三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Pure Japanese」

2022年02月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Pure Japanese」を観た。
 
 邦画のB級作品である。ハリウッドのB級映画に比べるとかなりチープで、予算の差が歴然としているが、それなりに頑張って作っている。
 ただ、無駄に長いシーンが多いのはいただけない。一時間足らずで終わる内容を、無理矢理88分に引き伸ばした感じだ。勧善懲悪とトラウマと日本人のアイデンティティだけではエピソードが足りない。作品としての奥行きがないのだ。
 
 なんとなく感じたのは、本作品はアミューズのディーン・フジオカに対するボーナスのようなものではないかということだ。お金を出すから好きなように作ってみたら、と言われてプロデュースした映画のような気がする。
 ディーン・フジオカが演じた立石の世界観は、日本人といえば刀であり大和魂だというものだ。そして楯の会の活動家としての三島由紀夫について渡辺哲に語らせる。一方でニュースのコメンテーターには、日本人とは日本語を話す人々のことで、つまり日本語というオペレーティングシステムの上で動いている人のことだと断定的に言わせる。このあたりの二方向からの掘り下げはなかなかよかった。
 
 ところが登場人物がよくわからない。ヤクザ側はステレオタイプで掘り下げがなく、立石にはよくわからないトラウマがある。まともなのは蒔田彩珠が演じた女子高生くらいなものだった。当然ながら立石に感情移入することはなく、だから闘争シーンもぼんやりと眺めるだけだった。それなりの迫力ではあったが、これは面白いのか?と自省しながらの鑑賞では、作品価値は半減する。
 立石の事故のトラウマは不要で、幼い頃にガイジンといじめられた記憶だけで十分だった。そもそもガイジンといじめられたら憎む相手はいじめた日本人の子供で、立石がガイジンを傷つける必然性はない。
 
 コロナ禍の検査に引っ掛けてのピュアジャパニーズ検査キットの発想は面白かっただけに、あちこちの綻びがとても残念である。