父親の形見の本。大正15年刊で100ページ。筆で、字を書く、点画の動きが、良くわかる。基本中の基本で、楷書、行書、草書がある。基本が、しっかりしていれば、見た目もいいと思う。かれこれ、40年前に、所属していた書道会の展に、条幅に、楷書で書いたものを、一度、出品した。楷書体での作品を、展覧会に出すのは、あらが見えすぎて、展覧会には向かないと、指導してもらった先生に、いわれた。そのあとは、行書体のもので、出品をした。その頃の市美展には、出品は、額装でと、定まりがあった。出品に、数回使ったアルミの額は、処分をしてしまった。思い返せば、懐かしいことだ。
ひま潰しに、テレビを見ていた時、「なんのことたぁ」。だいぶ昔しに、仕事をしていた時、納品になったものに、ばらつきを、見つけた。問い合わせをすると、下請けの縫製工場を、使ったものと、わかった。その時から、縫製工場の見学と、仕様書を取り交わして、品質の管理をした。昔も今も、変わらないことだなぁだった。
ジャンルから、来訪の方には、期待はずれですみません。なんの変哲もないものを、並べた。ご飯は、昨年産のもの。米を研ぎ、水加減をみて、そこえ、ちょろっと、日本酒を加えて、炊き上げた。日本酒を入れたのと、入れないのとを、食べ比べてないのて、はっきりと、旨いくなったのかは、わからない。冷や飯になって、温めて食べた時を、思うと、美味しいままのようだ。最近は、無洗米と、精米をしている。「梅干し」。いただきものだか、梅干し本来の味だ。手造りしたのが、あるというので、小瓶に入れて、いただいた。スーパーの物に、口が慣れているので、茶色い砂糖を、まぶして置いておく。この日は、食べっかぁと、体が欲しがっていた。
先日、12日。シルバースポーツ大会に出た、総合体育館前の木立、季節の巡りが早い。街中の街路樹も落葉が始まっている。旧暦では、九月になったばかりだ。二十四節気の「霜降」が過ぎ、七十二候では、落葉の季節から、虫が土の中に潜るころになる。秋晴れを呼ぶ台風といわれているが、先日の大型が、各地に被害をもたらし、また、週末に、接近するかもと、報じている。穏やかに、通りすぎてもらいたい。そうそう、銀杏の実は、美味だ。最近、味噌に漬けた銀杏を、数粒ずつ、数回食べた。
10月中旬頃、所要で通りかかり、カシャッとした。秋の紅葉のころは、特に絶景なのだが、ここのところの雨続きで、どうなのだろう。阿武隈山地を水源にして、太平洋に流れている。カシャッとした場所に、歌碑がある。よくわからないが、明治、大正の頃の文人、「大町 桂月」が詠んだ、「散りはてて 枯れ木ばかりと思いしを 日入りてみゆる 谷の紅葉」と、建っている。画像の、左下に、「籠場の滝」がある。いつも通りすぎてしまう。渓谷に沿って、道があるのだが、車の交叉にに注意だ。
ちょっと前のある日。参加した。小生の出番は午後の部、三番目の玉入れの競技。二分間の持ち時間だった。町内、老人会の会長に懇願それた。朝の挨拶から出席をした。挨拶が終われば、戻るつもりで、了解を得ていた。プログラムを見ると、競技の合間に、踊りの披露がある。その踊りの先生役が、いとこだったので、お昼の弁当につられて、途中居眠りしながら、観覧をしていた。方部毎に、ピクニックさながら、運動会さながらの、楽しみをしていた。
男の料理という、ジャンルにして、ご容赦。パックから出して、器に入れただけ。この豆腐は、豆腐本来の味だと思う。スーパーには、ぴんからきりまで、安価のものから、いろいろと並んでいる。手造りで、豆乳ににがり入れ、凝固させたとある。木綿と絹こしの二種が、数個ずつ、棚に並べられている。冷やっこの味付けは、にんにく。そのにんにくは、一個、400円。程よい苦味。臭いも少ない。ちょっと、贅沢かあと、ながめた。
