画像は、先日家電店から届いた冷蔵庫。当初は、町の電気店へ注文をしたが、在庫不足で納品までかなりの日数がかかるので、家電店へどうぞとなった。家電店でも、メーカーへの発注になるとのことだった。家電店の閉店時刻近くだったが、家電店に営業に来ていた p社の営業マンへ対応を依頼したとのことで、後日、メーカーからの連絡ということだつた。注文をした日のあと、五日目で届いた。数万円の修理料金ならばと考えて、冷蔵庫の修理が出来るか否かを診断を願ったら、約9万円の修理になる。ならば、買い替えの検討は、どうですかだった。ほぼ10年ちょっと使用していた。冷蔵庫は、サブ的に使っていた中型と、急遽、古い小型のへ通電して使い、待っていた。表題の連鎖は、オーブンの故障から始まり、洗濯機の故障、炊飯器の故障、今回の冷蔵庫と、故障が連鎖している。修理に来た人に、このテレビはと問うと、そろそろとかなぁだった。洗濯機の事は、以前に載せたように、八年目頃に、一回修理をして、15年間ほど使った。今回の冷蔵庫は、ガスとモーターがダメとのことだつた。電気製品の故障の連鎖は、続くかも。もう一つ、車検で、後部車輪の右左のショックアブソバーの油圧不足とかで、後日部品交換になる。この出費で、連鎖が止まればと、願っている。
MSーDOS時代に描いたものです。DOSは、ウインドウズの前もので、役目は終わっている。この画像と、全く同じ図柄のものは、前にも載せている。[2022ー12ー24日と、2021ー11ー9日 など]。今の時代は、エクセルを使っての、絵画で、コンクールも開催されているとか。画像の事は、背景を描き、フロッピーに保存をする。フロッピーを読んで修正をして保存をする。これの繰り返しで、描く。マウスで描いた線の色を、替え色をして保存の繰り返し、いいと思う背景を読んで、消しゴムで文字の輪郭を削る、保存をするの繰り返し。紙に印刷をしてながめる。紙に印刷をするのを繰り返すと、インクリボンなので、色が濁ってしまう。画像のものは、インクリボンが新品の真っ新なのを使った。MSーDOSの時代の、ある時、マイツールユーザーズクラブの、東北ブロックのセミナーと懇親会があった。出席者が賞品を持ちより、ビンゴゲームをするので、画像の画を、表装を専門に依頼をして、額装したのを、賞品とした。画像の色のものは、最近、身辺整理中に出てきた。色の劣化が無かったなぁと、ながめている。その後になって、エクセルを使って、描画をしてみた。ちょこらそっとでは、ダメ、「石の上にも三年」とか、続けられなかった。またまたの、ひけらかしで、ご容赦のほど。
画像は、先日の燈籠流しの、ピンボケ。燈籠が、川面をゆっくりゆっくり流れていった。流れるのをみながら、現世からあの世に行くには、死者は旅装束をして、三途の川を、七日間かけて、渡るというのを、思いながら、見ていた。死後の世界は、なんか恐ろしいイメージがある。三途の川を渡ると、極楽浄土があるとか。「因果応報」ということで、三途の川を渡り切った地点で、生前のことで、「因」と「果」に振り分けられるという。「果」という「果報」により、極楽へ行くのかも。ばあちゃんは、十万億土の浄土に戻ったことだろう。まったく理解していないことだが、「十万億」は、古代の中国にあった数え方の一つと読んだ。現代の数え方の「10兆」と同じと読んだ。また、十万億土を、辞典を読むと、「娑婆、すなわちこの世から、極楽浄土にいたるまでの間に無数にあるという仏土。転じて、極楽浄土のこと」と読んだ。仏教には、「輪廻転生」ー「人は死んだ後に、ふたたび生き返る」ーという思想がある、とも読んだ。この夏の燈籠流しで、没後の一年間の法事が終わった。あとは、来年の夏に、三年忌の追善供養になる。
