八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

笑いは人の薬

2022年12月31日 12時26分20秒 | Weblog

今年も、わずかになりました。拙いブログに、ご来訪有難うございました。今年一年の事が、走馬灯のように、巡っています。来る年は、すべての人が、安舒で過ごせるよう、「笑う門には福来る」よう、祈念しております。「笑いは人の薬」とか、心身の健康にとって薬と同じ効果があるといいます。ばあちゃんの笑い顔で、一年の締めにします。皆々様方、良い年を。有難うございました。

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夕焼け雲

2022年12月30日 13時48分17秒 | Weblog

昨日の夕方、ぼけーっとしていたら、窓が赤くなってきた。街中の夕暮れ、急ぎカシャッとした。アングルをあれこれとしているうちに、雲が流され、赤く染まった雲の形が、刻々と変わって消えた。当地方は、この時期らしく、からっ風が吹いて、寒い。今日は正月の飾りはしない。昨日は、七歳下の弟の葬儀。来年も正月の飾りはしない。明日は、大晦日。来る年は、どんな一年になるのか、思い巡らしても分からない。その場その場で、対応をする。ことわざに、「悲しい時は身一つ」というのがある。「困ったり落ちぶれたりすると、他人は寄り付かなくなる。頼りになるのは、自分だけということ」と読んだ。これから先に、我が身に、どんな現象が発生するのか、知ることもできない。いいことは続かないと、胆に命じて置く。

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歳月人を待たず

2022年12月28日 13時51分05秒 | Weblog

年の背になり、今年もあと数日。ばあちゃんが没して、我が家は、変化している。今年の事は、今年の事で、うら寂しい年末。はるかかなたの戦争のことで、浮世の波に、もまれていきている。これから先、呼吸をして、貧者の食べ物を、旨そうに食べて、消化をして、体に取入れ、不要の物は、排泄しする。このリズムが長く続けば、この世に、生かされ続けられる。こんな事を考えては、気分も滅入る。年が変われば、貧者なりの生活が続く。年が変われば、現実的には、六月頃に、運転免許の更新をする。更新できるか否か。否になれば、車も廃車をする。丁度、車検切れが、九月になる。画像は、大分前の福島民報の記事です。生活様式が、劇的に変化すると、覚悟しなければだ。なけなしの脳みそは、未だ残っているかなぁ。表題の、「歳月人を待たず」は、「光陰、矢の如し」の、類句で「光」は日、「陰」は月のことと読んだ。別の事で、「二月は、逃げて走る」という例えもあると読んだ。これは、正月の楽しさ、にぎやかさの時間が早く去り過ぎる。二月は、日数が短い。だらだらと過ごさないことと、来年のことを言っている。鬼の高笑いが聞こえてくる。

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冬来たりなば

2022年12月26日 15時45分34秒 | Weblog

画像は、ちょっと前の、籠場の滝付近。当地方は、今日も空っ風が吹いて寒い。冬至か過ぎて、今年も、あと数日になった。ものの本を、ぺらぺらとめくって読むと、表題の、「冬来たりなば春遠からず」は、「今は不幸な状態にあるけれども、やがてきっと幸せがめくってくるにちがいない。だから、じっと耐え忍び、辛抱せよというたとえ」とある。我が身で思うと、不幸な状態ではない。夜露はしのげる。物価高でも、なにかかにかと、食べている。体調は、まずまず。二種の薬は、服用をしている。かかり付けのお医者は、約40年にかなぁ。体は、不調の所は、修復する力はある。修復しようとする力に、手助けをするのが、薬だという。基本は、体。その体を維持するために、食べる。何を食べても、旨い。美味いから、食べ過ぎる。毎日、旨い美味いぞの、新聞に入っているちらしを眺めている。そのちらしの所まで、出歩いていくのは、おっくうになる。出歩いて食べれば、運動にもなるようだ。活力は、食べることのようだ。食べなくなると、いずれ、体調は悪くなると、覚悟をしている。深刻には、考えないのがいいのかも。「春遠からじ」は、ストレートに温暖な春が、待ちどおおしい。太陽の、折り返しは、今月の上旬頃が、14時19分。今日の前後は、16時27分頃。ちょっとだけ、日暮れが遅くなる。

