(ネットより拝借いたしました)
朝顔に つるべとられて もらい水
加賀千代女(俳人)
子どものころの夏休みの宿題は、昆虫採集や
小さな鉢に朝顔の種まき、毎日の水やりから花咲くまでの様子を
欠かさずに絵日記に書いたものです。
今の子供たちの夏やすみ研究課題は、なんでしょうね・・・
さて、世界遺産万田坑、この猛暑のなかにもあちこちからの見学者絶えることなく、
先日は福岡市内の高校から
「O▽高校」の生徒さんたちが10数人が来場だったそうな。
ある大学の付属高校生たちの夏休みの研究科目らしくて
万田坑に対する質問事項がいろいろあるので、よろしくお願いとのこと。
その日、夫は非番だったが元現役の話を聞きたいとのことで急遽出勤になり
張り切ってでかけていきました。
ひととうりの案内が終わると、質問の時間を別にもうけてあり、質問が次々と
あったそうです。
なかでも、おやおやと思った質問から
① 桝(ます)とはなんですか
② 釣瓶(つるべ)とはなんですか
現代っ子たちは、
毎日おいしいご飯を何の心配もなく、お腹いっぱい食べられる幸せがある。
電気釜のふたをあけると、白い湯気のあがる美味しいご飯が、目の前に。
お米をキチンと計るための枡の存在なんかは知らなくてもよいし、
炊き上げるお母さんは、お米を計るにはプラスチック製の200CCカップを
つかってあるだろう。
私は、いまだに古ぼけた木の一合枡をつかっているけれど・・・
子どもたちにこの枡を見せたら、
どう思うだろうかと考えるだけで、おもしろい。
釣瓶と聞いてまず連想したのは いま落語家・タレント・俳優さんとして
活躍中の鶴瓶さんのことか?
と、思ったのではないでしょうかね。
これは私の想像ですが・・・
はどのように思ったかは訊いていませんが
きっと真面目に淡々と説明したとおもいます。
①の桝(舛)は
簡単にいえば、お米を計る一合枡ですね。
万田坑は竪坑なので、地上から深さ279メートルで着床、そこで石炭採掘をします。
坑内に溢れる水の排水作業を共におこなわなけば、採掘作業はできません。
金属製の巨大な桝に排水をくみ上げて 計量、運搬して坑外に排水するための
容器のことです。
②の釣瓶は 櫓、(やぐら)に滑車がついて、滑車にワイヤーがかかり、ワイヤの先にケージ(エレベーターの篭がついていて)が上下します。
片方が地上で、あとの片方が地下にある。交互に上下させる機械を釣瓶という。
炭坑マンの命を支え続けたた巻揚機とワイヤー
今日も万田坑の櫓は 悠々と夏空にそびえてたっています。
万田坑のシンボル、大きな櫓をと正面より
(ネットよりおかりしました)
里の井戸はポンプを設置していましたし、どこで見たんだろう?って、記憶をたどってみたら、
親戚の家で、上水道が引かれた後、井戸を残していました。そこで見たのでした。
息子たちとでさえ、ジェネレーションギャップを感じます。
ひさしぶりの更新でしたが、ご訪問うれしかぅたです。
釣瓶といえば田舎の井戸ですね。
冷たい井戸水で冷やしたスイカやトマトの美味しかったこと。
戦争中に疎開していた熊本の親戚にもありました。
大きな平石がしきつめられたた井戸端で、太い綱にむすんである桶をぽーんと井戸のなかに放り込む快感、深くてまっくろな井戸の中を恐る恐るのぞいたものです。
2~3年前の大雪で断水したときに 井戸のある友人からの井戸水の援軍は助かったと次女が話してくれました。
井戸をこぐのもコツがあり子供心に良く手伝ったのを覚えています。
米を計る舛は40代位まで酒の舛は今でも探せばあるかも。
杏子さんをお尋ねするまで万田坑の事は記憶になかったです。教科書に載っていたのでしょうが。
ブログで地方の方との交流は新鮮ですね。
電気釜になり 付属のプラスチックの計量カップになりました、
ツルベは言葉は知っますが 実際に使ってるのは見たことありません、
のんべえさんには、おっとっとっとと、一滴でもこぼさぬように枡の方に口をちかづけて飲むのだとか
地元であるにもかかわらず、夫と結婚するまでは炭鉱のことは全く知らないわたしでした。今、世界遺産に登録されるほどの貴重な石炭の歴史を、あらためて知ることになりました。
團琢磨は「三池炭鉱育ての親」であり、”三池炭鉱”で検索されると詳しく知ることができます。
万田坑はその中の一つで、その万田坑が世界遺産登録されて、ガイドを務めることができることは
なにより光栄なことだと感謝しています。
夫婦とも何時までできるかわかりませんが、
「万田坑ファン倶楽部の新聞」作りを任せられている私もなによりもうれしく、パソコンを習っていてよかったとおもって続けております。
台風15号は九州縦断、昨夜のはげしかった雨風が今ようやくおさまり静かな朝です。
役割分担、なによりのうれしいことですね。
マスと カマドで御飯炊き・・・
懐かしい光景がよみがえります。
カマドをこちらではクドと呼んでいたようにおもいます。小さく割った木片をクドで燃やして大きな羽釜にたきあがったご飯のおいしかったこと。
小学生のころのなつかしさがうかんできました。
台風被害はありませんでしたか?
太い綱にむすんである桶をぽーんと井戸のなかに放り込む!
真っ黒な穴倉を覘いて、吸い込まれそうな恐怖を感じましたが、
綱の先に大きなスイカが冷やしてあり、ホッとしました。
お風呂の水もくみ上げたバケツリレーで風呂場まで運ぶのを手伝いました。
今はなんと便利な世の中 蛇口一つで間に合う、人生80年に延びるわけですね。
ご主人 頑張ってらっしゃいますね。
天皇陛下最後の追悼式・・・
今、平和な時代を過ごせることの有難さを強く感じています。
焼け出されて家をうしなった家族6人が、一時住んでいたバラックたての集合住宅には10所帯以上でも水道は1本しかなく、並んでバケツに水を汲み、飲み水用の瓶に運んだ記憶があります。
いまや包丁要らず、鍋要らず、レンジでチンの時代になっても思い出すのは辛い食糧難時代。
カボチャ、さつま芋などのホクホクを思う存分いただける今に感謝です。
パソコンおさぼり中で気力消滅寸前・・・トホホです。