前回の古いカメラの撮影の時、使っていたもの。フイルムの感光度があり、撮影時の時刻があり、午前中、午後の影の長さで、何月なのかを、くりくりと合わせると、絞り大きさ、シャッターの速度がわかった。まあ、結構頭を使っていた。
古い物ついでに。撮影するときは、被写体を上から覗いて、シャツターを押す。闇夜の稲妻を撮影しようと、絞りを絞って、シャツターを開放して、稲妻が光りそうな方向に、カメラを向けていた。なんか1度撮影したように思う。まあ、暇人だったんだなあ。
15年ほど前かな、1997年頃に使っていた。画像は、パソコンに取り込めたが、使っていなかつた。写真機のような使い方をしていた。図表の記録には、助かった。そんな懐かしさがある。不用品の整理をしていて、出てきた。捨てるに捨てられないであった。携帯には、電源は単三乾電池を四本なので、重い。今は、どうやって捨てようかと考えている。
画像の花は、今風の色合いでもない。130年ほどたっていると思う、古い庭木から、挿し木をしたもの。別の話。政治は、「国民のため」とか、やたらに殺し文句が、目に入る。民主党政権になって、三年になるのかなぁ。「民主党がめざすもの」とか、「民主党だからこそ」とか、言っていたので、期待をしていた。当時、政権交代を、「暗黒の曇り空から、青空が見え、光りがさしこんでくる」という状景に、例えていた。歌の文句じゃないが、「一度離れた心は二度と、戻らないのよぉ元にぃはぁ」かぁ。どこかの地方で、一番短い手紙のコンテストにあったという、その中に、元夫から元妻へ、「もういち度」。元妻から元夫へ「もう二度と」の返事。今の国会は、後期高齢者のすかすか脳味噌では、こんなふうにしか、感じられない。これはまたぁ、失礼、致しぃやぁしまぁしぃたぁ。
前回に続いて、河川の水位情報で見た画像。これは台風一過した翌日のもの。台風が最接近して、風雨が激しかった時の、静止画像は、レンズに雨滴が流れ、ぼんやりとしか見えなかった。白く見える橋脚が隠れて、水面が橋の底面にまで、増水をしていたのか見えた。夏井川の支流は、山間部の三坂川、好間川、小玉川、仁井田川、新川がある。これらの川の状況も、前回載せた図で見られる。もし、氾濫の恐れがあれば、我が身の安全を考える。在宅で介護をしている義母を、まず、どうするか。2階へ移すか、車で避難をするか。備えをしておく。自分で情報をえる。そして行動が第一と思う。必要ならば、近隣に知らせる。水量が減ってきているような数値をみれば、安心をして、眠りにつける。このような情報がネットで得られる。災害がないのを願い、情報に感謝をしている。
昨晩の深夜にかけて、雨風か激しくなり、驚かされた。被害に合われた方にお見舞いを申し上げます。気象統計によると、台風は、六月は二個くらい発生をして、一個くらい接近するとある。当地方のいわき市には、日付けが変った頃から、最接近になった。雨風はしょうがないにしても、河川の氾濫は心配をする。ずうぅっと前から、河川の雨量水位情報が、ネットで得られる。昨晩は夏井川も、新川も、好間川も避難判断水位に、近ずいた。夏井川は、午前4時に、5m58cm。新川は、午前2時に、4m23cm、好間川は、2m74cmとなった。勿論その時点での、雨量も、水位の増減の差の数値も、読み取れる。山間部に降った雨量の数値も、読み取れる。これらの情報によって,大丈夫だと思い、眠りについた。当地からちょつと離れた地区では、避難指示があって、避難をしていた。その地区で氾濫の心配があったのだろう。風雨の中での避難は、人事ではない。以前から、この平地区で、河川の氾濫が有ったときは、2メートルの高さまで、浸水するかもと、知らされている。大分前に、大きな被害ではなかったが、新川が南側にあふれたときがあった。もしもと思い、町内会に話をしたが、何もできないという。当時、町内会の一部の部分を担当していた。なにもなかったのでよかった。このことが、昨年の大震災と原発事故のときに、自分の判断で、部内に、市からのお知らせなどを、配布したのが、伏線になっていたと、今思っている。画像は今日20日の午後8時頃のもの。
