八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

赤井岳の竜灯

2013年03月31日 19時31分28秒 | Weblog
前回、写経に行った時、薬師堂から下の庭をパチリしたもの。鴨志田著「いわきの伝説」によると、海にすむ竜神が、夏井川ぞいに、薬師堂に竜灯をささげに、のぼってきたと云う。四倉の海から、赤っぽい灯りが、ひとつ、二つ、三つとあらわれ、そのうちに二十、三十と数がふえ、薬師堂の前の大杉の梢のあたりにきて、まとまり、竜灯が、白っぽく輝き、大きくまとまり、つぎつぎと、堂の中へ、入っていったという。明治の38年ころまで、見られた現象だとある。竜灯の伝説は、日本各地にあるという。
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写経をしてきた

2013年03月28日 19時23分24秒 | Weblog
まずはやってみようと、三月の中の頃、赤井岳の水晶山、常福寺で、写経をしてきた。本堂への参拝のあと、写経場で、講和があり、読経のあと、はじめた。風のざわつきもなく、場内は皆なれているので、物音ひとつない静寂。正座はつらく、足をくずして、書くだけだった。時が過ぎるのを忘れる。やがて障子戸が開く音で、「もう終わった人がいるんだぁ」と、時計を見た。写経の経験は、数年に一度だった。手元にある数枚の写経の願いは、健康の二文字だ。今のところ、まずまず、大丈夫と思っている。二種の薬は、服用はしている。定期に受診をしているお医者さんに、「歳のわりには、元気だねぇ」って、お世辞でも、うれしかつた。この歳になると、悩みや迷いは捨てて、こころの平安とが一番と、悟られればと思っている。しかし、俗人なので、あれも、これも、それもと、観望が多い。月に一度、「無」の時間から、何かが得られると思っている。
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お互いさま

2013年03月26日 19時38分11秒 | Weblog
画像は、震災当時に市役所からのお知らせのなかの一枚。食べ物が不足をしていた。隣組の人々は、そのまま、住んでいた。水がないだけで、普通に生活をしていた。当時配布をした中に、避難所の人数確認の表もあった。当時、20キロ圏内から、避難場所を指示されてきてみたが、満員。無理もない、いわき市の沿岸部は、津波の被害で避難をして、満員の状態だった。すぐ近くの体育館には、250人避難をしているとあった。食べ物には困っていたのだろう。当時も、いわき市は電気が使えた。給水を受けに行き、その水で、ご飯を炊き、おにぎりを作った。トイレに使う水は、ちょつと離れたところにある井戸水をくみ上げてきて使った。今後、日本全土、大震災が発生しないことを願っている。
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風声鶴唳

2013年03月24日 19時27分55秒 | Weblog
風声鶴唳=ふうせいかくれい=おじけついて、わずからことにも、恐れおののくことのたとえ。鶴唳はつるの鳴き声、わずかな物音にもおびえるたとえ。新明解より。画像は原発事故があった三月の18日に、「安定ヨウ素剤の配布に係るいわき市長からのメッセ-ジ」。当時、隣組に配布した中の一枚。原発事故があって12日に、避難をしてきた人は、ヨウ素剤を持ってきたと云っていた。その時は、どうしたもんたっぺぇと、思っていた。最近のある日の、買い物のときの、疑り深いのと、のうてんきの夫婦の会話。「これ放射線大丈夫かなぁ」。「みんな大丈夫だょ」。「んでも、わかんねぇべぇ」。「入ってんの食べっと、腹痛くなって、下痢すんのげぇ」。「喉のとこに、なにかできた人いるんだって」。「放射線の影響でできるのは、四年ぐれぇたってからだと、聞いたぞう」。「細胞分裂して、成長していく人は、おっかねぇべぇげども、細胞がぶっ壊れていく歳だもの、関係ねえぇべぇ」。「放射線のごと、心配して、円形脱毛症になっちまうぞぉ」。いわき市は、原発から30キロ圏内の所が、一部ありました。最初に、放射線が飛来したようですが、安全です。原発事故の収束のための、工事に携わる人々が多いようです。避難をして、仮設に住んでいる人も多いようです。放射線のことを心配している方々には、大変不愉快なことを書いたと思っています。こう書いている本人は、もう八十に手が届く歳です。不愉快はご容赦ください。
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禍福倚伏

