hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『街の案内板を巡る』〜神田駅→日本橋②

2019-12-21 05:00:00 | 日記


『町の案内板を巡る』その5。前回に続き、中央通りを歩く。夜半亭の跡を過ぎ、左に曲がると新日本橋駅の入口横に『長崎屋跡』の案内板がある。長崎屋とは薬種問屋を業としていたが、長崎に駐在していたオランダ商館長が江戸参府した際の定宿であった。江戸初期は毎年、中期には4年に一度であったが、随行した医師にケンベルやシーボルトなどがいたため、日本人の蘭学者や医師が交流あるいは知識を吸収することができる貴重な場所であった。




さらに日本橋方向に歩き、奈良まほろば館というアンテナショップの先を左へ。昭和通りの手前のビルの前に色々と刻まれた小さな石碑があるが、これが『三浦按針屋敷跡』である。


本名ウィリアム・アダムス、イギリス人で日本に1600年に渡来。徳川家康に仕え、造船、砲術、地理、数学などを伝えた。日本名の三浦按針は相模国三浦逸見に領地を持ち、また航海士のためその名前がつけられたと言われ、この辺りの地名も関東大震災前までは『按針町』であった。


中央通りまで戻り、COREDO日本橋の一本手前の道を左に曲がると『名水白木屋の井戸』とある。案内板によるとこの辺りの井戸は塩分を含み飲用にならなかったため、白木屋の2代目である大村彦太郎安全が1711年私財を投じて井戸を掘った。



翌年たまたま井戸の中から観音像が出てきたことを機会にコンコンと清水が湧き続けた。この水を白木名水と謳われてきた。今は井戸は枯れたが、江戸の貴重な遺跡と言われている。




その隣には漱石の名作の舞台という石碑もある。さすが日本橋、少し歩くと昔の出来事に縁がある場所はいくらでもあるものだ。




洋食麦屋by満天星〜日本橋ランチグルメ

2019-12-20 05:00:00 | 日記


日本橋ランチには百貨店内の食堂が見逃せない。11時40分に高島屋本館の地下食堂街に行くと世界的に有名中華料理店な「鼎泰豐」、片岡護シェフの「アルポルトカフェ」、高級食堂「ローズカフェ」などと並んでグリル満天星の系列の「洋食麦屋」がある。


グリル満天星と言えばオムライスやハヤシライスが有名だが、百貨店仕様で「洋食小鉢膳」という大人のお子様ランチのようなセットがある。メインはエビフライ、ハンバーグ、ロールキャベツから1つ、またルーはハヤシソースまたはホタテカレーから選べて1540円である。




私はエビフライ、ハヤシソースを選択してしばし待つ。するとトレイに全てが乗ってサーブされるが、これらは基本的に箸で頂く。まずはサラダから、トマトが甘い。


小鉢は蕗の煮物、春雨の酢の物、キンピラ。ご飯の箸休め。メインはエビフライが二尾、もちろん揚げたてで海老も美味いが、タルタルソースが特に美味い。下に敷かれたポテトやニンジンのグラッセなども一流である。




ご飯を半分ほど食べてからハヤシソースをかけて頂くが、言うまでもなく美味い。時間をかけて作られたドミグラスソースは中々おめにかかれない。エビフライもハヤシももっと食べたくなる旨さ、これは感動ものであった。


最後にプチデザートの抹茶ババロア、ホットコーヒーをゆったりと頂く。普段の小諸そばもきしめんもいいが、時間をかけて好き勝手に食べるランチ、従業員のサービスもよく、女性の1人客が多いのも頷ける。ご馳走さまでした。


洋食麦屋by満天星
日本橋高島屋B2
05055941415




溝の口西口商店街を歩く

2019-12-19 05:00:00 | 日記


溝の口駅西口に行かれたことはあるだろうか。溝の口は東急田園都市線とJR南武線が交差する(南武線は武蔵溝の口駅)交通の要所であり、田園都市線の急行停車駅でもある。東口はロータリーが整備されていて2層構造、周囲にもイトーヨーカ堂やNOCTYというショッピングビル、丸井などがあり、集積度も高い。


