hokutoのきまぐれ散歩

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忖度とは

2017-04-05 05:00:10 | 日記

『改めて日本語を考える』その15。『忖度』という言葉が最近の新聞を賑わせている。少し前までは『そんたく』と読める人すら殆どいなかったこの言葉が結構色々な意味で幅を利かせている。

まずは『忖度』であるが、まず『忖』は推し量るという意味で、『度』もはかる、つまり同じ意味の言葉を重ねた熟語で『他人の気持ちを推し量る』という意味である。

面白かったのは朝日新聞に『忖度』を英語でどのように訳したのかという記事があった。中を読むと最初は『reading between the lines』つまり行間を読んだと訳したらしい。しかし、NYタイムスの記者がもっとはっきり答えて欲しいと質問、弁護士が引き取って『that something done by people him.not Abe』と答えたというのだ。確かにこれほど外国人に分かりづらい日本語もなかなかない。

では『忖度』と『斟酌』はどう違うのであろう。実は忖度は『相手の気持ちを推し量る』ことに止まるのに対し、『斟酌』は『事情や心情に配慮して程よく取り扱ったり、手加減すること』をいうのである。

まあ、現在の安倍首相の力を考えて主に役人が豊中市の小学校の経営者に案件を早く通したり、無理な条件を飲んだりしたのだろう。ただ、これは首相に頼まれたからでも命令されたわけではないという状況だが、手加減しているのだから『斟酌』という段階なのかも知れない。

もう一つ報道姿勢に関し、池上彰氏の見解が面白い。NHKもテレビ朝日も首相に気を遣ってか『首相に対して忖度はしていない』と報道しているが、これこそ現政権に睨まれたくないテレビ局が『忖度』しているのではないかと。確かにそうかも知れない。何れにしても国会でいつまでこんな茶番劇を演じているのか、高年俸の人々が生産性のない、また、刑事訴追されにくいゴシップの相手をしているのだろうか、そこに一番腹がたつ。