八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

故郷の廃家

2012年05月30日 00時37分23秒 | Weblog
昨年の原発事故で、避難をした人人は、我が家を思い、哀しい思いをしているのだろう。原発事故がなければ、この歌は歌えたかもしれない。しかし、原発事故のために、強制的に家を捨てなければならなくなり、帰ることもままならない。いまだに、避難をしている、多くの知り合いがいるので、ブログすることに、ためらっていた。書き出してみたが、哀しい現実を思うと、言葉かない。
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邪心

2012年05月27日 20時46分32秒 | Weblog
前回に続いて、「いわきの伝説50選」より。喉の乾きに呑む一杯の水。原発の燃料棒を冷やしている大量の水。水にまつわる話。いわき市の勿来町酒井というところにある話。今でいう母子家庭、貧しい暮らしに、そのうえ、体が弱い母親いる。息子は、鍬を担いで、毎日仕事に行っていた。仕事の帰りに、疲れて小道で休んでいた。母親の好きな酒も買えないと、ぼんやり小道のほとりを見ていたそうだ。水がにじみ出ていたので、担いでいた鍬で、掘ったら、水がでてきたそうな。手ですくって呑んだら、お酒だったとか。母親に汲んで帰り、飲ませたら、「お前の孝行な心が、神様がほめて、恵んでくださつたのだろう」と、云ったそうな。親孝行な子の家には、お酒となり、それをうらやむものには、ただの水という、不思議な井戸だったそうな。不思議な井戸の跡地は、地名の酒井にいまもあり、お酒の井戸を掘った鍬は、今も近くのお寺の宝物として、残っているという。こっそり行って、掘ってみてかぁ、万が一ということもある、お酒がでっかなぁって、邪心だっぺぇって、またまた自嘲をしている。
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水の有り難さ。

2012年05月24日 19時11分53秒 | Weblog
画像は、「いわきの伝説、50選」のもの。弘法大師が各地をめぐり歩いて、水を湧き出させた話。いわき市の好間町に「独古内-どっこうち」という地名があるという。大師がみすぼらしい姿で、ある一軒の家に立ち寄り、飲み水を願った時、あいにく水がめの水をきらしてしまい、そこのおばあさんが、ちょつと遠くの沢まで、水を汲みに行ったとか。あまり帰ってこないので、不思議がり、聞くと、あたりは渋水しか出ないと云ったとか。大師は、この親切なおばあさんを気の毒に思い、水をくんできてくれた親切に、心を動かされたとか。裏山のふもとの岩の前で、一心に唱えながら祈って、独古という仏具で、岩を打ち、こんこんと清水を湧きださせたとか。弘法大師は、わざわざみすぼらしい姿で、全国各地をめぐったとか。昨年の大地震の時の断水は、水のありがたさを、痛切に感じたものだ。ここから50キロ先の、原子力発電所。原発事故のテレビの映像の見ていた時も「早く水で冷やせ、冷やせ」と、報じていた。勿論、今も冷やしているのだろう。今日、暑くなって、喉の乾きから、水のことで、こんなことを、思っていた。弘法大師が湧き出させた井戸の跡は、今もあるとか。
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1円切手

2012年05月16日 19時19分12秒 | Weblog
画像は本題と関係のない1円切手。現在のものとは、比べようもない。当時はこれが当たり前だつた。物が不足しているのが当たり前。戦争を仕掛けたのか、それが敗れ終戦になった。戦後復興が始まったころのものだと思う。別の話。昨日、戦後間もない時代の、中学校のクラス会が、三年振り、地元開催だった。11名のいつもの顔ぶれだが、それなりに元気だ。「やあぁ、どうも、どうも」の挨拶。日帰りの旧友のための、昼食会、夕べの宴、部屋での三次会、「ああでもない、そうでもない」、お喋り会、「ありゃゃ、風呂は終わったかぁ」で、床についた。宴の会場のカラオケ装置は、ピカピカと催促していた。でも、歌ひとつもなく、「わいわいがやがや」のクラス会だつた。当番幹事が「転居先不明が二人、物故者はない」と、報告があり、欠席者が自分の近況を知らせて、懐かしく思っているともあったと。開催案内の封筒に貼られた切手。1枚の切手が、心がつながるのだろう。画像のような切手が、人人の連絡手段だつた時代と、同じ頃の中学生のクラス会。それぞれが精一杯歩んできて、今がある。これから先、どんな変化があるのか。「神のみぞ知る」だ。「あいつは死んだかぁ」なあぁんて云われないよう、今を生き、明日を生きる。まぁ、自分のため、いや、家族のために、「心配-心を配る」。こうありたいものだ。
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御斎所山の天狗

2012年05月11日 16時28分01秒 | Weblog
昨年の四月に、いわき市の田人地区で大きな地震で、被害が出た。このあたりに、御斎所山がある。この山に、山仕事に入ると、どこからともなく、えたいの知れない、へんなひびきが聞こえてきたと、「いわきの伝説百選」にある。へんな響きは、断層が動いて、音を出していたのかも。昨年の四月の地震の前に、「音がする」と、ちょつと、不思議だったと、後日に聞いた。むかし話には、この山、御斎所山に登るときは、鮫川の滝水で、身を清めてからとある。この山の大切な木を、いたずらしてはいけないとか。御斎所山の、街道の峠のあたりを、馬に乗ったままでは駄目とか。帽子をかぶったまま、通ったりしてはいけないとか。そのたびに天狗が怒りだしたとか、昔話にある。今でいう、断層が、音を出していたのかもしれない。
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昭和天皇、在位60年の記念

2012年05月09日 14時14分57秒 | Weblog
画像では、はっきりと見えないようだが、前の天皇陛下、在位60年を記念して、メダルと昭和61年と、刻印してある硬貨のセットだ。これをばらして使えば、666円が、使える。かれこれ25年になるので、もしも、プレミアムがつけぱ゛、666円以上になるのかもしれない。お金の価値は、その時、その時に使えば、その額の価値がある。発行当時の、666円で買ったものと、同じ物が、今、買えるのだろうか。デフレといわれている現在だが、同じ物が買えないのではないかと、思う。「デフレ脱却」を目指すと、報じているのを見ると、お金の価値が変化していくのだろう。自分の懐に入ってくる額は、増加はしない。ならば、出て行くお金を、少なくしていくしかない。劣化した脳では、これくらいの考えしかない。もともと、劣化してしまっているのに。どこかの国の総理大臣が、「貧乏人は、麦を食え」って、言ったようだと、おぼえている。そうか、自衛策で麦を食べればいいのかぁ。嘆く前に、気がつかないのは、毎度のことです。
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目に青葉 山ほとぎす 初鰹

2012年05月03日 12時13分18秒 | Weblog
有名な俳句を借用した。画像の右上に、小さくある。平成になった年の、10月号の表紙に、載ったもの。当時パソコンソフトを、使っているユ-ザ-グル-プの月刊誌だ。筆をマウスに持ち替えて、一発勝負で書いた。気にいらないところは、消したり、継ぎ足したりは、勿論出きた。今のマウスは、赤いのが、チカチカして動く。当時のマウスは、ビ-玉状のボ-ルが、転がって動いた。その転がりの相性が微妙、で筆の動きに似ていた。これ自体は、何の役にも立たない。当時、仕事で必要な資料の作成には、役にたっていた。遊びも、後々に役にたつものもある。ものずきだったなぁって、懐古をしている。今日は大雨、雨音が激しく聞こえる。暑かったり、雨冷えだったり、天候が不順だ。旧暦が閏年なので、不順はしかたないのは、当然のことだろう。
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