2013年03月22日 20時45分08秒 | Weblog
[ 禍福倚伏 ]=かふくいふく= 福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜むように、災いと幸せは、順繰りにおとずれるものたいいうこと。新明解より。原発事故が、この言葉のようにも思える。[ 禍 ]は、原発事故そのもののようだ。[ 福 ]は、原発で発電された電気の、恩恵にあずかっている。いいことばかりは、続かない。画像は、原発の事故があった、その月の20日の14時に計測して、発表されたもの。当時、市役所に取に行ったお知らせの中の一枚。勿論、隣組に配布したもの。隣組に配布しながら声をかけていた。その頃は、放射線のことよりも、日常生活のこと、水や、食べ物、車の燃料で、苦労をしていた。幸い、電気が使えた。明かりがあり、冷蔵庫の中の食べ物が食べれた。画像では読み取れないかもしれないが、最後の行には、「胃のⅩ線検診、一回当たりの放射線量は、600マイクロシ-ベルトだが、暫定値のうち、最も高い飯館村の測定値は、これを十分下回っており、健康に影響ないレベルと考えられます」とある。放射線のことを、疑いはじめれば、「疑心暗鬼」が、ますます、怖さが増すのかもしれない。「安全だ」と発表しているのだから、「安心」している。[禍福倚伏]。今の世の中はこの言葉のようにおもえる。
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原発事故発生10日後の、安全のお知らせ

2013年03月21日 19時54分09秒 | Weblog
画像は、原発事故の後、放射線は、「安全」だと、普通に生活がができると、20日に、市民へのお知らせがあったぺ-パ-の、隣組に配布した一枚。11日から15日の間は、別のお知らせを配布しながら、原発のことを聞かれた。何も理解をしていなかつたので、その時は、テレビや新聞の報道に、注視をして、各自がそれぞれに判断をするしかないと、話しあっていた。当時、もしもとか、万が一とか、考えてみたが、どうしたらいいのか、わからない。不安にかられると、もしも、万が一、もしも、万が一と不安が増していく。当時、テレビを注視していると、建屋が吹き飛ぶ様を、赤く爆発の瞬間、そしてコンクリ―トの破片が飛び散るの、テレビの画面で、目の当りした。10階建てくらいのビルが破壊するんだなぁなんて、見ていた。原発事故の当時は、放射線のことは、考えていなかった。見えない恐怖にかられて、三月15日の昼頃に、避難をすることにした。20日の昼過ぎにもどり、水汲みや、お知らせを取りに、市役所にいき、コピ-して、ホッチキをして、20数軒に、配布をしてあるいていた。あの時の恐怖は、思いだしたくない。
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放射線測定器

2013年03月18日 20時47分36秒 | Weblog
いわき市の水石山に、設置してある測定器。市街地の主だった場所にも、設置してある。原発事故があった翌月の四月には、いわき市では、放射線の基準の数値が、低く安定していると、報じられていた。二年が過ぎた今、放射線の数値は、だいぶ下がっていると、最近報じられた。毎日食べる食糧品も、安心をして食べている。原発事故があった三月は、町内会の役をしていた。遠方にいる同級性が、その同級生の放射線に権威ある友人が、体に影響をする放射線のこととか、影響が少ないこととかを書いた、ぺ-パ-を何枚も枚送ってくれた。「いわき市は、心配ないよぉ」って書いてあるそのぺ-パ-をコピ-して、市役所からのお知らせとあわせて、隣組や、近隣に配布をした。当時、連日連夜、新聞もテレビも、放射線の影響を報じていた。「いわき市は安心をしていいよぉ」のぺ-パ-は、喜ばれた。
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いわき市、水石山の青空

