今年の春は、当地方は、風が吹きあれて、肌寒かった日が多いと思う。画像は、昨年の今頃、カシャッとしたもの。今年の花は未だのようだ。鉢植えだったが、花が終わってから、地植えにした。連休、連休と、テレビは報じている。いろいろの花の見ごろも、報じている。東北地方の北の方では、さくらが満開になり、賑わいを報じている。季節区分の、七十二候では、蛙が鳴き出すころとか、みみずがはいだすころ、とかになる。早いもので、今年も、三分の一が、終わった。季節の巡りの早さを感じている。別の話だが、日本中、世界中、なんか騒がしい。身の周りも、知り合いも、なんか晴れ晴れしいこともない。前述の廃業もあるなぁ。気落ちしないで、前を向いて、八十路を、とぼとぼ行く。
画像は、5年前に、社屋を解体した時の、神事の供えもの。長年の営業をした場所だったので、神棚の撤去もあり、気持ちの整理をした。ちょうど得意先のひとりが、来客していたので、神事に立ち会っていただいた。神主のお祓いのあと、柱に、のこぎりで、筋をつけ、出入り口も、古い井戸があった記憶をしていたので、その場所も、お祓いをした。取扱い商品の縮小をして、別の場所で、営業をしていた。その場所も、今日で終了とした。昨日、商品の問い合わせがあったので、完全に廃業と伝えると、それでは、もう会えなくなるので、今から顔を見にくるという。小一時間、車をとばして来た。お互いに、ありがとうと述べ、元気にしてなぁと。「へぼゴルフ記」とか、「やそじおりおりに」とか、小冊子を送っていたので、以後なにか作ったら送ってくれ、待っているからで、別れた。今、諸々のことに感謝をしている。
サイレンに、びっくりした。近所の人が、足腰が弱って、具合が悪いのかなぁと、時々、出合えば、挨拶だけはする。その人のようだ。夜遅い時間に、緊急入院と思う。誰もが健康で、過ごせれば、これに越したことはない。在宅のばあちゃんが、いつ、救急車の世話になるのかと、心配はしている。ばあちゃんの顔色に、注意をしている。具合が悪くなった時は、早めの判断をするのが、大事なことと、思っている。
もうすぐ五月になる。きょうも、北風が吹き荒れている。数日前に、撮ったさくらだが、離れているところからみると、若葉になっている、。昨年は、花が散って、足元に花弁が、敷き詰められていた。今年は風で、どっかへ飛んでいってしまった。日本各地、穏やかな春のところもある。当地方は、風が吹き荒れる日が、多いように思う。別の話しだが、なんとか学園やら、東北でよかったとか、なんか、がたがたしているのかなぁ。ミサイルが飛んできたら、防災放送があるとか、弱いところを攻撃するのが、順当ならば、日本は危ういかぁ。穏やかに収まるか、収まれないのか。ちょっと、気をもんでいる。10日も過ぎれば、「立夏」になる。ここのところ、陽光を待っている。
在宅介護中の、ばあちゃんの実家から、いただいた最後の一本のねぎ。春の彼岸に、仏壇に線香をあげてきた。その際、いわきねぎをいただいて、数本づつ新聞紙にくるんで、保存をしていた。切り口が、きれいだなぁと、見てカシャッとした。以前は、出荷をしていたが、近年は、自家消費用に、育てていたのを、いただいている。ばあちゃんが元気だったころ、夕食の食卓に、薄く刻み、かつお節と薄口しょうゆを、ちょろっとかけて食べる。「ゆっくり食べなぁ」と言われて、器と箸を両手に持ち、ふぅっと真顔になった。そのしぐさがおかしく、家族みんなで、大笑いをした。そのばあちゃんは、102歳と8か月がすぎた。まだまだ、元気でいるようだ。時々、おしゃべりの相手をすると、なにか、「じっちさん、ばっぱぁさん」のことや、「のぶあきあんちゃぁん、つぐえねぇちゃぁーん」とか、親兄弟のことを、思い出していて、話している。戦時中の疎開と、戦後の子育てで、すぐ上の姉は、亡くなっている。それは覚えている。「もとよは、死んだぁ」と云う。いわきねぎ、美味しいですよぉ。でも、売ってないのが、残念。
空は、薄ら寒く見える。街中に立っている煙突。この家は、昔ぁしは、お酒を造っていたのかも。あちこちと、桜を見るのに、歩いて、きょろきょろしていた。ここのところの、強風でも、大丈夫だったんだなぁと、見上げた。
