hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『久我山歳時記』(52)〜立冬も過ぎ、冬に突入

2024-11-10 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(52)、11月7日は立冬、つまり暦上は冬に入る。11月6日に富士山が初冠雪というニュースも入る。

ただ、富士山レーダー館で先日伺った所によると今まで最も遅かった初冠雪が10月22日だから今年はいかに季節が進まず、暦だけが過ぎていくのがわかる。

(11月1日)

11月に入ると酉の市の話題も。11月の酉の日に市が立つのだが、今年は一の酉が11月5日、二の酉が11月17日、三の酉が11月29日。

三の酉まである年は火事が多いという故事があるが、30日ある11月を12で割ると2あまり6日、つまり二の酉までの年が6回、三の酉まである年が6回だから確率50%で三の酉まであることになり、あまり説得力のある故事とは言えない。



七十二侯によると『山茶始開(つばき始めて開く)〜11月11日』『地始凍(ちはじめてこおる)〜11月16日』『金盞花咲(きんせんかさく)〜11月21日』となる。

(つばき)

(さざんか)

山茶とは椿、金盞花とは水仙、地始凍は霜や霜柱のことを指す。まだ、椿は咲いていないが、山茶花は咲き始めている。

(24/11/3)

(23/11/3)
久我山のシンボル的なユリノキもようやく葉が黄色くなりかけてきている。ただ、昨年11月3日に撮った写メと比べると明らかに遅くなっている。

(24/11/3)

(23/11/3)

同様に近所の蔦の紅葉も明らかに遅れていることに加え、今年は紅葉せずに茶色になって散ってしまっていた。

そんな街歩きの途中に道端でタンポポを発見。アスファルトの隙間からけなげに咲いているのである。色は黄色ではなく、真っ白である。珍しいと調べたところ、ケイリンシロタンポポというアジア大陸に生える白いタンポポであった。(日本原産のシロバナタンポポより少し花が大きい。)

すでにひたちなか海浜公園が有名なコキアもかなり赤くなっていてポツンと一つ咲いていたが美しかった。



我が家の庭はさすがにモミジアオイも花が終わり、たくさんの種を採取。なぜか季節外れのスズランが花をつけた。

日々草も葉が黄色くなり、花も咲かなくなったため、パンジーに植え替え、あわせて今年はガーデンシクラメンを植えてみました。



パンジーを農協に買いに行くと商品のパンジーの花から蜜を吸うキタテハ、そばに寄っても逃げることなく堂々としていました。



最後の三連休を終え、激しい雨が止んでからは驚くほど朝の気温が下がってきた。木枯らし1号も吹き、あっという間にユリノキのたくさんの葉も落ち葉になってしまうのである。

魚金でランチを頂く〜神保町ランチグルメ

2024-11-09 05:00:00 | グルメ
神保町のスズラン通りも随分店の雰囲気が変わった。かつては洋食の『キッチン南海』、ロシア料理の『ロシア亭』、餃子の『スヰートポーヅ』など老舗の小さなお店が並んでいたが、今は『揚子江菜館』くらいのもの。その後にはチェーン店やコンビニが入り、特徴のない街となってしまった。もちろん、少し外れれば『さぼうる』や『人生劇場』というパチンコ店などは残っているが。

通りの端に『魚金』を見つけて入店することにした。店に入る前に予想していたのは焼き魚定食や刺身定食だったのだが、ランチメニューは『角煮定食』『メンチカツ定食』『炒飯定食』など肉メインの定食が多い。





魚は『ネギトロ丼』『焼き魚』くらいの物。周りを見ると炒飯定食(1100円)が最も多い。私もこれに従うことにした。炒飯は日替わりで月曜日は鮭、火曜日は焼豚、水曜日はカレー、木曜日は明太高菜、金曜日は梅しらすと毎日変わるようだ。