2013年03月17日 20時06分58秒 | Weblog
土曜日の昼下がり、ちょっと所用があったついでに、足をのばして、山頂へいってみた。抜けるようではない青空が、広がっていた。下界は、黄砂か、もやか、もやっていた。山頂には、放射線測定機が、備えられていた。表示されている数字を、「そおぉげぇ」って。いちいち気にしていてはいない。この水石山の西の方では、一昨年の大地震のあと、地響きをして、「どおぉぉん」と、たまぁ-に、音が聞こえるという。この方角には、3.11のあと、4月11日に震度6弱の余震があって、大きく地面がずれて、人的被害もあった。昨年の六月に、「いわきの伝説」、「御斉所の天狗」を、ブログした。この天狗が妙な音を立てている話しなのだが、この水石山の、西方にある、昔話しなのだ。地響きをたてる音は、昔し話の天狗さまが、今も音を出しているのかも。
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備えあれば憂いなし。

2013年03月14日 20時19分40秒 | Weblog
画像は、だいぶ前に、市役所から各家庭に配布があった冊子の一ペ-ジ。以前に町内会の役をやっていた時に、隣組に折にふれて、コピ-をして、配布をしていた。災害は、夏井川の氾濫を、恐れていた。大雨の時は、水位情報を、現在はネットで確認ができる。在宅介護をしていれば、災害は、最大の関心事でもある。もし、川の氾濫があった時は、在宅介護のばあちゃんをどうするか。気象庁の降雨の情報は、最大に利用をしている。いざとなった時のことを考えている。その場になったら、家族と自分の身は、自分で守る。そのための、必需品をそろえておく。これが災害の備えに、第一番目なのだろう。二年前の、大災害と原発事故の際は、たまたま、町内会の役をしていたので、ちょっとは、近隣の隣組の人に、役にたったかなぁと思っている。
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喉元過ぎても熱さは忘れない

2013年03月12日 19時44分45秒 | Weblog
画像は二年前の4月にも載せた。避難をしていた福島で、ガソリンスタンドを探していた時のもの。左側には、燃料補給のために、並んでいる車。もう二度と事故があっても、移動をしないことにしている。避難ができたのは、仕事で使っていた荷物専用の車があったからだ。避難をさせてもらったところも、在宅介護のばあちゃんが、寝かせられた。ばあちゃんが使う、介護のマットと布団、車椅子、ポ-タブルトイレなど、車に積めた。避難の途中、夕暮れ迫る野畑の中の道路、渋滞停車中は、エンジンを止めた。「平田の道の駅」の、電灯の明かりにほっとした。おにぎりと、冷たい茶で、腹こしらえ。家を出発する準備中に、異様を感じて、大声を出していたばあちゃんも、車の中では、「それっ、車がきたぞぉ」って。途中、雨が降り続くなか、目をこらしての運転。雨の中、迎いにでて、道案内をしてもらった時の、ありがたさは、忘れられない。あのときは、誰もが、困窮をした。全国各地、原発の事故も、大地震も、津波も、火山の噴火も、山崩れもない、平穏無事であることを、願っている。
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災害は忘れたころにやってくる。

