日常の暮らしは、カレンダーで、生活をしている。なにも不自由はない。春が早く訪れても、別になにもない。仕事をしていたときは、暑い寒いは、物の売れ行きに影響があった。今は、なんの影響はない。今日は、旧暦で、一月一日。春の季節になる。去年より12日早い。ちなみに、来年は20日遅く、二月16日が、旧暦の一月一日になる。今年は旧暦の五月が、閏五月もある。芭蕉の俳句に、「五月雨を あつめて早し 最上川」とある。梅雨の季節が、二か月続く。洗濯物を乾燥させる電気料金がかさむのかも。へそ曲がりで、画像をのせた。ちょっと、荒っぽい字だなぁと改めてみている。近々、春の訪れに合うのを探して、取りかえる。何か書いてみようとも、考えている。
一年ぶりに、早送りしながら見た。「おやっ」と思い、カシャッとした。ゴットハァーザーPARTⅡの一場面。VHSのテープに録画をしたものを見たり、DVDに録画をしたのをもたり、そのうえ、市販していたのを買ってみたりしていた。PARTⅠ、Ⅱ、Ⅲと、全巻を見るには、長い時間が必要だ。正月のような、何もすることが無い時に、見ていた。筋書は見えていても、毎回、なるほどなるほどと、感心をしながら、みている。
昭和50年に買った「書道芸術」の第20巻、「良寛」より。カシャッとした。月に一度の写経会は、冬季の休み中。ちょっと思い出して、ほこりをからいのけて、開いてみた。別の「書道基本用語詞典」-中教出版ー「良寛」の書風についてを読む。「字形は整斉とはいえないが、崩れていない。線は細い。細いが筆力があり、清く澄んでいる。無欲恬淡の人であった。それゆえ、清澄な線を書くことができた」とある。これを読んだあと、頭を、ごぉごぉーんと、殴られた気分になった。
へぼゴルフポツポツ記の、表紙。前にも書いたが、結局この字にした。何回も書いてみたが、どうも駄目。試しに左手で書いた最初のものにした。それがよかったと思う。仕事で使っていた、二つ折りの名刺で、社名、氏名をめくると、「知遠」と筆書きの文字が、見えるようにした。この文字も、試し書きしたものだった。筆で、文字を書くのも、面白い。そのくせ、年賀はがきは、印刷したものですましている。
早いもので、20日になる。冬の節気の大寒になる。節気では、小寒から大寒、そして立春になる。小寒から立春の前日までが、12月なので、冬の季節が終わる。テレビでは、この冬一番の寒気がくると報じている。もうすぐ春の便りが聞こえてくるようだ。正月の三日に、三島八幡神社で、祈祷をしてきた。義弟の、数え歳での傘寿と、義妹の満の歳での古稀になり、妻の数え年での喜寿、義妹の、神体堅固の、祈祷をした。例年通りに、我が家一家のお札は受けている。神棚にかかげてあれは、安心をしていられる。画像は、神殿の中。
北風で、空気が澄み、約300メートル先のイルミネーションを、カシャッとした。コンパクト一眼レフの、標準装備のレンズでも、たいしたもんだなぁと感心をしている。ものは試しと、撮影をした。原発事故で、避難地域の桜の名所を、アピールするとのことと、聞いた満開の桜を模したとか。現代版、枯れ木に花を、咲かせましょう。いわき駅前の大通りは、明るく華やいでいる。
わぁー、雪が降りだしたなぁと、眺めていたら、雲の切れ間から、おひさまの光が見えた。急ぎカシャッとした。晴れているのに雪がまえば、「風花け」と言うようだ。この降り方は、ふっかけ雪のようだった。家々の屋根が、車にも雪が積もりだした。でも、夕方には溶けてしまった。近年は、いわき地方は、積雪で苦労することはない。温暖化なのだろうか。山間いに、出かけることがなくなり、積雪の上を走行することもない。今は、雪降りを、風流だぁとながめている。
信号待ちをしていた時、カシャッとした。なにも雪が降ってきたのに、走行しなくてもいいと、思うが、約束の時間に、ゆとりを持って走りだした。バイパス道路は、案の定、普段の時より、車の数が多いようだ。どの車も、安全運転をしている。道路は、日中なので、雪はすぐに溶けていた。安全運転にこしたことはない。
拙いブログから、ゴルフに関したものを、拾い出して、小冊子にする。その冊子の名を「へぼゴルフボツボツ記」とする。へぼは、ヘボらしい文字がいいかぁと、書いてみた。なるほどと数回書いてみたが、結局最初のものにした。ワードで書けば簡単。筆を使えば、「永字八法」の筆使いで、ひらがなをかくのもいい。上手にみえるかも。へぼは、へぼのまま、これも面白い。未だ裏表紙を思案中。近々印刷を始める。
玄関先に供えてあるので、お供え餅というべなのだろう。例年は、七日に下げるのだが、まだ供えてある。毎日、看護師さんや、ヘルパーさんがくる、お世話になる礼を、一文ですましている。気持ちだけでも、伝えられたらいい。鏡餅と表題に書いた、年神さまの神体は、鏡と言うようだ。それで鏡餅というのだろう。うらじろとゆすり葉は、挟んだが、昆布と四手は、略した。百三歳に向かって、今年も元気でと、願っている。
今日は、十五日、鏡餅を下げる。正月を祝えたのは、ばあちゃんが元気でいるから。元気に、越年をした。来年も、年神様を迎えられるように、願っている。生きていく環境は、十分にしている。エアコンも、空気清浄機能がある。介護が始まった時に、エアコン取り付けの、配線を頼み、電機工事に来た人に、いいのを取り付けるよう、アドバイスがあった。今の時期は、風邪が心配、加湿器も、フル稼働している。ご飯も、美味しそうに食べている。夕食後の楽しみは、まんじゅうを食べること。ばあちゃんのニコニコ顔をみて、もらい笑いをもしている。
いずればあちゃんの位牌が並ぶ。でも、今は元気だ。どうせなら、105歳まで、生きたらいいべぇと、話すと、ニコニコと笑っていた。風邪と誤飲には注意をしている。いつも供えている花は、白色と黄色の花を単品で買っている。いつもの花屋さんに無いので、取り合わせてあったのを買った。赤色が入るだけで、華やかになった。茶と水は、最近大きくゆれる地震があったので、少な目に入れてある。現代は、神仏習合とかで、恵方参りも、仏閣も多いとか。今日、15日なので、お供え餅は、下げた。
年賀はがきに、添え書きがあった。お世辞でもうれしいこと。大津波で街の様子が、一変してしまい、取引は終わって、以後疎遠をしている。震災前は、路面店で、取引をしていた。世紀の変わり目の時代の変化は、路面店ては、対応が出来ない。このことは、平成になってから、商店主に、時代の変化の大波があると、お茶のみ話で伝えてた。二代目が店を継ぐには、若い人への対応を、一代で終わりにするれば、いっぱい働いたと、満足すればいいと思うと、話しをしていた。近年、取引のあった、商店主を六、七人見送った。一昨年、ある商店主の告別式では、申し出て、弔辞を述べた。お悔やみ情報をみて、明日も、通夜に行く。淋しい思いをしている。