昨日から、東京電力福島第一原発に、たまり続けている処理水の放出が、大きく報道されている。TEPCOからのお知らせを読むと、多核種除去設備で、62種類の放射性物質を除去していると読んだ。一つだけ、トリチウムは、自然界に広く存在する物質で、酸素と結びつき水と同じ形で存在するため、取り除くことか極めて難しいと、読んだ。これを希釈して、海に流すという。小生の居住地は、内陸部で、原発からは、ほぼ40キロメートル離れている。事故の直接の被害はない。原発事故のあとは、間接には、過大の影響はあった。食べることは、普通の生活をしている。食べるもので、米や野菜は、地元生産の物、時期時期の旬の物なので、美味しい。魚も、常磐ものといって、これまた美味い。高級魚になると思うので、時々食べる。人それぞれの考え方があって、地元の物は、食べないという人もいる。原発事故のあと、市役所からのお知らせを、隣組に配布していた時に「放射線は、恐ろしい」という人がいた。そんな時は、「細胞分裂をして、成長するのは、とっくの昔に終わっているので、心配はない。若い人は注意でしょうね」と話をしていた。「水は三尺流るれば清くなる」とか。
昨日は、川面を流れて、彼の地へ戻った。いわき市の夏の最後の行事の、燈籠流しと、花火大会だった。燈籠流しの最後の頃に、当日申し込みの分があったので、合わせて二基流した。川面をゆったりゆったり流れて、戻っていった。ばあちゃんの生家は、川向かいの堤防のすぐ先なので、子供の頃、堤防から見ていたのを、思い出しながら、戻ったのだろう。河川敷は、満員。笠踊り、じゃんがらの舞台は、少し下流で、音を鑑賞して、花火を待っていた。この行事は、行政区の一つの地区の行事が、大きな行事になったとか。一つの行政区では、荷が重いだろうと、感じた。部外者が、とやかく言うのは、失礼なこと。何かもっと、期待されるようにと、思っている。多くの見物客なので、周りの仕事、警備、交通整理など、かなりの労力が必要なのだろう。欲を言って、ごめんなさい。主催者等々、多くの方々に、感謝しております、
画像は、我が家での、お盆の十三日に、じゃんがら念仏踊りで、供養をしていただいた時のもの。今日、20日は、夏井川での、燈籠流しに、ばあちゃんの戒名が、書いてある燈籠を受け取って、流す。新盆なのでと、申し込んだ。係の方は、是非お出で下さいだった。燈籠は、開催地区のこどもさんたちが作り、準備してあるという。念願の夏井川に、流すことができる。夏井川燈籠流し花火大会は、第105回になるという。ばあちゃんは、108歳で没したので、ばあちゃんが、三歳ころに始まったので、子どもの頃は、親と一緒に楽しんでいたのかも。燈籠流しの場所は、川向かいで、ばあちゃんが嫁入りするまでは、この大会を楽しんでいたのかも。小生も、ばあちゃんの生家に招かれ、堤防に腰を下ろし、西瓜をご馳走になった。燈籠流しの後に、花火大会があり、ばあちゃんの分として、一つ花火が上がる。残暑厳しい中、大会の準備から開催と、多くの方々の手で、盛況になる。ありがたいことと、感謝している。燈籠流しは、先祖様の霊を、海の彼方の、十万億の西方浄土に送りだすと読んだ。この燈籠流しで、没後の我が家での、一連の法事は終わる。このあとは、追善供養を忘れないことだなぁ。彼の世でのことは、和尚さんに、導いていただくだけになる。「閻魔様」は、ばあちゃんを、どんな裁きを下したのかなぁ、地獄かなぁ、極楽かなぁ。人には、迷惑をかけていないと思う。近所に住んでいた一人の女性が、転居するのでと、ばあちゃんに、わざわざ挨拶に来たことがある。祖父が書き残したのに、「閻魔様、地獄極楽よく調ぶ、悪事はできぬ 今の世の中」がある。「天知る地知る我知る人知る」だなぁ。