しかし、西口を降りると風景が一変する。右手には昔ながらの町の中華屋やカレー屋、蕎麦屋などが並ぶ。



その中で戦後の闇市を彷彿させるのが西口商店街。線路に沿ってアーケードが続き、途中で二又に分かれている。


入口にはもつ焼きの店、ビールケースで作られたテーブルには『この席、1杯目は100円』『外でやるのがのぐち流』と書かれている。




その先には古本屋、110円の文庫本や250円のレコード、ゲームカセットも並んでいる。レコードの中にピーター・ポールアンドマリーのベスト盤を見つけた時、思わず買いそうになった。


その隣は和菓子屋さん、饅頭や最中、餅菓子など。ショーケースの一番上にはみたらし団子と餡団子。いずれも110円、リーズナブルである。


二又に分かれる所には八百屋さん、品物をご夫婦で並べている。みかんの橙色が眩しい。




出口には串焼き『いろは』、まだ仕込みもしておらず、ひっそり。その先は踏切で大山街道である。




調べるとここにはかつて水路(根方十三カ村堀)が線路に沿って流れていて、これを暗渠にした上にあるらしい。また、2007年2月に火災があって半分焼けてしまっている。役所がその後の建築を許さず、自転車駐輪場になっているのである。


しかし、残った店とその周囲にはかつてあった商店に代わり、居酒屋や寿司屋、焼鳥屋などの飲食店が集積して、どっこいまだまだ栄えているようである。私が訪れたのは13時頃だから閉まっている店も多いが、夜は賑やかになるだろう。


吉祥寺のハモニカ横丁と同じように陰鬱なところがなく、昼間は沢山の人の往来がある横丁である。


バンボリーナ〜日本橋ランチグルメ

2019-12-18 05:00:00 | グルメ


兜町といえば東京株式取引所の別称のように使われるが、かつてこの街には色々な証券会社が軒を並べ、場立ちと言われる人々で溢れていた。今では取引の方法も変わり、証券会社の数もかなり減ってしまった。




彼らが昼飯を食べた店として有名だった鰻屋の松よしも閉店して一年になろうとしている。今日は兜町の店にランチに出かけた。名前は『バンボリーナ』、イタリア語で『喜び』という意味である。先程の松よしの並びの地下に階段を下りたところにある。




名物メニューは『サイコロステーキ』、これは忙しい証券マンがステーキを切る時間も惜しいとサイコロ状に切って焼いたのが始まりとか。しかし、今日の私はステーキを昼からという感じではなく、バンボリーナセット(税込970円)を注文。




注文をするなり、ミニサラダとスープがすぐに出てくる。サラダはレタスメインでフレンチドレッシングがかかっていた。スープはワカメ入り、胡椒をかけて飲むが、やはり熱いのである。


2分ほどしてメイン登場。私は2人席に座ったが、前の2人席に座った人のところに間違えて運ばれ、それこそ頼んだ次の瞬間に来たため、そのお客さんが驚いたのですぐにわかった。それにしても予め作り置きしてあるのがよくわかる。


真ん中にケチャップスパゲティ、周りにケチャップで縞模様になったオムレツ、ドミソースのかかったハンバーグ、タルタルソースがかかったクリームコロッケが鎮座している。まずはオムレツから食べるが、しっかり焼いてあり、それなりに旨い。


次にクリームコロッケを食べるが、これはクリームコロッケと思えないくらい硬いし、少しぬるい。まあ、ご飯のおかずならいいけど。ただ、ハンバーグは焼きたてで旨い。それにしても同じ皿に乗ってきた3品の熱さがまるで違うのも面白い。


他の人はと見ると、スタミナ焼きやサイコロステーキ、生姜焼きなどを待っている人が多く、いずれも熱々が提供されている。やはり、看板メニューの方が良かったかも。まあ、味はそこそこでライスはおかわりし放題、もちろん私はライスのおかわりはしなくても十分満腹。それにしてもコックもウェートレスも大勢いる店で水を少し飲んでもすぐ足してくれるなどサービスはいい店であった。因みに食後のコーヒーは200円足せば飲める。ご馳走さまでした。

