なぁ-んかの諺に「ない袖は振れぬ」とゆうのがあったような気がする。[袖はあるだろう][隠している袖を出せ]と云っていたようで、60日間過ぎたようだ。結局は無理に振らされて、一か月の歳入欠陥になったのかなぁ-。歳入が無ければあとはどうする。増税、借り入れ、債券の発行、結局は国民が、負担する。車のエネルギ-は、あしたから、TVのニュ-スで、減税分と原油の値上がりで、以前以上になるらしい。『あそこは駄目だから、俺に天下を取らせてくれ』『あなたの意思が、世の中が変わる』と煽てられて、その気になぁって『ハイィ、ソレマアァデェヨォ』かぁ。『コリァマァタシツレィシマシタ』。政党間の駆け引きで、政治がごたごたすると、景気も減速するようだ。我が身は世紀の変化、時代の変化で、吹けば飛ぶぅよぅな、状況だ。七十坂は悟りきつて、霞を食べることにしよう。「パン食べて」は、2006 8 26 にブログしました。
駄作の披露。『一花開き天下の春』山野は、枯れは色から、若芽が吹き出し、春の色、彩りになってきた。ちょつと霞がかかつている。五月五日は、立夏、立秋の前日、「八月六日」までが、暦の上では、夏の期間だ。実際には、六月五日頃からになるのだろうか。今年は季節のめぐりは早いと思う。この月は、気温が安定していると、いい陽気なのだが。気温の変化も、大きいこともある。そうすると、夏日、真夏日があったり、おそ霜がある月でもあるという。今年は、前半は気温も安定してよい行楽日和になるという。
先日テレビで『大返済の時代』とゆうのを見た。自治体の、公債のことだった。『広報いわき』の昨年の12月号を見ると、市債の残高が、2594億円あるとゆう。18年度の一般会計の決算では、26億円の黒字とある。「市税負担と市民サ-ビス」の欄を見ると、市民一人が、納税をした額の、2.6倍のサ-ビスを受けている、とある。ありがたいことだが、市債とゆうもので、サ-ビスを受けていると、思える。市債は、いずれ返済しなければならない。この「いわき市」はどうなるのかなぁ-。ちょつと不便、ちょつと我慢、ちょつと節約とかで、やっていくしか、ないのかなぁ-。それにしても、小生の家の前の市道のこと。昨年12月のブログした、市道の突起物の撤去の願いをしたょうに、むかぁ-しの下水路の跡が、そのままになっている市道の改修を、お願いをしたい。足場が悪く、歩行は、夜間は特に、要注意だ。「ここを直してちょうだいぃ-!」と云わないと駄目なのだろうね。駅前は、あそこの公園は、あの建物は、みんな綺麗になった。ここを直して頂戴。小生ちょつとやっかんでいる。
駄作の披露。『落花の舞』花吹雪のように花びらが舞っている様かな。四月になって、荒れた天気が多い。今日も肌寒い一日だつた。文字を書くのには、鉛筆、ボ-ルペン、万年筆があって、ワ-プロから、パソコンになって、文字が書ける。書体も明朝体があり、ゴジック体があり、行書体も書ける。ちょつと風情をだせるのは、毛筆で書くのもいいかなぁ-と思った。情景の雰囲気を感じればいいなぁ-と。紙に墨を含ませた筆で書く。すこし改まった気分になる。何枚も書いて、一枚を選ぶ。ちょつとした、趣味らしきもの。まぁ、「下手の横好き」で、ひとり善がっている。勿論、素人です。
駄作の披露。今年の賀状に使った。賀状には不釣合いとは、思ったが、よく『新春』の言葉で挨拶をすることもある。『山河四望の春』今の季節に、ぴったりの言葉だ。当地方は花吹雪が終わり、フロントガラス越に見る山野にも、若緑が目立つようになってきた。雑草なのか、冬の黒土の上に、緑色一色で、地面を覆うのが見える。『下萌えの野』とゆうのだそうだ。お天気の変化は、激しく、あしたは東海地方は、大雨との予報だ。「ひと雨ごとに暖かく」とか「若葉しぐれ」とかではなく、どさっっと降るようだ。今日は真夏日のところも、あったようだ。四月も後半にさしかかり、ゴ-ルテンウイ-クが真近くなり、一足とびに、初夏の風情になるのだろうか。
『閑静な一日こそ、この上もない人生の幸せと思う心境である。』沈周のことばと本にある。習字をしていた時の本を、あれこれと見ていた。目にとまつたので書いた。むかぁ-しは仕事で、熨斗の表書きをしなければならなかった。教場へ通っていた。今の時代は、たやすく印刷もできる。この大きさに書くのは難しい。なんでもそうなのだろうが。趣味とゆうほどではないが、筆も、墨も、紙もあったので書いてみたものです。
駄作の披露です。『不急不息』 ものの本によると、「牛歩のように急がず、休まず邁進に務めるように」、とある。何かを、長い年月をかけて、目的を持ってやる、とゆうことのようだ。長く続けるのが、身につくものと、思える。「継続は力なり」となることだ。小生の今は、「もう」なのか、「まだ」なのか。七十路を「登っているのか」、「下っているのか」。気にしているのだが、気にしてもしょうがない。今の自分に、戒めとすることにしょう。祖父の残した戒めの言葉に「勉学は、我が身をたつるもととなる、暇さえあれば、学べ世の中」がある。よくかみしめて、世に処せば、みなよくなると、祖父の言うなる。だがねぇ。
駄作の披露。よく色紙に書かれている言葉。禅語百選から引用すると、『一期は人間の一生、一会はただの一度の出会い。会ったときが別れなのだから、人には親切に、すべてに丁寧にあれとゆうことだ』そうです。『茶人の友を送って、また席に戻り名残の手前をするところに、茶と禅と人生の一連のつながりが、感じる』とある。茶道の言葉と思っていたが、禅の言葉でもあった。ちょっとばかり、本を読んでわかった。日本にも美しい言葉があり、これもまた奥の深い言葉でもある。修行が足りないから分らないと自省している。話は変わって、きのう、走行のフロントガラス越に、満開の桜見物をした。きょうはうって変わって、強風と強雨、四月上旬の季節の特異日の『春の荒れ』の現象だ。今、夜半前だが、ひゅぅぅ-、ひゆうぅぅ、ひゅう-と唸り、ぱた、バタ、パァッタ、パタッと雨風が激しい。スト-ブの燃焼音を背に書いてるところです。そういえば、今日はお釈迦様の誕生日。『天上天下唯我独尊』と云ったとか。チベットでは、赤い法衣の佛徒等は、なにか大変なこととニュ-スで見ている。よく分らないけど。
この写真は三月の中旬の頃のもの。夏井川から、小川江筋の水の取り入れ口がある所。今はきっと、桜が満開だろう。前に写真を掲載した、籠場の滝の下流になる。小川江筋は、三百五、六十年前ころ、日照りが続き、数年間凶作だったあと、堀り進めたという。日常何気なく、通行しているところだ。ほかのそれぞれの土地にも、その地、その地の、歴史の史実があり、中には伝説もある。場所によっては、地名の由来もある。勿論文化遺産もある。探訪してもおもしろいと思っている。