11

2012-08-12 | 日記・エッセイ・コラム

2012.8.11(土)曇

 当ブログの記事は大体3時間ぐらいかかって書いている。深夜の0時頃に書き終わって登録するわけだが、その時に再度ログイン画面になる事がある。ログインの省略をしていると、何日かで無効となるみたいだ。こうなると元の編集画面に戻れず、書いた原稿がおシャカになる。何が哀しいかって原稿が消えるほど哀しいことは無い。これはプログラムの欠陥である。
 そのためにコピーをとっておいてから、登録作業をするようにした。ところがインターネットの接続そのものがトラブって総ての起動中のプログラムが終了することがある。そんなこんなでここ1週間の間に三回ぐらい書き直して、すっかり疲れ切っている。
 今日は新たなトラブルが起きた。いつものように原稿を書き上げて、コピーをとって登録したら、なんと作日の記事に変わっているのだ。おかしいなあと思って貼り付けすると作日の記事が出てくるのだ。もう皆さんおわかりかと思うが、コピーしたと思って貼り付けをしていたのだ。これは私自身のミスである。
 だからといってもう今夜に書く気はしない。

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晴徨 高浜 8/10

2012-08-11 | 晴徨

2012.8.10(金)曇、晴れ

 じょんのび発 10:58
 市茅野     11:58~12:10 昼食 (18.9Km)
 高浜町役場  12:55~13:20     (33.1Km)
 高浜町図書館 12:30~14:30
 市茅野      16:09          (48.9Km)
 じょんのび着  17:04          (68Km)

 青鄕に猪鼻地名は無いか調べるため高浜に行く。距離は長いが登り坂といえば帰りの永谷坂の上りぐらいだ。余裕があれば福谷坂峠を越えても良いが、地図を見て止めた。
 市茅野まではゆったりした登り、丁度一時間で20Km弱、何度も走った道だがいつも新しい発見がある。古井の少し先でモリアオガエルが道の真ん中にいた。卵は沢山見るがカエルは初めてだ。車に轢かれてしまうので森に帰そうとするがなかなか動かない。P1020412
 
鮮やかな色だ。


 市茅野の入口で昼食をとって川上の下りにかかる。4Kmの下りだが、帰りに登るのかと思うとぞっとする。若狭道の高架のところに福谷の案内があるが、ここから福谷トンネルに行けるものか解らないので、ICの案内のあるところから入る。道標というものは車用に書いてあるもので、随分大回りをした。トンネルは二つあって実は通行は嫌で堪らないのだが、福谷坂峠を越える気はしない。P1020414_2

川上から見た廃村宝尾、正面の尾根の中間、竹林のところが宝尾。


 トンネルを抜けると緩い下りで、あっという間に高浜に着く。まずは役場によって、青鄕に猪鼻地名がないか確認する。原電ハコモノ行政の高浜町で、役場もさぞご立派な建物かと思ったら、随分質素なものだった。くだらない行政しかできないところほど立派な庁舎を建てるものだが、高浜町役場は質素でよろしい。職員さんも親切で適切な対応をして頂いたが、猪鼻地名は見つからなかった。ただし猪鼻峠そのものが小字名になっており、サンドラ岩のある丸山は猪森ヶ嶽(いもりがだけ)という小字名だった。P1020415
 
高浜町役場、手前の橋はやくばばしとか。



  続いて高浜町図書館に行く。ここは文化会館と一緒になっているが随分立派な建物で、色々行った図書館の中で最も立派なものだ。ただし蔵書は不満で、探している本はそこには一つも無かった。職員さんが親切に手配してくれて県立図書館だかにあるものを借りられるようになった。P1020416 P1020418
 
高浜町立図書館と郷土資料館


すぐ近所に郷土資料館もあるのだが、今日は時間が無いので後日訪問としよう。
 さてこれからあの峠道を登り返して帰らなければと思うが、行動食は何も持っていない、途中で腹が減ってはと、店を探す。佐伎治神社の前の踏切のねきに弁当屋さんがある。お客さんの出入りが多いので美味しいのかなと寄ってみると、定番の弁当は売り切れていた。かさばる弁当も入れるところが無いので思案していると、ご主人が「お好みでおにぎりでも作りますよ」と言ってくれた。「いくらですか?」と持ち合わせが少ないので聞くと、「ご予算に合わせますよ」と随分親切だ。
結局200円で漬け物付きのおにぎりを作ってもらったが、大きくて満足、というより心意気がうれしい。これから良く通うので定番にしたいし、みんなにも勧めたい店である。P1020420 P1020424
 
