hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東急多摩川駅周辺の坂道(1)

2015-04-02 05:00:17 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その32。東急多摩川駅から沼部駅まで歩く。

東京多摩川駅は1923年に多摩川駅として目黒蒲田電鉄(現在の目黒線)が延長した際に開設された駅だが、何と4回も名前を変えている変わり種。1926年には現在の東横線が開業するのに合わせ駅を目黒寄りに移転し、丸子多摩川駅とした。その後、1931年に近くに多摩川園という遊園地を開設し、多摩川園前駅に改称、さらに1977年に多摩川園駅に改称したが、1979年に遊園地が閉園、2000年に再び元の多摩川駅に戻した。

駅の北側には遊園地、そしてその後のテニスコートの跡地が現在は田園調布せせらぎ公園となり、広がる。


駅を降りて公園に沿って戻るように歩くと『どりこの坂』の下に出る。かなり、変わった名前だが、『どりこの』とは戦前に爆発的に売れた濃縮した清涼飲料水の商品名。


少し詳しく書くと1927年に医学博士高橋孝太郎が5年の歳月を費やして『どりこの』という含糖栄養剤を開発したが、その評判が立ち、求める人が増え、やむなく一部販売を開始。その後1929年に講談社社長野間清治が試飲したところ大変気に入り、講談社が独占販売権を取得し、全社をあげて販売をしたもの。なんと1931年には年間販売本数が230万本にもなった大ヒット商品だったが、太平洋戦争に入り、原材料が調達出来なくなったことから製造中止を余儀なくされた。戦後、高橋が復活させたが、1970年の高橋の死を機会に消えてしまう。今では幻の飲料で当時の記録では黄金色の液体を希釈して飲んだらしい。

この高橋博士が坂の中腹向かって左側にに住んでいたため、いつの間にかどりこの坂と呼ばれるようになった。元は池山の坂と言われたらしい。坂の周りには桜が咲き誇り、大変美しい。


坂を登りきった辺りを右に曲がり、公園に沿って行くと交差点に出る。これを右折すると『富士見坂』となる。坂を降りるとかつてのテニスコート跡に出る。

どこを歩いても桜が満開、次回はさくら坂を目指す。