八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

七十路徒然なるままに

2008年02月28日 20時57分35秒 | Weblog
明日29日は四年に一度の閏の日だ。旧暦、太陰暦には閏の月がある。約五年に二回の割合で、ひと月入れて調整をする。月の運行は1か月、29日か、30日、12か月で354日、太陰太陽暦の考え方だ。旧暦の日付けは、日常生活には使わないので、何も不便を感じない。まぁ、秋のお月見様の、十五夜だけは旧暦でなければならない。はるかぁ昔から、農暦としていたので、季節を考えるには、旧暦は都合がいい。ちょつとばかり、季節の商品を扱っていたので、季節を読むには、便利だ。旧暦から考えられる、季節の移ろいは、来年の春までは、ちょつと早めに訪れる。しかし、来年の晩春から、初夏以降は、ちょっと要注意だと思う。来月の三日は、桃の節供、雛祭りだ。もらい物の、桃の花枝は、色鮮やかできれいだ。温室栽培なのかなぁ-。雛祭りの夜の、お月様は、三日月で暗闇、「あかぁりをぉ つけぇましょぅ ぼんぼぉぉりにぃぃ-」と蛍光灯の明かりを消して歌えば、風情があると思う。小生のところは、雛段飾りをしないので、せめて、あられ菱餅を食べて白酒を一杯のむくらいかなぁ-。画像は本文とは別です。旧暦は以前にもブログをしました。
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七十路徒然なるままに

2008年02月24日 13時39分47秒 | Weblog
前回遠出のことをブログをした。長い距離を走行して、[ ここから いわき ]の看板を見るとホットする。このホットが気の緩みになって、注意することが散漫になってしまう。長距離でも、近くのときも、事故を起こさないように、気をつけている。今のところ、保険を使って処理した事故は、駐車している車に、擦りキズをつけて、修理したことが、一回あった。今まで無事故だと、安心してはいけない。事故を起こす可能性は必ずある。しかし、予防とゆうのか、不測の事体に対処することを、自覚する。車の性能も格段によくなり、居住性もよくなっている。事故を起こさないように、気をつける、これは自分の目で見たことの判断だ。『百里を行くものは九十里を半ばとす』 中国古典の言葉。帰着して、車からおりるまで、緊張感を持ち、地べたに足をおろしてから、ホットすることにしよう。
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七十路徒然なるままに

2008年02月22日 21時13分50秒 | Weblog
急の用件で、磐越道から郡山を経て、宇都宮の先の佐野藤岡インタ-までの、自動車道を走った。帰りは、須賀川インタ-をおりて、帰着した。単純的な計算だと、往復に5時間30分かかったと思う。国道を使えば10時間以上かかると思う。仙台に行くこともある。仙台も自動車道に近い時は、磐越道を使い、郡山から福島を経て、行ったときもあった。最近は仙台の南側の方なので、6号国道を行く。自動車道が完成している所へ行くのは、時間が節約できる。時間を無駄にしないことわざの『時は金なり』を実感している。画像はこのブログとは無関係です。
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新撰世の中

2008年02月19日 20時55分43秒 | Weblog
『禮されて 禮することは常なるぞ 禮欠くものもあるが 世の中』四年ほど前のこと。小生月いちゴルハァ-だが、今日はこっちの道をいこうかと、少し遠回りした。途中に葬儀場があった、「今日も葬儀があるなぁ-、あの苗字は昔ぁ-し俺のとこにいたなぁ」と通り過ぎた。ちょつと気になったので、帰り路に住所を見た。やはぁり昔ぁしにいた奴の父親だ。この父親は、三十五、六年前のことだ。胃潰瘍とかで、手術、血液が必要だ、と夜半に電話があった。翌日知人の先生に頼んで、高校生四人から血液を貰った。それでも足りないとゆうので、別の所に依頼した。その当時、すいぶんと頭を下げた記憶がある。その後は奴も退職して、
親のことは分からなかった。小生も別に気にもかけなかった。三十五年も過ぎて、この父親が、この世との別れをするのに、小生にこっちの道を通れと云ったのかなぁと、不思議に思っている。通夜に行って、奴と三十五、六年ぶりに会った。
よく虫の知らせとゆうが、あるのだなぁ-と、あの後は元気に暮らしていたそうだ。ちょつと嬉しいしい気持ちもしている。
画像とは関係のない、ブログです。