おすすめの店、みのり弁当。鮮魚、へしこなどもあり。



 68Km走ったけどおにぎり5個も食べたので体重は減らないだろう。

晴徨雨読 10日目 金沢滞在
 貧相なKKR(国家公務員リゾート)の宿と違って都市部のKKRホテルはおしゃれである。パソコンも使えるのでたまったブログを一日書いていた。普通の旅行者なら金沢なんて凄い魅力なんだろうが、兼六園、金沢城、博物館、夜の近江市場どれもつまらなかった。やはりガイドブックの無い田舎が面白い。
Img_0186
 
おしゃれな宿でブログ書き。 
 
 

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猪鼻のこと(17) 8/9

2012-08-10 | 上林界隈(AKB)

2012.8.9(木)晴れ

 マンガンの三大産地は八戸、宇和島と丹波地方だそうだ。丹波のマンガンは質は良いのだが鉱脈が薄く小規模な鉱山が無数にあり、概して劣悪な労働環境で危険な採掘作業が行われていたようだ。Uボートの蓄電池も丹波のマンガンが使われていたのかも知れない。ドイツではマンガンのことをタンバというそうである。
 丹波のマンガンの中心地というか集積地は日吉の殿田である。そして殿田をはじめ日吉町の主要なマンガン鉱山周辺にはいわゆる金属地名が目白押しなのである。執筆中の「日吉地名散歩」で順次紹介したいと思うが、古代にマンガンを掘っていたとは思えないのにどうしてこのような地名が残るのか不思議なことである。
Img_3725
殿田駅(現日吉駅)の北あたりは金堀という。


 思うに、古代においては鉄をはじめとした有用金属を採掘しており、掘り尽くすか採算が合わない状態になり地名だけが残り、近代になってその地名をもとに鉱山師がマンガン鉱を探すという構図があるのでは無いだろうか。
 「鬼伝説の研究」(若尾五雄著)の中に次の文がある。
 和束町園には金垣内という地名があり、マンガン鉄の産地であり、同鉱石は昔の鉄の一種である。

 鉱物に関しての知識に乏しいため、マンガン鉄というのが理解できていないのだが、化学的に結合はしていないがマンガンと鉄とを含む鉱石と考えて良いのだろうか。マンガン鉱山のズリの中に強烈に磁性のある鉱物が混じっている。これがマンガン鉄で、古代には鉄を得るために採掘していたのでは無いだろうか。Img_3440
 
鳥垣アシ谷坑のズリから採取したものの内、左下のマンガン焼けした鉱石は強力な磁性がある。



 そうなるとマンガン鉱脈の露頭「マンガンの花」はマンガンだけでなくあらゆる鉱物、特に鉄を含む鉱脈の露頭、「鋳の花」「井の花」と言われてもいいのではないだろうか。
 イノハナ地名が大きな鉱山の周囲にないかと調べたことがある。意外と無いのである。そして丹波のマンガン坑のように小規模な鉱山に良く見つかるのである。このことこそ一攫千金を狙った鉱山師が地名を頼りに鉱脈を探した証では無いだろうか。このような地名はイノハナだけでなく、アシ、アス、ソブなど漢字表記は色々だがいくつかの候補がある。(例、足谷、明日ヶ谷、祖父谷など)
 これ等の候補はすでに地名研究者によって金属地名として定着しているところだが、イノハナが金属関連地名という説は「京都滋賀古代地名を歩く」(吉田金彦著)の「鉱夫が去って行く(去ぬ)云々」の奇妙な説以外には知らない。つづく


【作業日誌 8/9】
草刈り(5-1)

晴徨雨読 9日目(2006.8.9)芦原~金沢
 今庄から武生の間、日野川沿いの自転車道を走ったが、今日は小松加賀健民自転車道(変換ミスでは無い)という海沿いのおそろしく長い自転車道を走った。自転車道は交通事故の心配も無く、概ね景色も良好で走りやすく楽しいのだが、難点もある。
 だれにも合わないこと、店や食堂が無いこと、コースが単調で飽きること、現在地が確認しにくいことなどである。途端に途切れたり、消滅したりすることもある。
 自転車で走ることを楽しむのにはいいが、旅としての自転車ではちとつらいものがある。それでも車の恐怖がないので、最大限利用した。Img_0181  

