晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(60) 阿比地神社-4 11/15

2013-11-16 | 上林地名考

2013.11.15(金)雨、曇り

 
 阿比地神社の鎮座する場所についての疑問は初めて神社の森を見たときに始まったが、最近に紐解いた福知山市史第一巻にまさに同様の疑問が呈されていることに驚いた。おそらくこの文は芦田完先生の手になるものと思うのだが、歴史家として尊敬する先生と同じ疑問をもった自分が誇らしく感じるのである。

 
ここで今一つ考えてみなければならないことは、この宮がこの付近でも最も低いところに位置していることである。社地は地盛りをしてつくったものらしい。洪水の際には社の付近は最も早く浸水する。延喜式内社といえば今から少なくとも千年以前に中央に知られていた宮である。千年以上昔といえどもこの地は今より高かったとは思われない。むしろ逆に、由良川またはその分流がこの辺の山麓を流れていたかとも思われる。(福知山市史第一巻)

 という風に始まり、土器の出土状況、古代人の居住環境などから考えて、元々の神社はもっと小高い丘の上、飲料水の得られるところ、具体的には観音寺の付近ではと遠回しに書いているのである。どうやらそういう伝承があるようで、「式内社の研究」(志賀剛著)に阿毘地は阿由知(あゆち)の訛で湧水の地の意であり、補陀洛山観音寺の閼伽井(あかい)のあたりが旧址かとあるようだ。
 福知山市史もこの説を肯定して、次のように書いている。
P1010761


 

阿比地神社から東南に1Km弱のところに観音寺がある。

 
阿比地神社もまた観音寺の子村である興が出来て、その勢力もある程度発言権を持つようになると、氏神をこの子村に近いところへ移し、新旧両集落に都合の良い位置に遷座させたものでは無かろうか。

 福知山市史の一連の説に同感する、そう考えると水害の多そうな地での鎮座、東西に二つある鳥居の意味がはっきりするわけだ。
 現在地は観音寺と興の境界線上にあるわけでなく、やや興の側にあるのだが、往時の境界が現在と異なるかも知れないし、特に境界線上になくてもその付近であればいいことだと思う。
P1010753

 


社殿は東、観音寺の方を向いているが、西にも参道や鳥居がある。

 東西の鳥居は観音寺村方面と興村方面に向いており、これは明らかに両村を意識したものと思われる。特にどちらにも手水鉢があるのはどちらかでも参れるというよりは、観音寺は東から、興は西から参ったのではないだろうか。
P1010759



これは西の参道にある手水鉢

 なお、遷座に関する説はあらゆる書物に記されているのだが、東西の鳥居に関して言及しているものは見当たらない。わたし個人の発案による見解であるので、念のため。つづく

【作業日誌 11/15】
芝生草引き(8日目)約半分終了

【今日のじょん】最近よく毛が抜ける。カイカイも頻繁なので心配になり、ネットで調べてみたら、春、秋に抜け毛するそうだ。冬毛が出てきたのだろうか。
 かみさんがファーミネーターしたらバケツいっぱい抜けた。猪除けにしたら、、だって。P1010714



けーとくちん、何となくもこもこ。

 

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日置のこと(59) 阿比地神社-3 11/14

2013-11-14 | 上林地名考

2013.11.14(木)晴れ

 阿比地神社の東西の鳥居が太陽観測とかかわり合いがあるのではという思いは見事に外れた。阿比地神社の歴史を見るとそのことがはっきりする。
 各説ある中で福知山市史第一巻にある阿比地神社に関する記述がわかりやすく、妥当であろう。
 まず、阿比地神社は元々何鹿郡下高津村に存在していたという文書がある。では阿比地神社は何鹿郡から天田郡(現福知山市)に移転したのかというとそうではない。興、観音寺もかつては何鹿郡であったのだ。そのことは福知山市史の中に一節を設けて(第2編第1章第四節 観音寺及び興の所属)書かれている。
 阿毘地神社が平安時代後醍醐天皇の延長五年(927)に、藤原忠平等が選進した延喜式神名帳によると、何鹿郡十二座の中に入っている。として次のように書いている。
 
同社が創建以来位置を変えていないとするならば興の地は何鹿郡にあったわけである。おそらく大化二年(646)の国郡制定以来そうであった。一体興というところは新興の集落で観音寺の分村(出戸、出垣戸)であるらしい。
 

 また、丹波志では
 
観音寺村興村ハ往古何鹿郡ノ地也ト云フ興村ハ観音寺村ノ出戸、昔日下高津ト云地也ト云
 と書いている。つまり社殿が移転したのではなく、地域区分、この場合郡が変わったわけだ。
 しかし、創建以来阿比地神社はこの地にあったのだろうか。
 初めて当社を訪れた時、不思議な感がした。一般的に神社というものは村を見下ろす小高い位置にあるものだ。現在の位置は府道や山陰線の由良川よりで、洪水の可能性の最も高い位置にある。
 そうこうしているうちに台風18号の被害が起きた(2013.9.16)。戸田、土、石原方面の被害の様子はテレビなどでも大きく報道されたのだが、奇しくもその翌日、高津から戸田、石原方面に向かうこととなった。P1010212


阿比地神社東側(2013.9.17)
P1010220



戸田から石原方面、阿比地神社はこの写真より左手、昨日はこの辺り一面が泥の海であった。(2013.9.17) 

 台風一過というのかその日は打って変わっての晴天で、暑さをも憶えるくらいであった。この方面の府道を除くすべての道が通行止めとなっており、観音寺辺りから大渋滞となった。車を停める余裕も無くて、車内から阿比地神社の森を一枚だけ写真におさめた。その写真で水深のようすなどはわからないのだが、その後戸田、石原方面をまわり、被害の様子を見る限りでは、境内は水浸しであったと思われる。ましてや由良川の流路も定まらない時代のこの地は今以上に水害の危険性が高いと思われ、なぜこの地に神社を置いたか疑問である。つづく
P1010754