画像は、盆の入り13日に撮った。花は終わりになるようだ。七月の九日に、お寺に行った時には咲いていたと思う。我が家でも、明日の夏井川燈籠流しで、一連の新盆の行事が終わる。燈籠流しの後の花火大会で、いわき市の夏の行事が終る。今日も暑い。一雨欲しい。当地方の日の入りが、18時24分頃なので、夏至の日の入りの時刻からは35分早くなっている。日中の最高気温の平年値も、下がり始めている。でも、残暑は厳しい。節気の七十二候の、八月の十八日から、二十二日は、「蒙霧升降」ーふかききりまとうー。ある本には、「寒蝉鳴」ーあきのむしがねなきはじめるー、とある。「寒蝉鳴」は、立秋の次候と、読んだのもある。「霧」は、街中では見られない。「霧」は、春の「霞」と同じという。「霧」の表現は、「秋霧」、「朝霧」、「夜霧」、「狭霧」等、風情がある。八月の23日は、「処暑」とあり、暑さがやわらぎ、朝に吹く風で、秋を感じ、夜になって秋の虫の鳴き声で、秋を感じる頃となる。暑苦しい暑苦しいと過ごし、八月が終われは、すぐに九月、十月、十一月、十二月になる。「歳月、人を待たず」ですね。
昨16日に、精霊送りをした。係の方も、朝といつても、汗が噴き出す暑さの中、精霊が無事に済んだ。我が家では、精霊が二つなので、気持ち分を多く供えをした。今日の午前中に、盆棚の撤去だった。盆棚の設置と撤去、返礼品の手配などなど、仕事だといっても、世話になった。じやんがら念仏踊りも、世話になった。和尚さんの、お勤めも、暑い最中だった。いろいろの方に、世話になった。昨日の日入り過ぎに、送り火。でも、風が吹き荒れていたので、火が燃え上がりした後、消火をした。炎が地を掃くようにたなびき、危険だった。一応は、周りは打ち水をしておいた。別のこと。台風の影響で被害があった方々に、お見舞い申し上げます。お盆の前も後も、多くの方が移動に困難の状況を、ニュースで見て、お見舞い申し上げます。世の中が、穏やかになるのは、いつのことやら。自然現象は、仕方がないこと。あとひと月で、彼岸になる。暑さはまだまだ続くようでだ。秋の虫の鳴き声が、ちょこっと聞こえたが、連日の暑さは、夜になっても暑い。秋の虫も、へばっているのかも。風が吹き荒れているが、熱風、秋風が欲しい。
画像は、知人の女性が、ホワイトボードに書き残したもの。来客に対応していたので、気が付かなかった。昨日は、初盆。「じゃんがら念仏踊り」で、午後のいちの暑い最中に、供養をしてもらった。太鼓を打つ手が中心に三人、鉦を打つ手が十五人。踊りの始まりは、太鼓の音も鉦の音も、念仏を唱える声に合わせて、静かに始まった。鉦をたたく、太鼓をたたく、太鼓を打つてが、上へ下へに合わせて、打つ音が強く、柔らかく、鉦の音も強く、柔らかくを、繰り返して、「ぶっつけ」になり、掛け声も、三つの太鼓も、一つの音に、十五の鉦の音も、一つになり、十八人の念仏の声も一つになって、終盤になった。これを五回繰り返して、「どっどつどっとっとと、チャーン」で終わった。会の世話役が、入場の時同じく、会の名入り提灯を掲げ、先導して退場になった。ばあちゃんは縁側で、小さい遺影が、踊り手の正面で、供養をしていただいた。画像の事の女性は、写経会で、顔を合わせていた。拙い冊子で、ばあちゃんの事を読み、百歳の時は、祝いの言葉を戴き、綴り込んだ。毎年、誕生日に頂く、水ようかんと饅頭は、お喋りが出来ていた頃は、「ありがてぇなぁ」と感謝をしていた。昨日、遠方からで、線香を手向けていたたき、じゃんがらを待つ間、昼の腹ごしらぇの部屋に一人置きしてしまつた。その間に、作歌をして、ホワイトボードに、書き残して戻った。「じゃんがらの 鎮魂のかね 空を舞う 母の姿 しばしみる」。と読んだ。読み間違ってるかも。今日は、和尚さんの読経があり、焼香にくる方の接待もある。
