八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

大晦日

2021年12月31日 19時48分47秒 | Weblog

NHKの紅白歌合戦が始まった。賑やかに、陽気を呼び込めば、世の中に、良い年になればと思っている。紅白歌合戦が終われば、初夜の鐘になる。百八の煩悩を打ち払うという。なぜ、百八なのだろうか。人それぞれに、何かの苦労があるのだろう。我が身は、一応平穏だったかも。体力の低下も感じる。脳力はと、考えてみたが、成るようにしかならないと、あきらめが先になる。世の中が、平穏になれば、回りまわって、平穏に預かるのだろう。ちょっと、時間つぶしに、パソコンを開いた。外は、冬嵐の風が吹き荒れている。今年の嫌なことが、吹き飛べば、いいのに。来る年を、皆様方の、ご健康と、ご多幸を、祈念をしております。皆様方、ありがとうございました。画像は、ばあちゃんの部屋の、迎春の盛り花です。

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寅歳

2021年12月31日 15時49分54秒 | Weblog

布の織物の図柄。ばあちゃんが寅歳なのでと、孫がいただいてきた。玄関先に飾った。「虎は千里行って千里帰る」とか。子を思う親の愛情のことと、読んだ。娘は、親孝行できるのだが、体力は劣化している。婆ちゃんは、子孝行ではないかも。来る年も、介護が続く。別の事。大晦日になった。午後に、神札を納めてきた。車窓から、遠い山並みは、うすぼんやりと見えた。雪が降っているのかも。

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玄関先の飾り

2021年12月31日 15時18分41秒 | Weblog

下駄箱の上の正月飾り。重ね餅は、お菓子店で、三寸、10センチの大きさを、神棚用と玄関用に、二寸の大きさは、仏壇や台所などに、 作ってもらった。橙は、みかんで代用。裏白とゆずり葉を添えてた。数年前に、近所のお菓子店が、廃業になって、地元の大きなお菓子店に、おそるおそる、作ってるのかと問うと、「できますよぉ」だった。「橙」は、家がだいだい続という、ごろ合わせという。あちらこちらと、ぺらぺらめくって読んだら、橙の実が付くと、七年落果しないで、実は熟すが、夏には、緑色になったりしていると、読んだ。裏白は、引っくり返しても、心が白い。古い葉になっても、落ちないで重なるとか。家族の繁栄を表すとか。ゆずり葉は、新しい葉が成長してから、落葉するので、成長を願うとか。鏡餅に添えるものに、願いが込められている。来年は、どんな年になるのかなぁと。アレンジ花籠は、仏壇用の花と、松と榊と、一緒に買ってきた。

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「喜」として

2021年12月30日 19時08分27秒 | Weblog

画像は、自書自賛で、「山河四望春」、玄関に掲げた。今日は、正月飾りをした。ばあちゃんも、元気で新年を迎えられる。小冊子に綴りこんだ、「喜」は、以下です。「口すすぎ くちゅぺぇくちゅぺぇ くちゅぺっぺぇ ひょっとこ顔で みんなを笑わす」。「足の裏の ツボの痛みに 膝を折る 揉みにうとうと 顔もほころぶ」。「がんばれよ がんばれよぉ がんばれよ かんばれがんばれ みっちゃんと唄う」。「開けよぉ 開け開けと 手をなでる マヒのこぶしの 親指立る」。「ご飯だょ 夢うつつに うなずきつ 片目を細目に 口だけあける」。また、ばあちゃんの、お説教もあった。「おれぇは 死んじゃうん だから 仲良くしなぁ」。「おめぇは、ボンボツッコ ねえぇんだから すこぉーし 利口になりなぁ」。「酒、飲むぁ、飲むと死んじぁがんなぁって 先生言ったんだぁ、この世からあの世には、行けっけぇど、あの世から この世には 来らんにぇど」。「おれぇは 死んでも いいけど おめぇは 死ぬなぁ」。ひとり語りもあった。「五千円札 たった一枚しか 無ぐなったから こじきになったんだと、めぐんでくださぁーいって 来たがら はい どうぞぉって やったんだどぉ。こぉころが、でぇじ、なんだっぺぇなぁ んだぁ んだぁ」。「可哀そうだぁ 可哀そうだぁ おっぱいちゃん おっぱいちゃん いっぺぇ 飲ませてやれよぉって 云ったんだぁ。喜こんで 喜こんで 行ったんだぞぉ」。百歳前は、顔を出すと、人恋しく思うのか、いっぱいお喋りをした。明日から、おせちを一品づつ、食べさせるようだ。明日は、大晦日、拙いブログに、ご来訪ありがとうございました。皆様方、よいお年を。

