先日の、NHKテレビ映画の、「男はつらいよ。夕焼け小焼け」の、一場面。寅さんとの直接のからみではない。この画面に登場した女性は、今、在宅介護中のばあちゃんの、若かりし頃の、雰囲気を感じた。102才という歳の顔だが、和服が似合っていた。元気だったころは、普段着が和服。浴衣姿も、ちょっと思いだす。大正生まれなので、和服にあう体形なのだろう。今は、一年、一年でなく、一日一日、延命している。「人事を尽くして天命を待つ」の心境でいる。食べることを楽しませている。今は、死んでは食べさせられねぇべえと、食べる楽しみをさせている。
前日に掲載した飛行機雲の、画像を拡大した。どのくらいの高度で、飛行しているのだろうか。長年使っているデジカメも、捨てたものではないなぁと思う。コンパクト一眼レフを購入したので、画像を楽しもうとしているが、数多くの操作は、まだまだ覚えられない。今、使っているデジカメは、五年前からのもの。手あかが付くほど、使い、使い勝手がいい。そうそう、お天気は、台風一過の青空。当初、台風の直撃かと心配したが、かすめて、過ぎて、安心をした。被害にあわれた方々に、お見舞い申しあげます。
今回の台風が来る前の空に、一筋見えた。何本か見えたが、すぐに消えていた。暑いさなかなのだったが、上空は、寒冷なのか。季節は巡って、空も秋の色。車から見る道端も、ススキの穂が白い。、もうすぐ、九月になるなぁ。
先日、ちょつと遠出をした。画像は、JRスーパーひたちの車内。走行車輪の音も、静か。快適な移動空間だ。今は、車での移動ばかり。列車での移動は、久しぶりだった。新幹線への、乗り換えも、品川駅なので、便利になった。東京駅での乗り換えだつた頃の、人ごみもない。ずうーっと昔を、思い出すと、爆睡中に起こされた、「乗車券拝見」があった。移動中の車内は、安息の時間としていた。今回も、居眠りの、繰り返しだった。
退屈まぎれに作ったグラフ。以前のマイツールというソフトは、パソコンの画面にグラフを作り、色を塗布したり、文字を書き込んだりができて、使い勝手がよかった。今は、グラフを打ち出して、手書きしなくてはならかい。図の上の段は、今年。中段は、来年。下段は、再来年のもの。三つのグラフの、ピンク色は、夏の期間。中段のグラフのピンク色の、長さが長い。これが、夏の期間。約120日なので、例年より、ひと月ほど長い夏になる。来年は、春物という商品は、早めに売れです。夏物も、早めに売れ出す。そして遅くまで売れる。例年通りの、初秋ものという商品は、まつたく駄目と思う。冬ものも、年内売れないかも。気温によって売れる商品には、判断が難しい年のようだと思う。今は、仕事をしていないので、野次馬的にみている。あたりはずれは、ご容赦のほど。
日暮れで、薄暗くなつたころから、風雨が強くなった、夜の8時が過ぎた今、一段と強く、風がうなり続けている。強風と大粒の雨が、窓を打ち続けている。あと30分過ぎ、午後9時頃は、台風は、通り過ぎるのかも。土砂災害に注意の、メールも届いている。過日の17日にも、土砂災害に注意のメールが届いていた。避難準備情報も、発せられている。河川の水位情報は、アクセスが混んでいる。日本全国各地、災害が無いよう、祈っている。
画像は、20日の、閼伽井嶽薬師常福寺の、鐘突き堂。七十二候に、「深い霧が立ち込める」とある。これに、ピッタリの風景だった。残暑厳しい頃なのだが、台風の影響で、お天気は、目まぐるしく変わる。今日の、法話は、若い坊さんなのだが、修験者になり、祭礼に、山伏の装束することが、できるようになつたと。仏道の修行に励んだという。山伏は、現世の、悪行を払い、火伏せの業をするという。今日の境内は、参詣の人も多く、祈祷の読経と、太鼓の音が、響きわたっていた。
沿岸をかすめていった、夏台風。ざぁーっと降ってはやみ、また、ざあーっと降ってはやみの、繰り返しだった。山間部には、土砂災害の発生に注意と、エリアメールも、届いた。河川の増水はどうなのかと、ネットで調べてみた。水不足気味のようなので、降雨はありがたいのかも。ここのところ、晩夏と、初秋感じている。日中は、せみの鳴き声かーを聞き、夜になって、秋の虫の声が、弱弱しく聞こえる。ひところより、日暮れの時刻が、早くなったなぁと、西の空をみている。
盆の十六日。今朝早く、盆棚に供えたのを、送り船で、精霊が帰った。夜になって、送り火を焚いた。ばあちゃんは、今は、在宅介護中なのだが、いつ、旅立つのか知ることはできない。一日一日を、延命させている。でも、悲観な状態ではない。お盆前の、十日が誕生日。誕生日のお祝いをいただいた。毎年の、お祝いに、恐縮をしている。まだまだ元気にしている。喜怒哀楽の感情は、はつきりしている。
お寺の庭にある、さるすべり。季節は巡ってきている。花を見上げると、空は済んだ色だ。「年々歳々花相似たり、歳々年々、人同じからず」とか、在宅介護中のばあちゃんは、103才に向かっている。小生も歳なりの、老化も進んでいる。若い気分だけは、持ち続けることにしている。
お墓に行ったときにみている。身代りの、円形脱毛症だなぁと、思っている。お地蔵さまは、いろいろと、苦悩をしているように、思える。苦悩を掛けないよう、日々のことに、注意をしなくてはと、思っている。この円形脱毛症が、いつの日にか、治癒になるかなぁだ。
夕暮れまじかになり、玄関前で、迎え火を焚いた。精霊を迎えた。今月の十日に、102才になった生き仏さまがいる。まだまだ、元気だ。ばあちゃんに魔物が取りつき、8年がすきた。魔物が暴れなければ、穏やかにしている。その様は、仏のようにもみえる。苦労をかけているのを、承知している。そんな時は、感謝のありがとうを言う。申し訳なさそうな顔で云っている。はにかみ笑いの顔をみると、仏さまなのかと思う。
月遅れの、お盆になった。お墓の前で、迎え火を焚いた。おがらを焚くというのだが、花に水をさしたり、墓石に水をかけ、拭いたりしている間に、焚き終わってしまった。ひと足早く、おがらの煙にのって、精霊は、帰ったと思う。墓前は、秋風が、流れていた。盆の十三日といえば、暑いさなかなのだが、当地方は、涼風がふいている。
首が痛いほど、天井を見上げている。でも、ばあちゃんは、天井ではないようだ。首、痛くなるよぉと、手をあてるると、正面をみて、ニコーッと笑う。なにか、楽しいことを思い出しているようだ。一日一日を、延命している。食事をさせることが、一番なので、見た目も美味しそうに、娘は作っている。ばあちゃんも美味しく食べている。
テレビを見ていることが多い。でも、静かに眠っていることもある。目をつむっているときは、自分の行く末を、む考えているようだ。死んでしまったことを、思っているのかも。介護で、世話をかけているのも、考えているのかも。