バンボリーナ
中央区日本橋兜町9ー2第2兜町ビルB1
0336692049


『都会の小さな町散歩』〜番町編③

2019-12-17 05:00:00 | 日記


『都会の小さな町散歩』その9、一番町から四番町まで歩いたので今日は五番町から。実は番町の番号は江戸時代のそれとは異なる。現在の区画は1938年に見直されたものとなっている。例えば一番町の両隣に二番町と三番町があり、二番町と三番町は隣接していない。




五番町は堀端の旧土手三番町を改めたもので区画が最も小さい。市ケ谷から新坂を上り、右に曲がると右手が五番町、左手が六番町となる。五番町には東京中華学校、日大大学院、日本棋院などがあるが、堀端の道や土手まで全て五番町に含まれるため、あまり大きなマンションは多くない。(416世帯906人)




六番町は通りを挟んで向かい側に広がるが、学校が多い区域で四谷駅に近い方には双葉学園、最近ではいとうあさこが卒業したことでも有名である。さらにはかつてのエリートコース、番町→麹町→日比谷のスタートとなる番町小学校がある。




六番町は文人たちの旧居が多かった地区で、六番町2番地には一覧できる地図があり、便利である。そこに乗っていた有名人だが、有島武郎、泉鏡花、内田百閒、大杉栄、菊池寛、里見弴、島木赤彦、島崎藤村、藤田嗣治、松岡洋右、初代中村吉右衛門など多士済々。




そのうち泉鏡花や内田百閒などの案内板を見つけることができた。今はどんどんと宅地がマンションやオフィスに変わり、昔の風情は少なくなりつつあるが、この六番町は昔の街並みを残したいという住民の『六番町奇数番地街づくり憲章』が掲げられていた。


一番町から六番町まで歩いたが、驚いたのはタワーマンションの数と昔ながらのお屋敷が少ないこと。いい屋敷と思っても殆どが大使館や公共の建物であった。番町皿屋敷など今では遠い過去の話である。








カレーハウスデリー〜溝の口ランチグルメ

2019-12-16 05:00:00 | 日記


仕事で溝の口に行ったのだが、ちょうど昼時となった。チェーン店はいくらもあるが地元のお店を探しに西口に降りる。すると駅すぐのところに昔ながらの食堂がいくつか固まっている。その中で街中華の店の『ランチタイム450円カツ丼』にも惹かれたが、私は店の前に改良前の溝の口駅の写真が飾られたカレー屋さんを選択した。



店の名前は『カレーハウスデリー溝口店』、あたかもチェーン店みたいな名前だがここ1店舗しかない。店の中は壁を向く形で左右にテーブルがあり、10人も入れば一杯。こういう店はやっぱりカツカレー(880円)と決めていて、注文した。


奥の厨房では何かを揚げている音がしている。それから5分ほどしてカツカレー登場。銀色の懐かしい皿にライス、カツ、ルーとかかっていて右端にはキャベツの千切りが添えてある。


カツは8等分に切ってあり、食べるのは楽である。ルーはこげ茶色、一口食べると日の屋のカレーの甘味を抑えた感じ。トロミがついたいわゆるにっぽんのカレーライスである。


始めは辛みは気にならないが、次第に辛くなるタイプ。千切りキャベツにはソースをかけ、目の前に置いてある赤い福神漬を添えて頂く。凄く美味い訳ではないが、懐かしのカレーライスでカツの厚みもちょうどよく、さらに揚げたてのため、衣の食感もサクッとしていていい。


右の方から食べていき、半分食べおわったあたりでソースをかけると途端にいわゆるB級グルメになる。福神漬と共に食べるのが私の好きな食べ方。周りを見るとほぼ満席、しかもやはりカツカレーは一番人気でまた殆どが大盛のようである。ご馳走さまでした。

