『江戸の坂、東京の坂』その82。前回に続き、中井の坂道を巡る。林芙美子記念館の前の中井通りを歩くが、このあたりは古い家と低層のマンションが混在している。元は農地であったが、西武新宿線が開通した1927年ころを境に転入者が増加し、住宅地となったためであろう。 そのため、坂の上の道路はくねくねと昔の農道のままである。
五の坂はその先だが、坂の上り口に昔町会で作った『五の坂』の味のある看板が残されている。実は以前にはほぼ全ての坂道にこの看板があったと記憶しているが、今残るのはあと『六の坂』『七の坂』のみである。
六の坂、七の坂と登るが、だんだん足が疲れてくる。住宅地の坂のため、それほど特色はないが、六の坂は若干広く、交通量が多い。
最後の八の坂はダラダラと最初は登り、御霊神社の大きな木が見えるあたりからは勾配がきつくなる。そして、坂の頂上に鳥居がある。
鳥居をくぐり、お参りをするが、御霊神社は地区の氏神であり、狛犬は江戸初期である1715年の元号の銘があり、新宿区では最も古い狛犬とされ、区の文化財に指定されている。社殿もこじんまりはしているが、江戸時代に使った雨乞いの筵旗も残されているなど歴史を感じさせられる神社である。
これで中井の全ての坂を歩いたことになるが、1〜8の番号がなぜこのように坂に順につけていったのかの詳細はわからない。しかし、中井(もっというならば中井二丁目)の住民は銘板を作るほどこれらの坂を大切にしていたようである。