 先が見えすぎるのもつらい。



 今日のじょん:コラって怒ったらくそ暑いとこでいぢけてしまった。P1020407

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猪鼻のこと(16) 8/8

2012-08-09 | 上林界隈(AKB)

2012.8.8(水)曇

  猪鼻地名のあるところにマンガン鉱山が存在するというのはどうしてだろうと思っていた矢先に、マンガン鉱脈を探す際に「マンガンの花」を見つけるという事をいくつかの本で知った。マンガンの花とは「マンガンぱらだいす」(田中宇著)では鉱石の黒い固まりが花びらのような形で落ちているのをハナという、という風に書いてあり、「丹波マンガン記念館の7300日」(李龍植著)では川に流れ出たマンガン鉱石という風に書いてある。
 南丹市日吉の海老谷など田んぼの中にも黒い花が咲いていたというから、マンガンの花とは花びらのように拡がったマンガン鉱脈の露頭のことでは無いだろうか。Img_3719

海老谷玉岩地蔵、玉岩鉱山はこの附近である。


 鳥垣のアシ谷のマンガン坑を訪れたとき、周囲に同じような岩壁がいくつもあるのに気づいた。マンガン鉱の山師は一体どうやってその中から鉱脈を見つけたのだろう。丹波のマンガンは良質だが鉱脈は細く短いそうである、岩壁の中にレンズ状に存在する鉱脈を見つけるにはやはり岩壁の表面に浮き出た鉱脈を見つけるのが有効な方法なのだろう。いわゆる鉱脈の露頭を「ハナ」というのではないだろうか。
 鳥垣渓谷に行く度に岩壁があるたびにマンガンの黒いハナが無いものか眺めていたが、素人でも解るハナがあったものなら、とっくに過去に採掘されているだろう。そんな時鳥垣の登山道脇の岩壁に妙な窪みを見つけた。今年の6月8日の事である。
 それは第三の滝から山腹の登山道に合流し、やすみとに向かっている途中で左上斜面の岩壁に浅くえぐられた窪みを見つけたのである。近づいて、もう苔むしている岩を観察すると、自然のものとは思えない窪みである。もし人工の窪みだとすると一体何に使ったものなのか。マンガンの試掘跡としか思えないのだが、、、。P1010925
 
偶然発見した奇妙な窪み。


 鉱山師が探し求めるマンガン鉱脈の露頭をマンガンの花と呼んだとして、それが地名になる事は無い。マンガン単体の採掘はそう古い時代では無いと思うのだ。丹波では明治の後期に始まったそうだが、古代に薬として採掘されていたという伝説もあるようだ。しかし古代から重要視されていたのは五色のカネ、つまり金(コガネ)、銀(シロガネ)、銅(アカガネ)、鉄(クロガネ)、鉛(アオガネ)の他水銀、錫などのようだ。マンガンは鋼を作る際に使われたようだが、地名が生まれるような古い時代に単体で掘られていたとは思えない。つづく

晴徨雨読 8日目(2006.8.8) 萌叡生活塾~芦原温泉
 萌叡生活塾で午前中は作務していたので、出発は午後になってからだった。この日ばかりは本当に無計画で、行けるところまでいって泊まろうという感じだった。それが失敗で芦原温泉まで行って、高い宿泊料を払うハメになった。といっても1万円だが今回の旅行では最高額ではないか。永平寺の手前の峠はえらいきつい坂で歩いてしまった。歩いたのはガリバー旅行村の坂と杖突峠とここの3回だけだった。Img_0164

幹線道路は避け、地方道を走るのが面白い。



 今日のじょん:全国民がオリンピック寝不足症候群となっていそーだが、じょんのび村でも昼寝が定着している。といってもじょんはのべつ幕無し昼寝しているけど、、、。P1020406
 
右にはおかーが寝ているのだが、肖像権がどうのって云うからトリミングした。

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猪鼻のこと(15) 8/7

2012-08-09 | 上林界隈(AKB)

2012.8.7(火) 曇

(4)浜松市北区三ヶ日町猪鼻湖
  猪鼻という地名は無く、猪鼻湖、猪鼻瀬戸、猪鼻湖神社などがある。猪鼻湖神社から南東へ6Kmほどの湖西市大知波にマンガン鉱山があった。三ヶ日町摩訶耶(まかや)に別所あり。