現在の境内は水のあとはわからない(2013.11.12)

【作業日誌 11/14】
最後の草刈り


【今日のじょん】今年は獣の出没が多い。山のドングリは豊作だと聞くが、どうやら食性が変わってきているということが報道されていた。山の食べ物が豊富でも、もう里の食べ物しか食べないということだ。じょんのびの庭でもイノシシの糞が今年既に2回発見されている。ヤンナルゼ。

P1010764





P1010762

 
 じょんの足下のかき傷は鹿もしくは猪の蹄の痕。

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日置のこと(58) 阿比地神社-2 11/13

2013-11-14 | 上林地名考

2013.11.13(水)曇り、雨

 阿比地神社のことを本などで知って、府道を走るたびに横目で眺めていたのだが、府道や線路の北に森があり、西側(福知山側)に鳥居があるのを確認していた。じっくり見てみたいと思って、府道に車を駐め阿毘地踏切から写真を撮る。この写真は神社の森の東側を撮るのだが、ここにも鳥居があるのに気づく。
 つまり東西に二つの鳥居があるわけだ。森の中で社殿がどちらを向いているかはわからないのだが、鳥居が反対方向に二つ存在する神社は見たことがない。
 東西の鳥居が真東、真西を向いているとしたらこれは事件である。春秋分の日の出が東の鳥居方面から昇り、西の鳥居方面に沈むからだ。こうなると興は日置でその観測地点が阿比地神社などという説が日の目を見ることとなる。
 東西二つの鳥居に気づいてから2ヶ月あまり、社殿の方向や鳥居の方向を確かめたく思っていたのだが、現地の台風被災等もあってなかなか実行できなかった。
 買い物のついでに思い切って車で観音寺から神社の森に向かう。高速道路の下やたんぼ道を通って神社の駐車場にたどり着く。
 はやる心を抑えながら、東の鳥居をくぐる。社殿は東を向いていた。社殿と鳥居の向きは同じだが、その方向は100度で真東よりやや南に向いている。その方向は高津八幡の尾根の途中を差し、特別の目標物を指しているようではない。
P1010747P1010748



東側の鳥居と東方の風景

 社殿は拝殿と本殿からなり、こぢんまりしているようだが式内社らしく風格がある。その社殿の左手に西の鳥居からの参道があり、やや小ぶりだが石の鳥居がある。
その方向は255度で真西から15度南に寄っている。その先も際だった目標物はない。
P1010751P1010760



西側の鳥居と西方の風景

 境内社は社殿の北にあり、稲荷社、天神社、大木社、手力社、厄除社があり、これらも日置との関わりは無さそうである。手水鉢は東西それぞれにあり、どちらからもお参りできる様になっている。
 いつものように盃状穴を探しながら、石造物を眺めてゆくが盃状穴は皆無である。文化や嘉永の銘が見られ、あまり古さは感じられないが、狛犬だけはなにか威厳のある古さを感じる。
P1010755

 
 


社殿から東側の鳥居を見る、狛犬が迫力ある。

 東西の二つの鳥居に日置らしい太陽の運行に関するいわれを探したが、残念ながらそれらしいことは見つからなかった。つづく

【今日のじょん】雨も4日目になるとうんざりしてくる。合間を縫って散歩に出るが、ものの5分でまたしても降ってくる。
 日置のことを勉強しだして太陽の位置を気にするようになった。朝の散歩は大体8時頃だが、秋分の頃左の尾根の途中だった陽が、いまや一番右のピーク辺りとなっている。それだけ南に下がっているわけだ。P1010763

 

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日置のこと(57) 阿比地神社-1 11/12

2013-11-13 | 上林地名考

2013.11.12(火)曇り、雨  日置のこと(56)は2013。11.7

 阿比地神社(あびちじんじゃ)は福知山市興(おき)にある式内社である。
「西丹波秘境の旅」(澤潔著)に次のように書かれている。
 
幻想あふれる於成平
 ところで、夏至の太陽の移りゆく真下あたりに、天火明命を祀る石原(いさ)の興似鎮座する阿比知神社があるのは、不思議このうえもないことで、偶然の一致にしてはできすぎているのである。やはり、そのような位置をあらかじめ計測して、そこに阿比知神社を奉斎したものであろうか。そうすると「アヒチ」(夏至の太陽が会うところ)の意味が、語呂合わせかも知れないが、わかってくるような気がしないでもない。「丹波文庫」に「興」とは「日置」の略語であるというが、まさに鋭い指摘である
。(119ページ)
 ここで書かれている「丹波文庫」の内容というのは、「丹波文庫第15号 創作 青い花」のなかで斉藤喜一氏が福知山の「土」(つち)は朝鮮語で「ヒキ」と呼び、「土」も「日置」ではないかという説に付帯して次のように書かれているものである。

 
火美子「私はそう考えてる。現代朝鮮語の辞書だし、ハングル表と見比べて私が引くのだから、あまり発音は正確ではないと思うけど、土はヒキとも読んでいる。土(ひじ)と読んでクシフルのことかもわからないけど、でも福知山の土は日置のことと思う。その西隣に興でしょう、これもヒオキのオキで日置のことね。」
P1010024





  阿比地、阿比知、阿毘地などいろいろに書かれているが、ここでは福知山市史にあるように阿比地神社(あびちじんじゃ)としておこう。
 祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)で、一社一座で天照大神を祀る宮は珍しいこととしている。澤氏の言うところの天火明命とは別のものである。
P1010003