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またまたのまたです

2022年12月24日 13時19分10秒 | Weblog

今回も、昔し昔し話です。前回と比べると、色が出ている。もともとは、業務に使ってるマイツールというソフトで、業務の事は、すべての表の、数値の羅列を見るよりも、グラフ化にしていた。それぞれの業務の数値は、折れ線、回帰分析、レーダーチャート、工程管理、バランス等、業務に適したグラフを作っていた。そのグラフに、必要なコメントを書き入れていた。それがダメになった。時代が進化して、エクセルの時代になり、マイツールというソフトが、不要となった。小生のこの歳になって、エクセルを使いこなすには、自動車の運転免許の大型を取得するようなものだなぁと、あきらめている。マイツールというソフトは、発生をした、基本の数値があれば、加工することが出来た。例えば、日々の気温を表に記入してあれば、5日ごとの平均値、10日毎の平均値が、計算できた。今は、ネットで入手ができる。別の事になってしまった。これも文字よりも、バックを描くのに、かなりの時間と、保存するページ、一つの画面は、フロッピーで、10ページにわたって、保存をしていた。それを呼び出して、色を交換をしたり、文字を書き入れたりしたのを、別のページに保存をしていた。一時期、通販のパソコンを使っていた。不具合が生じたり、キーボードが剥がれたりで、その都度修理を依頼した。結局、安物買いのーーだった。その後のパソコンは、フロッピーを読み込む、外付けのディスクで、対応ができた。今、ブログを載せてるパソコンは、前時代の物は、対応ができないと、謝っている。

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またまたです。

2022年12月23日 19時17分13秒 | Weblog

画像は、ドットプリンターが、ダメになった当時に、印刷をしたもの。インクリボンが、二回り三回りしていたので、色が濁ってしまった。当時のインクリボンは、40センチくらいの長さの箱入っていた。プリンター本体のリボンケースに、新品を入れ替えてた。インクジェットプリンターが、出回り、カラーリボンの役目は、終った。ドットプリンタープリンターの、需要に従って、別のメーカーで今もある。画像には、「千里鶯啼緑映紅 水邨山郭酒旗風 南朝四百八十寺 少楼壹烟雨中」という、漢詩。描く手法は、色が濁って分からないが、初めに、バックを描く、これが時間がかかる。描いては保存。また別の色で描いて保存の、繰り返し。これと思うのに、文字の配置をする。文字は線なので、線書きを太くする。これは、バック図を、消しゴムで消して、画像の文字にする。これがまた、時間がかかる。バックを削るので、修正はダメ。一からまたやり直す。全部、白地の文字に仕上げれば、後は色を指定すれば、仕上がる。画像は、はがきの大きさ。プリンター用紙の横幅の30センチくらいにも、印刷ができた。昔話にお付き合い、有難うございました。

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いにしえの

2022年12月21日 13時20分16秒 | Weblog

文字続きで、載せました。この画像は、以前にも載せてます。前回と前々回に、筆で書いたのを載せました。今回も、文字続きです。画像は、1996年2月に、マイツール、ユーザーズ、グループ、ニュースの表紙。パソコンの年表をみると、1987年に使い始め、その後に、OSが、ウインドウズになった。画像の原本が手元に残っているのは、色が濁って、劣色している。リボンは、黒色と三原色のリボンのドットプリンターで、印刷をした。真っ新なインクリボンであれば、画像くらいの、発色をしていた。はるか昔し昔しの事です。今は、エクセルを使っての、パソコン画で、愛好家が、多数という。コンクールもあるとか。書籍もある。ネットでも、鑑賞できる。はるか昔しの時代に、トライしたことを、懐かしがってます。「老いの繰り言」、「自慢高慢、馬鹿のうち」です。

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またまたの落書き

2022年12月18日 13時59分47秒 | Weblog

画像は、前日に掲載をしたものの、草書体。前回と同じころに書いた。文字数が、14文字なので、習字をしていた時は、用紙の大きさは、縦が、約136センチ、横が、約34センチの、小画仙紙半切という規格の紙に書く。素人だったが、用紙などは数種、手漉きの半紙は、長年捨て置きしていたので、シミが出て、捨てた。筆は、中筆、細筆は残っている。はるか昔しに小生が、所属していた書道会の、師範認定の技量検定では、楷書体、行書体、草書体、隷書体を、それぞれを、同時に提出して、判定を受けていた。今でも、毛筆での、美術展が開催の案内が見られる。こころ落ち着かせて、筆での落書きをしてみたい、気持ちはある。下手の横好きのことでした。

