びいえんねん。四字熟語辞典より。心を楽しませて、つまらないことに、くよくよしなければ、おのずから長寿を保つことができる。とある。前述の続き。在宅で介護が始まって、8年になる。同じ屋根の下での暮らしては、4年かなぁ。始まりは、大腸腫瘍の切除。高血圧症で入院。脳梗塞での、入院が二回、類天疱瘡で、長い月日の、皮膚に薬の塗布。拒食症のようになってしまったことなどを、思い出す。いやだなぁと思ったことは、何度もある。いやだと思えば、思うほど、どんどんと、いやな方にいってしまう。ならば、いやだと、思わないことにする。これで、今日まで、いや、これからも、いやと思わないこととする。
四字熟語辞典より。子を生み育てて苦労を重ねてくれた父母。苦労を重ねて死んだ父母の死と、その恩に報いることができなかったことを嘆き、親を慕う情を表した語。とある。在宅介護中の義母は、もうすぐ、102歳になる。たまーぁに、おしゃべりの相手をしていると、じっちさんと、ばっぱーぁさんのどこさ行くんだぁと云う。じっちさんとばっぱさんは、遠の昔にいない。ばあちゃんは、自分のことを知って、介護をしている娘の、世話を終わらせたいと、考えているのだろう。ばあちゃんが、脳梗塞になり、左半身が不自由になり、その時、介護の娘に、涙をながして、詫びていた。今は、早く旅立ちたいと、思っているのだろう。悲しみや、心のよりどころは、ばあちゃんでも、じっちさん、ばっぱあさんなのだろう。
今日は、かなり蒸し暑かった。時々雲が切れて、青空が見えた。近くの木立から、セミの鳴き声が聞こえた。ひぐらし蝉らしいのと、ミンミン蝉らしいのが、きこえる。じわじわとした暑さなので、セミも、とまどっているのかも。報道によると、異常気象は、全世界的のようだ。異常気象は、作物に、悪影響がある。価格にも変動をおよぼす。ずうーっと昔しに読んだ本に、「気象変動は、歴史を変える」がある。平穏だった世の中が、何やら悪い方に変動するのかも。どこからか、飛ばされたのか、道路にへばりつく蝉をみながら、ああでも、こうでもと、あっちこっちと、支離滅裂のことは、毎度のこと。ご容赦のほど。
終戦後に使われていたのかも。当時、この五円で、買えたもの、なんだろう。ものの本によると、終戦時のときは、「米」一俵、60キロが、18円80銭だったと、読んだ。お金に関しての、経済の本は、面白く読んでいた。今は年金生活者なので、使えるお金は、増えない。今のデフレの時代は、ありがたい。低所得者には、なにやら、支給されるお金があるようだ。支給されるお金があるよお、なんての案内はない。昔ぁーし読んだ本を、ぺらぺらめくっていたら、挟んであったのだ。このお金は、紙切れになったなぁと、時代の変化なのだろう。
画像は、ひと月前のもの。当地方いわきは、低温に注意が、四日続いている。肌寒いを通り越して、冷たい風がふいている。七月22日は、「大暑」で、あと15日で、「立秋」になる。暑さは、これからなのだろう。エルニーニョ現象は、終わったと、報じたと、記憶しているが、その影響は、続いているのかも。台風の発生は、少ない気象現象のようだ。梅雨明け十日と云って、猛暑が続くのだろうが、当地方、梅雨明けはしていない。
写経を始める前に、カシャッとした。香がただよい、話し声が、ちょっとにぎやか。でも、話し声も止み、墨をすり始め、静かになった。今月の法話は、一口に、仏教というが、数多くの宗派がある。写経で世話になつている閼伽井嶽薬師は、真言宗で、開祖は空海とのこと。大日如来が、本尊という。仏教は、紀元前5世紀ころに、お釈迦さまか、ひらいたという。長い長い年月で、多くの宗派が、開祖されたという。仕事をしていた時は、迷い、苦しみを、どのようにして、抜け出すかだった。今、思いかえすと、迷いも、苦しみも、勉強不足で、考え考えて、その上の判断に、迷っていた。今は、当時の、ことは、一つ一つは、何も思い出せない。懐かしく思うだけだ。この歳になっても、なにかと、不安が出てくると思う。身につく勉強は、これからも、続いて、終わりがないのかも。
梅雨が終わるころになつた。境内の案内板に、夏の大祭りのポスターが、掲示したあつた。これから夏本番なのだか、季節の巡りは早い。昼近い時刻に、着いた。午前中の参詣の人人は、駐車場から戻り、境内は、ひとしきり、静寂になった。
