hokutoのきまぐれ散歩

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池上本門寺付近の坂(2)

2018-05-10 05:00:39 | 坂道

『東京の坂、江戸の坂』その99。池上本門寺周辺の坂道の続き。呑川沿いには緑道が作られており、しばらく歩く。

照榮院の先を右に曲がると石段の坂があるが、これが『妙見坂』。

本門寺22世日玄聖人の時代に鎌倉より宝筐学室を当地に移し南谷檀林という僧侶の学校を作り、加藤清正の息女が納めた妙見大菩薩を安置したのが起源で学校はなくなったものの妙見堂は坂の上に今も残されているのである。


元に戻り、池上小学校を右に曲がるとまた階段の坂となるが、これが『朗師坂』。これは日蓮聖人の愛弟子日朗聖人が祖師入滅後に草庵を作り、山上にある御廟所に行くために毎日この坂を登ったため、付けられたものである。


その先には池上本門寺の総門がある。これをくぐると目の前に大堂などにつながる石段の坂が現れるがこれが『此経難持坂』と呼ばれている。これは標識によると『加藤清正が母堂7回忌法要の際に寄進したもので法華経宝塔品の詩句九十六文字に因み96段とし、詩句の文頭の文字、此経難持を取り、坂の名前にした』とのことである。


石段を登り、仁王門、大堂、経蔵の先に駐車場があり、その先を右に降りて行く坂道が『紅葉坂』である。その名前は付近にモミジの木が多くあることからついたもので、坂を下りていくと松濤園という庭園がある。松濤園は西郷・勝両雄会見の地といわれている。


また、反対側に階段の坂道があるが、『大坊坂』である。その名前は先に大坊と呼ばれる本行寺があるために付いた名前である。


その先には寺に車で来る場合に走る道があるが、この坂が『車坂』。この車とは自動車のことではなく、江戸時代からある古い坂道である。ただ、坂の途中に拡幅工事をした石碑も残されている。

坂の真ん中あたりには星亨の墓も残されている。この先の稲荷橋を渡り、500m行くと池上線池上駅に出ることとなる。


もともと日蓮聖人入滅の地であり、御廟所が作られたのは山頂であることから坂道が多いことは予想してはいたが、かなりきつい山道が多く、全て回るとかなり応える坂巡りとなった。