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またまた落書きの

2022年12月17日 13時52分45秒 | Weblog

はるか五昔しに、習字をしていた。その名残で、筆と墨と紙は残っていた。これは、十年ほど前に書いた。今回、あらためてながめて、古色の雅号印を押した。漢詩、解は、「古寺の冬のもやが横たわれる小橋には消えて、梅花咲きそめ春水暖かに柳の芽がふきたした」という。漢詩をちょこつと勉強したが、今は忘れてしまった。筆と墨での習字の基本の基は、楷書、これをきっちり習って、行書、草書が書けるという。十四文字、色紙に、収まったなぁと、見ている。ばあちゃんの没後、時間があるので、何か書いてみつかぁだったが、筆が錆びつき、こびりついてダメ。さび付きの文字は、小冊子に綴り込めないなぁ。以前のもので、間に合わせることにした。画像は、その一枚。

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kon様、失礼をしてます。

2022年12月16日 13時30分10秒 | Weblog

8月9日に、ばあちゃんが亡くなったことに、Kon様から、お悔やみのコメントを、いただきました。無音をしており、大変な失礼をしておりました。コメントの中に、除夜の鐘がありました。近年の初詣は、元旦になってからです。ずうーっと前から、大晦日のテレビは、ちらっ見か、ながら見で、歌合戦が終わると、ちょっと離れた神社に、すぐに出発。ある時、新年の時刻を迎えるまで、大勢の人が、鳥居の前で待っていた。待つ間、川向かいの高台のお寺から、除夜の鐘が、寒風のふきようで、大きく聞こえたり、小さく聞こえたり。葉を落とした、大木の梢が、ひゅーひゅーと揺れ動き、地面からの冷気に、ちょこちょこと、足を踏み鳴らし、肩をすぼめて、見上げた。大木の梢が揺れ動き、星の瞬きを見て待っていた。聞こえてくるのは、はるかからの除夜の鐘と、風のうなりと、木々のざわつきと、境内を歩く人の足音だけ。静けさの中、やがて、新年になつた時の知らせの太鼓が、どんどかどんどかと、大きく響き、あちらこちらから、新年の挨拶の声が、にぎやかに聞こえてきた。画像は、その当時に、そんな情景を、思い出してもの。除夜の鐘の、107回目は、行く年の最後に打鐘して、煩悩が去ったこと、108回目は、新年の最初に打鐘して、今年も、煩悩に惑わされないように、願うと読んだ。今年の、年越しそばは、考え深いものになる。そうだ、Kon様は、八月十日が誕生日と、コメントのなかにあった。良い年を迎えられますようにと、祈念い致しております。

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駄筆の

2022年12月15日 15時19分53秒 | Weblog

大分昔しに書いた、駄句、駄筆の披露です。「やそぢおりおりに」と題して、拙い冊子を作る予定。筆で文字を、ちょっと書いてみようと始めたが、にわかにでは、ダメなこと。以前に書いたものから、拾い出してみた。「下手の道具調べ」で、羊毛筆で書いたと思う。小指の先ほどの太さで、穂先は、5センチくらい。墨を含ませると、穂先は垂れるほど。書く時は、墨を落としたと、思う。いちおう、それらしくみえると、「自慢高慢、馬鹿のうち」だと、自嘲をしている。

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残してあった

2022年12月12日 19時33分01秒 | Weblog

これも、守屋洋著―中国古典の名言録ーからです。「容体」とは、姿勢、態度のこと。「辞令」は、言葉使いのこと。姿勢や態度を正しくすること。顔色をととのえること。言葉使いに気を付けること。はるか昔しに読んで、書き止めておいた。今回、「やそぢおりおりにー第八集ー」を、思案をし始めた。筆文字を、中仕切りに使うと考え、書き始めたが、「昔取った杵柄」とはなならず、「昔の剣、今の菜刀」だぁと、書くのをあきらめた。はるか昔しは、「下手の横好きー下手なくせに、そのことが大好きで、熱心であることー」だった。筆、墨を手近くに置き、なんかの勢いで、メモ的に、書いていた。駄筆よりも、言葉の事と、ご容赦。

