映画「DOGMAN」を観た。
リュック・ベッソン監督だけあって、アクションシーンはリアルで、容赦がない。犬たちのアクションシーンはどうやって撮影したのだろうか。見事で痛快だった。
監督はフランス人だ。現代のフランスでは、無宗教の人が多数を占める。フランス革命以来の自由を重んじる国民性に加え、高校で哲学が必修科目になっていることも原因のひとつかもしれない。しかし宗教離れは進んでいても、神の概念が消滅する訳ではない。
神という概念は世界中にあって、旧約聖書やイスラム教では一神教の神に名前があり、バラモン教やギリシア神話や日本の神道では、神がたくさんいて、人間臭い物語を展開させていたりする。
人智の及ばぬことを、万能の存在の仕業だと考えたとき、神という概念は自然に生まれたのだろう。そして人間臭い物語の登場人物とすることで、神を身近な存在に感じるようにした。
本作品で登場する神は独特である。まず兄が巨大な犬小屋に掲げた横断幕の「In the name of God」だ。本作品では「神の名において犬小屋に閉じ込められています」みたいな意味のようである。犬小屋の内側からは、金網の柱に遮られる部分があって、しかも文字が裏返っているから「doG man」だけが見える。
それがタイトルの由来でもあるのだろうが、神に対するある種の見方でもあるのだろう。神を裏側から見ると、犬になる。つまり、犬は神だ。随分と飛躍しているようにも思えるが、主人公が犬を神の使いのように感じるのは、その境遇からして自然なことに思える。
不幸な境遇を自分に納得させるためには、神の概念を使うしかない。神は人智を超えているから、人間の法や倫理など問題にならない。だから精神科医から法や倫理を持ち出されても、笑うしかない。そんな世界で生きていないのだ。
DVやジェンダー、格差や政治など、現代社会が抱える問題もさり気なく下地に忍ばせつつ、会話劇とアクションをひとつの作品に盛り込んでみせた、ある意味で驚異的な作品である。名作の予感がする。