八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

雪が積もった

2011年01月27日 11時40分32秒 | Weblog
先日、珍しく雪が積もった。二回目だ。北風が冷たい。陽射しが、ちょつと眩しく感じる。にわかに雲ってきたら、ふっかけ雪が、舞っている。この冬は、雪に会うことがあるかもと、12月中に、冬のタイヤにした。たまぁには、雪の上でも、走行していたいと思っている。でも、雪道に慣れていないので、怖い。数年前のことだ。夕刻、さあぁぁつて、降った雪で、買い物していた人々が、それって、車が市中にあふれてしまい、大渋滞になってしまったことがある。日本各地、大雪の被害が、報じられている。カレンダ-も、今日は27日、一月もまもなく終わる。来月2月4日は、立春になる。今年の、旧の正月は、二月三日だ。近隣の国では、テレビの報道などで、旧正月を、だいだい的に、新年のお祝いをするのを見る。二月になると、陽射しも春らしくなるのか。寒さの峠も、間近くなるようだ。
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文部省唱歌 冬の夜

2011年01月20日 15時51分26秒 | Weblog
昔懐かしい唱歌の一節。約100年も前に、小学校の児童が歌うものにと、発表された。「いろり」、そのものは、一般家庭では、見られない。親戚の農家の客間で、装飾された自在かぎに、30センチ大の鉄瓶が、架けられていたのを最近見た。昔は、暖を取るのに、家族が集まって、一家団欒の、懐かしい状景だ。小生、かろうじて、昭和二桁生まれなのだが、農家でなかったので、いろりで、暖をとってはいない。最近、知人が、山奥の自分の生家に、「いろり」を復活させたと云う。炭火をいれたら、部屋中暖かいという。もともとの歌詞は、戦後になって、変えたところがあるという。二番の歌詞の中の「「過ぎし昔の思いで語る」は、もとは「過ぎしいくさの手柄を語る」だつたという。また、「まなこをみはる」は、「こぶしを握る」だったという。時代によって、歌詞が変革するのは、当然のことだろう。
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清吟夜茶煮

2011年01月17日 14時13分28秒 | Weblog
せいぎんよるちゃをにる。温暖な当地方も、二、三回宵のうちに、小雪が舞った。大雪で、日本各地が、難渋のようだ。画像の文言などを、いたずら書きしている。意味は難しくて、分からない。画像の状景を、推測すると、外は粉雪が舞い、庭の木を白くしている。部屋の明かりで、雪見障子越しに、ぼんやりと眺めている。傍らでは、火鉢の上の、鉄瓶のお湯が、たぎっている。机の上の茶碗から、湯気がふわっと、冷気で消えた。ってゆう、風流な状景なのか。勝手な解釈をしてみる。日々は、暖房機の風の音と、ぎんぎんぎらぎらの、テレビの映像を、がわがわがわって、なんか騒がしいのを、横目でみる。無風流な毎日だ。精神的にも、不健全なことと、思うが、今は、生き長らえている。現実は、現実なりの、風流を、してみることだろう。って、がぁ。
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冬来幽興長

2011年01月15日 10時17分49秒 | Weblog
「ふゆきたりて ゆうきょうながし」。人里離れた静かな所に住んでいる。冬になって、ますます静か、ゆったりと時が、なかれている。っと、勝手な、解釈をしている。何を食べて、何を考えて、時を過ごしているのだろうと、野暮なことを思っている。今の社会は、何をするにも、事は欠かない。金があればだ。その金の、基本は、国の財政のことだと思う。税金を納める義務をはたす。議員を選ぶ。当選をした議員様方は、現在も、支持されているのだろうか。あれもやります。これもやります。埋蔵金があります。事業仕分けをやります。給与を二割削減します。これで、全部賄えます。って、声高く聞こえたんで
、なかったんだっけがぁ。議員様方々、全部が全部ではないだろうが、政党を変えて、無所属になり、国政を担当する。ここ何年も、国の舵取りが、変わる。「船頭多くして 船山に上る」って、ゆうこともあるかもしれない。汗水流して、「働けど 働けどーーー じっと、手をみる」ような状態で、生きてきた。金が、よどむような鼻くすりが、ないものか。お金が、よってくるような妙薬は、ないものか。「亀の年を 鶴がうらやむ」ようだなあぁって。風流な言葉から、現実の悲哀を、またまた、している。
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独釣寒江雪