阿比地神社は府道8号線福知山綾部線の阿毘地踏切の北にある。

 弥仙山から西南に30度のところに確かに阿比地神社は来るようだが、その方向に日没するのは冬至であって夏至ではない。
 土を日韓翻訳すると、フk、heulgと発音するらしい。これがヒキと聞こえるかはともかく、日置を日本語に置き換えて土を意味するから土という地名が生まれるかと考えるとどうも疑問を感じてしまう。また、文中土の西隣に興という風にあるが、実際は東隣であり、誤植か勘違いかと思われる。
P1010002_2

 


福知山市土は今年の台風18号の被災地だが、南半分は高台となっており、浸水の被害はないようだ。

 興についてもヒオキがオキになったというのも、澤氏の言うほど鋭い指摘とは思えないのである。
 要するに土も興も日置だというのは少し難があると思っている。
 ところが、興に存在する阿比地神社に妙なものを発見したのである。つづく

【今日のじょん】雨が三日間続いている、朝夕の散歩もレインコート着用で運動不足になりがちである。こんな時いつもと違った激しい動きを見せることがある。やっぱりどこかでうっぷんを晴らさなければいけないのだろう。P1010745_2

 
 

 
 
 

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冬支度 11/11

2013-11-11 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.11(月)雨

 冷たい雨が降り続き、夕方には外気は10℃を切ってきた。何となく暖かい日が続いてきたので、冬を意識はしなかった。でも十日前ぐらいに寒い日があって、湯たんぽを出し、下着も長袖、パッチと用意していた。寒さは長続きせず、使用することなく推移していたのだが、さすがに今日の寒さは冬の到来を思わせる。
 明日にストーブの試し焚きを予定していたのだが、急遽夕方に初焚きをはじめる。
 昨年のブログを見ると11月5日に初焚きをしているから、一週間遅い。だからといって今冬が暖冬だなんては言わないが、冬の始まりの緊張感は独特のものがある。
今シーズンの薪は確保しているが、その後の薪割りはまだまだ手つかずだ。
P1010743

 
 


初焚き
 煙突も本体も掃除が終えられたぴかぴかのストーブに火を入れる。
 さび止めか汚れ落としの油の焦げる匂いがむうと漂ってくる。
 長い間焚くことの無かったストーブは、すこぶる要領が悪い。
 くすぼっては消え、またしても焚き点けを入れる。
 やっと燃えだしたストーブから、カメムシが這い出してくる。
 ようやく見つけた冬ごもりの地が熱くなってきたんだから堪らない。
 嫌な虫を焼き尽くしてストーブは燃える。
 乾いた薪をくべながら、その面に見覚えがある。
 厚い皮、絞りのような繊維、赤っぽい肌、三年前か引地谷で切った木だ。
 同じようにあそこの木、どこの木という風にみんな憶えている。
 どの木も自分で切って運んで割った木だから。
 やんちゃでどうしようもない木が、ふた冬を越して優しくなる。
 ちろちろと燃える赤い火がこんなに嬉しいのは
 暖をとり、獣を避けた縄文の血が少しは残っているのだろうか。

 あと一ヶ月、冬の準備をしなくては、
 最後の草刈り、芝生の砂入れ、薪割り、庭木の雪囲い、椎茸の囲い、デッキの塗装、本衣替え、炬燵の改良、大根も漬けてみるか。めっちゃ忙しいけど、なんとなく楽しいのよね。
P1010709



今取り組んでいるのは芝生の砂入れ、草を引いて、芝を刈って、ベンチレーションしてようやく砂入れ。現在1/4の草引きまで終了、6日かかっている。(じょんの鼻先)

【今日のじょん】昨日のことなんだけど、夜に吠えたときは翌朝一番に何者かが来ていた方向を嗅ぎに行く。前の晩はこの木のあたりに何か来ていたのだろう。とにかくイノシシの荒らした痕だらけで、新しい侵入者の痕跡がわからない。
P1010736
 



 これはわたしが見つけたのだけど、隣家の柿の木の上部が折れている。もしやと思い行ってみると、予想通り熊の襲来。恐ろしくでかいうんこが残されていた。
P1010738
P1010739




 

 

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じょんだけになった三兄妹 11/10

2013-11-11 | Dog

2013.11.10(日)

 昨日くるみちゃんが亡くなったと連絡が入る、やりきれない気持ちである。8月にマーブルが亡くなったばかりなのに、くるみちゃんまで逝ってしまって、信太山三兄妹もじょんだけになってしまった。5年の命、人間なら青壮年なのに可哀想で仕方が無い。
Img_0669_2

 



信太山三兄妹に初めてあった日(2008.5.23)左からマーブル、くるみちゃん、じょん。

  ちょうどマーブルの写真集を作っているところで、三兄妹の子供の時の写真やら、兄妹がじょんのびに揃った時の写真があり、愛おしくて、悲しくて堪らなくなってしまった。じょんが元気でいるわたしでさえこれだから、くるみちゃんのご家族はいかばかりかと思う。
Img_28771

 




