三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「The Duke」(邦題「ゴヤの名画と優しい泥棒」)

2022年02月28日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「The Duke」(邦題「ゴヤの名画と優しい泥棒」)を観た。
 本作品のハイライトは裁判のシーンである。主人公ケンプトン・バントンは、口うるさく文句をまくしたてる妻ドロシーを相手に、鈍重とも言える反応しかできない。それはそうだ。家計はドロシーが家政婦で稼いだ金でまかなわれている。ケンプトンは弱々しい反論をするのが関の山である。
 ところが裁判になると、検事や弁護士の質問に対して才気煥発、水を得た魚のように機知に富んだ発言を繰り返す。ユーモアとジョークが満載の彼の言葉は、観衆を笑わせる喜劇の台詞のようである。それもそのはず、ケンプトンは昼夜を惜しまず戯曲を執筆している。戯曲の台詞はリズムが何よりも大事だ。句点と読点のリズム。長い単語と短い単語のリズム。リズムが整っていれば、俳優は長いセリフをよどみなく話せるし、観客も聞きやすい。法廷にいた人々は、リズムに乗った彼の言葉を、芝居の台詞のように心地よく聞いたのであった。

 ところでBBC放送はサブスクリプションを導入して、受信料を廃止する方向で進めているらしい。大変いいことだと思う。NHKも見習うべきだ。
 いまやインターネットの時代である。テレビや大新聞が正しい情報を伝えていると思っているようなおめでたい人は少数派になった。テレビや大新聞は、大本営発表を垂れ流していた時代と本質的にはそんなに変わらない。大本営発表でない情報は、週刊誌が先に報道して大新聞やテレビが後を追っている。
 当方も当然ながらテレビや大新聞の情報は信用しない。必要な情報はネットで自分から探しにいく。もちろん政権の言いなりにしか報道しないNHKなど絶対に見ない。NHKはアベシンゾウの時代にとことん腐ってしまった。もちろんそれまでも反体制的な報道は一切なかったが、アベシンゾウがNHKを脅すようになって以来、国営放送の本分である国民のための放送を一切放棄した。「皆様のNHK」から「アベ様のNHK」に堕してしまったのだ。
 昔は70%を超えていた紅白歌合戦の視聴率も、今や30%ちょっとが関の山である。嘘ばかりでジャーナリズムの矜持のないNHKの実態に、漸く国民も気づいてきたのがこの数字だろう。もはや公共放送としての役割を少しも果たしていないNHKに、国民から受信料を徴収する権利はない。百害あって一利なし。それがいまのNHKだ。
 ケンプトンが今の時代にいたら「BBCなんぞいらん、ネットとサブスクがあれば十分だ」と大声で言うだろう。そして当然のように受信料の支払いを拒否するだろう。ケンプトンは正しい。

 ロシアがウクライナを侵略しつつあるが、そこで思い出すのが、アベシンゾウとプーチンの関係である。2016年に地元の山口に招いて、3000億円の税金をポンと渡して北方領土の件をお願いしたのに、したたかなプーチンにいいようにあしらわれて3000億円を持っていかれてしまった。
 プーチンは2018年に「前提条件を付けずに平和条約を締結しよう」と提案してきている。北方領土の解決なしに条約を締結すれば、領土問題は既に解決したとみなされる。3000億円の税金を騙し取っておきながら、さらにこんな条約を臆面もなく提案してくるプーチンの面の皮の厚さには誰もが驚いた。
 脳タリンのアベシンゾウもさすがにこれで懲りたかと思ったが、翌年の2019年には「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」などと仰天の発言をして、プーチンを苦笑させている。「コイツは本物のバカだ」とその顔に書いてあった。
「ウラジミール」とファーストネームで呼ぶ仲なら、今回のウクライナ侵攻についても、仲介役を果たすべきではないかという報道は、当方の知る限りでは確認できていない。もちろん「アベ様のNHK」がそんな報道をするはずもない。見ていなくてもそれくらいはわかる。

 作品の話に戻るが、序盤はケンプトンの人となりがわかるエピソードが紹介され、同時に妻ドロシーのスクエアな考え方、時代に蹂躙されて女性の権利を忘れた気の毒な精神性も理解できる。ヘレン・ミレンはやはり凄い女優だ。中盤からは息子たちも絡んで物語がちょっと進む。息子たちは口うるさくて古臭い母親にうんざりし、年老いても脚本家を夢見る父親のことが好きだ。なんだかんだでいい家族である。
 終盤で冒頭のシーンに戻ったところから、ケンプトンが本領を発揮する。そしてこのレビューも冒頭に戻る。