八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

花を供えた

2022年08月31日 12時25分28秒 | Weblog

葬儀の時の花を供えていたが、ダメになって、昨日、二基、新しいを供えた。四十九日[七七日]までは、花を供えてる。葬儀は、家族葬も考えた。長生きの記念に、「おかげさまで」と題して、小冊子を作って、お世話になっていた、介護、医療、親戚、知り合いなどに、送っていた。このことも考えた。ばあちゃんの、甥や姪は、三人になっている。親戚というつながりは、少なくなっていた。家族葬をと、考える時代になったいるのかも。別の事、八月十五日に、年金が振り込まれたのを、16日に引き出すとき、口座の閉鎖と、口を滑らしてしまい、難儀をしたことを書いた。何年か前に、葬儀に使うので、預金の引き出してもいいと、法律の改正があったという。少額の預金ならば、早めに対処していれば、済むことなのだろう。うろ覚えです。

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三七日過ぎた

2022年08月29日 18時56分34秒 | Weblog

画像は、昨年四月に撮ったもの。昨日、三七日の墓参だった。ぼけーつとしている時、思い出すことがある。脳梗塞の後、右手で、ベットの上で、自分の手で、食事をしていた。二度目の脳梗塞が発症して、退院後には、自分の右手でも、食べることが、ままならなくなった。妻が食べさせていた。小生は別棟で、寝起きをしていたので、介護の事は、知らずにいた。ある時、様子を見るわけではなく、ちょこっと、覗くと、車椅子に乗せて、朝の食事を食べさせていた。「食べろ、食べろ」と強いていた。ばあちゃんは、口を閉ざしても、怒っていたのを見た。聞くと数日、ちょこっとだけしか、食べていないという。拒食状態のようだ。無理強いを止めさせて、ベットに移して、眠らせた。時々覗くと、ぐっすりと眠っていた。夜になって、眠っている耳元で、「からぁす なぜ泣くのぉーー」と、小声で唄ってみた。聞こえたようで、うなずいた。「ばあちゃーん、腹へったぺぇ」と、声をかけるとうなずいた。ベットを起して、とりあえず、カップのアイスクリームを、口に入れた。口に入れると、舌でなめ回しているが、呑みこめない。ごっくんと飲み込ませるには、下あごのくぼみを、喉ぼとけへと、チョンチョンと、突っつくのがいいと、解るまでには、時間がかかつた。その後の食事も、ごっくんと飲み込めない時は、下あごのくぼみを、ちょんちょんと、突っついた。普通に食べれるようになるのには、かなりの日数だった。「食べたくても 飲み込むことを 忘れして 死ぬんだぁと つぶやき涙する」だった。別の事、仏教では、葬儀が終わったあと、四十九日間[七七忌]まで、七日毎に墓参をする。

 

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平にひらに

2022年08月25日 19時55分53秒 | Weblog

在宅介護だつたことを、書いていた。ご来訪、コメント等々、有難うございました。返信なきは、平にひらに深謝しながら、ご容赦たまわりますよう、願いあげます。体があけば、無気力で、テレビを見ている。番組の冒頭を見始めるが、すぐに居眠り。居眠りしながら、遠い遠い昔しの事だったなぁと、思い出すときもある。葬儀の後にも、弔問の方もある。画像は、昨年に撮ったもの。今は、茎丈が、昨年より50センチくらい伸びて、150センチくらいになって、つぼみが付いている。年々歳歳、花相似たりだぁ。

