三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「オッペンハイマー」

2024年03月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オッペンハイマー」を観た。
映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

 ロバート・オッペンハイマーの伝記である。若い天才物理学者が30代でマンハッタン計画の責任者に任命されてから、開発した原子爆弾2発が実際に使われるまでの話が主体だが、並行して、マッカーシーが主導した赤狩りで尋問を受けたときが描かれる。ルイス・ストローズの公聴会の部分は、オッペンハイマーが尋問を受けた話の補完のような役割だ。
 学生時代、理論には優れているものの、実験が不得手であった過去が紹介されているのは、地上での等速直線運動の観測系における実験物理学に嫌気が差して、理論物理学に傾倒していく様子を描くためだと思う。実験下手の過去を、世界最大の物理学実験である原爆実験に対比させる狙いもあったかもしれない。

 思索の人らしく、終始冷静な態度を崩さない。感情を露わにしたのは、終戦後にトルーマン大統領と面会した場面だ。「私の手は血に塗れているようだ」と話すと、トルーマンは問題を単純化し、原爆の製造者は責められない、責められるのはそれを落とした人間だと言い放つ。そしてオッペンハイマーを泣き虫だと決めつける。トルーマンは、自分が無慈悲で想像力の欠如した人間だと自ら露呈した訳だ。
 オッペンハイマーの苦悩の複雑さは、単純化できるものではない。言い訳はたくさん考えられる。世界には優秀な物理学者がたくさんいて、自分が開発しなくても、誰かが原爆を作っただろう。原爆を作ったのは、核分裂の連鎖反応が百万分の1秒という短時間で確実に起きることを確かめるためでもあった。原爆実験をすることでその威力に恐れをなして、逆に原爆が使われないようにするのが目的だった。抑止力としての役割に過ぎないのだ。自分の役割は原爆を作ることで、使うことではない。などだ。
 しかし原爆投下のあとに調査に入った米軍の撮影した映像を見て、あまりの悲惨さにおののくシーンがある。どんな言い訳をしても、自分がこの大量殺戮に加担したのは間違いない事実だ。原爆が使われる前には、爆発で直接的に死ぬ人数、放射能に被曝して短期間のうちに死ぬ人数まで計算していたし、その数字はほとんど合っていた。これで自分の手が血に塗れていないとは決して言えない。

 問題を単純化して白と黒を分けるのが好きなのは、世界中どこの国民も同じだ。複雑さを複雑さのままで理解しようとする人は少ない。アメリカの政治家や官僚も同じで、アメリカが善で日本が悪、だから原爆は善という単純な理屈を信じ、戦後は、資本主義が善で共産主義が悪という独善が猛威をふるった。共産主義国との共存を模索したJ・F・ケネディは、反共という独善の犠牲者だ。
 本作品のテーマは、オッペンハイマーの苦悩を余さず伝えるだけではないと思う。戦禍で国民が悲惨な目に遭っても、過去を忘れ、年寄の話を無視して戦争を繰り返す人類に対する、ひとつの警鐘でもあるのだろう。人類はいつまで無自覚なアホであり続けるのか。

映画「美と殺戮のすべて」

2024年03月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「美と殺戮のすべて」を観た。
映画『美と殺戮のすべて』オフィシャルサイト

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 あまり面白い作品ではない。ナン・ゴールディンという写真家が自分を語る一方、麻薬中毒になった過去から、合法の麻薬で死んだ人たちの弔いのように、麻薬で莫大な利益を上げた会社と戦う様子を描く。
 出てくるゴールディンの写真は退廃的で、人間の欲望を表現するが、優しさが欠落しているから、見ていて楽しくない。アメリカの負の部分をさらけ出すのが目的なら、十分果たしていると思うが、負の中に正もあるのが現実で、逆ももちろんある。現実の複雑さを表現していない写真に、あまり意味があるとは思えない。失礼ながら、世界的な巨匠という評価は意味不明だ。

 本作品が日本公開された2024年3月29日は、小林製薬が製造したサプリメントの健康被害がニュースになっている真っ最中で、会社側の初期対応のまずさなどから、簡単には収束しそうにない。小林製薬は、当該の「紅麹コレステヘルプ」とは別に、原料としての紅麹を販売していて、二次取引等を含めると、数万社に流通しているらしい。影響は甚大だ。

 本作品に登場する鎮痛剤「オキシコンチン」は、オキシコドンという鎮痛剤の商品名らしい。販売しているのはパーデューファーマという製薬会社で、サックラーという大金持ちの一族が経営している。この薬の販売で大儲けして、芸術や教育関連に多額の寄付をしてきたようだ。

 アメリカ人は痛みに対する耐性が、日本人に比べてはるかに弱いと言われている。逆に言えば、強力な鎮痛剤が一般的によく使われているということだ。日本では自然分娩が主流の出産も、無痛分娩が普通らしい。
 強力な鎮痛剤の多くは麻薬である。オキシコンチンも麻薬だ。過剰摂取すれば、肉体や精神に悪影響を及ぼす。日本でも販売されているが、社会問題にはなっていない。同じく麻薬であるモルヒネと同様に、医師の処方箋に従って処方された薬を用法や用量を守っていれば大丈夫なのだろう。

 アメリカで被害者が多発しているのは、安易に薬品を摂取するという下地があることが大きく影響している気がする。サックラー家を弁護するつもりは毛頭ないが、処方した医師にも、乱用した患者にも、責任がまったくないわけではないし、オキシコドンを承認したFDAにもかなりの責任がある。すべてを製造者のせいにしてしまう主張には、違和感を覚えざるを得なかった。