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「哀」として

2021年12月29日 12時46分11秒 | Weblog

玄関先に掲げた。明日は、正月飾りをする。ばあちゃんは、元日とニ日は、ヘルパーさんがお休み。介護食のおせちは、準備してある。美味しそうに食べるので、食べさせかいがある。「哀」として、記念の小冊子に綴りこんだものです。「帰へるんだぁ 帰る帰ると 声荒げ 闇の彼方を 指さしていう」。「鬱々と ベットをたたき おでこをたたく 豆電気のなかで 夜明けを待つ」。「あれはなぁ ぐうぐうぐうって おれは眠むんねぇ 豆あかりのなかで 目がすわる」。「誰も来ねぇ みんなも来ね そびしいもんだぞぉと 口をとがらす」。「じっさぁーん ばっぱぁさぁーんて 親を呼ぶ 夢を見ていたのか 闇にみひらいて」。「待ってろよ 待ってろよって 手招きし 兄姉の面影 天井に浮かぶ」。現在も、独り言をしている顔をみると、こんな情景を、思い出しているのかも。95歳ころの、おしゃべりです。脳梗塞になってから、一年が過ぎた。夏のある日。鳥の絵のうちわを持たせられて、おむつ替えの時に唄っていた。「からすなぜ泣くのぉ カラスは山に」と唄い、「可愛いくて ちぇんちゃくて めんごいの 五、六羽いるからよぉ。 おっぱいちょうだい おっぱいちょうだいって 泣くんだょお。 なんで めんごいの 置いてきちゃったんだっぺなぁ 早く帰ぇってやれよぉ すぐに帰ぇってやれよぉ。 おっぱい いっぱい飲ませっから えさ探しにきたんだっぺぇなぁ」と、ひとり語りをしていた。「ばあちゃんの 子どもも おっぱい頂戴って 云ってんのげぇ」と聞くと、「んだ んだぁ」と、何歳になっても、子どものことを、思っているのだろう。

 

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「家族」として

2021年12月28日 13時00分59秒 | Weblog

画像は、書置きしていたもの。ばあちゃんは、今日も元気。車椅子の上で、眠っている。以下は、百歳の記念の小冊子に、「家族」と綴り込んだものです。「認知症の むずかる母の 手をなでて まどろむ妻の 涙ひとすじ」。「かあちゃんよぉ 早く来ぉよ 居ねぇのげぇ すうっと出ちゃた 世話かけるねぇ」。「孫娘からの お年玉に 嗚咽して これだけやれよぉと こぶしひろげる」。「娘は七十二 買い出し時代を 思うのか 認知症でも 七つの子を歌う」。「かぁらぁすぅ なぜ泣くのぉと 歌いつつ おっぱいやれよぉと 昔を思う」。「おめぇも来ぉ 早く来ぉよ みんな来ぉ 家族写真を さびしげに呼ぶ」。いろいろとあったなぁと、思い出しています。もう一話。九十五才頃のこと。「ばあちゃんご飯だよぉ」と、お盆を持っていくと、「おれは、いい、おれは、いい」と、手でも遠慮する。「これは、ばあちゃんの分、皆ぃんなは、あっちで食べるから」と、言い聞かせる。スプーンを使い、口いっぱいに、ほほばる。「ゆっくり、食べんだょぉ」と。「世話かけるなぁ」と。食べてる間、ずうーっと、目をつむっていることがある。「眠たいのげぇ」と聞くと、首を横に振る。「何か考えてぇんのげぇ」と聞くと、「いろいろ」と、ぽつり。ある時は、口をへの字に、泣きべそで、口が動かない。口をとんがらかして、こらえている。ぽろぽろぽろと、涙がほほを、つたって落ちる。「泣くさんなぁ。大丈夫だから」と、肩をとんとんとんと、たたいてやる。ウゥウゥウぅって、泣き出してしまう。「器、下げっかんねぇ」というと、「ごっつぉさん」と。ふがいなさを、悔やんでいるのかも。

