晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日本一周出発記念日 8/1

2012-08-02 | 旅行記

2012.8.1(水)晴れ

 焼け付くような毎日、涼しいはずの上林でも日中の暑さはこたえる。6年前の今日、同じように暑くてたまらない日に京都を旅立った。最終的に翌年2007年の5月21日10,625Km、全国47都道府県を巡り走って、日本一周自転車旅行をやり遂げた。いろんな遊びをしてきたが、お金も時間も労力も最もつぎ込んだ遊びだった。
 それだけに得るものも多くあったが、なによりそれ以降の生き方のベースになっているように思う。Img_0036
 
カンカン照りの蝉時雨の中を1万㌔の旅のスタート。


 普段の生活では過去の日の出来事を思いだすことは無いのだが、旅の日の出来事は事細かに憶えているものである。そして小説や紀行文を読んだとき、あるいはTVのニュースや番組の中で旅で通過した街やその近隣であっても、懐かしく思いだしたり、また臨場感があふれたりするものである。こういった感覚は他のことでは決して得られない、旅ならではの体験という財産である。
 8月1日が来るとペダルを踏み出したあの暑い日のひとこまが作日のように思い起こされる。
 今日から来年の5月21日までわたしの足跡を辿って6年たった現在の視点での感想を交えて紹介してみたいと思うのである。

晴徨雨読 
第一日目(2006.8.1)京都~比良
 7月に試走をしているので慣れているはずなのに、なんとも遠くつらい行程だった。田舎になれば道端で食糧を得るのが困難だとこのあたりでうすうす気づいているはずなのだが、、。旅をする余裕というものがまるで無い、ただいたずらに焦るだけの旅立ちであった。泊まった民宿がとても親切にしてくれて救われた初日となった。何も見る余裕が無くて、撮った風景は逢坂山の石碑一枚だった。Img_0043

食事も予約してなかったのだが疲労困憊の様子を見て急遽作って頂いた。比良の民宿田沼。


【作業日誌 8/1】
キュウリ晩成種苗植えつけP1020347

 日照り対策に簾を付ける。



今日のじょん:オリンピックで錦織の活躍が期待されている。じょんのび村では相変わらずのじょんのニシクリが、、、、、。P1020349

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猪鼻のこと(12) 7/31

2012-08-02 | 上林界隈(AKB)

2012.7.31(火)快晴

 西山氏が猪鼻岩は猪鼻の字の起こりと言ったのは、微妙な意味があるようで、わたしは元々”ゐのはな”の語源が存在するところへ将に猪の鼻を思わせる岩が脚光を浴びるようになって無視できなくなったということでは無いだろうか。従って”ゐのはな”の語源とは何の関係も無いいわゆる猪鼻岩を”字の起こり”と表現されたのではないだろうか。
 氏は猪鼻岩のことを「ししばないわ」と書いておられる。村の中でどう呼ばれているのか確かめていないのだが、猪がシシと呼ばれるのは一般的なのでそう呼んだのかもしれない。地名としては猪鼻はイノハナと呼ばれ、シシバナは獅子鼻と書かれるケースが多いようだ。この二つの地名が同じ意味を持つのか、まるで違った意味を持つのか研究の余地はあろうかと思う。P1010849
 
鳥垣にも獅子鼻があるのだが、顕著な地形的特徴は見つからない。


 しかしなにより猪鼻岩が猪鼻の語源ではないという根拠は、猪鼻岩がマンガンの坑口だと思うからである。このことは現時点ではあくまで予想なのだが、いずれ科学的に証明できるのではないかと思っている。もしマンガン坑跡だとすると明治の後半から戦前までに掘られたものだと思う。この土地の所有者の西山さんは昭和10年のお生まれで、物心ついたときには猪鼻岩は現在の状態であったとおっしゃっておられる。氏のお宅は猪鼻岩の真正面高台にあり、岩のところまで田んぼであったと言うことだから、掘削が行われていたら確実に印象に残っていると思えるのである。
  いずれにしても”ゐのはな”の地名がついただろう時代と猪鼻岩が掘削された時代は雲泥の差があろうかと思われる。P1020317_6

猪鼻岩の右の穴、浅く削り取った感じである。 



 ではなぜ”ゐのはな”=蛇ノ端=猪鼻説を支持するかと言えば、いまのところ猪鼻の地形的なものを見た場合、水辺に突き出ている尾根の末端ということしか該当しないからである。どこかに清水の湧き出ている崖でもあればまた話は別である。
つづく

【作業日誌 7/31】
桐の木の枝払いP1020313


ザイルでビレイしながらの作業だが暑くてこのスタイルだ。



今日のじょん:木の枝こわいよ~んP1020345

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猪鼻のこと(11) 7/30

2012-08-01 | 上林界隈(AKB)

2012.7.30(月) 快晴

「産土今昔夜話」などではっきりしていることは、猪鼻の地名のおこりが、例の猪鼻岩でないことである。
 猪鼻岩が発見というか注目される以前から猪鼻の地名はあり、猪鼻岩が注目を浴びた昭和17年の府道工事ではじめて岩が猪の顔の形をしていたことが解ったのだろう。それが余りにも猪の顔に似ていたので一般的に猪鼻の地名のおこりと言われるようになったのだろうが、「産土今昔夜話」の著者の西山氏は微妙な言い方をされている。
 それは猪鼻の地名の起源について猪鼻岩とは無関係に、水に関連ある起源説を出されているにもかかわらず、昭和17年のこの岩の発見について次のように書いておられるのである。

 この村のはじまりに住んでいた人たちは 川下で身を清め このお岩さまに向いて篝火を焚いて しずかにお祈りをしたり 時にはにぎやかに笛や太鼓ではやしたてるお祭りもしたにちがいない
 その頃からこの里を”ゐのはな”と言ったのだろう そして”猪の鼻”という字を当てはめるようになった字の縁起でもあるように思われる

 氏の言わんとすることは、古来から”ゐのはな”の地名があり、猪鼻岩が注目を浴びるようになって”ゐのはな”の字の起こりは猪鼻岩であるということのようだ。
 猪鼻岩が余りにも猪の顔に似ているものだからそういうことになったのだろうし、村の古老の言も猪鼻岩が”ゐのはな”の地名の起こりということだったのかもしれない。
P1020316
実に似ている。 


 わたしは氏が最初に書かれた、「蛇ノ端」説が最も妥当だと思っている。水の流れの中に突き出た尾根の意味である。それは加用から池の元方面に突き出た尾根だろう。池の元から下がかつて水たまりであったという伝説は事実かも知れないと思っている。その理由は池の元の地名もあるが、猪鼻の上村、中村、下村の地名である。下村が熊野神社から北に入る横谷にあり、中村、上村が熊野神社より上流にあるということは、池の元より下流は人の住めない水たまりだったのかも知れない。もっとも上中下村という地名がいつ頃どのような事由で付けられたのか解らないので、あまり自信持って言えることでは無いのだけど。P1020330
 
池の元はこのあたりか、熊野神社から加用口、そして府道を横切るのが旧道と思われる。


 伝説では木之本はんという武士が大身との境の峡谷をぶち抜いて水を抜き、人の住める耕地に替えたということだが、こういった地形のところには同様の伝説がままあるものだが、木之本喜平治という名と信長の時代などと言われているのでなにか調べようがなかろうか。原が谷という地名は、新たに開墾した谷と解釈できるので、湿地で住めなかったところを現在のように開発したということならあり得る話では無かろうか。つづくP1020332 P1020331_2

熊野神社わきにある木之本はんと由来




 今日のじょん:おとーたすけてくれい。P1020256


あまったれんじゃねえ。  

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