(5)徳島県三好市池田町西山猪鼻
  徳島、香川県境国道32号線の猪ノ鼻峠は著名な峠だ。池田町西山に地図上猪鼻を見つけることはできないのだが、香川県側、三豊市財田町上財田猪の鼻と言うところが峠のすぐ先に見つかる。元来の猪鼻峠は現在の位置から東北に2Kmほどの二軒茶屋附近ということだから、財田町の猪の鼻がその直下にあるのはもっともだと思われる。国道32号線を香川県側に10Kmほど下った左手に財田上別所がある。またその南財田上森にも小字別所があるという。近辺に鉱山跡などの形跡は見つからないが、芋尾、黒川など金属関連らしき地名もあり、古代の金属関連地かもしれない。Img_5279

池田町の街並み、知っていれば猪ノ鼻峠に行ったかもしれない。
(2007.5.9)



 これ等が近隣地あるいは著名な猪鼻地名で当初から調べていた地域である。猪鼻地名にマンガン鉱山が存在するというのは我ながら画期的な発見だと思っている。ただ調べたサンプルが余りにも少なく、現在ピックアップしている2,30のイノハナ地名について調べていかないといけない。しかしマンガン鉱山なんていうのは大方が小規模で、鉱山のリストに載らないものがほとんどだろう。地方の鉱物研究者の公開された資料を探るぐらいしか手だてが無い。現地に赴ければ「マンガン鉱山がありましたか?」と尋ねられるのだけど、それはほとんど不可能だ。ただ丹波地方ぐらいなら現地調査も可能である。Img_3433
 
人一人やっと入れるくらいのマンガン坑口(鳥垣、アシ谷坑)


 例えば丹波などマンガン鉱山なんてどこにでもある。したがってマンガンが出る所にイノハナがあっても、両者が関係あるものとは言えないことになってしまう。こういう悩ましい問題もあるが、高い確率でイノハナが鉱物採取地に関連があるとしたら、そういう説は未だ見当たらないのでやはり発見であろう。
 猪鼻と別所の関係は、この少ないサンプルの中に偶然に存在したという事だけで、直接的な関連は無いと考える。他の別所に猪鼻があるかと云えば無いのである。近隣ではどうかといくつか見たが、これも見つからない。ただ別所が金属関連地名であることは間違いないだろう。「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)に詳しいが、俘囚との関連は納得いかないが、金属特に産鉄との関連は正しいと思っている。従って猪鼻→金属→別所という構図は成り立つのだろう。つづく

 晴徨雨読 7日目(2006.8.7)萌叡生活塾滞在
 萌叡生活塾というのは不思議なところだ。東京で学習塾をしていた先生が、一念発起福井の山奥で自給の生活をし、何から何まで作ってしまうのだから面白い。宿は3時間以上の労働が義務で、宿代は超安くなる。労働は選択でき、玉切り薪割りをする。チエンソーも斧も初めての経験だったが、現在に随分役立っている。
 この日はパンを焼いたが、窯も手作りの窯で、何もかも手作りというのも凄い。Img_0155

 元は製材所という萌叡塾。冬は雪に閉ざされるので各自手仕事をするんだって。


今日のじょん:半落ちP1020399_2


尻尾が上がるでも無く、下がるでも無く、不安な状態。

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猪鼻のこと(14) 8/6

2012-08-08 | 上林界隈(AKB)

2012.8.6(月)曇、晴れ

 京丹波町の猪鼻についてわたしなりに結論を出したのだが、どうにも釈然としないのが地名の困ったところである。当初はこれだ、大発見だと思うのだが時の経過とともに不安になり、時には確実に前説が間違いであることも解る。
 念道も遊里も鳥垣なども一応の説を立てているのだが、それが正しいかということはだれにも解らない。引地などは混迷するばかりだ。
 それは地名が普通名詞のように一つの意味として収束しないところに原因がある。同じ漢字をあてがい、同じよみであっても意味の違うことが多くあるということだ。だから地名だけは辞典を引いておしまいというわけにはいかない。
 猪鼻地名に関心を持ったのは、若丹国境稜線上にある小唐内(こがらち)から関屋に抜ける猪鼻峠の由来を知りたかったからだ。峠名の場合どちらかの麓に同名の地域があることが多い。丹波側にはそれらしきものが見当たらないので、若狭側を調べる必要がある。高浜町は地名辞典などに小字名を公開していないようで、役場で調べるか、現地で聞き取るしか無いようだ。
 仮に若狭側に猪鼻地名があればその由来を調べれば良いのだが、無ければ猪鼻峠、猪鼻岳の由来は何かということになる。少なくとも水辺に突き出た尾根の末端
でないことは確かだ。Img_2720