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謝辞

2022年08月23日 13時45分28秒 | Weblog

画像は、精霊を送った日のもの。デジカメが破損。さて困った。修理をするか、新品にするか、思案中。画像とは違ったこと。告別式での謝辞を、思い出しながら綴ります。皆様方、本日はお忙しいなか、新コロナ、お天気不順のおり、お見送りに、列席賜り有難うございます。また、身に余るほどの、弔問、お香典、お供物をいただき、恐縮しながら拝受いたしました。有難うこざいました。母三千子は、八月八日の未明、午前五時に、看護師さん、お医者さんに看取られました。前日の午後、むせることが数回あり、呼吸も荒くなって、看護師さんにご足労を願いました。今の状態は、楽しかったことを思い出している、そおーっと看取って下さいとのことでした。94歳ころに、大腸腫瘍の除去手術、一年後に脳梗塞、また一年後に脳梗塞と、入院になり、退院近くになると、家に帰りたい、帰りたいでした。退院後の、経過診察で、帰り道を別にしたら、「あらっ、道が違うよぉ」と、車窓からの道筋を覚えてました。百歳前後の時は、狂暴性の認知症になり、ヘルパーさんや看護師さんに、悪口をいったり、髪をにぎったり、蹴とばしたりと、ご迷惑をかけまして、すみませんでした。その頃、ひとりお喋りをしていて、「じっちさぁーんばっぱぁーさーん」と、百歳になっても、親をよんでいました。いま、お世話をしていただいた、おひとりおひとりの顔を思い出し、声かけをしていただいた皆様の声を思いだして、旅立ちました。大好きだった兄姉にも、会えると思っております。私らも、ほっとした気持ちでおります。長い間の、たくさんの方々のご厚情、誠にありがとうございました。での謝辞。

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そうか、もうーーー

2022年08月22日 18時10分50秒 | Weblog

20日の、告別式で一連の葬儀が終わった。昨日は、我が家と、二家族が、お寺集合し、現地解散して、それそれが帰宅をした。百か日の供養も済ませてあり、集まる機会もなくなった。それぞれの家族は、皆後期高齢者になり、何かしかの体調不良がある。一番は、歩行の困難がある。タイトルの、「そうか、もうーー」は、城山三郎著、「そうか、もう君はいないのか」を、借用をした。今までは、毎日、ヘルパーさん、看護師さんが、「おはようございます」、「こんにちは」と、来ていただいていた。それが無くなり、なにかかにかと、動いている時は、気が紛れている。疲れで、うたた寝から目を開けると、「もう、いないんだぁ」と、思い出す。妻が、「あの時、ああすれば、よかった」とか、テレビをみて、「この番組の時は、ご飯を食べさせていた」とか、「オムツ交換をしていた」とか、愚痴を聞いている。十四年間の在宅介護の年月の長さは、赤ちゃんがおぎゃあと生まれてから、中学生、高校生になっていると考えると、長い年月だったなぁ。我が身だって、時代の変化が急なのは、二十年ほど前で、本格的に、廃業を考え始める数年前だった。縮小均衡を図っていた。その後、大震災が発生をして、決断をした。その頃、ばあちゃんに、「疲れたなぁ」と云うと、「そんなに働かなくても、いいとおもうよぉ」と。介護中は、「嫌だなぁ」と、思うこともあった。「嫌だ」と思い始めると、嫌だ、嫌だが続くかも。風呂上りして、就寝前に、「ばあちゃん、また明日ねぇ」と、声をかけると、うなずいていた。108歳の誕生絵日の二日前に没したのが、惜しまれる。

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一週間まえの送り火

2022年08月19日 05時36分17秒 | Weblog

ばあちゃんの、お通夜が今日になる。没後の納棺、火葬から、盆の間、我が家で、祭壇の上から見ている。画像は12日に迎え火をした。13日の悪天を避けて、12日に精霊を迎えた。ちょっと強めの風が吹き荒れているので、いつもの半分の炎にした。没後の年金の停止の届は、添付する書面を事前に聞き、相談の予約をして、約20分で終わった。介護などの保険証の返還は、担当の窓口へ、渡すだけで、終った。一件あった生命保険は、事前に、必要な書面を聞き揃えて終わった。なけなしの預金を、引き出すのは、多くの必要な書面がある。ある銀行に振り込まれていた年金を、引き出すのに、年金支給の手続き、15日に振り込まれている。16日に、ATMで記帳して振り込まれていれば、未支給は依頼人に、後日振り込むとで、手続きは終わった。ATMで記帳したら、口座まだある。窓口で出金の票を出した時、引き出したあと、口座を閉鎖すると、うっかり伝えてしまった。年金と少額を引き出してしまい、残高を、1500円ほどにするつもりでだった。手続きの多さを考えて、1500円は、捨てることにしていた。うっかり口座を閉鎖と伝えたことで、振り込まれた年金は、引き出せない。戸籍関係の交付には、原戸籍の三種が必要という。この費用が、7000円、受け取り人の謄本と、代理で手続きをしているので、小生の謄本と、印鑑証明も必要で、必要総額が、12000円だった。市役所では、謄本の使う目的を、銀行の手続きと、記入をしたので、窓口で、原戸籍のほかも必要になるのもあるようだの、アドバイスで交付を受けた。そのことは一度で済んで、助かった。でも1500円を得るために、12000円の出費は、阿保かぁだった。

