八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

心の字

2011年02月23日 14時25分13秒 | Weblog
またまた、夏目漱石の復刻本の「心」の扉のもの。真中に書いてあるのは、象形文字の「心」だ。97年前の大正3年に、刊行された。当時のそのままを復刻したというので、いかにも古古しいが、なんか風情を感じ味わいがある。もの珍しさで、買ったものだ。復刻本は、ほんの数冊しか買ってない。本棚のインテリアにしている。読むことがないが、ちょっとゆとりができたら、ゆっくりと読んでみたい。今は「積読」している。日々のせわしさに、「ゆとり」の言葉も、忘れている。このブログをはじめた頃に、「ゆとり」のことを、書いたことがあった。日々の雑事に追われ、またまた、「ゆとってないなあぁ」って、自嘲をしている。
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智に働けば角が立つ

2011年02月19日 13時48分11秒 | Weblog
前回に続いて、夏目漱石の復刻本の、「草枕」の読み出しのぺ-ジのもの。「草枕」の冒頭からの引用する。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」。何時かも、ブログしている。人の世は、神がつくったのでもない、鬼がつくったものでもない。向う三軒両隣の、人の世だ。人の世がいやなら、人でなしの国へ行くしかないだろう。人でなしの国はもっと住みにくいだろう。っとある。向う三軒両隣の、町内会の班を、預かって、何年にもなる。市からの広報誌とかを、個人の所へ配布している。回覧するものもあるが、日限がないものは、まとめて回覧にまわしている。防災のことでも、町内会で対応することもあるかもしれない。一応組織はしてあるようだ。地震があるのは、突発なので、その時の活動は、個々の判断でするしかない。予測できるのは、洪水のときだ。最悪の洪水になったときは、2メ-トルの高さの浸水の被害が発生すると、市からの、ハザ-ドマップにある。町内会には、防災組織があっても、情報を得る方法がないという。今は、夏井川に、監視カメラがあり、ネットで状況を見られる。新川には、川の水量の変化を、これもまたネットで見られる。個人的に、情報を得ている。深夜の豪雨の時には、この情報がありがたい。以前は、車で川の状況を見に行ったこともあった。「とんとんとからりんと隣組」、なあぁんてゆう歌が、大昔にあった記憶がある。「助けられたり、助けたり」ってゆう、災害がないことを、願っている。

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時代の変化

2011年02月14日 13時07分10秒 | Weblog
夏目漱石の復刻本、「坊ちゃん」の読み出しに、あった。明治の終わり頃の、刊行本を、30年前頃に復刻したもの。文学書なので、何時の時代でも、読み続けられているのだろう。ビジネス書では、時代の変化を、予測した本も、思いで深いものがある。昭和37年頃の、「流通革命」。その後の、「流通革命新論」。これらによって、時代の変化を、実感している。平成の時代になる前には、消費材の購入形態が、従来のままでは、半減するという。人口の減少とともに、従来の商店も、減少する。こんなショッキング的なことの、情報も、本によって得られた。以前、仕事で、遠出をし、電車に乗る前の、あき時間に、ビジネス書を、本屋で求めていたものだ。このブログの前に、「流通革命」を、ぺらぺらと、めくって見た。文学書とは別の、懐かしさを感じている。
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それから

2011年02月12日 19時01分05秒 | Weblog
前回ブログした復刻本、「それから」の、読み出しページの前にある。発刊当時の、そのままに、復刻したもので、なんか味わいがあるように感じる。昔ぁぁしに、読んだことがあるかもしれない。この本は、古本市で、買ったもの。ものずきだと自分ながら、あきれている。ちよっと、のんびりできる時間ができたときに、ゆっりと読みたいと願望をしている。復刻本は、もっとあるかもしれない。手元には、あと3冊ある。前にも書いたが、文明の利器を、ず-っと古い言葉だが、使いこなしていない、負け惜しみをしてみた。
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書燈茅屋静

2011年02月08日 20時48分18秒 | Weblog
「しょとうぼうおくしずか」。かやぶきの家には、小雪が舞い、家の中は、鉄瓶の湯が、たぎっている。電灯のもとで、書を読む。こんな状景を思いだしている。今の時代は、携帯電話機でも、本が読める。この機器は持っていない。時代に取り残されているようだ。単細胞の脳だから、「電話は、通じればいいべぇ」って、ほかの機能を、使いきれない。携帯電話が、全国どこででも、通話ができるようになったときから、使っていた。仕事で、名古屋、大阪、時には岡山にでかけた時には、便利だった。今は、携帯を2台、持ち歩くことがある。固定電話が、2回線あるので、そこから転送して、通話をしている。回線を「ひかり」にしてから、料金は半分になった。でも、ネットとか、携帯の使用料とかが、別に支払う。話しは、前に戻って、茅屋で読む本は、復刻本の、夏目漱石の「それから」。明治43年に刊行されたものを、そのまま復刻したものだ。大分前に、古本市で、見つけたものだ。刊行当時の、ちょつと厚めのザラ紙、今でいうべ-ジュ色、漢字には、ふりがながついている。のんびりと読んでみたいと、思っている。今の文明の機器を、使いきれないので、ちょっと時代に逆らったことだと、またまた、自嘲している。
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鬼は外、福は内

2011年02月01日 13時24分29秒 | Weblog
今年は旧暦の、元旦が、2月3日。立春は、4日になる。節分の豆まきの行事がある。一年の始まりだ。立春から数えて、八十八日目が、歌にある「夏も近づく八十八夜」だ。二百十日、二百二十日も、立春から数えている。農業には、大切な日でもある。節分というと、豆まきだと、思っていたが、季節を分けるという。豆を自分の年の数を、食べるのだが、ひとつ多く食べる。それは来年のためという。鬼は豆で打たれるので、迷惑だろうが、疫病とか、陰気、災害などに例えられたと、本にあった。ヒイラギといわしの頭を枝に刺して、戸口にかかげる。魔よけの意味もあるという。近年は恵方巻きを食べる。本から引用すると、「その年に年神が宿る方向は、縁起のよい方向とされて、その方向を、恵方という」とある。この歳になって、恵方巻きは、大口をあけて、がぶりっと、食べるものだと、思っていては、しょうがないなあぁって、またまた、自嘲をしている。日本各地、大雪でたいそう難儀をしていると、報じている。温暖な当地方だが、過去にある大雪の記録は、二月が最も多いいいう。雪質が重たく湿っているので、大きな被害が出るという。ことわざに、「寒気厳しいと、かんばつあり」というのがあるようだ。どうなることやら。
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