カレーハウスデリー
川崎市高津区溝口2ー7ー3
0448330558


『街の案内板を巡る』〜神田駅→日本橋①

2019-12-15 05:00:00 | 日記


『街の案内板を巡る』その4。今回は神田駅から中央通りを日本橋に向かう。まず最初に出てくるのは『今川橋』の案内板。今川橋の交差点近く道路沿いにある。




今川橋はかつて龍閑川(神田堀)に架けられていた橋であり、日本橋と神田の境界で日本橋から中山道に通じる重要な橋であった。しかし、1950年に埋め立てられ、廃橋となったものである。今も細い道が上を通るがこの道が千代田区と中央区の区界にもなっている。


中央区に入ってすぐの通りに『本銀通り(ほんしろがね)』の案内板がある。本石町周辺は銀細工職人が集住していて神田の新銀町と区別するために本銀町と呼ばれていた。銀職人と言っても刀脇差細工、縫箔屋、指物師、仏具師など様々な職種があったようである。



みずほ銀行日本橋支店の向かい辺りに『時の鐘』跡がある。この鐘は前回小伝馬町の回にも出てきたが、元はここ日本橋石町にあった。ここから現在の鐘がある十思公園までの通りを時の鐘通りと読んでいる。


すぐ隣にも『夜半亭〜与謝蕪村居住地』の案内板がある。ここには俳諧師・早野巴人が1737年に結んだ庵があり、『夜半ノ鐘声客船ニイタル』という漢詩にちなみ夜半亭と名付けられた。この庵には巴人の内弟子であった若き与謝蕪村が居住していたが、その後1742年に巴人が亡くなると共に夜半亭は解散、蕪村は江戸を離れて旅に出て、最終的には京都を永住の地としたのである。(以下、次回)



長崎飯園〜神田ランチグルメ

2019-12-14 05:00:00 | グルメ


神田駅近くでちゃんぽんや皿うどんといえば『西海』という老舗があったのだが、今年6月に看板を下ろしてしまった。ほかにはちゃんぽんや皿うどんの専門店がなかったが、先日、町歩きをしていたら神田冨山町に『長崎飯園』という間口の狭い店を発見。調べてみるとかつて秋葉原で長崎飯店をやっていたご夫婦が経営しているということらしい。


そのブログには「柔らかい麺の皿うどん」の話が載っていたこともあり、お邪魔した。12時5分前に店に到着するが、店が狭いこともありすでにほぼ満席。1人のため、相席で席を確保、注文はやはり柔らかい麺の皿うどん(900円)をお願いした。



一般的にちゃんぽんの店は早く出てくるが、この店も例外なく5分で到着。野菜たっぷりの餡がかかった皿うどんで固い麺と違い丼で登場。


まずは胡椒のみを振って頂く。あっさり系でトンコツの味は薄めだが、味はいい。キャベツ、モヤシ、玉ねぎ、エビ、下足、ちくわが入っている。ただ、あの特徴のある赤や緑の蒲鉾がないのはやや寂しい。


麺はちゃんぽん麺、コシがあり、食べ応えがあるが、餡がやや固めで食べるのに苦労する。


続いて辛子を投入。酸っぱめだが、かなり辛味が強く、アクセントとなる。次々に来るお客さんは地元ばかりのようで柔らかい皿うどんが人気が高い。


3分の2を食べると金蝶ソース(長崎県産)をかけて味を変える。やはり皿うどんにはこのソースは必須である。もう少しトンコツスープが効いていてもいいが、美味しくて十分満足。12時15分頃になると満席となり、食べたらさっさと席を立った。ご馳走さまでした。

長崎飯園
千代田区神田冨山町24
0332530026


『都会の小さな町散歩』〜番町編②

2019-12-13 05:00:00 | 日記


『都会の小さな町散歩』その8。前回に続き番町を歩く。今回は三番町からである。一番町から大妻通りをまっすぐ行くと大妻学園のビルが並んでいる番町学園通りと交差するが、ここからが三番町。大妻学園の建物は新しく綺麗で近代的である。右に曲がり、坂道を降りていき、内堀通りを越えると千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、ここも三番町である。


