hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

代々木付近の坂道(2)

2018-05-23 05:00:08 | 坂道

『江戸の坂、東京の坂』その101。代々木八幡神社を出て、左に曲がるが、その敷地に沿ってあるのが、『切通坂(きりどおしざか)』。前出の『切通しの坂』とはよく似た名前で紛らわしいが、この辺りも切通しであった。

坂は途中までは上り坂、そして下り坂となる。この辺りはマンション建設があちこちで進められ、ダンプやミキサー車が多数往来している。

次に坂の先を右に曲がり、山手通りまで出て、左に曲がる。小田急線の跨線橋手前で反対側に渡り、階段を降りる。降りたところを今度は後ろに向かうように線路に沿って歩く。商店街をしばらく行くと左に低いトンネルがあり、小田急線をくぐるとくねくねと曲がる坂道が出てくる。

これが『しりもち坂』または『弥之助坂』。弥之助は江戸中期にこの辺りの土地を持っていた池上弥之助のこと。また、坂道が粘土質のために雨が降るとよく人が転び、いつとはなしに通称・しりもち坂と呼ぶようになったらしい。1985年頃まではトンネルではなく、小田急線の踏切があったようである。

坂を上り、しばらく歩くと商店街となる。ここから右に細く伸びて行く下りの坂道があるが、これが『旭坂』。かなりの急坂であるが、以前はさみしい坂道であった。しかし、昭和初期に改修され、当時の町会長が坂道に朝日が差し込むことから同じ読みの旭坂と名付けたのが由来である。現在は商店街となっている。

次の坂は代々木上原駅沿いの道をしばらく歩き、井の頭通りを越えて古賀政男記念館の裏手にある細い急坂である。

坂の名前は『やりくり坂』、いわれは1929年頃付近の住民が坂道を作るのに費用をやりくり算段し、さらに勤労奉仕して作ったため、この名前となった。道は細いがこの道を行くと代々木上原から渋谷や青山に出ることができるようになったのである。

代々木上原駅周辺は井の頭通りを除くと古い町並みがのこり、名がない坂も数多く残されている。

一方、その先の大山町まで行くと広いお屋敷町となるが、私はこの坂道が数多く残る代々木上原に親しみを感じてしまう。余談ながら、いい飲み屋もあり、隠れた名店のある町でもある。