12時に入店、流石に混んでいるが、2階もあり、ゆったり座る4人席に。注文は迷ったが、炒飯定食にしてみた。周りを眺めると若い人が多く、やはり炒飯定食を食べている人が多い。

注文して5分、トレイに乗った定食が到着。炒飯とおかず、漬物、味噌汁が付いている。

まずは味噌汁、ネギとわかめのごく普通味噌汁だが、やはりお腹が落ち着く。

炒飯をまず一口、中にはネギ・玉子と共に角切りのチャーシューがたっぷり入っていて、ボリューミー。見た目より量があり、ニンニクの香りがして食欲を刺激する。残念ながら胡椒やラー油のような調味料はないが、しっかりとした味付けがされている。

鳥の唐揚げが乗る皿には肉の塊が2つ、キャベツ千切りが添えてある。唐揚げは揚げたてでカリッとした食感、若者には絶対にウケる組み合わせ。我々のような老人でもどんどん食べたくなっていく。

漬物は大根の塩漬け、甘みが感じられる。すっかりカロリーオーバーとは思いつつも美味しく頂きました。ご馳走さまでした。





魚金 神保町弍すずらん通り店
千代田区神田神保町1ー13ー15
05055960402


『秋の甲斐路へ』①〜新倉浅間神社の映えスポットへ

2024-11-08 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』①。滅多に秋に旅行をすることはないが、結婚記念日も兼ねて小旅行に出た。3連休の手前の1日の休みをもらい、家を6時半に出る。『女心と秋の空』とはよく言ったもので、今回の旅行も天気に大きく左右された。


平日ということもあり、スムースに調布ICから中央自動車道に乗り、取り敢えず河口湖ICに向かう。渋滞もなく、富士山が大きくなってはくるが、雲が徐々に増えてくるのが気になる。

0740に談合坂SAで休息、0830には最初の目的地、新倉富士浅間神社に到着する。この神社は外国人のガイドブックの表紙を飾ったことから有名になり、外国人が富士を訪れると必ず来ると言われている。

ちなみに『浅間神社』は富士信仰に基づき富士山を神格化した浅間大神、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲佐久夜毘売命とみてこれを祀る神社である。



富士山の周りには富士山本宮浅間大社(富士宮市)、静岡浅間神社(静岡市)、富知六所淺間神社(富士市)、浅間神社(笛吹市)、河口浅間神社(河口湖町)、一宮浅間神社(市川三郷町)、北口本宮富士浅間神社(富士吉田市)などたくさんある。

新倉浅間神社は富士急行線下吉田駅下車5分と便利なところにあり、歩いてやってくる外国人も多い。駐車場に車を停め、まずは神社に参拝をする。御朱印も色々あり、人気がある。



その横から階段を登り、まずは忠霊塔を目指す。忠霊塔は戦没者の慰霊塔として地元の人々が資金を出し合い、1958年に作られたものである。周りには桜の木が植えられている。



さらに登ると展望台。目の前に富士山、その横に忠霊塔、春には桜(秋には紅葉)とザ・日本の風景を一度に撮す、映えのよいポイントとなっている。



このため、比較的広いスポットも外国人がたくさんいて、しきりにシャッターを押している。



まだ、山頂の部分は出ていて私もシャッターを切ることができた。早く次のスポットへと車に急いだ。(以下、次回)

五六八そば〜秋葉原ランチグルメ

2024-11-07 05:00:00 | グルメ
秋葉原駅でランチとなった。今日もあっさり日本そばと食べログで探すと駅近く、特に昭和通り口から近いところに何軒もある。

(つむぎ庵)

目指すは『つむぎ庵』という長野県飯山市の蕎麦『富倉そば』を出す店という口コミを見て決定。秋葉原駅から昭和通りを渡り、細い道を行く。このまま次の道を左に曲がればというところまで来て、目の前に『肉蕎麦 五六八』の暖簾。店の前のポスターにはランチは中盛・大盛無料を見て思わず入店してしまった。



