96歳ころ、拒食状になって、水分を点滴に頼ったころのこと。自分で食べれるようになると、お医者さんが、言った。念のために、点滴の希望を話した。それ以来、週に二回。現在は、週に一回の点滴になった。元気だったころは、枯れ木の枯れるように、死んで逝きたいと言っていた。今の点滴は、ばあちゃんの、望みではないのかも。死んで逝くには、自然にまかせると、考えている。尊厳死や安楽死があるようだが、そのような状態ではない。ちょっと前の報道では、長い間の闘病から、逃れて、希望して、死んで逝ったのを、読んだ。40年ほど前のことだが、義父が、衰弱して、往診を頼んだ。その時の、お医者さんが、「あきらめるのか、どうか」と、問われた。「何とか、生きられのか」と、返事をした。「生きているだけは、できる」となり、点滴をして、あとは、別の病院へ、入院することになった。正月が終わり、それから、約10か月のあと、死になった。その、10か月は、義父は、苦しい思いをしていた。快癒しないのだからということを、しっかりと、理解べきだった。このことを、頭に入れて、いざと、なった時には、これ以上の延命は、しない。画像の文字の最後の列は、「おれは死ぬのがぁって 真顔でいう 点滴の落ちるのをみて 問う」
在宅介護中のばあちゃんの、百六歳の記念の、小冊子に添える、このしおりを作って、終了となった。[千秋萬古]を貼りつけた。辞典に、歳月の長いこと。永遠という意味とある。「萬古」とは、「後の世までの長い時間、永遠のこととある。わかったようで、わからないのは、いつものこと。花の、花ことばを、赤い色の花と、淡い色の花の、二種を貼りつけた。花と花ことばは、年間、365日の誕生日に付いている。例えば、四月の6日の「イカリソウ」は、あなたを離さない。四月22日の、「ヤマツツジ」は、燃える思い。五月の29日の、「セツコク」は、あなたは私を元気づける。六月の19日の「ノアザミ」は、私をもっと知ってください。四月の18日の「キリシマツツジ」は、燃え上がる愛。見たこともない花が、いっぱいある。花ことばとはと、辞典をぺらぺらとめくった。それぞれの花のもつ特徴、性質などに素づいて象徴的な意味をもたせた語とあった。へぇだった。「花暦」もあるという。これは、四季の花を月の順に配列し、それぞれに、花の鑑賞時期や名所を記したものと、読んだ。これも、へぇ。
在宅介護中のばあちゃんの、姪ごに弔意をした。入棺から通夜。葬儀、告別式、火葬、その後、埋葬と、長い時間だった。九十六歳だった。新コロナウイルスで、三蜜を避けるために、内々での葬儀だった。弔電の文例は、数多くあり、飾り台紙も、数多いくある。三通を送ったので、弔意の文も、それぞれに、使い分けた。書き出しのは、一通目は、「ご母堂様の逝去の報にーー」と、「いつまでもお元気でーー」と、「ご逝去の報せに、ただただ、驚いてーー」と、差し出す方の、弔意が伝わるようだ。弔電を使うのは、今年は、二回目だ。故人は、元気なころは、「叔母、叔母」と、手土産を携えて、タクシーで、来ていた。先の戦争中と、戦後のころ、疎開をして来たころ、この姪御の所で、数年家を借りていたようだ。当のばあちゃんは、末っ子なので、甥や姪さん達は、ことのほか、懐かしかったのむだろう。今は、ばあちゃんに関しては、甥が二人、姪が一人が、長生きで、元気と聞いている。ばあちゃんのには、この姪御の死去は、話をしていない。ばあちゃんにとっては、一番思い出深い姪御と思うので、もし、死去を理解すれば、悲しむだろうと、思う。
画像の、右上は、10歳ころ。甥をおんぶしている。七月の十五日に、古い写真を掲載をした。その中から、ズームアップをした。斜め下は、磐城郡内の大会の時、11歳?頃。斜め下は、娘時代。右下は、夫婦仲良く、明治神宮外苑でとある。歩行している所なので、当時にしてみれば、よく撮れた、だろう。左側の上は、三女とで、会津観光、初めての旅行。楽しかったと思う。下は、戦争末期で、東京都日本橋から、疎開をする当日のもの。二歳の長女と、乳飲み子の二女。カラーの方はのベットで、涙を流しているのは、お盆で、帰省をしていて、みんなが帰る日。義妹夫婦等から、花を一本ずつもらい、泣いている。当のばあちゃんは、憶えていると思う。
百六歳の記念の、小冊子の表紙。作成、三回目のもの。前二回は、別の図柄だった。あれこれと、最後まで、考えてみた。印刷の時間切れも考えた。この図柄は、[墨絵年賀状素材集]から、拝借をした。昨日、製本テープで、仕上げた。内容は、ネタ切れ。97歳頃に、拒食状から、普段通りの、食事が食べれるようになっていったことを、義妹二人に、メールで送信をしたのを綴った。読みやすいように、ワードで、書き直した。ワードは、W7のを使った。W10のは、慣れがないのでやめた。
