三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」

2022年02月14日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」を観た。

 タイトルで損をしている。ビリー・ホリデイが合衆国政府と法廷闘争をした話かと思ってしまった。ビリー・ホリデイをよく知っているアメリカ人ならそんな誤解はしないのかもしれないが、かなり昔に亡くなったアメリカのジャズ歌手は、当方には馴染みがなかった。

 ジャズは飲食店のBGMでインストゥルメンタルをよく耳にする。耳当たりがよくて食事の邪魔にならない。勝手な印象ではあるが、飲食店のBGMはジャズが一番多いと思う。
 当方は個人的にジャズをときどき聞く。ビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソンといったピアニストが好きで、特にピーターソンが歌う「It's Only a Paper Moon」や、サッチモ(ルイ・アームストロング)が歌う「When the Saint on Marching In」や「What a Wonderful World」がとても好きだ。誰でも聞いたことがある歌である。
 本作品でビリー・ホリデイが歌う「All of Me」も聞いたことがあったが、歌手がビリー・ホリデイだとは知らなかった。シャンソンの「Hymne A L'Amour 」(「愛の賛歌」)を長いこと越路吹雪の歌だと思っていたようなものだ。

 さて本作品はビリーホリデイの凄絶な半生を描いている。だからタイトルは「ビリー・ホリデイ」だけでよかった。合衆国の弾圧よりも、麻薬の誘惑との戦いの方が多かった気がする。のべつ幕なしに煙草を吸い、男と麻薬に溺れる。麻薬が駄目なら代わりに酒をがぶ飲みし続ける人生だ。人前に立ち続けるのはそれほど魂を削ることなのだろう。

 当方は、1989年に亡くなった美空ひばりを想起せずにはいられなかった。万人受けする歌ばかりを歌っていたような印象の歌手だが、実はそうでもない。ビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を歌ったように、美空ひばりは「一本の鉛筆」という骨のある歌を歌っている。ジャズも歌っていたが、これが実に上手かった。

 国民的な歌姫、早すぎる死、そして必ずしも幸せだったとは言えない壮絶な人生と、共通点はいくつかある。もちろん黒人差別という大きな足枷をかけられていたビリー・ホリデイの苦悩と比較すれば、美空ひばりはまだ幸せだったのかもしれない。
 しかしその歌は、あまり歌い継がれているとは思えない。「一本の鉛筆」を歌っている歌手は、当方が知る限り、シャンソンのクミコただひとりである。世界的に有名な「奇妙な果実」とはあまりにもかけ離れている。美空ひばりも魂を削りながら歌ったことでは、ビリー・ホリデイに負けていないはずだ。「一本の鉛筆」がメジャーな歌になることを願ってやまない。

映画「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」

2022年02月14日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」を観た。
 
 当方は聖書は読むが、クリスチャンではない。だから本作品のようなキリスト教礼賛の映画には若干の抵抗がある。精神の自由を毀損されるように感じてしまうのだ。
 
 予想していなかった終映後の舞台挨拶は、例によって作品の礼賛と、SNSでの拡散希望を訴えるもので、いつものことながら辟易してしまった。山田火砂子監督の90歳という年齢ばかりを強調する司会者にも呆れた。舞台挨拶があるなら見たかった常盤貴子はスケジュールが合わなくて来られなかったとのこと。一から十まで残念な舞台挨拶である。
 
 冒頭の三浦綾子の文章の朗読(栗原小巻)ですべてを了解した。三浦綾子はクリスチャン小説家として有名だ。「愛とは許すこと」というテーマでたくさんの小説を書いている。クリスチャンの矢嶋楫子を礼賛するのは当然だろう。
 
 登場人物はたくさんいたが、俳優らしい俳優は主演の常盤貴子と渡辺いっけい、それに石黒賢くらいだ。ワンポイントの竹下景子や小倉一郎、ほっしゃん、駒井蓮は役を卒なくこなしている。ほかは素人さんが学芸会みたいに出演していた。俳優の渡辺大が酷かった。俳優とも思えない存在感のなさは、父親の渡辺謙に反比例したみたいだ。
 
 女性の地位向上を主張するのは悪いことではない。国会議員や大臣の男女同数制もいいと思う。企業の女性重役登用の促進もいいだろう。しかしそれだと一部の女性だけが地位向上するのみである。貧しい一般女性の地位はどうすれば向上するか。
 それは女性向けの避妊薬を無料で配布することである。避妊目的の避妊具の子宮挿入を保険適用し、女性の避妊手術の制約も撤廃するべきだ。
 恋をすればセックスをしたくなるのは自然である。そのときに女性だけが妊娠のリスクを負うのは不公平だ。この不公平が是正されてはじめて、女性に自由が得られると思う。避妊の自由こそ、女性の究極の自由である。