若丹国境猪鼻峠 


 各地の猪鼻地名を追っていると妙に符合することがある。周囲に鉱山、特にマンガン鉱山があることと、近隣に別所地名があることだ。考察は後にしてその例を挙げてみよう。

(1)京丹波町猪鼻
  猪鼻地区内にマンガン坑口がいくつも存在する。同町内に井脇別所がある、猪鼻から8Km程度か。P1020337

井脇別所、京都縦貫道工事が進んでいる。(2012.7.31)



(2)甲賀市土山町猪鼻
  猪鼻周辺も産鉄を思わせる地名がいくつかあるが、北方を流れる野洲川周辺には多くのマンガン鉱山が有り、支流猪足谷には大きな鉱山もあったようだ。
 北西の日野町には猪の鼻ヶ岳(508m)があり、その西に日野町別所が有り、高師小僧が発見されている。

(3)和束町猪鼻峠
  国道307号線裏白峠の旧道から、協和ゴルフの西を通って和束町湯舟に向かう道があり、このあたりにあるようだが定かで無い。その西を走る府道283号の南端あたりが湯舟猪の谷である。このあたりは大マンガン地帯で、和束鉱山、金胎鉱山などがあったそうだ。府道5号線を和束町中心部に向かうと別所がある。その手前北側に園と言うところが有り、マンガン鉄を産出したとある。園には猪ノ尻という小字も存在する。つづく

晴徨雨読 6日目(2006.8.6) 武生~美山町
 地図は百均の怪しげなものを使っていた。もうひとつGPSの受信できる器具を持っていたがどちらも使用実感は最悪、最終的には地方毎の一般のロードマップを使ったのだが、これは最高。さてどのあたりで替えたのだろうか。
 もうひとつ今になって思うことは滋賀県から先どこでも峠などには水場があった。この年の暑さは9月一杯続いたので、水の補給は生命線だった。今、京都で峠巡りなどしても国道など大きな峠に水場が見当たらない。最も自動車で移動している場合は必要ないが、、。Img_0120 Img_0136
椿峠(2006.8.4)
板垣トンネルの水場(2006.8.6)



今日のじょん:休みます。

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(3) 8/5

2012-08-05 | 晴徨

2012.8.5(日)曇

 峠の呼び方は様々である。両方の麓で呼び方が違ったり、同じ峠名がいくつもあったりする。例えば大原に入る峠は各方面からいくつもあり、大原峠と呼ばれる峠はいくつもある。同様に奥山峠も過去には大簾峠と呼ばれていたのだろう。ところが府道が開通した後、国土地理院の地図にも掲載されている大簾峠が別に存在することから紛らわしさを無くするために奥山峠と呼ぶようにされたのでは無いだろうか。
 そのあたりのことを確かめるべく、中津戸の最奥の集落を訪れたが、なにしろ昼寝の時間帯なので訪問することをためらってしまった。
 中津戸の雰囲気は予想していたものと違い、明るくて建物も近代的で裕福な村の印象である。蛇ヶ谷との出合いまで2500mの道は自転車で下るとあっという間だが、徒歩の時代の生活は大変なものがあっただろう。積雪だって尋常のものではなかったろうと想像するが、行き止まりであった車道が大簾に開通したときは、この谷の人々の閉塞感を吹き飛ばすものがあっただろう。
 最奥の集落から少し下った道端にお地蔵さまが現れる。この峠道で初めての発見だ。よだれかけがしてあって大切に祀られているようだが、年代的に新しそうなお地蔵さまだった。P1020369_2
 
中津戸のお地蔵さま


 時間に余裕があるので蛇ヶ谷の最奥の家まで行ってみることにする。
 蛇ヶ谷に入ると祠や地蔵さまがあちこちにある。大原志(おばらざし)と呼ばれる大原神社参詣の道としては奥山峠よりはこちらの方がメジャーであったような気がする。P1020370

