50年間も、ありがとう。
文句もいわずに、よく頑張ってくれましたね。
あなたは、今から半世紀も前のこと
わたしの”結婚祝”として、勤務め先の所長からの頂き物。
あなたは、小型の三輪車に乗って実家へ運ばれてきました。
当時、どうしても買うことができなかった私は、希望の品を頂いて、
とてもうれしく眠れませんでした。
お嫁入り道具が一つ増えて、ちょっぴり鼻がピクピク・・・
それは、リッカーミシン (のちに電動式に改造しました、現在の状態です)
あの頃は、ちょっと高級感ありで、なかなか手のとどかなかった
ボックス型ミシン、もちろん足踏みでした。
勤務のかたわら、夜間の洋裁学校へ通っていました。
18時から20時までの2時間は、大切な勉強時間、もちろん勤務先から直接学校まで
歩いて40分位あったろうか?
寒い時や、雨の日もありましたが、やすまずに洋裁勉強を1年間続けました。
文化式の洋裁学校は、週1回で 月謝は300円位だったと思うが、
当時のわたしにとっては大金だった。
働いてもらう給料は、すべて家に入れ、その中から500円だけを、わたしのお小使いとして
もらっていたから・・・
姉弟妹6人、上から4番目の妹(3女・すでに56才直前にして、大腸がんにて死去)から~
末ッ子まで(5女)の妹たちの洋服は、ほとんど私の作品でした。・・・後は、明日へ続きます、どうぞ続けてお読みくださいね。