くるみちゃんは兄弟の中でも唯一耳が立ってかっこいいのだ。



  マーブルとくるみちゃんの死には偶然とは思われない共通点がある。ともに自己免疫性溶血性貧血という病名であること、生後5年でその病気になったこと、混合ワクチン接種後の発症であることだ。
 マーブルが治療中に、「ワクチンが引き金になっているかも」と動物病院で聞かされていた。
 混合ワクチンの副作用についてインターネットで調べてみる。ネット情報というのは正しい情報か否か判断がつかない分野については信用しないことにしているのだが、この際他に得られる情報が無いので覗いてみる。するとまあ、混合ワクチンの副作用についてあるわあるわ、製薬会社の陰謀だとか獣医業界の営利主義だとか枚挙にいとまが無い。しかし科学的な根拠をもって納得のできる見解はない。それは無理の無い事である、専門家でない飼い主さんにそこまで説明はできないからだ。
 それでもこれは確かだろうと思われる情報が一つある。混合ワクチンの接種後にアナフィラキシーショックで死亡したり、重篤な状態になっている犬が相当居ることだ。
 情報はこれだけで充分だ。5年間ワクチン接種を受けてきて、そういった危険性があることを一度も聞かされたことはない。なぜ獣医はワクチンの副作用を告知しないのか。それは混合ワクチン接種が任意だからだろう。
 マーブルとくるみちゃんが奇しくも同じ時期に発症したのは、ワクチンに含まれるアレルギー物質が一定量蓄積してその限界に達したのではないだろうか。また、アレルギー反応を起こしやすい遺伝子が兄妹に在ったのではないだろうか。
 そう考えると最後に残ったじょんだって、危険性は充分に考えられるわけだ。
 来年も動物病院からは、「じょんちゃん、予防接種の時期が来ました。」なんてかわいい葉書が届くだろう。
 哀しいことは、愛すればこそ、身を案じればこそ受けているワクチンがその命を縮める結果になるとしたら、これほど矛盾したことはないという事である。
 くるみちゃんのご冥福を祈る。そしてマーブルとくるみちゃんの分、じょんに長生きさせるよう決意する。合掌
Img_2880



この様子だとくるみちゃんがお姉ちゃんのように思えるのだが、、、。(’09.8.24) 

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雨読 探訪丹後半島の旅(上) 11/9

2013-11-09 | 雨読

2013.11.9(土)曇り
 「京都北山を歩く(1~3巻)」に感動し、それ以前に刊行された「探訪 丹後半島の旅(上中下巻)」は是非読んでみたいと思っていた。ところがその間に読んだ「西丹波秘境の旅」の内容に不満を憶え、丹後半島の旅を読むことは無かった。現在では絶版になっており、購入するには相当な値段となっている。
 日置のことを研究し始めたり、沢山できた丹後の温泉めぐりを始めたりで丹後に行く機会も増えた。購入はできないけど、図書館で借りられないかと調べたら綾部図書館に全巻揃っていた。順次借りてきて読むことにする。
 「探訪 丹後半島の旅(上)」澤潔著 文理閣1983年1月第2刷発行 綾部図書館借本
P1010735


 「京都北山と東丹波高原山旅の蠱惑」につづく著作だが、澤氏70才の発行である。晩成とはいえ、著作のジャンルから見ると最も脂ののりきった時期といえる。澤氏の著作をすべて読んだわけではないが、本書が最も優れた著作ではないかと感じている。
 「西丹波秘境の旅」について辛口の評価をしているが、そのうち、紀行文なのか研究論文なのかという風に書いている部分にまさに赤面の思いをしている。(雨読 2011.1.8参照)本書の副題は、地名語源とその歴史伝承を尋ねて、という。
 地名語源を探るために数多くの書物を見てきたが、そのほとんどが地域ごとに箇条書きで地名語源の説明をするものであった。便利なものは巻末に索引がついていて辞書のように使えるものもいくつかあった。地名語源の研究をするためにはそういったタイプの書物が有効で、主にそのような書物を求めていた。従って先ほどの「西丹波秘境の旅」のごとく批判的批評をしてしまったのだが、現在では旅として各地を訪ねながら地名語源や歴史伝承を探るのがもっとも理想的なスタイルだと思っている。地名語源を尋ねる旅というスタイルは澤氏独特のもので、その中でも本書は最高傑作といえるだろう。
 本を読みながら、その場に居るような臨場感があり、過去に訪ねたところはその情景が浮かんでくるし、未訪のところは想像たくましくして是非訪ねてみたくなるのである。
 10月の中頃、丹後町久僧(きゅうそ ※本書では”きゅうそう”と書かれている)を訪れる。
P1010572
宇川温泉から久僧海岸方面

誠に美しい景色のところなのだが、氏はその語源を糞(くそ)と解く。古代人は汚賤・糞穢名称をもって、悪霊を近づけず、諸々の危害を防ぐものとしていた、というのがその理由である。また、上谷正男氏は「間人と宇川路の古地名をアイヌ語で歩く」で、Ki-us-o、茅が・そこに群生している・川尻と解いている。地名アイヌ語小辞典でみると、確かにその意味となっている。
 地名というものは不思議なものだ。

【作業日誌 11/9】
タマネギ苗植え付け20本

【今日のじょん】先日相性が合わずに一緒に遊ぶことができなかったゲンタ君が、今日は慣れたのかじょんと大はしゃぎしている。みんな大喜び、また遊びに来てネ。P1010733
P1010734


 

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食品偽装に思う 11/8

2013-11-08 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.8(金)曇り

 昨日、「百貨店系はともかく、オークラやオータニなどの一流ホテルにも出てきたら終いやなあ」と言っていたら、ホテルオークラでも出てきた。食品偽装の問題である。
 ホテルオークラの言い分は芝エビの偽装について、「エビの大きさに応じた呼称との認識だった」と言い訳をしている。阪神阪急が当初に行った言い訳で、消費者にとっては白けるばかりである。エビだけなら通用する言い訳かも知れないが、フカヒレや野菜にも偽装が及んでいるとなると、エビの大きさによる呼称だけでは説明がつかない。
 最初の偽装が世間で騒がれてから今日まで、関係者による会合が重ねられたのだろう。一体どのような気持ちでおられたのか知りたい所である。
 40年以上前、ホテルオークラで配膳のアルバイトをしていた。フランス料理では最も本流の伝統を受け継いでいると教えられた。シェフから末端の我々まで誇りを持って仕事をしていた。常連として食されているお金持ちはともかく、一生一度の記念日に上京して食事した食材が偽物だったとなると、その補償は返金で済むものではない。
P1010726