蛇ヶ谷入ってしばらくのお地蔵、こちらは旧そう。


 西谷との分岐は十字路になっており、府振興局の治山事業の案内看板が立っている。ここから奥三郡山までの地図があり谷名など詳しく書いてある。実はこの中に気になっていた谷名があった。ロクロ谷、イモリガ谷、大蛇ヶ谷などである。P1020371
P1020373  
案内看板と西谷出合いの四つ辻。地蔵さまも新旧たくさんござる。



 またこの西谷は和木峠を越えて綾部市和木町に出られるのだが、大原から由良川へは最短コースでもあり、和木と大原が歴史的にもつながりがあったようなので、この路は重要な道でもあろうかと思う。峠の両麓に自転車を置いて、峠の部分は徒歩で歩いて三年間綾部高校に通った大原の高校生がいたそうだ。オール自転車で質山峠を越えるより距離的にも時間的にも有利だったのだろうが、なんとも強者である。
 大原ではなにかと調べたいことがあったのだが、今回は下見程度に考え、再訪をすることにしてあとにする。質山峠、西原、上谷を通って帰宅する。

晴徨雨読 5日目 武生滞在
 暑さと疲労で動くのが嫌になって、初めて休養日とする。武生は旧い町で興味深いところだが、そういうものを見つける手だてができなくて、単に街中をうろついただけである。多分この日に初めてブログの書き込みをしたのだろう。今から思えば今庄で一泊していた方が面白かったかなと思う。

今日のじょん:晴れているときは朝の散歩は割愛して庭で遊ぶだけなんだが、なぜかカンカン照りの中で座り込んで固まってしまう。日陰に来なさいと言ったらのそのそ来るんだが、どうもこの仕草は理解ができない。P1020386
 
見て、このコントラスト。

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(2) 8/4 

2012-08-04 | 晴徨

2012.8.4(土)晴れ

 「あまな」という自然に親しむ会の会報に郷土史や古文書に出てくる福知山市周辺の峠の特集がある。その中に丹波志天田郡の大簾峠の一文がある。
 
 又麓ヨリ左ノ谷ヲ奥山ト云 廿町斗谷ノ中ニ 大原ノ内大簾嶺 船井堺也

 少し理解しにくい文ではあるが、大簾嶺(おおみすとうげ)が現在の奥山峠を指すようである。また、両丹日日新聞平成10年7月29日の記事があり、府道市島和知線の大簾峠の開通記念の記事のようだ。この大簾峠というのが、奥山峠のことであるのは間違いない。

 国土地理院の地形図には大簾峠と明記されている峠があり、この峠は大簾川の源頭、二股になった右股のツメにあり、質志の鍾乳洞の駐車場のあたりか桂と言うところに降りる。つまり天田、船井の郡界を越えるのでは無く、旧町名で云えば和知から瑞穂にぬける峠である。これはどのように考えたら良いのだろうか。本当の大簾峠はどれなんだろう。P1020366
 
 
奥山峠大簾側からの展望は大原八景の一つとなっている。

P1020365
奥山峠の本来の峠はこの空間部分だろうと思うが、祠や地蔵さまは無かったのだろうか。

P1020368
眼下に中津戸最奥の集落が見えてくる。旧の峠道はこの集落から谷沿いに直登し、最後に現峠に合流している。


 大簾から京に向かう場合、大簾峠(国土地理院記載のもの)、その東南の峠(大簾川源流左股から三宮に降りる)、七谷峠(大簾出合いの上から左に入る谷を登り三宮に降りる)の三つが利用され、奥山峠は大原神社に向かう場合に使われた峠なのではないだろうか。樫原の大原神社から大祭の毎に通った神官はこの峠を越えたのではと考えるのだが、余りにも街道としての、信仰の道としての遺物が少ないのである。
 もちろん新道としての府道はいにしえの道とはルートが違うのだが、大簾出合い橋から谷に沿って登る間は昔と同じルートだと思うし、その後も府道が谷を横切る箇所も一箇所ある。峠そのものもそうだけど、こういった地点に道標や地蔵さまは遂に見つけることができなかった。山家からの大原越え、大成峠などの大原に越える峠道とは雲泥の差なのである。
 