2013年03月08日 19時36分32秒 | Weblog
災害が起きた時は、身近の状況の判断と、情報を収集する。地震が発生した時は、バイパスを走行していた。ラジオから、緊急地震情報が、聞こえた。下り坂を下りはじめた所で、車を止めた。下りきったところは、ちょっと長い陸橋だ。その陸橋が、上下左右にたわみ、うねって、揺れ動いた。その動きが、車をゆすり動かしてきた。揺れがおさまり、一般道を引きかえして、午後四時ころ戻ってきた。すぐに水。風呂に水をためた。間もなく断水。古い建物のガラス戸が割れて散乱。隣組を一軒一軒声をかけて様子をみて歩いた。飲み水がないという、ひとり暮らしには、やかんにひとつ、水洗の水がないところには、バケツで届けた。幸いに、電気とガスは、使えた。夜になっても、強い余震のたびに、近所の倒れたブロック塀や、外壁がはがれたところを、通行の障害なっていないか、見てあるいた。テレビを見ると、原子力発電所の様子が、映しだされている。50キロ先の原発なので、「へえぇ」なんて、見ていた。「もしかして」と、思い、夜遅くなつたが、市役所に、何か連絡事項があるかもと、行ってみた。市役所も外側のカラスが割れ、飛び散っていた。玄関から入ると、床がでこぼことなっていた。町内会の自主防災会のヘルメットをかぶり、原発のことで、何か情報があるかどうかをたずねた。「今のところは、出ていない」だった。いわきの沿岸部が、津波にやられていたとは、その時、わからなかった。原発事故の重大さは、翌日12日夕刻に、原発から20キロ圏内から、避難をしてきた人に会い、はじめて気ずいたのだった。画像は、当時、市役所からの「お知らせ」の一枚。震災のあった年の5月にも載せた。震災のあったあと、12日から毎日、「お知らせ」を取に行き、コピ-をして、隣組と近隣に配布をはじめた。その「お知らせ」は、ファイルして、今も、持っていると、最近聞いた。ちょつとは、役にたつたかぁなぁと、思っている。
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成績優等に付。

2013年03月04日 19時51分38秒 | Weblog
ばあちゃんが自慢の、賞状。大正15年なので、12才の時のもの。ある日、ばあちゃんがテレビを見ていた。「ばあちゃん、なに考えてたんのぉ」って聞くと、「勉強してたんだぁ、あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ、さ、し、す、せ、そ、―――ん。おめぇ、でぎっけぇ」って。「おめぇは、ばぁかだなあぁ」って。「算数はどおだったのぉ」って聞くと。「2*2がぁ4ぃ、2*3が6ぅ、2*4が8ぃ」と、力をいれて云う。「応用問題はどぉだったのぉ」と聞くと、「大好きだぁ」と。「校長先生になぁ、めんごい、めんごいってだぁ」。「誰に似たのぉ」って聞くと、「じっちいさんだぁ」と。「あんちゃんわぁ」っと聞くと、「のぶあきは、優秀だぁ、まさしは、早稲田大学くだぁ」って云う。「みんなどおしたのぉ」って聞くと、「わがんねぇ、いねぐなっちゃんだぁ」って、ちょつと寂しげにいう。姉の「もとよはぁ」っと聞くと、「死んじゃったぁ」って。かれこれ50年前に、死に分かれたのは、覚えているようだ。親と兄姉は、ばあちゃんの生家に行けば、会えると思っているようだ。画像は、ばあちゃんが、顔を傾けると見えるように、貼り付けてある。楽しかった子どもの頃を、懐かしく思い出しているのかも。
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2013年03月02日 19時46分52秒 | Weblog
時々見上げる空に、雲が浮かんでいる。雲は、水の粒か、氷の粒の集まりという。のどかに見える雲もあれば、真夏の入道雲もある。お天気の変化の要素の、ひとつでもある。今日も、北風が冷たい。そのうえ、強風だ。おだやかな、春日和が待ち遠しい。お天気には関係のない、「風雲 急をつげる」という言葉もある。お天気も、世の中も、穏やかなことを、願っている。
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三月三日

2013年03月01日 19時25分42秒 | Weblog
ひな祭り。「桃の節供」というが、桃の花は咲いていないかも。梅の花の開花は、当地では、まだのようだ。三月三日というと、「桜田門外の変」を、思い出す。歴史のことはうとい。この桜田門外の変があった時は、雪が降っていたという。当時は、旧暦だった。今の太陽歴では、三月の二十四日にあたるという。雪が降っていても、不思議ではないと、ものの本にあった。三月になったが、まだまだ、寒いようだ。画像は、ひと月前のもの。
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