三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「マヤの秘密」

2022年02月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「マヤの秘密」を観た。
 
 ナチスがユダヤ人の他に同性愛者やジプシーを虐殺したり収容所に拉致したりしていたのはよく知られている。本作品のマヤもそのひとりだ。ロマ(ジプシー)であった時期にナチスに襲われてレイプの被害に遭ったトラウマに、15年が経過してもまだ悩まされ続けている。レイプされた相手の顔は今でも忘れない。忘れられないのだ。
 その相手の顔を見かけたときから、マヤの中で復讐心が燃え上がる。もはや行動は止めようがない。あれはあのときのあの男だ。
 
 戦争は人間が置かれる最悪の極限状況である。特に最前線は過酷だ。生身の人間が銃で撃ち合う。手榴弾を投げあい、近接格闘で殺し合う。精神状態は常に異常だ。異常でなければ人を殺して平気でいられない。そして異常な精神状態が倫理や良心を簡単に乗り越えてしまう。他国民を惨殺しレイプして家に火を付けるのだ。そうすることが普通だと思えば悩みはない。ドイツ軍は兵士に覚せい剤を使っていた。しかし、何のために殺すのか?という疑問を持った瞬間から、兵士にとっての戦争のトラウマが始まる。
 
 マヤと、マヤに捉えられて監禁されたトーマス。両方とも戦争の被害者である。どうしてこうなったのか。一体何がいけなかったのか。
 
 共同体はとても危険な存在だ。いじめっ子の集団みたいなテキトーに出来上がった共同体でも、リーダーがいじめのターゲットを決めたら、一緒にいじめなければならない。家族に家長主義の父親がいたら、その暴力に耐えなければならない。国家ともなれば、ナショナリズムの高揚に国民が盛り上がる。サッカーの応援で盛り上がるファンと同じだ。自分で考えることをしないから、国家のパラダイムに盲従する。そして従わない人間を非国民だと非難し、特高警察に通報する。
 共同体の悲劇は、指導者が共同体の危険性を認識していないところにある。指導者が国家主義を煽れば、国民が高揚して戦争に向かって突き進むことになる。指導者といえども、国民の盛り上がりを簡単には止められない。戦争は軍部の一部が起こすのではない。国民が戦争を起こすのだ。
 
 戦争の被害者は命を奪われ財産を奪われた人々であり、トラウマに悩まされる生き残った者たちだ。本作品のマヤであり、トーマスことカールである。被害者同士が対峙しているところに、本作品の物悲しさがある。サスペンスとしてのストーリーはともかく、戦争がここまで人々の精神を破壊したのかと思うと、胸が痛くなる。
 
 2022年の冬は北京五輪が開催されているが、終了した途端に台湾危機とウクライナ危機が破局に向かうかもしれない。第3次世界大戦は、同時多発的に、誰もそれとは気づかないうちに静かに始まるだろう。そして後になって、あれが第3次大戦だったと名付けられるのだ。悲劇は再び繰り返されるのだ。いい作品だと思う。

映画「ホテルアイリス」

2022年02月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ホテルアイリス」を観た。
 
 倒錯した性的嗜好を持つ初老の翻訳家を、色気とは無縁に見える永瀬正敏が演じたギャップがいい。ヒロインのマリを演じた28歳の陸夏はとても少女には見えなかったが、ほとんど笑わない演技がそこそこよかった。
 
 舞台は台湾の場末のリゾートホテルである。どうして舞台を台湾にしたのかは不明だ。マリの母は、お祖父さんが創業したこのホテルは、受け継いだ私たちが守っていかなければならないという。菜葉菜がマリの母親を演じたが、こちらは完全な日本人だ。マリは微かな台湾訛りの日本語を話しているから、父親が台湾人であることが知れる。
 ということはお祖父さんは日本人で、台湾でホテルをはじめて、なんとか成功させた訳だ。お祖母さんもおそらく日本人で、マリの母親は日本語しか話さない。マリの父親はお祖父さんにとっては義理の息子ということになる。
 携帯電話が登場しないことや、マリの服装などから、時代は1990年頃ではないかと推測される。ホテルの仕事をほとんどひとりでこなしているマリは、挨拶がまず日本語である。つまりホテルアイリスは基本的に日本人の観光客向けなのだ。
 ちょっと設定が分かりにくかったので、まとめてみた。設定以外でも、ストーリーの最初と最後の時系列がややわかりにくいが、ここでは割愛する。
 
 さて、人間はその本性を理性の仮面で隠して生きている。特に性的嗜好はなるべく隠したいものだ。だから大抵の場合、欲望の充足は密室で行なわれる。例外は露出狂で、不特定多数の人に見聞きされる羞恥心が性的興奮を高める。しかし行為自体は極めて個人的である。
 一方で、欲望の充足には相手が必要だ。だから密かなコミュニティがあったり、密室でサービスされる性風俗産業があったりする。個人同士の関係の中で性的嗜好が披露されることも、当然ある。それがノーマルの範囲内であれば問題はないが、アブノーマルな嗜好である場合には、悲劇に発展することもある。
 
 本作品の翻訳家は異常性欲の極みである。ネクタイをしてスーツをきちんと着こなした真面目そうな外見からは、とてもそんなことは想像できない。しかしホテルアイリスに呼び寄せられた売春婦とのトラブルの様子を見たマリは、翻訳家の言葉の中にある淫靡さを敏感に感じ取る。
 作品自体にはそれほどのエロティシズムは感じられない。いや、当方に感じられなかっただけで、もしかしたら緊縛趣味の人にはそれなりの興奮要素があったのかもしれない。もう少し音声の表現があれば、違ったと思う。マリが悶える声やオルガスムスの叫びなどである。それがあれば、マリが再びオルガスムスを求めて翻訳家を尋ねる行動も、抵抗なく腑に落ちたと思う。マリの中にあるファザコンと性欲が本作品の主眼だと思うが、その表現が不十分だったように感じた。
 この種の作品では、観客それぞれが隠している性的嗜好を呼び覚ますのが大事である。しかし性表現が過剰になると、単なるエロに堕してしまう。そのバランスが非常に難しい。本作品は少し安全策に寄り過ぎてしまった。もう少し冒険してもよかったが、作品としては悪くないと思う。

映画「アンチャーテッド」

2022年02月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アンチャーテッド」を観た。
 
 よく出来たアドベンチャームービーだ。ワクワクしながら鑑賞できた。俳優陣はいずれも好演。特に主演のふたり、トム・ホランドとマーク・ウォールバーグの掛け合いは見事で、初心(うぶ)だったネイサン・ドレイク(ホランド)が、丁々発止のやり取りをするうちに冒険家として短期間に成熟していくさまが面白い。
 ビデオゲームの映画化は失敗が少ない。ビデオゲームというのは、それだけ作り込まれている訳だ。中には「バイオハザード2」のように2時間未満でクリアできるゲームがある。ほぼ映画の長さだが、中身はとても濃い。ゴールまでは一本道で、次々に困難なステージが登場する。油断するとすぐにゲームオーバーだ。
 映画はゲームオーバーにならず主人公が死なないことが分かっているから、安心して観ることができる。YouTube でプロのゲーマーによるクリアゲームを見るのと同じで、ひたすら感心する。
 本作品はその中でも優れた作品のひとつだと思う。まるで体操やパルクールの選手のような身のこなしで高難度のステージを次々にクリアしていくネイサンを見て、自分だったらとうの昔に死んでいるに違いないなどとアホなことを考えるのも、映画の楽しみのひとつだと思う。思い切りスカッとした。