hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

六本木付近の坂道(1)

2015-04-22 05:00:00 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その36。今回は六本木の坂道を巡る。今回はその1回目。

六本木の名前の由来は幾つかあるが、よく言われるのは『木の関係のある大名屋敷が6つあった』という説である。しかし、上杉・朽木・片桐・高木の4つの家はあったが、残りの青木・一柳はこの付近にあったのかが、よく分かっていない。小生にはなんとなく良くできた後付けの由来のような気もする。ほかにも『6本の松があった』という説もあるが、これもはっきりはしない。

因みに博多には『六本松』という地名があり、また、目黒区には『五本木』があるが、野っ原に目立つ木や目印となる木があった程度の由来なのかも知れない。六本木は今でこそ繁華街であるが、元は徳川秀忠夫妻の葬儀の功績があった僧たちが、夫人の火葬場のあったこの地を寺領として拝領した場所で、今でも六本木3丁目には大きな墓地が残されており、今回はそれを発見した。



坂道の話に戻り、六本木アマンドの横を下る坂道が『芋洗坂』である。市ヶ谷駅近くにも『一口坂』と書いて『いもあらいざか』と読むものがあるが、この坂は芋問屋があったことが由来。なお、今の坂は明治になり作られたもので、元は麻布警察署裏へ上る坂を芋洗坂と呼ばれていたが、いつの間にかこの坂の方の名前になっている。


芋洗坂を下りて道なりに左に曲がる上り坂が『饂飩坂』。江戸時代天明年間まで松屋伊兵衛といううどん屋があったため、この名前が付けられた。

饂飩坂を上り、六本木通りを渡った辺りにある墓地への下り坂が『閻魔坂』。この坂の下には六本木7丁目に移転した宗巌寺がかつてあり、その寺に閻魔堂があったことからこの名前が付けられた。


この坂の下には先ほどの六本木墓苑という墓地があるが、これは宗巌寺ほか4つの寺の墓地が宗巌寺跡に集結したもので幾つかの藩主の墓などある。


坂を下りると急に道が細くなり、右に曲がると『不動坂』があるが、これはその手前にある不動院の名前を付けたものである。この坂に行く手前は細い路地になっており、標識もなく坂に沿ったビルの名前しか確認できるものはない。大通りから僅か1本中に入っただけでこの静寂の中にあるとはビックリ、ここも六本木である。(この続きは次回)