下記は、鴨志田義康著「いわきの伝説50選」より、抜粋しました。赤井の村里に、竜の化身の若者がいました。若者が近くの娘さんを嫁にしようと、願いましたが、竜の化身と知られ、許されませんでした。竜の化身の若者は、娘さんをさらって、竜宮へつれていき、乙姫様にしました。乙姫は、身ごもりました。が、ひどい難産で、何日も、もだえ苦しみました。海中の神々に、安産祈願をしましたが、ききめがありません。思い余って竜神が、赤井岳の薬師如来に、安産をお願したら、すぐさま苦痛は去り、乙姫は、無事、美しい子を生みました。安産に喜んだ竜神と乙姫は、薬師如来に、お灯明をあげました。このお灯明が、四倉の海に、数十の明かりとなって現れて、薬師堂に入るもので、竜灯と、名づけられました。「竜の火は 海路はるかにかよい来て 杉のこずえに 影はきえつつ」。「乙姫は 産のなやみに願かけて 幾世ささぐる 竜のともし火」。二首は、平藩の学者神林復所の詠歌。
閼伽井嶽薬師常福寺。現世の苦悩を、聞いてくれる仏様。蓮の花を形どった台座に、坐している。蓮の花の茎は、泥をかき分け、くぐり抜け、光を求めて水面に出て、花を咲かす。こんなことから、日常の苦悩に、光を当てて、導いてくれる仏様。薬師は、お医者さん。右手に万病に、薬効がある薬のツボを持っている。病気で苦しむ時に、お世話になる。話しかけると、右手のたなごころー「手の心」ーを向けて、安心をさせてくれるという。右と左に、菩薩様を、従えている。さしずめ、看護婦さんのようにもみえる。現世の願いを叶えてくれたり、日常の苦悩を聞いてくれたり、病気の苦悩を和らげたりしてくれる薬師さま。小生、今、老いの道を、とぼとぼ歩んでいる。昨年の法話からです。
今月の法話は、不慳貪―ふけんどん。一口には、「欲張らないこ」と、「つっけんどんにしない」という。日常生活をするのには、欲がつきものだ。慳の意味は、「惜しむ」、「けちけちする」、「しみつたれ」という。施すことも、大切なことでもある。もうひとつの、「つっけんどんにしない」は、相手に対して、暖かい心で接することという。まずは、自分自身が、大切にで、それが土台となる。難しい言葉だが、「不慳貪」の三文字が、常日頃のことと、解した。画像は、晩秋の冷たい小雨が降り始めた。見た目は、もうちょつと薄暗らかった。十一月は、木枯らしの季節、時雨や、小春日和で、お天気が変化する。落葉の木々もあり、うら淋しい季節になった。
ジャンルを、男の料理にしたので、なんだぁと、怒らないでね。知人から、どうぞと、いただいた。煮るのが、手っ取り早い。料理家の、土井善晴氏は、「レシピでは、表現しきれない複雑な手順より、感覚的にやったほうが、断然おいしくできる」という。また、「あわてず、ゆっくり煮るのが、美味しい」という。昨晩、砂糖と、醤油と、ほんだしで、だし汁を作り、冷たい煮汁から、煮て、とろ火ににしておき、忘れて、焼き焦がす寸前で、火を止めた。味付る砂糖も、醤油も、いろいろある。さつまいもを煮るレシピを、探しているより、感覚的な記憶で、料理する、これはいいと、納得をしている。「手前味噌」だ。
勤労感謝の日の今日、幣束を奉した。もともとは、太陰太陽暦の時代で、11月は冬至の月で、太陽が折り返しの、「一陽来復」。その年の、収穫に感謝をして、今年も、太陽の恵みに、感謝する日、新嘗祭の日だったとか、記憶している。間違っていたら、ご免なさい。小生の曽祖父は、魚漁で、曾祖母は、農業で、収穫に感謝していたのだろう。その名残で、幣束を、門口、玄関、水道、便所、氏神様に、奉じた。勤労感謝の日。11月23日は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに、感謝しあう日」と、1948年―昭和23年に、定めたという。幣束は、奉ずる場所によって、本幣、片幣、青幣、赤幣がある。赤飯も、神棚、井戸、氏神様に、供えた。神社によって、また、家例によって、祭りの日が違うこともあるようだ。