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荒れたお盆入り

2022年08月13日 19時09分20秒 | Weblog

今日は、荒れたお盆の入り。お天気のせいにしては、ダメだが、何か変な世の中なのだぁと、感じる。我が家は、天気予報を見て、昨日、お墓へ行ってきた。ばあちゃんが、旅立ってから六日が過ぎた。なにもこんな時に、旅たってなぁと、思うが、告別を20日する。それまで、ゆつくりと我が家にいる。九十四歳の晩秋に、大腸の腫瘍を除去手術をして、退院まじかに、面会に行くと、家に帰るという。一年後の脳梗塞の退院近くにも、付き添っている妻の夕食を、面会室で食べるとき、病室から車椅子に乗せて、連れて行くと、町明かりを指さして、あそこあたりが家だ、帰るんだぁと、顔をしかめながら、哀願をしていた。そのころから、在宅介護は、しょうがないと、覚悟をした。画像の中のペコチャン、お気に入りのもの。その右側の、小さな袋が連なっている飾りものは、入浴サービスの方たちの、誕生日のお祝いのもの。持たせてやりたかったと、妻が悔やんでいる。毎週金曜日が、入浴サービスの日。車椅子からベットへ、抱き抱えながら移すのが、小生の役目だった。石川啄木の歌の、「たわむれに、母を背負ひて そのあまりの軽きに泣きて 三歩あゆまず」だった。ベットに腰掛けさせて、背中をゴシゴシと。「ばあちゃん、痩せきれちゃつぞぉ」って、声をかけ、うつむいている顔を覗くと、おちょぼ口で、澄まし顔。そういえば、妻は、「今日もいい顔をして、眠っている」と、何度も云っていた。看取りの看護師さんが、「楽しかったことを、いっぱい思い出している状態」だと。あと一週間、「ばぁちゃん」と、声をかけて、線香を手向ける。

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永眠になりました

2022年08月09日 06時16分42秒 | Weblog

拙いブログに書いていた、ばあちゃんが永眠になりました。ご来訪の皆々様、何かと有難うございました。10日の誕生日目前、8日の早朝でした。八月になって、食事は、日に一食と、眠っていることが多くなっていました。六日は、遅めの時刻で、朝食は通常の八分目の量を、夕食は、ポカリを80mlと、大きいカップのプリンを代用にして食べました。翌七日は、ヘルパーさんは日曜日なので休み、何時ものように眠り続けていた。昼頃から、深呼吸しているような息使いになり、むせて喉を詰まらせることが、三回続き、日暮れ近くに、訪問看護師さんに来てもらった。吸引、血圧、酸素濃度、排尿の状態等の診察結果、ばあちゃんの状態は、現世ての、楽しかったことを思い浮かべている状態で、口の周りのきれいに、唇を冷水で湿し上げてくださいと、後は本人次第になるで、「異常があったら」と戻った。まずまず落ち着いていた。付き添っていたつ妻が、ばあちゃんは、何か話をしているのか、声が出ている。足も動かしていると。今夜は大丈夫だろうと、0時過ぎに就寝。妻は、遅い時刻の夕食、入浴を終え、口周りをきれいに、水を含ませていてた時、顔色が悪くなってきたと、携帯に着信。飛び起きて下へ。すぐに訪問看護師さんへ連絡。未明の暗い時刻に、10分後にきた。訪問医療のお医者さんに連絡をしお医者さんも到着し、臨終と告げられた。お医者さんの慰めのことばにも、孫も小生夫婦も、放心して聞いていた。蒸し暑くなりそうな空になっていた。気を取り直し、葬儀社へ連絡し、予想をしていた、没後の繁忙がはじまった。