学園通りを左に曲がると閑静な地区に出る。右手には最近来日されたローマ法王がトップを務めるローマ法王庁大使館がある。入口にある表札がなければ大きな木が生茂る大きなお屋敷といった感じである。




四番町との境を右に曲がると九段小学校。


また、東郷公園が隣接している。東郷公園は明治の英雄東郷平八郎旧宅跡で現在は半分程度が工事中。この公園内に三番町の案内板がある。




少し戻り、四番町に入って行く。町の中央の道に沿って歩くと千代田女学園がある。この通りも静かな通りでマンションが立ち並ぶが、その中に『島田三郎、島田孝一旧宅跡』の案内板がある。


島田三郎は明治時代の政治家で、東京横浜毎日新聞の社長を経て衆議院議員に当選、議長も務め、廃娼運動や足尾鉱毒事件などにも積極的に参加した。島田孝一は長男で交通経済学者、早稲田大学総長、流経大初代学長を務めている。


そのまままっすぐ行くと旧上智大学市ケ谷校舎があったが、今年9月に廃止され、現在校舎の取り壊し中である。


その先の日テレ通りを左に曲がるが、その名前の通り、汐留に日本テレビが移転するまではお隣の二番町に本社があり、四番町にもスタジオ機能を持ついくつかのビルを保有している。




四番町の案内板は日テレ通りにあり、先ほどの島田三郎の他に内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻などが住んだことが記されている。なぜかNo4と書いたカフェ、お洒落である。(以下、次回)


わかい〜人形町ランチグルメ

2019-12-12 05:00:00 | グルメ

灯台下暗しとはよく言ったものである。何のことかというとラーメン屋のお話。朝から雨が降る冬の1日、ランチを食べに出ると急に雨が強くなり、傘をさしてもズボンの裾が濡れそうな勢い。さらに寒く、早足で井の頭五郎のように店を探す。


こんな日は味噌ラーメンと歩くと事務所から2分ほどの路地入口に味噌ラーメンの幟。確かこの奥に店があったが、以前はかなり混んでいたと思ったが、少し早いのでまだ席はある。早速飛び込むとカウンターの目の前に味噌の山。値段も見ないで『味噌ラーメン』と注文。よく見ると750円と高くはない。


目の前の厨房は若い男性と中年女性、男性がまず挽肉を油の引いた中華鍋で炒め、山と積まれたもやし、切った玉ねぎを放り込み、炒める。いくつかいっぺんに作るのだが、頃合いをみて女性はお湯に麺を投入。


男性はスープを鍋に入れ、またおたまで味噌を取り鍋で溶かす。麺を丼に入れると男性が具を乗せ、スープを注ぐ。最後に茎わかめとネギを入れて出来上がる。 


これを順番に渡して行くが、丼は結構大きい。スープから頂くが、味噌は赤味噌はそれほど多くなくやや甘め、私が初めて食べた味噌ラーメンのどさん子のスープの味に近い。



麺は中太ストレート、茹でかたもちょうどよく、シャキシャキしたモヤシや玉ねぎの歯応えがいい。具の量が多く、また熱いのであまり早くは食べられない。




胡椒、途中からラー油を入れるが結構味が変わっていい。目の前には酢、醤油、ニンニク七味、具入りラー油、塩など各種調味料が揃っている。


周りを見渡すと1人が2人連れのおっさんだけ。女性は皆無、また、味噌ラーメンが1番人気だが、常連が多いのか、『超薄め味噌』『麺1.5倍、コーン入り』とか注文を入るや否やする。狭い店内、昼にかけては雨でもどんどん客足は途絶えず、気がつけば満員。そういえば、ミニチャーハン(100円)、半チャーハン(200円)を頼む人も多い。家族経営のレトロなラーメン屋さんである。味はいいと思います。ご馳走さまでした。

わかい
中央区日本橋堀留町1ー7ー16
0336613661