今日は、SDカードから、画像を、アップロードができた。やれやれたった。画像は、先日の、防災メール。近直の、ハザードマップを、新聞でみた。平成27年の、防災マップには、下水道施設は、一時間あたりの雨量が、47mmまで、備えているとある。浸水[内水]ハザードマップは、過去最大、一時間に、91mmの降雨の時を、想定しているとある。数年前にあった大雨のとき、家の前の道路が、河のようになったことがある。なんかへんだなぁと、雨の中、流れに逆らって様子を見に行くと、街中の駐車場に段差をなくす傾斜板が、設置してある。降った雨水が、その場の穴に、入らないで、流れてきたのだった。この程度の降水ならば、大丈夫だと思った。浸水被害が発生する状態は、防災メールと、テレビの気象情報や、ネットでの、河川の水位情報とで、わが身に迫る被害発生の確率で、防災をする。昨年秋の、夏井川の氾濫や、決壊の状況は、夜が明けてから、親戚の家に、見舞いがてら、状況を見せてもらった。好間川添えの一家は、早々に、避難をしたという。もう一軒は、浸水してきて、驚き、少しは、二階にものをあげただけだったという。情報を得て、どのように判断をするかを、考えるように、心掛けている。
画像は、昨年買え替えたときのもの。使い勝手は、こんなにも良くなっている。ソフトのこと。誰かが、パソコンに入り込んで、いじっているのかもと、思われる現象があった。というのは、SDカードから、画像が、アップロードができない。まあ、無知のことを、棚に上げて、書きだした。新しいパソコンにした時、すぐに使えるように、設定を、プロに依頼をした。拙いブログに、簡単に、画像をアップロードができていた。数日前、それができない。はてなと、考えた。そうか、パソコンの画面に、「あと、2台接続できます」を、✖。「早期割引はーー」を、✖。「---、今すぐに申し込みをーー」を、✖。すると、画面いっぱいに、どかーんと、現われた。それを、✖。表示が現れるタイミングの良さに、びっくりした。見えない相手が、画面を操作しるのは、「おちゃのこさいさい」、だろうなあ。いろいろの誘いに、ok、okをすれば、料金が、発生するのは、当たり前のこと。あまりの、しつこさに、「敵もさるもの、引っ掻くもの」だなぁ。仕事熱心なのだろうが、心証を害することもある。これだけ、悪口を書けば、あとは、どうなることやら。念のために、パソコン本体のことでは、ありません。
画像は、「九夏三伏」、きゅうかさんぷく。「九夏」は、九旬の夏の意で、夏の九十日間。「三伏」は、初伏、「夏至後の三度目の庚ーかのえーの日」、中伏、「四度目の庚の日」、末伏、「立秋後の初めての庚の日のこと」。夏の最も暑い期間をいう。辞典よりです。暦をみると、初伏は七月の十六日だった。末伏は、八月の十五日で、八月の二十五日で、夏も終わる。旧暦での、七夕は、八月の二十五日とある。去年の七夕は、八月の七日だった。長々と書いたのは、肌寒い日が続いている。お天気の予報をみていると、19日頃まで、肌寒いようだ。福島県の浜通りは、「やませ」という風の影響で、肌寒い日が続くのかも。この肌寒さ、日照不足で、果物の生産家は、かなりの影響があるようだ。
画像は、在宅介護中のばあちゃんの、百六歳の記念誌に、綴り込んだ。百三才の時の、表紙に使った。写真は、95年ほど前のものと思う。ほぼ中央の右よりに、子守りをしているのが、ばあちゃん。おんぶされているのが、ばあちゃんの甥という。この甥御さんから、以前に、届けていただいた。話によると、当時の石炭を掘りだすのに、働いていた人の、食料の野菜の時期時期に、買い付けにきていたとか。今は、野菜の生産は、自家消費する分だけ。その中から、今でも、キュウリとネギは、頂戴をしている。お中元を届けにいくと、トマトを、いただく。先日、いただいたキュウリも、皮が柔らかい。味噌で食べるのは、最高の、ごちそう。冬場のネギも、刻み、カツオ節を、ぱらりとして、醤油を、ちょろっとかけて、食べる。にがみと甘さは、格別。トマトも、一日、二日おくと、真っ赤になる。トマト、本来の味わう。別のことだが、今の時期に、スーパーの地元農家のが、少量棚にある。行った時には、購入をしてくる。またまた、別のことだが、百六歳の記念誌の、印刷が終わり、製本を始める。40ページになので、ドリルで、三か所、穴をあけ、糸でとじる。製本テープを貼って終わる。ようやく、完成になる。百七歳に向かう間には、どんな変調があるのかと、思っている昨今。