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七十路徒然なるままに

2008年02月16日 15時58分49秒 | Weblog
きのうの夕方、バイパスの南富岡トンネルの手前で、小生の車が急停止した。車の下のシャフトに麻袋状のものが、巻き込んでしまい、サイドブレ-キのワイヤ-にも、巻きついてしまったのだ。一車線が合流して二車線となるところでだ。三、四枚が左側で舞っているのを見ていた。これを見ながら走行した後だった。うしろに大型車が追ってきていたので、ちょつと早めにブレ-キを踏んでおいた。左前の車にあおられて、袋が飛んできた。回避しないで、とっさにブレ-キを踏むと、同時にロック状態となった。後続車に注意して路肩に移動をした。以前には石が飛んできて、フロントガラスが傷をつき、数万円がかかった。自分での故障ないと思うが、自分以外の原因での故障は、何が起こるかわからない。事故にならなくて良かったと、安堵している。JAFの救援はありがたかった。掲載の画像とは、まったく別のブログでした。
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七十路徒然なるままに

2008年02月13日 19時50分42秒 | Weblog
今日、近親を三十万億土とゆう遠い遠いところへ旅立つのを見送った。人生のはかなさとゆうのか、むなしさとゆうのを感じる。このような時に、よく、禅語百選を見る。そこからの引用です。『貧』『病』の逆境にも、人生の意味を実感したら、心は安らかになる、とある。人生の意味、小生七十の坂を下っていても解していない。まぜっかえせば、小生修行が足りないと思う。今は夜露も、空腹もしのげる。着るものも、季節に応じたのを着れる。今より以下になつても『貧』は辛抱をしなければならない。歌の文句に「ぼろを着てても心は錦---」とゆうのがあった。『病』はどうなるのだろう。時々診察してもらうお医者様に「きおつけるんだよ」と声をかけられれば、ほんとうに「お蔭さまで、ありがとうございます」と感謝する。いずれかに、大病になった時は、自分自身の責任である。周りの人々によって、また先祖様があっての今の自分が健康であるのだから、まぁ-、自分に心せよといましめること。目の前の現象だけでなく、寝ても覚めても、四六時中、「お蔭さまで」の感謝。心安らかな、人生の意味を尋ねることを、日々胆に命じる。鶏には失礼だが、三歩歩くと忘れてしまう。ちょつと逃がさせてください。
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七十路徒然なるままに

2008年02月06日 21時55分05秒 | Weblog
あしたは旧正月だ。今日午前中は、雪が舞って、午後は小雨になった。関東地方は、本格的な雪が降っているようだ。やはり寒い時期だ。当地方は、以前は雪が積もったことがある。近年は積もることはない。雪で苦労した話。かれこれ十年も前かな-。葬儀が自宅で行われていた頃。頼まれて雪のふる中、品を届けに葬儀の場所へ行った。はじめてのところなので、行く場所がわからない。ちょつと山あいの脇道に入ったところだった。携帯電話で、連絡をとりあっていた。その場所だ、とゆうのだが、あたり一面真っ白、花輪が見えるだろう、とゆうのだが、銀世界だった。脇道をちょつと入って、たどり着いた。携帯電話がかろうじて、繋がっていたので助かった。画像はウサギ、昭和38年、{1963年}お年玉切手です。
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七十路徒然なるままに

2008年02月04日 17時58分25秒 | Weblog
画像とは関係ない話。最近、高僧の話しのCDを聞いた。だいぶ前にあったもの。
その中に「お陰さまで」とゆうのがあった。そういえば近年使っていない。むかぁ-しには、「忙しいねぇ」と声をかけられて、「お蔭さまで」とか、「元気だねぇ」「お蔭さまで」と、かえしていた。もう久しく使っていない。「ありがとう」の感謝の意味があるので、これからは「お陰さまで」を使うことにする。「お蔭さまで」を使えば、自分自身も、前向きに生きられると感じた。
ところでこの画像、120年前かも、日本鉄道株式会社刊、機関車略図の中のものです。
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暦について

2008年02月02日 12時10分52秒 | Weblog
画像は昭和35年[1960年]のお年玉切手です。子[鼠]年から十二支は、始まるとか。他人の年齢は、干支を知っていれば分かる。プライバシィ-があるので、知らないほうがいいとと思う。小生、七十路といってブログをしている。厳密には、3才鯖を読んでいる。ちょつと戻して、十二支と十干を組み合わせて六十干支が、成り立っているとか、これは紀元前の古代中国で考えだされ、日本に伝えられた、と開運暦にあった。古代の時代からのものが現代も使っているので、更めて驚いている。画像の切手、いま、500円の値打ちがあとか。下書きしておいたものを、再掲載しました。
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暦について

2008年02月02日 12時10分06秒 | Weblog
画像は昭和35年[1960年]のお年玉切手です。子[鼠]年から十二支は、始まるとか。他人の年齢は、干支を知っていれば分かる。プライバシィ-があるので、知らないほうがいいとと思う。小生、七十路といってブログをしている。厳密には、3才鯖を読んでいる。ちょつと戻して、十二支と十干を組み合わせて六十干支が、成り立っているとか、これは紀元前の古代中国で考えだされ、日本に伝えられた、と開運暦にあった。古代の時代からのものが現代も使っているので、更めて驚いている。画像の切手、いま、500円の値打ちがあとか。
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