 ここから先はいつもの通りわたしのげすの勘ぐりなんだが、大簾の人にとって重要なのは京に向かう先程の三っつの峠で、大原に向かう道は大原神社の参詣(大原指しという)以外にはそれほどの重要性が無かったのでは無いだろうか。
 平成10年奥山峠の府道が完成したとき、本当に開通を喜んだのは、大原、中津戸の人々ではなかったか。大簾の人々は大原に抜ける車道より、三宮に抜ける道の方がいいと感じているのでは無いだろうか。
 そして期待通り道が出来ることとなったとき、それは一般道では無く和知まで行かないと乗ることの出来ない自動車専用の京都縦貫道であったことはなんとも皮肉に思えるのだが、果たして地元の方々の思いは如何だろうか。つづく

晴徨雨読 四日目(2006.8.4)
余呉湖~今庄~武生
 自転車旅行中辛い思いは、暑さ、寒さ、雨、風、疲労、病変、故障、恐怖など色々あって今後も紹介していくが、この日の辛かったのは空腹、つまりハンガーノックである。椿峠、栃ノ木峠と大きな峠を越えたのだが、道中に食糧を買える店が一軒も無く、悲惨なこととなった。以後行動食、非常食を充分に備えるようにしたが、それはこの日の教訓からである。Img_0118

椿坂の途中、昼前に最後の食糧をとる。夏場のスキー場に店など無い。


今日のじょん:今日も他所の犬の話で盛り上がっている。
「ルルちゃんは風邪ひいても大丈夫やなあ」
「風邪薬やさかい」
「ルルちゃんは上海帰りかい」
「そりゃリルや」P1020379


 

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(1) 8/3

2012-08-03 | 晴徨

2012.8.3(金)快晴

 じょんのび出発 11:00 山家~府道450~
 梅の木地蔵   11:44~50  立木駅~広野~府道59~
 熊野皇神社   12:15~20  出合い橋~
 奥山峠      12:55~13:10  昼食
 大原着      13:25      蛇ヶ谷探訪
 大原発      14:15      R173、じっかんさん宅みちくさ
 帰宅        15:30
 
 走行距離 52Km

 健康診断の結果が芳しくなく、適度な運動が必要と言うことらしい。メタボでは無いようだがお腹周りのお肉も気になり始めた。体重もあと1Kg減らすべく週一度のライドを計画する。
 大簾(おおみす)は京都縦貫道が完成すると様変わりするだろうから今のうちに見ておきたいと意気込んで出発する。
 山家あたりでも止まって見ていきたいところがいくつかあるんだが、いつでも行けるだろうと先を急ぐ。途中下替地町(したのかちちょう)の梅の木谷不動尊によって行動食をとる。やがて広野の大簾に入る府道を見つけるが、少し遠回りをしたようだ。P1020357_3
 
涼しそうなところに鎮座しておられる。手前の水はイボに効くとか。


 大簾の府道はしっかりした道で、大成(おおなる)や草尾、塩瀬のように廃村を免れたのは将にこの道の賜という気がする。道路の状況がその地域の存亡を左右するのは哀しいことだが現実なのだろう。しかし京都縦貫道という使えもしない道路が大簾の人にとってどう影響するのかは未知数である。P1020358

大成に向かう谷、大原までは最短コースだが、車道は無い。


 通行が人の足に頼っていた時代に主要な街道となっていた峠道が、モータリゼーションの登場で行き止まりの道となり、街道は廃道に、村は廃村になるというのはなんともやるせない想いがする。
 どこの谷でもそこの道がどこかに抜けられる道か行き止まりの道かというのがその村の存亡あるいは盛衰に影響する。大原へ抜けられる、あるいは大原から来られるというこの府道が、開通時はともかく現在、産業や通行にどれだけ貢献しているかは疑問なのだが、大簾の人にとって大原中津戸の人にとって精神的な貢献度合いは計り知れないものがあろうかと思うのだ。
 大簾は出合い橋までは明るい近代的な農村を思わせるが出合い橋から先は傾斜もきつく山村という感じだ。大簾の神髄は出合い橋から左奥の大簾峠に向かう道では無いかと思うがまだ未知の土地なので解らない。P1020363
 
出合い橋から先は道も狭く、雰囲気も変わる。


 奥山峠に向かう府道は幅も狭く傾斜もきついが全線舗装されている。民家はすぐに終わり、植林の間をぬって登る上等の林道のような道だ。P1020364
 
奥山峠の道で最奥の民家、といっても出合いからすぐ。



 大原神社が樫原から遷宮され、大祭には神主が招かれていたという。わたしは樫原の大原神社の神官は大簾からの道を通ったのではないかと予想している。しかしこの府道には街道の臭いが無い。道標であったり地蔵さまであったり、いにしえの人々が歩いた臭いが感じられない。つづく