あとひと月で、ばあちゃんは、百六歳になる。その記念の冊子が、ようやく、まとまった。A5判で、四十ページになった。拙いブログに、ばあちゃん関連のことを、載せたのが十話、「百五歳の雑感」として綴る。画像は、その仕切りに使う。絵図は、鳩居堂製のはがきを使った。文字は、標準の太さのものに、替える。表紙と裏表紙の絵柄は、思案中。プリンター二台を、動かしているが、古いのは、インクの消費が多い。文字のページには、古い方を使う。写真のページは、プリンターが、畜熱をするので、一回の印刷には、30枚が良いようだ。クーラーの風を、小型の扇風機をあてて、冷やしている。しおりも、添えようと思うので、ちょつと、焦っている。
日本各地、大雨の被害の報道を、見ている。被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。当地方も、激しい降雨があったが、直接の被害はないようだ。いざという時は、二階に避難をする。介護中の、在宅のばあちゃんを、背負って、二階にあげるのは、無理のようだ。でも、滑車を使う方法がある。その滑車を捜してくればいい。そのうちに、などといっていたら、だめだっべぇなぁ。大雨のことは、過去の、七月のお天気を表しているのを、見た。少雨という月もあり、長梅雨低温、雨の被害多数、猛暑渇水と、表されている。またまた旧暦のことだが、今年は、旧暦の四月が、二回ある閏年。2001年と、同じになる。小林弦彦著を、ぺらぺらめくってみた。その時の予測の言葉は、「梅雨遅延。花冷え引きずり、夏への移行が遅れる。後半猛暑」とある。夏は、6月20日から。秋は、九月17日から。「紅葉不鮮。残暑厳しく、秋風遅く、台風多いか」と、予測をしていた。日付けは、ずれても、このようになるのかも。冬は、12月15日からで、「快快好日。年内しのぎやすい。寒さは年が明けてから」かも。「笹の葉さらさら、軒端にゆれる、お星様きらきら、金銀すなご。五しきの短冊、私が書いた お星さまきらきら 空から見てる」の、七夕は、八月の25日になる。あっちゃこっちゃと、書いています。日本の季節区分に、6月29日頃は、「梅雨の大雨」と、特異日としてある。当地方いわきでは、梅雨明けは、7月の20日頃。だが、今年は遅れるのかも、またまだおお、大雨の日がある。
画像は、三十年ほど前に、書いたもの。当時、吹けば飛ぶよおな、会社を経営をしていた。当時の社屋の神棚の、載せておいて、時々、読んでいた。廃業の社屋を撤去をした時、神式で、解体工事と、それまでの感謝を、神官さんに、祈祷をいただいた。神棚のものは、祈祷済みで、廃棄をした。これだけは、保存をしておいた。保存をしておくべきとの、当時の記憶はない。時代の変化は、昭和37年に読んだ、林周二著の、「流通革命」と、その後に、「流通革命新論」。物の動きの変化が、急になるということだった。以後、物販の形態や、世の中の変化を、感じとるのに、本屋さんをぶらついていた。そんな時、守屋洋著、「中国古典の名言録」を買い、その中に在ったのが、画像のもの。「久安」とは、長く続いた平穏無事な状態。そんなもの、頼りにするな、いつまでも続くと思うな。「初難」とは、初めて、ぶっつかる困難。一度や二度の困難に、ぶっかつても、へこたれるなと、いうこと。色紙は、自分で書いたもので、当時の感情を、懐かしがつている。釈文は、著者のを、そのまま、載せました。
毎週金曜日は、入浴サービスの日。素人、美容で、髪をカットしている。切った髪が、肌に付いたのを、入浴で、洗い流していただく。目覚めでいるので、髪を切った。出張してるくれる、美容さんとか、理容さんも、あるのだが、ばあちゃんが、眠りコケていない時の、タイミングがある。十年ほどの、ずうーっと前、脳梗塞で入院をしていた。そろそろ退院になるころに、髪をカットしてもらった。それ以後は、あわて床屋で、散髪をしている。暑くなる前とか、冬場に向かう時とか、年に三回、散髪をしている。素人用のはさみも、買ってある。襟足を剃るのは、小生の、髭剃りを使う。熱いタオルで、石鹸の泡をふき取る。後ろ首を、温めてる。さっぱりとして、気持ちがよさそう。こんなことから、「あわて床屋」だなぁと。「春は早ようから 川辺の葦に カニが店出し 床屋でござる チヨッキン チヨッキン チヨッキン な」。