画像は、二月にも載せた海水浴場。毎年毎年、大勢の海水浴の人で賑わっていたところ。しかし、大地震で、地盤沈下なのか、海水浴客の安全を見守っていた塔は、土台は今も波に洗われていた。画像にはないが、家屋が軒を連ねていた左手は、津波でほとんど流された。別の話。もう夏至になる。ブログをしているが、台風の影響で、雨音が激しい。想定外の被害がないように、願うしかない。20日は、旧暦の五月一日だ。五月晴れに泳いでいる鯉のぼり、端午の節供はすでに終わっている。もともとは、五月雨の時期の「鯉の滝のぼり」という、出世魚のことだったようだ。冠婚葬祭の時に気にする「友引」「仏滅」「大安」では、端午の節供は、毎年「先負」で、ひな祭りの三月三日は「大安」、七夕の七月七日は「先勝」となる。この六曜星は、旧暦の月を起点にしている。ブログに何かと、考えているのは、無け無しの脳みそに、ぼけ防止にはちょっとは役にたつのかと、またまた、自嘲をしている。屁でもないことに、お付き合い、これはまた、失礼しました。
くうくうじゃくじゃく-新明解にある。「執着や煩悩を除いた静かな心の境地」。こうありたいものだが、日々の生活に追われていては、願望でしかない。生活に直接影響のある事や、間接的なことなどで、いかに自分の身を守るかを考えていかねばならない。息をしているのには、税はかからない。水は井戸から汲み上げればいいのだが、井戸はない。あっても市街地では、安心をして飲めない。食料品は買う。消費税のことが、二ュ-スに多い。ぼけ防止に雑多な本を読む。かみしめて読めば読むほど、気にすることになつてしまう。さらぁ-と読んでいればいいのだが。ばたばたばたと、暮らしていては、こんな心境はいつのことやらと、またまた、自嘲をしている。
はいちゅうのだえい-「酒の杯の中に映った弓の影を、蛇の影と思い、不吉に感じて病気になってしまった。その後、それが弓だったと知ると、病気は治ってしまったという故事。意味は、ひとたび疑い出せば、本当はなんでもないことでも、自分を害するのではないかと思い悩み、心を疲労させてしまうたとえ」-新明解より。最近のテレビで、何号機が危ないとかをみた。会津に避難をしている知人が、一時帰宅だと、立ち寄った。「危ないって云うが」と不安がっていた。20キロ圏内なので、不安はしょうがない。小生の所は、50キロ余りでも、テレビで報道をみると、不安になる。画像は、想定外の事故の当時に、「いわき市からのお知らせ」を、隣組に配布をしたもの。昨年の五月にも載せた。発表されている放射線の値で、当地は不安はない。原発は、これ以上悪くならないことを、祈っている。
政権交代があって、世の中が、がらりと変ってバラ色かと思っていた。埋蔵金、事業仕分け、人件費の削減、議員定数の削減で、お金の使い方を見直すと、読んでいた。マニフェストは、当時、夢物語のようだと、批判されてたようだ。「夢物語を実現するのも、民主党政権だ」と、本にもある。今になって、消費税をあげるという。大震災の災害復旧、原発事故の補償、お金は必要だ。想定外の事と言えばそれまでだ。今の時代より悪い時代を、想定するしかない。スカスカの脳で考えるには、「ボケ」防止に役にたっているのだろうと、思うが、どうなんだっぺえと、自嘲をしている。
知りあいとの茶のみ話に、「4号機が危ねぇって、云うのでねえのぉ」って聞く。テレビで見たという。図を使って、解説をしていたとか。現場にいた人だといって、話をしていたとか。「何かかくしている」とか、「本当のこと、説明していない」とか。雑談をしていれば、「そうなのかぁ」つて、ますます、「疑心暗鬼」になってしまう。それを打ち消すほどの、知識もないので、うなずいているだけだ。後日になつて、正式な図を使って、説明をしたのだろうが、一旦、口から言葉が出てしまえば、視聴者は信じてしまう。「もし」とか、「---たら」とか、「---れば」とかの、言葉がはいると、仮の話なので「そうなんだぁ」って、相づちをしている。草刈ゴルフのときは、「たらとか、ればは、晩飯のおかず」と、ちゃかしている。画像は、昨年の震災時、貯水をした時のもの。近所で、飲み水がないといえば、やかんに一つあげたり、トイレだぁと云うので、ばけつで三杯届けたりした。これは、もう使うことはないと、信じている。
地震、津波、原発事故。これらの被害を受けた方々は、この歌は、苦々しく思っていると思う。原発事故での方々は、住みたくても住めない。避難をしている知り合いから話を聞くと、一時帰宅のたびに、家屋の荒れがひどくなっているという。長い年月をかけて、住むことにしていたのにと、残念でしょうがないという。こんなことをブログに書いているが、間接的に被害が生じている。せまい日本全国各地に、原子力発電所がある。その近くの地盤には、断層が走っているという。断層があるところに、温泉が涌き出ているようだ。今回の大地震は、ものすごい長さの距離で、地盤が動き、地盤の沈下もはげしいという。大津波によって引き起こされた、原発事故、故郷の廃家は、思い出したくない、歌かもしれない。