 


本日の食品衛生責任者講習会でも擬装問題は話題になっていた。メニュー擬装問題は、被害者にとって精神的、金銭的損失があっても身体的、健康上の損失が無いので軽んじられることとなるまいか。

  今回のホテルや料亭のメニュー偽装問題は、今までの食品偽装問題とは異質であることを認識しなければならない。つい最近起きた米の偽装はとある一社の問題であった、数年前の吉兆の使い回し事件も一社の問題であった。過去の偽装問題を見ても対象の一社だけが引き起こしている。ところが今回は、上層飲食業界に共通していることが質的に違うところである。
 つまり老舗料亭や高級ホテルの信用失墜だけで済まされない問題であることだ。食文化、あるいは日本の文化全体の問題ではないだろうか。方や和食を世界文化遺産になどということも盛り上がっている。それ以前の大きな問題が存在しているにもかかわらずだ。
 さて、視点を変えてみると、擬装をしていた超一流ホテルのシェフは自らの作っている料理にどのような思いを持っていたかということが気になる。自らが作っている料理の食材がレベルダウンしていることは当然わかっていることである。宴席にはシェフが登場し、「今日の食材は〇〇であります」なんて挨拶している。誠にもって高級そうでいいものである。
 私どもの場合は、常に料理長が目の前におり、それは居酒屋と呼ばれている。
「この魚美味いなあ、近海もんかい」
「いや、冷凍やで」
「この鯖美味いなあ、関かい?」
「いやフィリピン沖」
なーんてしゃれにならない。
 とにかく擬装問題が文化の問題となると、そのシェフの責任が重大になってくると思う。つまり、経営者やオーナーがいくら土下座しても問題の解決ははかれないのだ。文化は庶民のもので、庶民が担っているからだ。
例えば、天平文化の主人公は聖武天皇では無くて、東大寺の大仏を作り上げた技術者であり、土をこね木を削り上げた裸足の労働者なのだ。
 ニセモノ文化を作るか、本物文化を作るかはそこで働く庶民にかかっている。葛藤していただきたい。

【作業日誌 11/8】

芝生広場、芝刈り(整備6日目)
P1010718

芝刈りというよりは草刈り状態


【今日のじょん】今日はフロントライン、もといマイフリーガードの投薬日である。いわゆるジェネリック薬品なんだが、基本的な成分は同様に含んでいるので使用している。部屋で投薬すると暴れ回るので、外でやると知らん顔している。なんでや。P1010714

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日置のこと(56) 暦会館-3 11/7

2013-11-07 | 上林地名考


2013.11.7(木)晴れ
 暦会館には過去の暦であるとか、渾天儀(こんてんぎ)などの観測用具の実物やレプリカが沢山展示されている。土御門家の本拠である京都市梅小路に渾天儀の台座が残されているというね梅小路西中町の円光寺である。梅小路天文台でこれらの観測器具を使って太陽や月、星座の観測が行われていたことは間違いない。各種の観測結果の記録も残っているのだが、それらはすべて近世のことである。
 だからといって、それ以前の名田庄時代110年の間に天体観測が行われていなかったとはとうてい考えられない。彼らはどこかで毎日観測を続けていたことと思う。
 それは暦の作成や日食月食の予想だけでなく、日々の祈祷や卜占にも必要なものと思うからだ。
 そうなると何処で観測をしていたかが問題になる。美母呂の道周辺がもっともそれらしいのだが、とにかく訪ねてみなければならない。
P1010705P1010690



国道沿いの大杉と案内板。

 国道162号線を小浜方面に少しゆくと右手に大杉がある。その周辺が駐車場になっているので車を置いて、遊歩道を土御門史跡に向かう。
すぐに泰山府君社の鳥居が見えてくるが、鳥居も石段も新しくて由緒のある神社とは思えない。案内板によると明治41年まで奉祀と書かれているので、その後荒れていたものを近年に整備されたもののようだ。従って目標の天檀も果たして実在したものかどうかわからない。
P1010691P1010695P1010692



鳥居、石段、社殿みんな新しそうだが、傍らの地蔵様は古そうだ。

 この天檀を天体観測の地として候補に挙げたのだが、少なくとも太陽観測の地としてはふさわしくないように思われる。真東は山の斜面になり、120度はそれらしい山頂となるが真西はまたしても山の斜面となる。
P1010700



天檀から東方、冬至の日の出は正面の山頂から出る。

 天檀はあくまで祈祷、神事の場所として存在したものであろう。
 社殿の奥に神岩の群れという磐座があると、案内板にあったので行ってみる。ちょうど季節の銀杏を踏みつつ登ると、獣よけのフェンスがある。これが原発資金の十何億円を費やしてのおおい町の獣害フェンスだろうか。上林のワイヤメッシュフェンスと違って何とも立派なフェンスだ。谷のところのゲートを開けて奥に進む。神社から見えていた磐座だが、なかなか立派な磐座だ。人工のものは後の時代にも作ることができるが、この磐座は古代からその場所にあったものに違いない。土御門家がこの地に社殿を建てたとして、この磐座は何らかの影響を与えているのだろう。
P1010697P1010698