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「怒」として

2021年12月27日 13時53分16秒 | Weblog

画像は、昨年秋のもの。今は、大きな鉢で、古木状、葉は茂ったが、花は咲かなかった。別のこと。以下は、記念の小冊子に、「怒」として、綴り込んだもの。「殺すきがぁ マヒのこぶし ふるわせて 吸い飲みの水 ぷぅっぷぅっと 吹き飛ばす」。「認知症 殴る引っ掻く つば飛ばす なだめなだめて ヘルパーさんは おむつを替える」。「うまぐねぇ 口にふくんだ ごはん粒 ぷつぷっぷっと 吹き飛ばす」。「人殺しぃと 叫ぶ認知症の 母の顔 妻はやさしく どおしたのぉと聞く」。「オムツ替え 拳で殴る ひっちぎる 目のたますわって 大声で叫ぶ」。脳梗塞の後は、こんな状態だった。おお怒りが始まった頃は、マッサージをしたり、足の裏を揉んだりした、なだめなだめも、だめだった。大怒りをさせたまま、疲れを待つしかない。疲れて眠ると、食事も、ままならなかった。ヘルパーさんには、相手をしないで、無視するようにと言っていた。現在は、こんなおおごとはないが、怒り顔になり、ひたいが汗ばむ、右手のこぶしか、左右に、力を入れて動かす、こんな兆候がみえる。そんな時は、「ばぁちゃん、ばあちゃん、どおしたのぉ」と、声を荒げて、肩をたたく。これが、いいようだ。「十年一日のごとし」だなぁと、思いながら、新年を迎えられる。

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百歳の時

2021年12月26日 14時45分31秒 | Weblog

画像は 百歳になった敬老の日に、褒状をいただいた時。褒状を頂き、ばあちゃんに見せた。ゆっくりと読んで聞かせた「大正三年八月十日」と、読み上げると、「そおだよぉ」と。「百歳」は、「んだぁよぉ」と。「これを祝します」には、「ありがとう」と、答えていた。「内閣総理大臣」には、「ほおぉ」と。「安倍晋三」には、「ほおぉぉ」と。そして、「ありがてぇなぁ」と、ちょっと真面目顔をしていた。日にちをおいて、テレビの、衆議院議員解散の特別番組を見ていて、「ばぁちゃん、内閣総理大臣」というと、アップになった顔をみて、「ほおぉぉー、安倍さんですか、どうもありがとう」と、テレビに礼をいっていた。以下は、「百歳」として載せたものです。「梗塞の 血液検査で 歳問われ 大正三年 八月十日と」。「百までは あと三年と 指を折る 日向ぼっこしながら 金魚を見る」。「寅を下げ 卯を飾る 大晦日 百までは あと三年という」。「九十九越え 泣きべそばあちゃん なに思う 眉をしかめ 口をもぐもぐ」。「掲げた 白寿の神札を 百だなぁ マヒの足でも おれは立つという」。「手をかざし 痩せちゃつたなぁと さびしげに ひらひらかえして 百歳のしわ」。「介護食の おせち指さし にこにこと 家族そろって 百歳の正月」。「百歳の 神札手にし ありがとうと 生まれし近くの 神社の名を読む」。記念の小冊子に綴り込んだものです。