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長生き

2022年08月06日 08時32分55秒 | Weblog

画像は、在宅介護中のばあちゃんが、108歳になるので、日ごろお世話になってる方々に、感謝の品を贈る品。味見をしたので少なくなっている。記念の小冊子、「おかげさまで」は、今回で終わりになるかも。来年のことを考えると、この世から、おさらばになるかも。朝昼晩の食事の食べ方が、以前より飲み込む動作が、悪くなってきている。水分補給も、ストローでの吸い方も、悪い。食事の時刻は、不定期になっている。はっきりとしている時に、食べようとすれば、普通なのだが、午前と午後にヘルパーさんの世話になるので、その間に食べさせる。眠りこけている時間が長い。食べようとしていれば、飲み込むが、半眠りだと、飲み込まなでいる。これが、むせるて、呼吸困難になる。食べさせようとする無理が、良くないと、解っていたも、食べさせたい。「いつまでもあると思うな親と金」ということがある。が、在宅介護は、15年になる。これはしょうがない。問題は「金」。医療や介護の費用は、保険で賄える。「美味い物いつぱい食べてから、彼の世にいきなぁ」と、言い聞かせていたので、介護専用の食べ物を使っている。オムツ代のほかの出費で、蓄えが減少している。「どおすりゃいいのかぁ、思案橋」と、思っている。現実は、厳しい。

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八月になつた

2022年08月01日 14時29分24秒 | Weblog

連日猛暑が続いている。窓を開けて、風でもと思うが、熱風では、窓を閉める。過去の八月はと、書き残したのをめくると、「記録的な猛暑」があったり、「八月豪雨」とか、「北冷西暑傾向」とか、「夏どこえ」とか、「低温情報三回」とか、異常の八月だったこともある。当地方の暑さのピークは、平年値をみると、11日から20日のようだ。四日は、旧暦で「七夕」になる。昨年より、10日早い。季節が早めに訪れるのかも。夜空は、七日月で、星がきれいに見える。七月月の明るさはは、満月の明るさの、12分の1と読んだ。別のことだが、「たなばた」が、なぜ、七夕なのだろうか。物の本をぺらぺらめくると、「たな」は「棚」、「はた」は「機」で、聖なる乙女が、機を織る夕べの行事で、「七夕」と当て字になつたと読んだ。七月七日は、第四の節句でもある。画像は、ガラスコップに、買ってきた花を入れた。ちょっとは、涼しげかも。ばあちゃんの部屋に置く。

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10年後の新聞

2022年08月01日 08時41分20秒 | Weblog

今朝の朝刊は、厚さがあるなぁと、ひろげた。10年後の2032年8月1日付けがあった。世の中は変化する。これからの時代を生きる人たちが、一番大事なことを、考えるのに、必要な事。時代は変化していく。朝の雑事をすませ、朝食後に、よく読んでみる。仕事をしていた時は、将来像や、未来像を、もやもやと考えていた。仕事の計画を、年間から、先々三年、五年を考えていた。遠い昔の事です。現在の我が身の、十年後はと考えると、彼の世に行っているのかも。現世にいれば、歩行困難で寝たきりか。はたまた、食べれなくなって、やせ細っているかなぁ。介護で嫌がられる排泄は、どうなっているのかなぁ。体の変化も、脳の変化も、良い方には変化をしない。これから先、悪い方に変化をしていく。先ずは我が身を考え、自分でできることを、続けていく。今日も、投稿後、洗濯ものを干す。それにしても、ここのところの、猛暑で、部屋で涼みながら、干している。

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