ちょつと早いが、数年前に撮った、迎え火を載せた。昨年一昨年は、風が吹き荒れて、早々に消火をした。これを撮った時は、穏やかだったが、火が風を呼ぶのか、飛び散らないように注意と、辺りには水を撒いておいた。「おがらー麻殻ー」を焚くの本来のようで、燃え殻が軽く、ちょっとの風でも、ころころころと、火玉になって転がる。迎え盆の墓前で焚き、もどって家の前で焚く。先祖の霊は、迎え火を頼りに帰ってくるという。16日には、再び火を焚いて、精霊を送る。我が家では、20日に戒名を祈祷していただき、燈籠舟に貼って精霊流しになる。これは先日依頼を済ませた。送り火で有名な京都五山の「大文字焼き」、「大文字」に、続いて「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」が、燃やされ送り火になると、読んだ。これは、山への精霊送りという。「大」の字は、仏教では、「人体」を表すという。人体に巣を食う煩悩を焼き尽くすという意味があると読んだ。別の事。「大」に「一」を付けた足すと「天」になる。「二」の字に「人」を書き足すと、「夫」になる。「夫」は、「天」を突き抜けるほど、威厳がある。これは落語の「まくら」からです。何代目の円歌の話しにあったと思う。たまぁーに聞いている落語なので、間違っていたらゴメンナサイ。「一難去ってまた一難」、台風が襲ってくるようで、お盆中荒れた天気になるのかと、心配をしている。悪の連鎖の「マヒ―の法則」は、断ち切れるればいいのだがなあです。
昨日、胡蝶蘭が届いて、精霊棚に明かりを灯した。あと一つ生花が届く。十三日からは、没後の供養のお盆になる。昨日は、命日だったので墓参。毎年暑い盛りの命日墓参と、盆参りが続くなぁ。家から一人去る寂しい変化に慣れてきた。精霊棚のばあちゃんの写真に、「じっちさんとばっぱぁさんに、無事に逢えたかぁ」と、問うてみた。介護が続いていたある夕食の時、ベットの脇で、ちょこっとお喋りしていた。「ばあちゃん、ご飯だって」というと、「うなぎかぁ」と、真顔で云った。「今日は、魚だよぉ」で、卓の膳を見廻し、「魚かぁ」と、がっかりした顔を見て、噴き出し笑ってしまった。「ウナギはまたねぇ」なので、自分でも可笑しかつたのか、「わっはっはぁわつはつはぁ」っと、笑いだしていた。妻は、介護中は、普通食を、砕いたて食べやすくしたり、普通の味をと、工夫をして食べさせていた。介護用の食品は、見た目も普通食状のもので、食べさせていた。食べさせていたので、食べることに悔やみはない。今月の二十日は、夏井川での精霊流しも、依頼が済んでいる。これが終わっれば、一段落となる。ちょっとは、のんびりできるようだ。
画像は、2013年八月にも載せた。この念仏踊りが、盆踊りになっていったようだ。我が家では、明日がばあちゃんの命日で、すぐに盂蘭盆になる。彼の世に旅立ってからの見送りが、区切りになる。彼の世の事は分からない。現世で出来る供養の、仏教の行事が、盂蘭盆が区切りとするのかも。一年間の供養の行事が終わる。別のこと。ばあちゃんが百歳を過ぎたころ、車椅子に乗り、ぽつねんとしていたのをみた。目を見開いて、天井をまじまじと見ていた。おしゃべりついでの時、「死んだ方がいいべぇ」というので、「じっちさんとばっばさんが、三千子ぉっと、呼びにくるから、その時、行くんだよぉ」と、言い聞かせをしていた。そのことが頭にあったのかも。気付きもせず、瞬きもしないで、じいーっと天井を見ていた。ある時は、涙が一筋流れていた。「大丈夫、大丈夫だょ」と、肩をトントンとたたいて慰めた。うんうんとうなずいていた。生きているのが、迷惑をかけていると思っていたのかも。ずうーつと前の元気だったころ、小生がゴルフに、早朝にあわただしくおにぎりをほおばっていたのを、「そんなに慌てないで、ゆっくり気を付けていけよぉ。お土産は、洗濯物だっぺぇ」と、送り出された。介護は直接手は掛けなかつたが、排便で、オマルにさせるには、ベットからの移乗にリフトを使っていたので、リフトの扱いはしていた。在宅介護は、終わりが分からいのでも、あと少しあと少しで、十四年になった。在宅介護が終われば、のんびりできるなぁでいたが、将来の我が身の不安が、増してくる。