店は右側に厨房があり、その前がカウンター、左側には4人席が5つ並んでいる。フロアば初老のおじさんが担当、すぐ注文を取りに来たので店名にある肉蕎麦(1080円)をお願いする。盛りを聞かれて『中盛』とした。



目の前は太った職人がせっせと蕎麦を茹で、天ぷらを揚げている。さらに女性が補助しているが、この中年の職人が怖い。何となく昭和の香りがする。

11時45分に入店した時は私以外は4人連れ1組だったが、どんどんお客さんが来店、4人席は相席になるほどである。

待つこと5分ほど、温かいつけ汁にたっぷりの豚バラと青ネギが入っている。麺はというと、小型の舟盛に乗っている。中盛であっても結構な量、上には貝割れ菜があしらってある。また、おろした生姜も付いてくる。



まずは麺を一箸、つけ汁に入れて頂く。塩辛いというより、甘辛い汁、生姜がいいアクセントになる。大きめの茶碗につけ汁が入っていてこれに麺を漬けて食べるという作業を繰り返すが、二八蕎麦は喉越しもよく、肉と共に食べるとボリュームがある。

ただ、ツユの中に塊があるなあと思ってよく見ると大きな角煮が入っている。これはボリュームたっぷり、割って頂くが日本そばにはやや肉肉しすぎるようにも思える。ただ、よく煮込まれているようで脂が甘い。

少し食べ飽きたので卓上の調味料を見ると残念ながらラー油はなく、七味唐辛子をたっぷり振って頂く。アクセントがついて美味くなる。薄切りの肉の方もたっぷり入っていて最後は麺が無くなり、肉片が残った。



みんな肉蕎麦を食べているのかと周りを見るとざるそば、おろしそば、とろろそばと色々なものを注文していた。山と積まれた麺だったが気がつくと完食、我ながら蕎麦好きな自分に呆れた。ご馳走さまでした。
なお、大盛は覚悟した方がよいかもしれない。
肉蕎麦五六八
千代田区神田佐久間町2ー25
05056006042

サンシャイン〜護国寺駅付近の坂巡り③

2024-11-06 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その224。雑司ヶ谷の南坂をそのまま上ると旧宣教師館通りと書いたレンガ通りが現れる。



そのまままっすぐ行くと『雑司ヶ谷旧宣教師館』と書いた古い洋館が現れる。これは1907年にアメリカ人宣教師マッケーレブが自らの居宅として建設したもので1941年に彼が帰国するまで生活していた。今は豊島区有形文化財として保存されている。



元の道まで戻り、坂を下りると左に向かう道に出る。これを5分ほど歩いてようやく不忍通りまで戻る。不忍通りは先ほど私が渡ったあたりから首都高護国寺ランプあたりまでが緩い坂道となっているが、これが『小篠坂(こざささか)』である。





説明板によると『江戸時代に御鷹場から坂下の本浄寺に下る道として開かれたものだが、笹が多く生えていたため、この名前となった』とある。



小篠坂の先、友成第二医院というクリニックの先を左に曲がると文京区立青柳小学校への坂道となる。この坂には『希望の坂』という名前がつけられている。



これは首都高速道路建設により1960年に今の場所に移転、その際に子供たちが楽しく学べる通学路であり、希望に満ちた将来を願ってこの名前が付けられたとのことである。





護国寺の前を通り、まっすぐ行くと大塚三丁目の交差点に向かって不忍通りは坂道となっている。この坂道は『富士見坂』と名付けられてある。富士見坂や塩見坂(潮見坂)は東京にたくさんあるが、ここの坂上からは天気の良い朝には本当に富士山を臨むことができる数少ない坂道である。

一二三家〜福島県アンテナショップ ミデッテにて

2024-11-05 05:00:00 | グルメ
久しぶりに福島県のアンテナショップ『ミデッテ』内のイートスペースに出店するラーメンを食べに行く。2日間のみ出店するのは会津若松市の『一ニ三家』というラーメン店。地元のお店の営業時間は21時オープン、5時クローズと夜型のお店。しかし、アンテナショップということもあり、ランチタイムに食べることができる。

