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『江戸の坂・東京の坂』その59。今回は大田区上池台周辺の坂道を歩く。都営地下鉄浅草線終点の西馬込駅で降りて新幹線・横須賀線の橋を目指す。
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10分弱ほど歩くと馬込給水塔が見えてくるが、その横を通る道も結構急な上り坂、しかし、名前はない。その先を右に曲がると新幹線・横須賀線が下に走る橋、これを渡り左に曲がる。さらに次の道を右に曲がると左に下る坂道が現れるが、これがお目当の『猿坂』である。昨年は山羊坂しかなかったが、今年はちゃんと『猿坂』があることを発見、訪れてみた。
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坂道は左に右にと折れながら墓地の脇を通る。猿坂の由来は江戸時代の新編武蔵風土記稿の林昌寺の項に『境内墓所の側に坂あり、猿坂と呼ばれる。昔、山林茂りて猿多く住みせし、故この是名あり』とある。江戸時代にはもう猿はいなかったのかも知れない。なお、東京では猿坂は他に発見できなかった。
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猿坂の頂上に戻り、また猿坂と反対に行き、次の道を左折すると最初は緩やかだが、急な勾配になる坂道が現れた。これが『大久保坂』。
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この辺りに昔、大久保という人の屋敷があったためこの名前が付いた。昭和初期の区間整理でできた坂らしいが、台地の上から前にあまり大きな建物もなく、目の前が開けている。
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次に大久保坂を下るとバス通りが左右に走っている。バス通りを渡るとしばらくは平らだが、その先はまた上り坂になっており、バス通りが谷の底らしい。その先の坂の名前は『蝉坂』。この辺りはかつて蝉山といったのでこの名前になった。
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それにしてもこの辺りの坂道は勾配も急でしかも長い。さらに名前がない坂も結構多く、坂巡りには歩きごたえのある場所である。(以下、次回)