2012.8.16(木)曇、晴れ
13日から14日にかけての大雨の被害が宇治市周辺に起こり、志津川左岸の家が流され行方不明になっておられた方の一人の遺体が発見された。あらかたの方が志津川ってどこよという思いだろうが、わたしは上林鳥垣渓谷のすずゆわ地名考で、スズ=シヅ=鍾乳石という仮説を掲げて、六月中旬に説を展開したのだが、すず岩の鍾乳石と思われる影像が倒木であったことで全面的に説を撤回した経緯がある。
シデ山山頂近くのすずゆわ。
その際に調べた地域が宇治の志津川だったのだ。シヅ=鍾乳石なら志津川は石灰岩質の地形だろうと予想を立てたのだが、一部に石灰岩質の地形があるようだが、どうも顕著な石灰岩質の地域というわけだは無さそうだった。ただひとつ妙な地名があったので気になったことがある。
それは明星山、読み方はおそらくみょうじょうやまと読むのだろう。
新潟県糸魚川市小滝、姫川の支流小滝川の北に明星山(みょうじさん)という日本では数少ない石灰岩のクライミングウォールがある。そして両地域とも近隣に別所地名があるのだ。別所とは未だ研究中なのだが、古代に奥州の俘囚を移配した地というのはともかく、産鉄あるいは非鉄金属産出に関連のある地ということはほぼ間違いないと思っている。
シヅで調べたうちに、島根県大田市静間(しづま)がある。石見銀山の東に当たる地域だが、古代地名語源辞典(楠原祐介ほか)では、静間神社が鎮座している地が垂氷山(たるひやま)ということから、垂(しづ)という地形地名だろうと解いている。垂(しづ)とは長く垂れ下がるということで傾斜地、崖を表す、ということだ。
信太(しだ)、志高(したか)、設楽(しだら)など古い著名な地名もすべて「垂る」(しだる)からきた傾斜地、崖と解いておられるのだが、わたしは疑問に思っている。第一わたしの持っている漢和辞典に「垂る」が「しだる」とは載っていない。よしんばシダ、シヅに垂れるという意味があったとして、傾斜地、崖となすのは飛躍では無かろうか。
わたしはシズ、シダなどに垂れるという意味はあるが、それは単純に水が垂れる様子や鍾乳石のようにしずくが垂れるという意味ととるべきだと直感的に思うのである。
古代地名辞典に静間神社は垂氷山にあるので、垂(しづ)云々とあるが、地図を見ると神社記号の北の魚津港のところに「静ヶ窟」というのがある。調べると静ヶ窟とは海岸にできた二つの海食洞で、社伝などによると元々この洞窟に鎮座されていたということである。江戸時代に大波の侵入で地形が崩壊し、現在地に移転したということだ。さすれば静間の地名は垂氷山というより、静ヶ窟ということになりはしまいか。
2007.4.20 大田市を通っているのだが、静之窟は知らなかった。
写真は仁摩の港あたりと思われる。
この静ヶ窟の地質が、石灰岩ならわたしの説はうんと飛躍するのだが、どうやら火山角礫岩と凝灰岩ということだ。なかなか思うようにはいかないものだ。
ちなみに国土地理院の地図では「静ヶ窟」とあるが一般的には「静之窟」(しづのいわや)と呼ばれているそうだ。
【作業日誌 8/16】
プリンスメロン防鳥ネット掛け
二度目の胡瓜胡瓜ネット掛け
【晴徨雨読】16日目 北八ツ彷徨(雨池)
憧れていた北八ツ彷徨をする。思えば山に登って数十年、単独行は初めてなんじゃないか。組織で登っていたことや岩や沢などやってたことが原因なんだが、基本的に臆病者だからだろう。加藤文太郎の「單獨行」や山口耀久の「北八ツ彷徨」などにあこがれはもっていた。独りで山を歩くと、内面的な思いがもの凄い。むしろ総てがそうなるものだ。一人旅途中の山行だからこれ以降すべてが単独行となるのだが、結構くせになりそう。ただ、帰りの尾根でガスにまかれて右も左も解らなくなったときは、心底心細くなった。
帰り道、ガスにまかれて視界は20mぐらいになった。
【今日のじょん】:お盆過ぎたら涼しくなるってえのは朝晩のことのようで、昼間は相変わらず暑い。体力温存のためとかみさんは言うが、とにかくじょんちゃん寝てばっかし。おとーも体力温存のため朝寝、昼寝してしまった。