メニューはシンプルに塩ラーメン(850円)と醤油ラーメン(850円)、大盛は150円増し、ライスもある。券売機で食券を買い、おばさんに渡すと半券を返してくれ、出来上がると呼び出される仕組み。今日は塩ラーメンをお願いした。


麦茶を汲んで席で待つ。お隣にはおじさん3人組、この店はよく来るらしく、「今日は比較的マシだね。この間、まるやが来た時はこの時間でもう満員。食べると少し麺が固くて参ったよ。スープは美味かったけど」「ここはいいね、いろんな店がくるから楽しいよ」

「湯切りを機械でやるのだが、その音が大きくて番号呼んだのに気づかず、取りに行くのが遅れて、麺が伸びちゃった」など話している。すると125番が呼ばれ、ふと気づくと私の食券は120番、まさに私も湯切りの音がうるさくて気づかなかったらしい。

慌ててカウンターに行き、ラーメンを取り、ラー油と白胡椒を振って席に戻る。幸いまだ麺は伸びていない。やや太めの平打ちのちぢれ麺でしっかりスープに絡む。



塩気もちょうど良く、胡椒がよく効いて美味い。具はナルト、メンマ、チャーシューとシンプル。喜多方ラーメン風で透明なスープである。

ネギは白髪風にやや太めに切ってあり、存在感が強い。麺とネギを絡めながら頂く。チャーシューもバラ肉で脂がとろける。チャーシュー麺にしたいほど美味い。

目の前のモニターには雪深い会津や紅葉の美しい柳津虚空蔵尊が映り、秋を感じながらラーメンを頂いた。ご馳走さまでした。
一ニ三家
会津若松市栄町4ー34
0242935656


特別展『はにわ』で埴輪を堪能する②

2024-11-04 05:00:00 | 日記
『特別展はにわ』はさらに精巧な埴輪画並ぶ。まずは家形埴輪だが、造りが複雑で高床式倉庫を左右に配し、真ん中に大きな母屋を持った豪邸とも言うべき埴輪が並ぶ。

さらに埋葬された王が海で勢力を高めたのだろうか、立派な船が幾つも展示されている。





両側に6本ずつの櫂を備えた船、さらに多くの設備を備え、高貴な人に差し掛けた蓋(きぬがさ)まで備えた大型船もある。



馬の埴輪も立派な鞍と立髪飾りを施した、祭の際に着飾った馬、旗を立てた馬など珍しい展示もあった。私が馬の埴輪というと旧65円普通切手の図案に使われた馬のみである。スタイルのよい挂甲の武人も展示されている。



埴輪は素焼き土器のみと考えていたが、実は石で作られた『石人』という埴輪もある。




これは主に九州の古墳から掘り出されたのであるが、大きさも大きく、どのようにして運んだのかすら疑問を持つサイズのものであった。





既に何体か武人が飾られていたが、今回の展覧会での目玉として『5体の挂甲の武人集合』がある。これはいずれも6世紀に作られた甲冑で身を固めた武人の埴輪のことで群馬県太田市飯塚で出土した。武人は太刀や弓をもち、矢を収めた靱(ゆき)を背中に背負っている。今はアメリカを含めた5か所で大切に保管されていて特に精巧に作られている1体が1974年に国宝にしていされている。(国立博物館蔵)