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「楽」の続き

2021年12月25日 15時04分06秒 | Weblog

画像は、去年のもの。手入れができず、古木になった。画像とは別の事。拙いブログの、「今日も元気」の中に「楽」と題したものの、続きを載せました。「寝ぼけ言 白土へ行ってみっかあと 生家を想い 幼時の友の名 寝顔の中に」。「トマトも食いたいなぁ メロンも食いたいなぁ 無がったら 白土へ行ってこうよと 生家を思う」。「食べたのげぇ なぁーんにねぇと 手でも云う バナナは安くて メロンは高けぇもんなぁと」。「たまーぁに行く イラツシャイマセに うなずいて 棚に並んだ ケーキを指す」。「美人画の うちわの絵をみて 澄まし顔 若かったなぁと 満面の笑み」。「赤べこの 頭ゆらゆら 動き見て 笑い顔と声 ひと月ぶりか」。「ヘルパーさんに 好きなものはと 聞かれると 指で丸を作って すまし顔」。百歳の記念誌に綴ったものです。 

 

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年賀はがき

2021年12月25日 13時15分09秒 | Weblog

昨24日に、ポストへ投函をした。毎年、ぎりぎり。図柄は、素材集の山水画から。添えた一筆は、島崎藤村の「草枕」の一節。なにかないかなぁと、探していた。使うのは恐れ多いかもと、断念して、別のを捜してみた。でも、最初に、いいなぁが、一番。詩文を、書けば書くほど、肩ひじが張って、見苦しくなった。さらーっと書いたのがいいと、自賛をしている。今年も偏屈爺のだぁと、受け取るのかも。

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今日も元気

2021年12月23日 13時27分34秒 | Weblog

カレンダーを作った。マネージャーさんからの、介護の予定表を、下の方に貼る。日付けには、排便のこと、看護師さんが、摘便をした印、おむつにした印、ポータブルトイレに移して排便をさせた印を、付ける。二か月続きが、見やすい。前回、日向ぼっこで、大騒ぎのことを書いた。新聞に載っていた、「リロケーションダメージ」ということを、思い出した。「生活環境の大きな変化は、一気に衰えさせる」という意味。在宅のばあちゃんは、「我が家が一番」。日向ぽっこの時に、脇にいれば、安心なのかも。普段は目をつぶっているが、周りの雰囲気が分かるのだろう。手造りのカレンダーに貼りつけた写真は、百歳前のもの。百歳の記念冊子に綴ったものから、「楽」のところ。「認知症 今日は笑う日と けたけたと 笑う門には 福来るという」。「手と足の マッサージに 目をつむり ぐらんぐらんにも 有難うと言う」。「揉んどくれ 薄目でちらっと 顔を見る ありがとうって おちょぼ口で」。「むずむずとする 背中のかゆみを ごしごしと ありがてぇなぁと 背中まるめる」。「ありがとう ありがとうって 涙して マヒの左手 右手で動かす」。「おちょぼ口も 頬ぺったも にこにこと 夢を見てたのか ともちゃんの名を」。「痛ぇんだょ 揉みの催促 上目をして べそのしぐさして ちらり見ている」。「饅頭を 鼻に食べさせ 目と口を 大きくあけて 満足して笑む」。笑って、お正月を、迎えられる。