社殿上方の磐座、鹿の骨が生々しい。

 史跡はまだまだあるのだけど時間が無いので今日はここまでとする。神社の上に金比羅という小山があり、遊歩道が通っている。観測地があるとしたらやはり山上となるだろう、次回は是非訪ねてみたい。おわり

【作業日誌 11/7】
芝生広場草引き5日目、1/3くらい終わる。

【今日のじょん】深夜の吠えは迫力があった。4:06、飛び起きて周囲を見ると芝生広場にトナカイのような大きな雄鹿がいる。出て行くと山の方に逃げていったが、結構度胸要るのよね。
P1010710
この場所にいたのでオシッコかけている。



P1010711河原のイノシシ現場もやはりオシッコ。

 

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日置のこと(55) 暦会館-2 11/6

2013-11-06 | 上林地名考

2013.11.6(水)晴れ

 暦会館が土御門(安倍)家と名田庄との関係で設立されているのは事前に知っていた。土御門家(つちみかどけ)の荘園でもあり、戦乱を避けて一時居住したということだ。年表を見ると正中の変(1324)の翌年安倍有弘が若狭に下向し、1601年土御門家京都帰館となっている。現実に名田庄に住み続けたのは有宣、有春、有脩の三代110年ということである。もちろんその間京都との間を行き来したことと思われるが。
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土御門家が移り住んだとされているところは美母呂の路として整備されている。

 今回の暦会館の訪問目的はこれほど長期間名田庄に居住したとすれば、この地で月、太陽、星座などの天体観測をしていたと予想し、その場所や器具、あるいは地域の伝承など残っていないか探ってみたいと思ったことである。
 連休明けのウィークディとあって道の駅も暦会館もがら空きである。入場料200円を払うと、パンフレットと来年の宝暦をもらう。まずは別室で暦に関するビデオを見せてもらうこととなる。土御門家と名田庄のつながりがわかるビデオだが、気になる映像があった。土御門史跡、天檀で
行われる神事である。神前に正方形の台地が作られ、四方に鳥居が建てられ、その中で神事が行われているのだ。鳥居とは一種の結界のようなものだが、天体観測用の照準となっているという説もあったり、大神神社の三ツ鳥居のように特定の神社、その向こうに夏至、春秋分、冬至の日の出を指している(大和の原像)というような例もある。P1010677

 
まずはビデオで研修


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天檀、四方の鳥居が興味を引く

 館内の展示物は暦に関するもの、観測方法や用具、卜占に関するものなど多岐にわたるが、書物で見知ったものばかりで特段目新しいものは無かった。ただし、本物を見られるという感激は他に代えがたいものがある。館長さんと思われる方がつきっきりで説明してくれるし、わからないことは質問できるので大変参考になった。
 名田庄に百年以上居て、その間暦を出し続けた事は理解できるが、何処に住まいし、何処でどのように観測をしていたか、伝承なり古文書なり残っていないのか聞いてみた。
 「この時期(名田庄に移り住んだ時期)には暦法が確立していたので、天体観測の必要はありません。観測をしなくても暦を発行することはできますから、この地で暦の発行や祈祷をしていたのでしょう」
 土御門家が名田庄に避難していたのは、1488年~1601年のことという。その期間は日本では宣明暦(せんみょうれき)という唐の暦を使用している。宣命暦は861年から1684年まで823年間使用されもっとも長期の使用となっているが、中国で使われることを前提としているため誤差も大きかったとある。当の中国では893年に改暦しているので、日本で改暦が進まなかったのは、国内が不安定であったためだろうか。つづく

【作業日誌 】芝生草引き(4日目)

【今日のじょん】
くるみちゃんの病気が心配なのは、どうやらマーブルと同じ病気らしいのだ。命に関わることだし、マーブルが亡くなった頃に発症しているという偶然も気になる所である。原因は色々あって特定できないそうだが、ストレスというのもあるそうだ。人間の場合訳のわからない病気はすべてストレスで片付けられるのだが、犬の場合予想以上にストレスが大きいようだ。特に信太山三兄妹はストレス耐性が無さそうだから、、。
 かみさんが電話したら、持ち直して頑張っているそうだから、ちょっと安心。ガンバレヨくるみちゃん。P1010708



じょんは元気にイノシシのヌタ場発見。


 
 

 

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日置のこと(54) 暦会館 11/5

2013-11-05 | 上林地名考

2013.11.5(火)晴れ 日置のこと(53)は2013.11.3

 古代に於ける日置部の太陽観測、卜占について如何なるものか書物を紐解き、綾部市の天文館などを訪ねて具体的にどのように行われていたかを調べてきたが、俄研究者に解明できるほど単純なものではない。そんなときおおい町のパンフレットで名田庄に暦会館なる資料館があることを知った。
 なぜ名田庄にそのような資料館があるのか、なにか根拠があるのだろうかと思いを巡らせていると矢も盾もたまらなくなり、定休を利用して訪問する。
 名田庄は京都にいて、自転車競技をやっているときはよく訪れた。京都から小浜往復、琵琶湖から小浜を巡って周回など、沢山の思い出がある。真夏の暑さに耐えかねて道沿いの川に飛び込んだこともある。
 そしてすぐ近くに越してから一度も訪れたことが無かった。本当は自転車で訪れたかったのだが、冬を迎える作業が山積みで車で行くことにする。
 慣れた県道一号線を 佐分利大橋のところで右に曲がる。左に曲がると高浜町でこの道は自転車でも車でも何度の通っているのだが、右の名田庄に向かう道は15年以上通っていない。かつては急で細くてカーブだらけの恐ろしい道だったが、何ともえらい変わりようで、地方道としては考えられないようなループができている。これも原発マネーが絡んでいるのだろうか、少なくとも京都府では考えられない道だ。
 それでも上部は昔のままでうねうねと高度を稼いでゆく。やがて海側に青葉山の双耳峰が見えてくる。いい所で写真でも撮ろうかと思ったら、トンネルに着いてしまった。
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還りに車の中から撮ったのだが、アングルはよろしくなかった。

