『江戸の坂・東京の坂』その61。赤坂周辺の坂道は以前に3回取り上げたが、さすがに坂のつく地名だけあり、まだまだ坂道はある。今回は豊川稲荷周辺の坂道を2回に分けて歩く。
赤坂見附駅から青山通りを渡り、かつてのサントリーのビルを廻るように歩く。国道246号と外堀通りに挟まれた道は意外に静かで有名な割烹の辻留の前を通りまっすぐ行くと左に曲がる坂道となる。
これが『九郎九坂(くろぐさか)』で江戸時代の一ツ木村の名主、秋元八郎左衛門の先祖である九郎九が住んでいたためこの名前が付けられた。近くに鉄砲の練習場があったため、鉄砲坂とも言うらしい。この坂を上って行くと青山通りに出るが、反対に行くと次の坂の途中に出る。
この坂は長く、急な坂であるが、なんと青山通りを越して赤坂警察署の方まで伸びている。この坂が『弾正坂』である。
因みにこの坂の反対側は東宮御所となっている。
坂道の名前の由来だが、西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任じられたことから付けられた。
坂道の頂上近くに東宮御所の門、反対側には豊川稲荷東京別院がある。これは愛知県豊川市にある豊川稲荷妙巖寺の唯一の別院であり、稲荷なのにお寺である。しかも奥の院の手前には鳥居もある。
この別院はあの大岡越前守忠相が豊川稲荷から荼枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが由来とされる。その後、信徒の要望で妙巖寺が忠相の屋敷の4分の1程度を借り受けて建立したものである。先ほどの奥の院は忠相の屋敷稲荷なのである。
狭い境内だが、七福神をはじめ縁切り専門の叶稲荷、お金を増やす銭洗弁天などもある。本殿の前には狛犬の代わりに狐が鎮座している。(以下、次回)