またまた、ジャンルを男の料理にした。スーパーの野菜の棚にあった。秋田美人ねぎなので、さぞかし美味だろうだった。ほとんどは、薬味にする。当地方のネギは、これからになる。年末に、今年もいただけるかも。販売はしていない。いただいたのは、薄く刻み、かつお節をぱらっと、醤油をちょろっとかけて、食べる。これが一番の美味だ。まあ、それは、さておいて、うどん、蕎麦、ラーメンの薬味として、添えている。豆腐とねぎの、味噌汁。これもいい。豆腐は、地産のもの。遅くに買い物にいくと、数個しか、残っていない時も。、「きぬ」と「もめん」、売り切れの時もある。料理家は、薬味のねぎは、添えるものによって、青いところと、白いところの、切り口を違わせているとか。きれいに切られていると、「いいうどん屋さんだなあ」と、料理家は云っている。これから冬の時期、「湯豆腐」に添える。
磐城七浜、新舞子浜。画像のあたりは、大津波災害前は、車窓越に、白波が見え、大海原が見えた。たまぁーには、季節によって、海釣りをしていた人もいた。近年は、波消しブロックが続き、砂浜が所によっては、消えていた。名称は、磐城海岸県立自然公園。一口に、新舞子と言っていた。キャンプ場があり、海水浴場が、連なっていた。大分前、かれこれ三十数年前だが、砂浜で、地引き網漁をしたことがあった。一回目の網には、まったく魚が入っていなかった。こども達ががっかりしていたので、好意によつて、二回目は、大漁。網が引き揚げられないので、見物していた人に、応援を頼み、「よいしょ、よいしょ」と、網を引いた。勿論、応援の人にも、魚のおすそわけ。懐かしい、風光明媚な、海岸だった。
順序が、逆になった。前掲の書は、「東郷平八郎」。日露戦争の、日本海海戦で、勝利をしたという。旗艦船で指揮をし、「敵艦見ゆ。---本日天気晴朗なれど、波高し」。「皇国興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と、全軍の士気を、鼓舞したという。この、東郷平八郎が書いたとされる掛け軸が、値打ちがあるのか、否かだが、素人目でも、前述のように、否と思う。本物ならばと、「糠喜び」を、また、している。
ずーうっと前からあった。真筆かもと思ったが、墨痕も紙も、つやが無いなぁだった。本物に似せるには、二つの方法があるようだ。双鉤塡墨ーそうこんてんぼくーとは、真筆に、薄い紙を重ね、細い筆で、点画の周りを克明に書き、その内を墨の色を潤うように、渇すれも、墨の色の濃い、淡いを正確に表現するように、墨を塗ることをだ。こうして書いたものが、真筆か否かが、鑑定されるのだと思う。画像の掛け軸は、「籠字」のもののようだ。籠字も、真筆に、薄い紙を重ね、細い筆で、点画の周りを丁寧に書く。輪郭の内を、墨で塗るという。画像の掛け軸は、仮り表装のようで、墨痕はにぶく、紙もつやがない。それでは、鑑定結果、本物ならば、----だが、1000円!。飾って眺めて、楽しんでください、だなぁ。
今年も、のこりあとひと月と、半分になった。画像は、1998年のカレカダー。12人が、描かれている。そのうちの一人。「小林浩美」。「日本女子プロゴルフ協会」設立30周年を、記念しての、パーティの記念品。当時、知人からいただいた。立派な箱に入っている。もったいなくて、使わなかった。ひっぱりだして、カシャッとした。