今月の始めに、パチリした。ピンボケしているので、何回もパチリした。結局、接写機能の設定がしていなかった。じりじりと焼けこげるような所へ、飛んでこなくてもいいのになぁ。おまけに、よたよたしていた。近くの草むらへでもと、手を出したら、ぶうぅぅ―んと、飛んでいった。こいつ、人相が悪いなぁって、見えたのかも。ちょっと意味合いが違うが、「一寸の虫にも、五分の魂」。どんな虫にも、命がはてようとしている瞬間にも、身の危険を感じて、生きようとしていたのかも、なあぁんて、思った。
20日は、夏も終わりの、鎌田橋付近の花火大会。新しくお盆を迎えた家庭が、霊を送る行事があった。いわき市でも、あちらこちらで、規模の大きい、花火大会があった。平地区での夏祭りは、七夕があり、いわき踊りがありで、大賑わい。夏井川の灯篭流しと、花火大会で、夏も終わりとなる。主催者の、苦労が感じる。国道へ出て、夜空を見上げ、花火を撮影しようと、デジカメを向けた。ピントがあわないのが、これだった。こんなのも、いいかぁで、載せてみた。気が付けば、秋の虫の鳴き声が、聞こえてきている。
蓮の花が、咲き終わって、花托が肥大して、蜂の巣のようになったもの。上側の穴に、一個ずつ、種子が入る。これを、ハチスという。蓮は、泥の中に根をはり、青々とした葉には、露がころがる。花はこうごうしい色。花が終わって、秋になると、根が肥大する。この根とハチスが、食用になるとか。
本堂にのぼる石段の中腹で、パチリ。自然のままの素朴な味わいがある。晩夏の木々の緑が鮮やかだ。写経場は、四方の障子が開けて、谷間から、木立を吹き抜けた風が、肌に心地いい。蚊遣り線香の煙は、涼しい風で匂わない。下界とは違って爽やか。蝉の声が、にぎやか、蝉しぐれか。そこで一句。「冷風や 写経場で聞く 蝉の声」。お粗末。
盆周りをした、農家の庭先のを、パチリ。朝に、ぱあぁっと咲いて、午後から夕方にかけて、つぼんでしまうという。ぱあぁっと、咲いたのが見れないのが、わかった。ぱあぁっと咲くのも、数日とか。今朝は盆送り。精霊を、蓮の葉に包んで送り出した。猛暑が続いているが、秋の気配がする。俳句の季語は、「夏」。俳句はと、思うが、夏バテ。夏ばてした、脳には、いいのかも。いつもいつも、脳は、ばてているなぁと、自嘲をしている。
画像は、迎え火を撮った時のもの。三日間のお盆が終わる。「盂蘭盆」は、苦しんでいる亡者を救うための、仏事とか。精霊は、オガラを燃やした煙にのって、帰っていく。松明の明かりだけでは、駄目なようだ。来年は、オガラも、準備することにしよう。盂蘭盆の、俳句の季語は、「秋」。陽の傾きが、ちょっとずつ、早くなっている。
画像は、お寺の境内。これから、新盆の家に行くようだ。炎天下で、汗を流しながら、鐘、太鼓を打ち鳴らす。宗教心の普及に、役くただせようとかが、発祥とか。ほかにも、説はあるようだ。小生の近所では、昨晩、ちょっと離れた家から聞こえた。明日は、霊を送りだす。オガラを焚く煙に乗って帰っていくとか。昼間の蝉の鳴き声が止み、夜になって、弱弱しく、秋の虫が鳴きはじめている。夏と秋の季節が、入れ替わってきているようだ。
今日の宵の迎え火。先祖の霊を迎える火。お墓から、霊がきたのかも。ちょっと風にあおられた。焚きあがる炎を見ながら、秋の虫の声。チ、チ、チ、チ、チ、って、弱弱しく、一匹のが、聞こえてきた。当地方、今日は、少し涼風が、吹いた。七十二候には、処暑前は、「あきの虫がなきはじめる」ころという。酷暑のようでも、季節はめぐってきている。まぁ、それにしても、月日のたつのは早く感じる。
画像は、朝日新聞社、昭和39年に発行。「マッカ-サ-回想記」から。広島と長崎に原子爆弾が投下され、犠牲者の慰霊の二ュ―スを見る。小生、研究者ではない。「マッカ-サ-回想記」からの引用です。「七月二十六日、ポツタム宣言が発せられ、日本は、降伏か、壊滅の選択を迫られた。日本政府は、ポツダム宣言の条項を受諾するのに手間取り、その直接の結果として、日本は長い戦争史上、最も壊滅的、かつ、革命的な兵器、原子爆弾の犠牲となったのである。」別のペ-ジには、画像の作戦が、記載されている。「その年の、5月25日には、その年の、11月1日に、九州に攻撃を開始する「オリンピック作戦」、日本の本州に「コロネット作戦」を、遂行する、最高責任となったとある。もし、戦争を続けていたら、日本全土、占領地になっていたのだろう。今、日本は、「原爆」と「原発」で、また、「沖縄」のことも、大事なことだ。二年半前の、大震災。それに付随した、「原発事故」。地下水のことが大変だ。この先、「原子――」のことで、大事にならなければいいがなぁ、って、思っている。
午前中、通りに出てみてパチリ。画像の奥は大賑わい。出店が多く、にぎやかだ。昼過ぎからは、大賑わい。夕方からは、いわき踊りで、人出も最高になるのだろう。とりあえず、歌ってみっかぁ。「ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子 五色のたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる」。七夕は旧暦の七月七日。今年は八月の13日になる。ちなみに、去年は、八月の24日だった。日本各地、猛暑の二ュ―スを報じている。いわき市も数日前から暑い。あと10日もすぎれば、涼風が吹いてくるのかも。夏祭りが終わり、お盆が終わると、足早く、日数が減っていく。夏至からみても、日の入りが、30分くらい早い。カレンダ―の立秋を見て、一年が早く感じる昨今だ。
クラス会の報告を兼ねて、俳句の投稿を願って、それを載せて、小冊子を作った。画像の右側が、表紙。一人の女性から、投句があった中の、一言を、冊子の名にした。最近、男女各一人ずつ、他界をした。その哀悼の一文は、女性の級友からの手紙の中から。クラス会欠席の詫びの一文も。画像の右側は、「禅語百選」から。投句は、五首を一ペ-ジにして、5ペ-ジを筆書きした。読み物は、小生の、在宅介護のばあちゃんの同級生のことと、診察日の様子。このふたつは、以前ブログをしたもの。裏表紙は「七つの子」の歌詞を、筆書きにした。小冊子に筆書きをするのは、初めてのこと。今の時代は、パソコンの筆書きの、ソフトはある、でも使えない。小冊子には、和紙調の紙を使った。筆書きは、和紙調の裏側が、ざらざらしていて、書きやすい。手前味噌だが、ちょっと面白いのができたと思っている。投句をしてくれたひとには、色紙に書いて、雅印を一つ。色紙掛けを付けて送った。ありがた迷惑かも。あれこれ迷って、急いで書いた。素人の書だと、承知をしている。