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日向ぼっこ

2021年12月21日 14時07分43秒 | Weblog

久しぶりに、廊下で日向ぼっこ。一年と三か月振りになる。それまでは、定期の診察で、迎えの車が来るまでとか、診察から戻ると、周りを車椅子で散歩をしたりしていた。頭からの日向ぼっこに、暑くて大怒り。部屋に戻すと、騒ぎは収まった。いつもと違うので、大怒りのようだ。誰かと、ひとりお喋りで、薄笑いをしたり、何かを話して、「そおだよぉ」と、納得したりしている。感情があるので、まだまだ大丈夫だ。百歳になる前の頃は、お喋りをしても、受け答えが出来ていた。我が身を思い、「死ぬんだぁ」と言っていた。百歳の記念の小冊子に、お喋りのことを、「死」と題して綴りこんだ。「食べたくても 呑みこむことを忘れして 死ぬんだぁて つぶやき涙する」。「死ぬんだぁと 麻痺の左手 引き上げて 海へ連れていけと 真顔しかめる」。「死んじやったぁ 豊間の灯台から どぼんだぁ 生きていても しょんめぇと」。「じゃんぽんだぁ じゃんぽんたぁと 叫び出す 眉間のしわも 行く末思うのか」。「あの世には だぁれもいねぇ 真っ暗だぁ おっかねぇから 帰ってきたという」。「おれは死ぬのがぁと 真顔でいう 点滴の落ちるのをみて 問う」。ある時は、「ばあちゃん、おはよう、朝になったぁ、眠ったのげぇ」と声をかけると、「眠むんねぇ。生きていた方がいいのか、死んだ方がいいのか、眠むんねぇで、考えていたんだぁ」と。「ばあちゃん、千治じっちさんと、おこう、ばっぱさんが、みちこぉって、来っから、そしたら、行くんだょう」と、言い聞かせていた。終わりが分からない介護が、まだまだ続く。

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冬始め

2021年12月19日 19時36分32秒 | Weblog

二十二日は、冬至。ことわざに、「冬至冬中冬始め」とある。二十四節気は、冬の期間。旧暦では、十月、十一月、十二月が、冬の三か月。太陽の動きの360度を、15度ずつに分割すると、24になる。この24が、二十四節気というと、読んだ。太陽の動きは、ほぼ一定なので、冬至は、現在の暦では、閏日が入らなければ、22日になる。今日の、当地方の日暮れは、午後4時21分。数日前から、2分遅くなっている。「冬至10日」とか、太陽が沈んでからの、一番の暗らさの期間とか。お天気は、数日前から、本格的な冬の荒れになっている。季節区分には、「年末の荒れ」という、特異日がある。大荒れにならないことを、願っている。画像は、昨年のもの。手入れができない。大きに鉢に植え替えた。枯れてしまったかも。今年は見られない。

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引っ張り出して

2021年12月18日 19時38分31秒 | Weblog

画像は、昭和53年刊の、日経ビジネス編、「敗軍の将、兵を語る」。「はしがき」に、「語らず」を、15の企業の元社長に、あえて語ってもらったとある。「成功談」にくらべ、失敗という動かしがたい冷厳な事実を、語ってものと、ある。積ん読く本を、ぺらぺらと、拾い読みした。これとは別に、城山三郎著の「総会屋錦城」は、カセットテープで、何度も聴いていた。仕事で移動の車中で、半分居眠りで、聞いていた。また、「官僚たちの夏」も読んだ。数年前は、NHKのテレビで、「はげたか」を見た。面白いので、三話のDVDを購入。一話を録画し置いたのも、面白かった。その後、別のテレビ局で、放映があったが、二番煎じでなのか、ちょこっと見ただけ。映像ついでに、「ゴットファザー」も、面白い。昨年末にも、放映があったが、長時間なので、とぎれとぎれで見ていた。別のことになってしまった。

 

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捨てるに捨てられず

2021年12月17日 13時24分02秒 | Weblog

退屈まぎれに、断捨離をしようと、取り出した。ペラペラと、めくって読みだした。昭和59年刊、[続]は、翌年60年刊、日経ビジネス編、「会社の寿命、盛者必衰の理」。「衰亡招く第ニの法則」。三十六年前のもの。今の時代は、十年ひと昔とか、時代の流れは速い。過去には、「神武景気」、「なべ底不況」、「岩戸景気」、「いさなぎ景気」、「平成不況」とか、言われていた時代かあったと思う。平成の時代は、三十年。令和の現在は、どのような言葉で、言い表されているのだろうか。今の世の中は、複雑に絡みあう時代なのかも。何かと考えてみても、仕方のないこと、波にゆられて、いればいいこと。「事実は、小説よりも奇なり」とか、もうちょつと、ぺらぺらしてみる。

 

 

 

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