  峠から先は従前通りの道だが、坂本川には先般の台風被害の爪痕が残っており、所々一方通行になっている。河原も妙に生々しいのは、多くの土砂が流れ出ているのだろう。道中にある蛇頭(じゃとう)という地名は水による災害の危険地帯を表すものでは無いだろうか。
 蛇頭の手前に虫野という小さな集落がある。名田庄には虫谷、虫鹿野(むしかの)といった虫地名があるのだが、谷川健一氏は虫鹿野はイナゴに関係するのだろうと言っている。(日本の地名)武生や加悦の大虫、上林の虫などとともに単純に虫とは思えないのだが。
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虫野、見えるのは3軒ぐらいか。
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虫野からカーブ一つで蛇頭となる。ここは少しまとまった集落だ。

やがて国道162号線、周山街道に出て、堀越峠方面に少しゆくと道の駅名田庄があり、その一画に暦会館がある。つづくP1010688




【作業日誌 11/5】
煙突掃除、ストーブいつでも炊けるぞ。

【今日のじょん】名田庄から帰るとかみさんが青い顔をしている。くるみちゃんの具合が悪いそうだ。つい先ほどマーブルが亡くなったばかりで、「くるみちゃんが一番元気やなあ」なんて勝手に話していた所なので随分とショックのようだ。
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とりあえずじょんは元気しているのだが、兄妹だけに心配。

 

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本日はお休み 11/4

2013-11-05 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.4(月・祝)曇り

 本日は温泉入浴日で記事はお休みとします。
何でって?温泉に入ると妙に眠くて記事どころじゃ無くなってしまうのです。就寝時間は21:00です。Zzzzz~

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日置のこと(53) 日置部とは-8 11/3

2013-11-03 | 上林地名考

2013.11.3(日)雨 日置のこと(52)は2013.10.31

 真弓氏の記述の中で、「古代人は太陽の運行によって測量するのは現代人よりもはるかによくしたところで、必ずしも特定の氏族でなくともよかった」と述べられ、日置部による太陽観測を否定されている。
 確かに日々の観天望気や周囲の自然を見て季節をとらえるいわゆる自然暦的な観測は誰もが行ったことだろう。しかし暦に直結するような、あるいは支配者の座を左右するような太陽観測だったらどうだろう。

 暦の歴史を見ていると、暦が日本に導入された後にも歴代の支配者は改暦に執着し、改暦の暁にはその暦法を秘密にしているのである。それがなぜなのか、想像するしかないのだが、既に述べたように祭政一致の時代においては卜いなり祈祷の科学的な裏付けとして太陽観測があり、当然そのことは秘密裏に行われなければならない。近世に至っては、暦を独占することにより支配者の権威を高めるとともに、利潤を追求したのではないだろうか。いずれにしても太陽観測は秘密裏に行う必要があり、従って特定の氏族に任せる必要があったと考える。それが日置氏であり、各地の日置部がその任に当たったと考えるのが妥当ではないだろうか。
 さりながら、真弓氏の言うところの日置氏による製鉄ということも的外れではない。現実に太陽の道は鉄の道でもある。そして各地にある日置もどうやら古代の鉄に関連があるように思っている。このことは今後の調査研究で明らかにしてみたい。
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水谷氏、真弓氏の見解はどちらも当たっているのだ。
 日置氏に関する論の共通点は渡来系であり、鉄の技術を持つ、日神祭祀の氏族だという事である。五十瓊敷命の大刀一千口に関わった品部がすべて鉄の技術を持ち得ていたことは当然であるし、逆を返せば鉄の技術が無ければ有力な氏族となり得ないということではないだろうか。
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弓削、草壁、日置谷

 品部の末端では自給自足で生業をたてながら、専門の職分をこなし、産鉄に従事していたのだろうと考える。上林に存在する日置谷、弓削、草壁(日下部)の地は末端の品部の居住した地と考えていいのではないだろうか。おわり

【作業日誌 11/3】
芝生広場草引き2日目

【今日のじょん】
連夜の吠えまくりで、コチトラも疲れてきた。多い日には4回ぐらい起こされる。でも3回目ぐらいからは見にも行かない。朝一番に飛び出すと夕べの音や匂いのした所を嗅ぎまくる。すると何らかの痕跡が見つかるのだが、ここまでイノシシに掘りまくられるとそれも見つけにくい。
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夕べ音のした辺りを嗅ぎまくる。

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最近夜な夜な怪しげな獣が現れる向かいの空き地。
 

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拝復 生守様 11/2

2013-11-02 | 飯盛山

2013.11.2(土)晴れ

 拝復 生守様
 コメントをありがとうございます。現在コメントに投稿されるスパムメールが多くてコメント欄を閉鎖しております。従って本文でお返事をいたしますが、あまり期待されるような答えはありません。
 私の住まいしております上林の最奥に丸山と呼ばれるドーム形の特徴的な山があります。上部に鉢巻きのように枕状溶岩が露出しており、サンドラ岩と呼ばれております。かつてそのサンドラ岩の途中に鬼の岩屋という岩窟があり、伝説が残っております。

 この特異な形状の山なら、何かあると調査を始めました。当初は葬送の山かな、宗教的な山かな、鉱物の産出する山かなと色々アプローチしましたが杳としてわかりません。
 丸山は丹波(京都府)側の呼び方で若狭(福井県)側ではイモリヶ嶽、生守(イモリ)山、猪森嶽というようです。
 
