映画「マヤの秘密」を観た。
ナチスがユダヤ人の他に同性愛者やジプシーを虐殺したり収容所に拉致したりしていたのはよく知られている。本作品のマヤもそのひとりだ。ロマ(ジプシー)であった時期にナチスに襲われてレイプの被害に遭ったトラウマに、15年が経過してもまだ悩まされ続けている。レイプされた相手の顔は今でも忘れない。忘れられないのだ。
その相手の顔を見かけたときから、マヤの中で復讐心が燃え上がる。もはや行動は止めようがない。あれはあのときのあの男だ。
戦争は人間が置かれる最悪の極限状況である。特に最前線は過酷だ。生身の人間が銃で撃ち合う。手榴弾を投げあい、近接格闘で殺し合う。精神状態は常に異常だ。異常でなければ人を殺して平気でいられない。そして異常な精神状態が倫理や良心を簡単に乗り越えてしまう。他国民を惨殺しレイプして家に火を付けるのだ。そうすることが普通だと思えば悩みはない。ドイツ軍は兵士に覚せい剤を使っていた。しかし、何のために殺すのか?という疑問を持った瞬間から、兵士にとっての戦争のトラウマが始まる。
マヤと、マヤに捉えられて監禁されたトーマス。両方とも戦争の被害者である。どうしてこうなったのか。一体何がいけなかったのか。
共同体はとても危険な存在だ。いじめっ子の集団みたいなテキトーに出来上がった共同体でも、リーダーがいじめのターゲットを決めたら、一緒にいじめなければならない。家族に家長主義の父親がいたら、その暴力に耐えなければならない。国家ともなれば、ナショナリズムの高揚に国民が盛り上がる。サッカーの応援で盛り上がるファンと同じだ。自分で考えることをしないから、国家のパラダイムに盲従する。そして従わない人間を非国民だと非難し、特高警察に通報する。
共同体の悲劇は、指導者が共同体の危険性を認識していないところにある。指導者が国家主義を煽れば、国民が高揚して戦争に向かって突き進むことになる。指導者といえども、国民の盛り上がりを簡単には止められない。戦争は軍部の一部が起こすのではない。国民が戦争を起こすのだ。
戦争の被害者は命を奪われ財産を奪われた人々であり、トラウマに悩まされる生き残った者たちだ。本作品のマヤであり、トーマスことカールである。被害者同士が対峙しているところに、本作品の物悲しさがある。サスペンスとしてのストーリーはともかく、戦争がここまで人々の精神を破壊したのかと思うと、胸が痛くなる。
2022年の冬は北京五輪が開催されているが、終了した途端に台湾危機とウクライナ危機が破局に向かうかもしれない。第3次世界大戦は、同時多発的に、誰もそれとは気づかないうちに静かに始まるだろう。そして後になって、あれが第3次大戦だったと名付けられるのだ。悲劇は再び繰り返されるのだ。いい作品だと思う。