2011年01月12日 19時41分26秒 | Weblog
ひとりつりす かんこうのゆき。斜め人間で、まぜっかえせば、なにも寒いときに、じっとして、釣りなんかしなくてもいいのに、なあぁぁんて、野暮なことを考えている。人間、たまあぁには、ぼおぉぉっとする、時間もあっていいのではないかと、思っている。ぼおぉつとしてないでよ、なにを考えるたらいいのか、なんて、ぼおぉぉってもしないうちに、考えたってしょうがないと。湖の氷上で、さっさっさあっと、何匹も釣りあげる、釣りもあれば、じいっとして、針にかかるのを待つ釣りもある。じいっとしている、その間に、頭の中で、思いをめぐらせてみるのも、いいかなあぁって。スカスカの脳で考えてみた。なにをわけのわからないこと、書いているのかと。支離滅裂だなあぁっと、自嘲を、またまたしている。
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今日は小寒

2011年01月06日 21時09分09秒 | Weblog
正月の飾りを、一日早く下げた。仕事をしていると、正月六日になると、仏事のこともある。五日に、松を下げれよかったと思っている。暮れの30日から、昨日まで、無人の神棚の、重ね餅は、カビは生じなかった。暖房のしてある部屋の、神棚の重ね餅は、青カビが、生じた。「青カビがでた年は、雨が多い」とか。だとすれば、今年は雨が多い年なのだろうか。来年、2012年は、旧暦の3月が二回ある年になので、今年は、季節は早めに、訪れるかも。走行中の、フロントガラス越しに、もう白梅が、開花しているのが、見えるところもあった。今夜、遅くに、近所の神社に、正月の飾りの、松送りしてきた。先客があったが、まだ、財布の中をのぞいていたので、賽銭をあげ、鈴をならして、パンパンっと、拍手を打った。「若いのに、何か願い事なのだろうね」って、声をかけた。「はいっ」っと。にこっと爽やかな笑顔だった。冷たい北風が、音を鳴らして、うなっている。
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座礁した船

2011年01月03日 20時32分57秒 | Weblog
この船は、既に離礁をして、港に停泊している。報道があったその日の夕方、撮ったものだ。たまたま、納品の通りかかった堤防へ、ちょつと上がってみた。この先は、規制がしかれている。「うぉぉでがいなあぁ」だったった。撮ったその日に、掲載したつもりだったが、抜けていた。

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今年一年がはじまった。

2011年01月03日 19時32分44秒 | Weblog
大晦日に、年越し蕎麦を食べ、、近所の神社から、新年を祝う太鼓の音が、闇をついて聞こえた。年の暮れに、一年のほこりを払って、神棚をかざって、新年を迎えた。鏡餅、ちょつと飾りが変に、感じる。鏡餅には、橙、裏白、ゆずり葉、昆布、四手を垂らす。これが正式だ。橙を、みかんで代用している。飾るものには、それぞれの、いわれ意味がある。その意味を大事にすべきだと、思った。飾り方を、簡略しているのだから、神が願い事を、叶えてくれるのも、簡略してしまうのだろう。年のはじめから、自嘲している。昨年は、歳まわりが、悪かったようだ。神社に、神札を頼みに行って、神札に書く願いごとの、字句の時に、言われた。この歳になると、心の頼りを探す。長い人生の中で、その時、その場で、いろいろの節目がある。その節目、節目でいわれていることを、もつと大事にしなければ、ならなかったのだろう。ことわざの「三つ子の横草履」ってゆう、何もかまわずに、ただやりさいすればいい、なあぁ-て、いう態度はだめだと。年の始めに思っている。初夢を見るのは、正月二日の夜。七福神が、帆かけ船に乗っている、粗品にあげているタオルも、そうゆう意味があったのかぁ。今日は三日、またまた夢が叶わないかあぁ。まあぁ、前向きに考えようと。
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