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おとぎ話のようなイモリヶ嶽とサンドラ岩。

  そうこうしているうちに岩田さんという飯盛山の研究者が現れて、古代の測量に関する山らしいことがわかりました。先ほどイモリヶ嶽(私は一応こう呼んでおります)に関するレイラインの報告を頂き、核心に迫ってきたような気がしています。
 そのイモリヶ嶽の山稜(若丹国境稜線)上に生守村(イモリムラ)という伝説の村があります。室町期に廃村になったというものですが、もし実在したものなら一体何をしていたかというのが最大の関心事です。測量といっても長期にわたるものではないし、通信、つまり狼煙の番人なら常駐してもおかしくありません。イヒモリ→イモリ→ヒモリ(火守)という風に考える事も出来ようかと思います。
 さて小浜の飯盛山は飯山ネットの中でも重要な山であり、その麓にある生守(いごもり)は大変気になる所です。イモリヶ嶽と生守村、飯盛山と生守が同じ構図上にあるのか否か、とても興味深いものがあります。ただ、それらの研究は手にもついていない状況です。
 何も成果が無くてはお返事も失礼かと思い、先日おおい町に行った際に生守に生守姓があるか否かぐらいは調べてこようと思ったのですが、それも時間的に無理でした。再度訪問予定がありますので、その際にはお知らせしたいと思います。
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おおい町から見た飯盛山、この向こうに生守があります。

 貴殿がどちらにお住まいかわからないのですが、益城町辺りの地図を見ると、飯田山、熊本市に入り、戸島山(飯盛神社有り)、飯高山など飯山ネットの候補者があります。生守姓の方の故郷がこういった地域にあれば、ルーツの参考になるのではないでしょうか。
 今のところこのくらいしかお知らせできませんが、小浜市の生守についてはブログに書いていく予定なので、何時になるかわかりませんが根気よく眺めていてください。敬具

【今日のじょん】「出してくれい」というので出してあげたが、相性が合わなかったみたい。いつか仲良しになれるかものゲンタ君2才。こんなに人なつっこいのにねえ。P1010663
P1010664

 
 

 

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ワンコインリゾート 11/1

2013-11-01 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.1(金)晴れ

 人生が長くなったっていっても、頭も身体もしっかりしてるのはあと10年くらいかなあと考えると、焦りとか不安とか感じてしまう。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃで日々バタバタと過ごしているのがばかばかしく思われてきた。もっと文化に触れる心豊かな生活しなきゃあと模索する。しかしお金はないのだ。
 お金がなくても文化に触れることは可能である、いくらでも無料、あるいはリーズナブルなイベントや事業があるわけだ。ところがそういったものは土日に集中している。店をやってる以上土日には休めない。そろそろ月に一度の土日を休もうかなんて考えてるのだけど、そうでなくても売り上げは低く、来られたお客様に失望感を与えてしまうかなあと躊躇している。
 スポーツだってそうだ、昨年は結構自転車に乗れたが、今年はドッグランどの製作でほとんど乗れなかった。山登りも数回行けただけだ。
 かみさんも毎週プールに通っていたのが久しく行けなくなって、なんとかしなくてはと思っているようだ。綾部にも三セクのプール、ジムがあるのだけど、無料のコースは時間的な制約やお風呂には入れないとか色々あるみたいで、さりとてビジターで行くと1,500円の料金という。私もこのプールは2度ばかし行ったことがあるが、プールはともかく、お風呂はぬるくて、サウナは寒く、これじゃあ身体に悪くねいかいという感じだ。それにロケーションは、刑務所の風呂みたいで殺風景、もっとも刑務所に入ったことはないのでわからないのだが。てなわけで、私は行く気しないしかみさんも乗り気でないようだ。
 そんなとき、以前から聞いていたおおい町のプールがいいってんで下見に行くことにする。ホテル、プール、マリーナ、公園、その他訳のわからん施設が広大な敷地に並んだ総合レジャー、学習施設とでも言うのだろうか。よーするに大飯原発からの資金で、金に飽かして作った箱物施設なんだが、そんなことはかんけーねえ、元はと言えばおいら達の電気代でできた施設じゃねえか。それにいざ事故があったら、我が家も同じように被害に遭うわけだ。ちなみに我が家は大飯原発からは32Kmあまり、死なばもろともだ。
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シーサイドスパおおいの湯
 ホテルの側にプールとスパの施設が隣接しており、1階のベーカリーで腹ごしらえ、2階のフロントで入場の手続きをする。プールとスパで700円というのは聞いていたが、会員になると500円、ちなみに入会金は200円という。
 ロビーや更衣室は余裕のある間取りで、必要な施設はみんなそろっており清掃も行き届いており清潔である。プールは3コースのみだが、空いていて問題なし。わたしたちがいる間3名の来客だった。おすすめは各種ジャグジーのアトラクションプールでなんとこれが海水なのである。サウナも3種あって贅沢な設備なんだが、なんと言っても小浜湾を望むロケーションか。いかにもリゾートといったとにかく閉塞感のない明るいプールである。
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ロビーもゆったり、あらゆる所から海の見えるロケーション。
 1,000mほど泳ぎ、風呂にゆく。残念ながら温泉ではないが、これまた海を眺めて入浴する。またしてもサウナに入り疲れを癒やす。
 次はお茶とおにぎり持ってこような、そうすればワンコインリゾートが楽しめる。家に帰ったら、カレンダーに次の予定が書いてあった。

【今日のじょん】今日は留守番で記事が書けない。じょんの入れる施設も作ってくれよなあ、だって原発事故が起きたら一番悲惨なのはペットだぜ。ワン。
 

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