『日本橋七福神を巡る』⑥、6社目は笠間稲荷神社東京別社である。松島神社からは分かりやすく、かつて浜町川が流れていた緑道を歩くとすぐに到着する。
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浜町川緑道と甘酒横丁の交差する地点には弁慶像。江戸時代この辺りに葦屋町と堺町があり、江戸三座のうち市村座と中村座が歌舞伎を上演する芝居小屋があった。また、人形浄瑠璃の小屋や人形師たちも住んでいた。明治以降も明治座と真砂座があり、明治26年に市川左團次が今の明治座を作り上げた。
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こうした縁もあり、歌舞伎で最も人気のある勧進帳の弁慶像を緑道整備の記念としてここに設置したものである。
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その先に久松警察署があるが、これを右に曲がると笠間稲荷神社別社が現れる。この地は1682年に牧野成貞が下屋敷として将軍から拝領した土地で安政年間に笠間藩主となった牧野貞直が、ご分霊を祀られたのが由緒である。
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戦前は近郊のみならず横浜や市川などに居住する約500人の崇敬者により東京紋三郎講が組織され、毎月2の日には縁日が立つなど賑わったが、今は廃れてしまった。
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笠間稲荷神社は伏見稲荷、豊川稲荷(または祐徳稲荷)とともに日本三大稲荷とされ、七福神の寿老神を担っている。社殿は北東を向いて建てられているが、これは笠間稲荷神社本社に向かって造られているためである。
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お稲荷さんに付き物なのがきつねだが、こちらの境内にもたくさんの神狐像が集められている。また、本社は菊まつりが有名だが、別社においても限定の御朱印を頂くことができる。
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(2019年11月)
私も笠間稲荷神社本社に2019年にお参りしたことがあり、ちょうど菊まつりが行われていたが、その数には圧倒されたことを覚えている。
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