いつもは、車で走行している。陽気がよくなってからは、自転車を使う。たまーぁには、街路樹を見上げるのもいい。街路樹の下には、ベンチが置いてある。街路樹を見上げていた時、標識があったので、へえぇーだった。バスの停留所にも、ベンチがある。足腰が弱った時には、利用することにしょう。
昨日、今日と暑い。百歳を越したばあちゃんの、部屋の温度を管理するために、廊下の柱にある寒暖計。少し開けてあるガラス戸から、爽やかな風が、入ってくる。それでも、29度ある。仕事をしていた頃の、経験則で、晩期には夏物に、いっそく飛びと、警戒をしていた。もうすぐ五月になる。夏物の売れ行きが好調だっぺぇと、素人考えをしている。あまり暑さが続くと、クーラーを使いたくなる。家電業界好調。電力消費が増加。電力業界増収。いろいろの業界で好景気になるのだろう。あまり好調過ぎると、物の値段が高くなるので、年金生活者にとっては、ほどほどであってほしい。
ばあちゃんが元気だったころ、水やりの世話をしていた。花が咲いたのを見せた。指を指して何か話をしていた。そおだぁそうだぁと、話しをあわせた。穏やかな気分で過ごさせたいのだが、頭のスイッチが入れ違うと、おお怒りになってしまう。こうなると、なんとも対処できない。ヘルパーさんも看護師さんも、「元気だ、元気だ」と、慰めてもらっている。おお怒りの時以外は、ご飯もうまそうに食べている。「どうですかぁ」と聞くと、「おいしぃよぉ」と言う。今のところ、差し迫ってはいない。
近くの神社の桜。ブログをするようになって、晴れた空を見上げたり、豪雨の道路をみたり、夕焼け空を見上げたり、木々の彩りを眺めたりしている。ちょっとだけ、気持ちのゆとりがする。今一番の気持ちは、ぼげーっと、何も考えない時間があればと、思っている。ぼけーっとしている時に、浮かぶことが、後々に役に立つこともある。ぼけーっとしていたいのは、百歳を越したばあちゃんのこと。小生は、たまーに食事の介助をする。今日は、車椅子に載せたまま、散歩にぐるーっと一回りして戻った。元気なうちは、心配もない。いずれくるこの世の分かれを考え無くてはならない。それを思うと、気が滅入ってしまう。桜から、話しが飛んでしまった。
春らしい天気で、満開の桜を、カシャッとした。別のこと。先日、法要のあと、兄弟で飲み会をした。本堂の中は、がらーんとして寒い、お墓は冷たい雨。急いで飲み会場へ。暖かい飲み物を頼んだか、無い。熱燗でといったら、無いという。この時期なので、しょうがないのだろう。旧暦で、この時期をみると、二月の下旬。春になったばかりで、お天気が安定しないのだろう。この事を理解していれば、メニ―の一部に、暖かい飲み物が、提供できると思う。旧暦は、4000年も前に、農暦として、作られたという。今年の夏はと、考えると、「旧暦の水無月」は、現在使っている暦の7月の16日から。海に囲まれている日本は、30日遅れると、考えられるので、暑くなるのが、遅いかも。残暑が厳しいのかも。「小春」という、陰暦の十月は、11月の12日から。冬の到来は、遅いかも。当たりはずれは、ご容赦を。「経済活動と気象」1992年に出版によると、「近年の豊かになった消費者は、気象によって、消費志向を変えるようになった」と、読んだ。
街中の公園に、満開がすこし過ぎた、しだれ桜。ポケットから出して、カシャッとした。いつもは車か、自転車で、ちらっと見ている。通りかかったので、自転車をおりて、ながめてみた。細長い公園の中の小道を、犬に引かれて、足早に歩く人。犬に糞をさせている、ちょっと若造りの、女性。作業服の姿のひと。ビジネスウーマン、鞄を抱え、携帯電話で、話しをしている人。ビジネススーツの男性。カシャツとしていた頃は、花曇り、肌寒い。行きかう人々は、さまざま。花を見ながらでは、なさそうな風景だった。
近所の神社の桜。先週、いつも通院をしている内科の先生に、「陽気がよくなってきて、花見に行ったですか」と、聞かれた。「近所の神社の桜で、花見をしました」と、答えた。せかせかしている日常なので、ほっとした会話だった。
これも、ピンぼけ。「花に三春の約あり」。仲春の桜。昨日、今日、冷たい雨が降っている。「花発いて、風雨多し」と、言うこともある。単細胞の脳は、目の前に起きている現象しか見えない。本来の意味は、「大事なときには、えてして、邪魔の入りやすいたとえ。世の中の思うようにいかないことをいう」とある。花をみて、楽しめればいいじゃないか、だっぺぇ。
前掲の桜の花びら。花散らしの雨で濡れ、吹き飛ばされないで、積っていた。「花一時、人一盛り」。毎年、季節が巡って、美しく咲きほこる。風流をめでる。「人一盛り」は、なかった、無風流だったなぁと、自嘲をしている。
たまぁーに、ぺらぺらと、拾い読みした徒然草の、第七十二段に、「賤しげななるもの。―――。硯に筆の多き。――。」とある。本当に、たいしたものも、書けないのにと、笑ってている。下手の横好きだったころを、懐かしがって、むたまぁーに使っている。中学生時代の同級生の、交流誌を作っている。冊子に投句があるので、せめて感じがでるようにと、短冊や色紙に書いて、縮小をしたものを、掲載をしている。ひとりよがって、文字を表現するのに、墨痕鮮やかにとはならないが、穂先の硬軟を、使い分けている。表現の感じは、道具が良くなくては、駄目だっぺぇと、一本、三千円のもある。宝の持ち腐れにならないようにと、思っている。
画像は、朝日新聞社刊、「゛マツカーサー回想記」より。当時、日本軍の防衛線があり、それを突きぬけるための、攻撃をする作戦が、実行されたとある。日本軍は、一万人以上の死者がでたとか。アメリカ軍は、死傷者八千人以上あったという。そもそも、日本は、戦争に突き進んていったのか。資源が欲しかったからのことか。一口には、言い表せないだろう。この戦いに日本は敗れ、終戦に向かって動いていたのだろう。この戦いの前には、ミッドウェー海戦があり、日本の軍艦と、アメリカの軍艦は、お互いに砲弾を打ち合うことなく、アメリカの航空機によって、日本の軍艦は、大損害を被ったとある。後々に知ったのだが、ミツドウエー海戦は、アメリカは、「ランチェスタヘの法則」を用いて戦い、勝利をしたとも、読んだ。慰霊の訪問を機に、戦争に悲惨を、思い起こすのに、いい機会なのだろう。
画像は、福島民報から。戦後七十年の節目に、激戦地の慰霊に訪問を、報じている。戦争中は、天皇崇拝だったのだろう。激戦で、命を落とした多くの人々に、慰霊は、心の整理かも。激戦地を訪れなくても、慰霊は続く。直接の戦争経験が無い小生でも、戦争があり、敗戦になり、時代は続いている。時代は忘れてはいけないと思う。