「花に嵐」。ここのところ、冷たい北風が、吹き荒れている。風が弱まったと、見上げた空に、飛行機雲が、方角が、あっちこっちと三筋、薄曇りの空に、尾を引いて、ぼやけて消えた。「花に嵐」は、よいことには、往々にして、邪魔が入りやすいことのたとえという。劣化している脳味噌には、難しいこと考えないことが、一番だと、自覚はしているが、です。「花より団子」、このほうが、いい。「はな」ついでに、「鼻へ食うと長者になる」とか。灯火の油代を惜しみ、明かりをともさずに、暗闇のなかで、食事をして、口とまちがえて、鼻へ食べ物をいれてしまうほどの倹約家ならば、金持ちになるということ、という。これならば、できそうだが、見た目でおいしく食べることのほうがいい。またまた、まぜっかえしたことを、書いている。そうそう、画像は、社殿の屋根越しの桜。
この画像は、一週間前に、カシャッとした。大きな樹ではないが、見事に満開になっていた。細長い緑地帯の中に、周りの木々は、枝先の葉の芽がふくらんでいた。ここのところ、安定した春にはなっていない。なんか、おかしな、お天気が続くなぁと、思っている。
「世の中は、三日見ぬ間の 桜かな」。俳句にあったように、記憶している。ここのところ、風が吹き荒れて、近所で、被害がでている。桜見物と、しゃれていなかったので、近所の神社の桜を見にいった。去年は、穏やかな陽光だったのか、足元に、花弁が、真っ白に積もっていた。今年は風で、吹き飛ばされてしまっていた。枝先をみると、若葉が、緑緑と花を、おしのけていた。当地方、肌寒い日だが、季節は巡ってきている。
平地は、桜が、満開の木々もある。種類によって、満開になる時期が、違うのだろう。境内はの桜は、まだつぼみだった。若い夫婦が、安産のお礼だったのか、真っ赤な産着の赤ちゃんを抱いて、おりてきた。初孫なのか、あやしながら、にこやかに笑いながら、頬をちょんちょんとついている。昼過ぎは、子どもを連れた一家の、話し声が、境内に響いていた。今月の法話は、「不殺生」のこと。木々も、動物も、昆虫も、皆いきている。しかし、人間は、野菜、果物、魚、肉類と、生きているものを、いただいて、生きている。それらに、感謝をすることが、大切なことだ、との法話だった。境内は、春まだ早い木々なのだが、薄曇りだか、おだやかだった。
画像は、閼伽井嶽薬師常福寺の、掲示板をカシャッとした。生きるには、食べることと、心の持ちようなのだろう。健康の心配事はある。体は、歳なりに老化している。この歳になれば、体に無理なことも、しなくなる。月に一回行くお医者さんは、「ご飯は美味しく食べてますか」と、問う。細々と、食事をしていれば、体にいいと思う。月に一回だけなのだが、写経で、平穏な、日々を願っている。
市役所から、原子力防災の手引きが、配布された。万が一の時は、150キロ先の高校をめざして、避難するようにとある。再度、万が一の、原発事故が発生をした時は、早めに、移動をはじめるか。道路は、車で埋め尽くされ、走ることは、できないと思う。いわき市全域に避難の指示があれば、いわき市以外の地域も、避難すると思う。車は動けない。ガソリンの事も心配する。準備を考えておけば、安心をする。再度の原発事故が起きないよう、願っている。
近々、ドットプリンターも、廃棄の予定。一ページごとの表題を、プリントした。ハードは、1500ページあるので、どこにどんなデーターが、記録されていたのか、紙に打ち出してみた。必要なものがあれば、移しかえる。フロッピーに書きこむのだが、そのフロッピーも、エラーになるのがある。時代遅れのことやってんだなぁって、自嘲をしている。
当時、ウインドウズのXPが、無くなるというので、家電店を探して歩いた。店員さんに、XPはと聞くと、笑われた。ある家電店では、別売りのがあるというので、買った。でもマイツールは、どんな機種でも、動くようになっていた。マイツールを販売していたリコーには、マイツールのことをわかっている人は、いないいう。いまどきは、笑われること。