晴徨雨読 三日目(2006.8.3) ガリバー旅行村~余呉湖キャンプ場
 この旅行中随分勇気のある行動をとっている。それは今までなら恐くて行かなかったところへ行っていることだ。今日の八淵の滝もそうだ。早朝に起きてバイクのスタイルで滝を往復してくるなんて考えられない。霧の中に連続する滝なんてぞっとするぜ。Img_0068

アプローチからしてこれだもんね。



今日のじょん:晴徨の帰り道、水が無くなり喉カラカラでじっかんさんとこに寄って給水する。するとかわいいワンがおるでないか。名はルルというそうだ。かみさんも見に行こっテカ。P1020380

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猪鼻のこと(13) 8/2

2012-08-03 | 上林界隈(AKB)

2012.8.2(木)快晴

 浜名湖は細江湖、庄内湖、松見ヶ浦そして猪鼻湖の四つの枝湾をもっている。猪鼻湖は北西に位置し、大崎半島という半島によって句切られた一画で、みかんや原人で有名な三ヶ日(浜松市)があるところだ。猪鼻湖の水の出口は大崎半島の先端によって作られた瀬戸で、猪鼻瀬戸と呼ばれている。
 大崎半島の先端に猪鼻神社という神社があり、猪鼻岩という奇岩が水面に突き出ている。猪の下あごが剥がれ落とされたいう伝説があり上あごだけの猪の顔をしているそうだ。現物を見たことはないのだが写真で見る限り、京丹波町の猪鼻岩のほうがずっと猪らしく、ユーモラスである。ただかたや観光地であり、訪れる人も多いので猪鼻湖の猪鼻岩の方がずっとメジャーである。Img_2012

浜名湖は旧東海道の訪問が主で北部の方に行けなかった。
写真は魚釣り公園(2006.12.2)


 猪鼻湖周辺の地図(国土地理院2万5千分1地図
)を見ても猪鼻という地名は見当たらず、猪鼻というのは大崎半島の先端の猪鼻神社のある突起部分をいうのだろう。この南西には州の鼻、正太寺鼻といった湖に飛び出た岬があるので同様の地形を言ったものだろう。州の鼻はおそらく暗礁、岩礁のある瀬の突端という意味だろうし、正太寺鼻は曹洞宗正太寺に因む岬の名前だろう。
 猪鼻湖、猪鼻瀬戸の由来を調べてみると、すべてが猪鼻神社、猪鼻岩に由来するとあり、猪鼻(いのはな)の名の由来は出てこない。
 わたしは京丹波町猪鼻と同様に水面に突き出た岬と説きたい。語源大辞典(堀井令以知編)によると、”ゐ”というのは同じところに止まるのが原意、居ると同系とあり、鳥に棲、水に井の字をあてる、という風に書いている。つまり水が止まっているところ、湖や池、沼を指すのだろう。P1020333

熊野神社から池の元方面を望む。 


 一応猪鼻(京丹波町)の地名考について一定の結論が出たが、猪鼻岩が年代の新しいマンガン坑口であること、池の元から下流がかつて沼地であったことが前提での考察なので、より具体的な証拠を探す必要性があり、今後も探索を続けたい。
 そしてこの間に発見した、あるいは従前から知っていた猪鼻地名について再度検討を加えなければならないと考えている。それはイノハナという地名には多くの意味が含まれており、一つの語源とは限らないのである。
 おそらく誰も考えつかなかったであろういわゆる「鋳の花説」(仮称)についてもその可能性について今少し提起をしておきたい。つづく

 
晴徨雨読 2日目(2006.8.2)比良~高島市ガリバー旅行村
 琵琶湖周辺は何度も訪れているのだが、車で通過するだけのところは何の印象も残っていない。自転車で走ることの、それも長スロウで走ることの楽しさを発見する。小さな事、車では絶対に見つけられないことを発見できることだ。地方の郷土資料館などは今まで行ったことも無かったのに、こんなに楽しいところなんだと気づく。Img_0054


高島市の郷土資料館。


 今日のじょん:オウンゴールでボールを谷に落としやがった。探したが見つからず、いよいよ草刈りをしなければならなくなった。かんべんしてよン。P1020352_2
 
 こんなかからボール探せって??

 

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