さらにこの国立博物館蔵の表面に塗られていた彩色を復元した蔵(模像)も展示してあったが、白と灰色、赤で鮮やかな姿であった。





色々なユーモラスな顔をした人物埴輪やひざまづく男子、色々な形をした家形埴輪などが並べられ、村落を表していたことがわかる。


さらに色々な動物〜牛、小馬、猪、鹿、犬、羽を広げた鳥、魚を咥えた鵜などもある。





6世紀後半に前方後円墳が作られなくなると埴輪も製造されなくなるのだが、一般の人の埴輪はない。儀式に出る人々が殆どである。



但し、古墳時代の最後期に関東のみで作られていたという『子供を背負う埴輪』『乳を子に与える母の埴輪』『親鳥に乗った雛』といった微笑ましく、珍しい展示も目を惹いた。

とにかく今回の展覧会を見て、自らが持っていた埴輪の知識がいかに貧しいものであったのかを実感。これだけのバリエーションがあり、さらにこれらを知ることにより文字がない時代の人々がどのような服装でいたのかということを知ることができる唯一の遺産であること実感。これから古墳を回る際にさらに埴輪に関しても調べることにしたい。






はんなり家〜日本橋ランチグルメ

2024-11-03 05:00:00 | グルメ
日本橋で京料理の店のランチ、これが美味いのである。約1年ぶりの訪問だが、周囲に列が出来る店が増えていた。とんかつ『一』や天ぷら『金子半之助』、うどんの『ほし野』など11時半からもう列が形成されていた。その『一』のビルの2階にある『はんなりや』にお邪魔する。


11時35分に階段を登り、店に入ると『12時45分からの予約のお客様がいらっしゃる席なのですが、それまでならこのお席で』と言われる。もちろんランチに1時間もかけないのでOKをする。



同僚のMさんと席に座り、メニューをみる。デフォルトの『お昼の定食』(1280円)でもいいが、今回は『ちりめんじゃこ(ちりめん山椒)付き』(1410円)の方にする。

それほど広くない店だがフロアに3人の女性、板場には3人の職人としっかりとした体制になっている。少し待つとトレイに載せられた定食が登場する。

乗っているのは右下から反時計回りに『茄子の味噌和え』、『小松菜とお揚げのお浸し』、少し洋風な『白菜とベーコン、厚揚げのクリーム煮風』、『香の物』(昆布佃煮、柴漬、水菜塩漬け)、『ちりめん山椒』、『だし巻き』とおかずが並び、これにご飯と赤だしが付く。



味付けも味噌味、出汁の味、クリーム煮、さらにだし巻きとバラエティーに富み、どれを取っても美味い。もちろん、真ん中の出汁をたっぷり含んだ卵焼きは秀逸だが、どれを取っても美味いおかずである。



さらにちりめん山椒をかけてご飯だけ頂くのもいいし、昆布の佃煮や柴漬で頂くのもいい。ただ、ご飯は炊き立てで美味いのだが、量もちゃんと上品でそれほど多くはない。



赤だしもワカメ入り、大変ヘルシーで美味しいお昼となった。気がつくと満席、さらにお勘定をして店の外に出ると驚いたことに内階段の2階から1階まで待つ人の列、やはり美味い店には列ができるのが日本橋らしい。ご馳走さまでした。

夜のメニューもなかなかいいが、値段もかなりいい。だからなかなか夜はお邪魔できません。

はんなりや
中央区日本橋室町1ー11ー15日本橋UNOビル2階
0332451233

特別展『はにわ』で埴輪を堪能する①

2024-11-02 05:00:00 | 日記
上野にある東京国立博物館にて開催中の『特別展はにわ』に行く。12月8日まで平成館で開催中なのだが、これほどたくさんの埴輪を見たこともなかったが、これほど埴輪が人気があるとは知らなかった。まあ、国立博物館で開催するから埴輪を見にくる人も多い訳であろう。例えば2年前の夏休み期間にさきたま史跡の博物館(行田市)でもたくさんの埴輪が展示されていたが、我々のみしか埴輪を見る人はいなかったのだが。



(県立さいたま史跡の博物館)

ところで『埴輪とは何か』と聞かれると悩んでしまうのだが、すぐ頭に浮かぶのは素焼きでできた宮崎県のお土産などにある口を開いて右手を挙げ、左手を下げた土器と思ってしまうのだが、それは埴輪のほんの一部。