画像は、昨年の七月下旬の、食事の記録。欠食の時が多すぎて、どうなることやらと、心配をした。食事の時間に、眠り続けていたのと、おお怒りで、だめだった。今年は、あとひと月で、百二歳になる。いまのところは、喜怒哀楽の感情は、はつきりしている。欠食していても、大丈夫だと思っている。食事のほか、必須アミノ酸は、時々、補給をしている。これがいいのかもしれない。部屋は、温度計と湿度計をみながら、冷房や除湿と、空調をしている。
画像は、昨年のもの。当地方は、月遅れで、お盆をする。八月の十三日の夜に、精霊が、迎え火の明かりをたよりに、家へ帰ってくるという。お盆は、一年の折り返しのころという。まあ、旧暦の考えなのだろう。七月の月の異称は、「文月」が一般的にいわれている。ものの本によると、「秋初月」ともある。当地方は、梅雨が明けるのは、20日を過ぎてからになる。本格的な暑さは、これからだ。月遅れでお盆を迎えると、急に秋の風情になる。
画像は、ばあちゃんの二年前の百歳の、お祝いのときに、いただいた花。二年が経て、水やりしかしていないのに、咲いた。ことわざに、「花七日」と言うのがある。意味は、なにごとも盛りの時期は、短いことのたとえ。花の数は、すくないが、二週間も咲いている。在宅介護中のばあちゃんは、あとひと月で、百二歳になる。認知症の悪い状態になってしまうと、感情が、唯静まるのを待つしかない。すまし顔をしている、平常の時は、意味がとれないが、おしゃべりをする。いまのところ、元気でいる。102年生きているのかぁと、しみじみと、思っている。
昨晩、菅官房長官の、応援演説を聞きに行った。ちょつとおさえ気味の演説にも、迫力があった。テレビで見る語りだった。政策への批判は、批判として、受け止めるが、批判だけでは、世の中が進んでいかない。実績を積み重ね、安定をした、将来の基礎が、今の政策と、受け取った。帰りぎは、歩道と車道の境の、人波が途切れたところで、真近に、拝顔をした。先の民主党の政権の混乱と、大震災、原発事故の混乱が、収まってきているのかも。間接的な被害を受けているので、世の中、安定が一番だ。国、県、市と流れがいいと思う。もし、野合といわれるところに敗れれば、流れが切れると、すかすかの脳で考えた。野次馬のだが、一票の権利はある。
テレビのニュースで、七夕祭りをみている。新聞の、お天気情報に、今日の、お月様の大きさの図が載っている。旧暦の月日も、載っている。旧暦の、七月七日は、今年は、八月の9日になる。当地方は、梅雨の最中。夕方になり、梅雨空で、星は見えない。七夕祭りは、月遅れの、八月七日に行われる。画像は、昨年のもの。
気が付いたら、芽生えたので、肥料と思い、さした。肥料の出口をほちっと折ったのが、大きかったようだ。三日で、半分になった。なんか変わった葉なので、見るだけでもいいかぁ。鉢植えにするか、地植えにするかだなぁ。花を見て、なにかの実がなれば、その楽しみもある。実のなる木は、枝が大きくなるので、枝払いが厄介になる。まずは、花がひらいて、実がなるのを、待つとする。
折込チラシを、カシャッとした。福島県は、一人区。自民党と野党共闘で争っているのかも。「民」と「共」とあるので、民主主義と共産主義で、手を組んでいるのかも。相反する主義が、混ざり合っても、うまくいかねぇべぇと、思う。震災、原発事故の時の政権の、対応はどうだったのかぁなんて、思っている。なんか、ごたごたが続いていたのかも。まずは、政府が安定をすれば、なんか落ち着くのかも。そんな思いで、投票するだけ。
守屋洋著の「中国古典の名言録」を読むと、「人生如朝露」とある。画像は、二回目の披露。一回目は、ブログを始めた頃だと思う。人生は、はかないとゆうことだが、人生は朝露の如しのあとは、だから、せいぜい楽しもうではないかという、意味の下りが続いていると、読んだ。楽しみは、金銭的なゆとりと、時間的なゆとりがなければ、ならないだろう。楽しんでいる間は、楽しくていいのだろう。楽しみが終わって、むなしく思うと、なんだったと思うのかも。いろいろ考えると、スカスカの脳が痛み出す。ほどほどに楽しむことにする。無ぇものは、無ぇんだぁと、負け惜しみをしている。