台風が一過しても、ちょつとだけ秋の陽光だった。昨日、夜になって、高齢者等避難開始発令の、エリアメールが届いた。テレビのデーター放送や、河川情報で、近くの場所や、山間部の降雨量の情報で、自分で判断をする。在宅介護中のばあちゃんを、晒の布を帯にして、背負って、二階に移動するタイミングを、見ていた。河川の溢水はないと、判断をした。近所には、ひとり暮らしの高齢者が、数人住んでいる。その人とは、一大事があった時は、緊急連絡することにしている。種々の情報は、ありがたい。大事にならなくて、安堵をした。
大型台風の接近で、雨が降り続いている。今月の写経会は、肌寒く、ストーブの唸りの音が、部屋に響いていた。法話になり、写経が始まると、ストーブの唸りは、気にならない。筆を休めると、聞こえてきた。昨年の今頃の画像を見て、掲載をした。晩秋の太陽の温かさか、感じられた。今年は、天候不順。スカーッとした、秋晴れが、待たれる。ブログのタイトルを変更しました。
画像は、閼伽井嶽薬師、常福寺の境内に、石段下の左手にある大師堂、弘法水が涸れることなく湧出している。本尊薬師如来にお供えする、閼伽水とされている。眼病に霊験あらたかと、伝えられている。春野草結著、「東北三十六不動尊ガイド」より。十月の法話は、「不兩舌」。文字を見ると、「二枚舌」と思った。仏教では、「思いやりの言葉」で話すことという。自分が話す言葉に、責任を持つことだが、まずは、相手と言い争いをしないこと。不愉快な気持ちにさせてたら、謝まっても、許されることではない。日常生活は、「思いやり」の言葉と、行動が大事なこと。「思いやり」をしても、見返りは、求めない。いつの日にか、周り回って、自分に戻ってくることがある。毎回、ありがたい法話で、日々のことを、戒められている。
家族が集まる機会は、一年に一度になっている。来年はどうなるだろうか。在宅介護中のばあちゃんが、時々、微熱がある。九月の29日に、38度7分の発熱をした。聞くと、前日と前々日に、微熱があつたという。誤飲性肺炎かぁと、覚悟をしたが、頭部を冷やして、37度6分に、下がったので、ひと安心をした。今月初めの、定期の診察日に、レントゲンと血液検査をした。肺炎の兆候は、今のところないだった。死去した時の、準備を始める。葬祭場に依頼をするが、決め事をしなくてはならないので、マニァルではないが、順を追って、次第を書きだすことなのだろう。そのうちに、なんて、では、あわてるようになるのだろう。家で葬儀をしたのは、義父と、自衛隊に勤務していた実兄、隣組の人の、采配の経験はある。考えると、気が重くなる。
お彼岸過ぎてから、ガステーブルの故障で交換、屋外の水道菅の保護材の交換、システムバスの設置、廊下の床板の重ね貼りで、多忙の日々だった。画像は、亡父の法要のあとの、昼食をした時の、お寿司。これのほか、オードブルが二種、見た目も味も、旨かった。翌日の九日は、ばあちゃんも同行して、近くで、精進落としの食事会と、百三歳の内祝いの食事会をした。床板貼りは、明日で終わる。ちょっと一休みをする。
我が家では、仏壇とお墓に供える花は、妻は、黄色と白色の菊の花と、定めている。周りのお墓に、供えられいいる花は、色とりどりで、カラフルだ。花屋さんに聞くと、お彼岸と盆のときにしか、単品の菊の花は、準備していないという。今回は、秋の彼岸に、花やさんに、予約をしたおいた。女房が、菊の花をそなえるという、いわれを、知ったのかわからない。なんか、すっきりしているなあは、「手前味噌」。
先日、亡父の三十七回忌の法要をした。普通には、「仏法の行事」から、法事と云っている。仏教の中で、三と七の数字は。重要なのかも。その、三と七を組み合わせて、それに当てはまる年度に、追善供養を、行うことを、法事と云うようだ。祥月命日に行うのが、正式という。命日前に、略して行った。法話があり、膝に乗せての木魚を打っての、経文の唱えをした。供養前には、お茶をいただき、ちょっとだけだか、お寺の静寂を、感じていた。