埴輪とは古墳時代に作られた素焼き土器で2つに分類される。一つが円筒型のもので墳丘を取り囲むように一列に並べられた。もう一つが形象埴輪で人物埴輪・動物埴輪・器材埴輪・家形埴輪などに分類され、先ほど申し上げたのは人物埴輪の一部である。

会場に入るとその『踊る人々』と名付けられた埴輪が2つお出迎え。熊谷の野原古墳で出土したもの。誰もが知る埴輪だが、これを見て普通は踊っているように見える。しかし、近年この埴輪の後ろに動物埴輪の馬が置かれていて、左の挙げた手はその喰みから繋がる縄を持っているのではないかという説が有力視されている。




次のコーナーには王の登場と題して東大寺古墳などで見つかった『金象嵌銘太刀(国宝)』『画文帯同向式神獣鏡(国宝)』などが並び、当時の王の権力を表すものの展示が続くが、埴輪でないため急いで鑑賞する。



大王の埴輪のコーナーには古墳の周りに埋めた円筒埴輪が並んでいる。円筒埴輪はせいぜい50cmくらいのものかと思っていたが、2mを超える大きさのものが展示されていてびっくり。どんな窯で焼いたのだろうか?



さらに大王と思われる古墳の副葬品として『盾型埴輪』『水鳥型埴輪』『犬型埴輪』『馬型埴輪』など死者の日常にあったものを埴輪にして周りに置いたと思われるものが次々と並んでいる。



特に『埴輪女子』『水鳥型埴輪』『犬型埴輪』『馬型埴輪』などは堺市の大仙陵(仁徳天皇陵)から出土したもので興味深く鑑賞した。

大王と共に埋葬されていたのは人物埴輪もある。その中で『挂甲の武人』と呼ばれる甲冑を纏った武人の姿をした埴輪や二層建の家形埴輪、『天冠を付けた男子』と名付けられた埴輪など高度な細工をされた埴輪が多く出品されていた。

天冠を付けた男子に至っては冠だけでなく、顔に施された入墨(化粧)、胡座をかいた足の様子など素晴らしい造作力に目を奪われた。因みにこれらは継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳からの出土である。(以下、次回)


第18回人形市をひやかす

2024-11-01 05:00:00 | 日記
人形町の恒例行事である第18回人形市が始まった(10月30日〜11月2日)。朝、水天宮前駅で地上に出ると青いシートがかかった露店が水天宮前交差点から人形町交差点までの間に所狭しと店を開く準備をしている。



人形町は江戸時代に歌舞伎の中村座・市村座、薩摩浄瑠璃の薩摩座、人形芝居の結城座など芝居小屋が多く並び、人形細工の職人や人形使いが多くいたために人形町と名付けられたとされている。



商店街では街の由来である人形とよりかかわりたいと平成16年より毎年人形市を開催している。



露店の数は47、出店しているのは様々な団体で趣味が高じた人形作りが好きなサークルの人から東玉・吉徳大光・久月と言った老舗人形店までバラバラ。


また、販売しているものも、雛人形・五月人形の片割れや道具、ジュモーの人形のような大きな物、繭玉人形や小さな動物人形、指人形、材質もガラス、縮緬、土、布、毛糸など様々である。



来年の干支である蛇を模ったものがあるが、うさぎや虎などに比べると可愛く作るのが難しいか少なく、昨年はたつの起き上がり小法師を買ったのだが、適当なものがなかった。

人気があるのは手作りの小型の人形で人集りするところは決まっている。ただ、やる気のない店主は声を掛けても中々こちらに来ない。この辺りは普段から露天商をやっているせともの市とは訳が違う。



人形町周辺はべったら市が終わると人形市、そして12月の歳の市と続き、今年も暮れ、寒くなって行くのである。