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捨てようかなぁと

2022年12月11日 19時17分30秒 | Weblog

画像は、守屋洋著ー中国古典の名言録からです。35年ほど前に、読んでいた。副タイトルに、「人間を読み、人生を読む」とある。この歳になると、難しいことは、考えない。ちょっとだけでも、なけなしの脳でも、考えられれは、いいかなぁと、思い出したものです。終活で、捨てようかなぁと、した中の一枚です。単細胞の脳みそでは、意欲もなく、必要ともされない、固辞するものもない、無い無いでは、我が身も無い。それでは、ダメになるだろう。ちまちまでも、ぼちぼちても、あるあるで、生きていく。へそ曲がりのをして、書きました。画像の、「意なく、必なく、固なく、我なし」の要約です。「意」は、資料を集め分析し検討を加えて判断をする。「必」は、自分の考えを無理に押し通す。「固」は、一つの判断に固執すること。「我」は、自分の都合しか考えないこと。「我を張る」、「我を通す」、これらは、まわりの人から嫌われる。「意」、「必」、「固」、「我」、の四つは、一人前の社会人にとっては、重要な欠格条項だと言ってよい、とある。十分に理解しないまま、載せました。

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冬陽光

2022年12月08日 15時20分32秒 | Weblog

今日は、ちょっと北風が吹いている。冬の陽光が、部屋の中まで入っている。でも、太陽の動きは早く、部屋のぬくもりは、すぐに消える。夜明け頃は、まだ、白河夜船中。今日の、当地方の日の出の時刻は、6時36分ころ。12月始めの頃は、6時31分頃で、遅くなり始めている。今日の、夕方の、日の入りは、16時19分頃。10日頃は、16時20分とあるので、当地方の、太陽の折り返しが、始まっている。冬らしい陽光だが、北風は強まっている。二十四節気の、大雪が過ぎ、22日は、冬至になる。ことわざに、「冬至冬中冬始め」がある。これからが寒くなる。日本の季節区分には、月末の28日頃に、「年末の悪天」という、「太平洋側の地方にも、降水がある。気温は、比較的高い」とある。当地方の降雪は、年が明けてからが、注意。別の事です。「赤穂浪士の討ち入り」は、元禄 15年12月14日。ものの本を、ぺらぺらめくって読むと、現在の暦に換算すると、1703年1月30日になるとある。旧暦のことあれこれ読んでも、そうなんだぁです。

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懐かしき昭和

2022年12月06日 21時11分01秒 | Weblog

画像は、昭和40年の記念切手。趣味の切手のシリーズとか。たまたま整理中にあった。昭和時代は、63年間。物心ついた10才頃に、敗戦になった。父親が、鉄道員だったので、官舎という鉄道線路沿い住んでいた。暑い最中に、機関車が、ばらばらばらっと、襲撃されたのを、見た覚えがある。一瞬だったと思う。昔のことをいっても、しょうがない。小生、生きながらえて八十七年になる。ことわざに、「日暮れて道を急ぐ」というのがある。「年を取ってから、人生の目的を果たそうと、あわててはじめること」という、意味もあると読んだ。人生の目的とは、なんぞやと、自問してみたが、我がことながら、分からない。自営業時代は、家族を養うこと、従業員の家族を養うことが、第一であり、そのためには、数多くの、人とのつながりが、大事な事と、胆に命じていた。人とのつながりには、迷惑はかけなかったと、思っている。在宅介護は、14年間かな。直接には、たまあーに、おしゃべりの相手と、夕食の介助等で、その日の目的があった。今年の八月に、それも終わり、今は遺品の整理する。そのあとは、我が身の、断捨離。目につくのは、本棚。追い追い整理する。毎月買う雑誌で、終活、終活と読む。ある雑誌には、八十を超せば、あれこれと、制約しないで、ほどぼとがいいと。今は、まずまず、健康で、薬に頼らなくてもいい。薬は、「屁一つは、千服に向かう」ー「おならをするのは、健康によいという」とか、定期の処方薬は、三種。つつがなく生きるとする。画像とは別の、毎度の支離滅裂です。午後に、ネットに接続できないと、エラーで苦慮してました。夜になって、えぃやぁって、立ち上げたら、記載できました。

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