画像は以前に撮ったものを、自己盗用で、「じゃんがら念仏」を、辞典をめくると、「福島県いわき市を中心に盆に行われる芸能。鉦と太鼓の踊り、念仏歌による手踊りなどがある」と、読んだ。太鼓を打つ三人を中心に、周りを鉦をたたきながら踊り手が十数人とで、構成されている。太鼓が、ドドンドドンドドンガドンドンと打つ調子と、鉦を打つ、チャンキチャンキチャンキチャンキの音も、お盆の風物詩。会長が名入れの提灯を掲げ一列になって、太鼓や鉦を打ちながら近かずいて来る。会長が仏壇に焼香して、一行が拝礼し、太鼓を囲むように円陣を作る。念仏歌の「ハーハーハーハイ モーホーホーホイ ハーハハーハー、 ー後略ー。 「盆でば 米のめし おつけば茄子汁 十六ささげぎの よごしは どうだい」ー「オセーオセー」、と唱える。カタカナは、妙な文句を唄う。ひとわたりして、止め太鼓になって、終る。会長が挨拶をして、先頭になり退場になる。「いわき市史をめくると、「盆でば米のめしーー」は、元歌のようで、「念仏申したって だてには申さぬ 仏の供養だ 南無阿弥陀仏」とか、「盆が来たとて なにうれしかろ 袷ほどいて 縫うひとえもの」と、地区地区にいろいろとあると読んだ。「じゃんがら」の由来は、はげしい鉦の音からでた名称であろうとある。我が家には、13日の昼過ぎを予定してあると、連絡があった。
昨日、精霊棚の設置になつた。八日は命日になる。一周忌は先月にすませた。あの日も暑かったなぁと、思い出している。没する前々日は、入浴サービスの日で、車椅子からベットへ移す、ベットの縁に腰かけさせて、背中と腕と足を、ごしごしごしと、マッサージをしてやった。「ばあちゃん、食べねぇから、痩せきれちったぞぉ」と、声をかけた。「うんうん」と、うなずいていた。生きていた時の、週に一度の恒例だった。おしゃべりが出来なくなってからのある時、「ばあちゃん、俺が彼の世にいつた時は、俺の背中を、揉んでもらえっけぇ」と、聞くと、分かっていんのかどうか、「うんうん」と、うなずいていた。このマッサージは気持ちいいのか、背中をまるめ、ちょこっとあごを突き出して、おちょぼ口をしたいた。夜明け前の、この世との別れの時、訪問していただいたお医者さんが、「長い年月のーー」と、ねぎらいの言葉を、夫婦と孫とが茫然と、しばし聞いていた。お医者さんが戻っあと、皆が無言のまま、ばあちゃんの顔をなでたり、手をさすったりと、涙涙が流れるままだった。お医者さんに玄関先で、礼を申し上げた。その日も暑くなりそうな、夏の薄す夜明けだった。
八月になりましたね。「歳月、人を待たず」、「光陰、矢の如し」、「光陰、人を待たず」、日日は、どんどんどんと、過ぎていきますね。毎日が日曜日なんて言うのは、とっくの昔のこと。暇に慣れ過ぎてしまえば、こんなものかぁでいる。人間、何もしないで、時をすごすほど、哀れなのだろう。ぼけぇっとしているのは、老化の現象。何か自分に課すものが、あればいいのだろうと、分かっちゃいるけどだなぁです。例によって、七月の当地方の、気温のグラフを載せました。グラフの右上がりの二本の斜線は、日中の最低気温と最高気温の平年値です。黄緑色の部分は、平年値より高い日。上側の橙色に塗布してあるのは、当地の小名浜での最高気温で高い日。その上側の赤い部分は、当地の山田町での、最高気温を観測した値。小名浜は、海側で、山田町は、内陸に位置している。小生の居住地は、山田町の気温なのだろう。書き残してた過去の八月は、「雷雨」、「八月豪雨」、「記録的な猛暑」、「北冷西猛暑」、「低温情報三回」、「夏どこえ」とある。今年の八月は、どんなお天気なのかなぁ。遠くの方で台風の動きは、迷走するのかなぁ。夏の台風の動きは、停滞したりと、複雑なのかも。当地では、6日から八日まで、七夕祭りで賑やか。雨が降らなければ、いいがなぁです。