先の、原発事故で避難して、荒れ地になっていた。実りの稲穂と、見違えた。福島第一原発から、20キロ圏内を、懐かしがって、高速道路のインターをおりて、寄り道をした。あちこちに、フレコンバックが、野積みされてもいる。以前、稲作をしていたところは、今は、原野のようだ。勿論、人影は見当たらない。
画像は、携帯電話料金の知らせから。当時は、仕事で移動していたので、固定電話から、転送させていた。今も転送させている。当時の携帯電話は、呼び出し音がなると、アンテナを引き出して、使っていた。笑っちゃた思い出は、別の携帯に転送させるのを、忘れて、ゴルフをしていた。あわてて、切り替えするよう、連絡をしたのだった。スマートホンやら、タブレットなどの、文明の利器は、使っていない。タブレットは、パソコンを導入した当時に、装備されていた。言葉は同じでも、全く違うものだった。年寄りのせいで、昔を懐かしがっている。
画像は、福島民報より。それぞれの項目は、直接、影響はない。夜になって、虫の鳴き声が、今が盛りと、聞こえる。もうすぐ10月。日常の暮らしは、「爪に火を点す」のごとくと、思っているが、毎日食べるものは、健康を維持するのに、必要だ。無駄を省いて、切り詰めるのだが、美味しいものは、食べることにしている。元気の源とでもある。画像と関係のないことを、書いてしまった。
前掲の続き。ドライバーは、捨てた。ドライバーを振り回す歳ではない。震災後は、もう、ゴルフはできないと思い、使うだけのクラブを、残してあとは捨てた。ティショットで、まっすぐに、球が飛べば、爽快な気分になる。画像の、7番、9番は、アイアンの、5番、6番、7番の、代用として、使っていた。まあ、体が動く今、ゴルフを楽しみたいと思っている。手持ちの、ありあわせのボールは、なんかつまらない、ヘッドに当たった、瞬間の感触は、質のいいのに限る。コンペには、ニューボール12個あればいいべぇと、いまから、遠足前の、うきうきした気分でいる。
前掲の続き、パターも買い替えたもの。このパターの前のは、盗難にあった。当時、クラブの紛失のが、ゴルフ場で、多く発生していた。あるとき、大きなコンペに誘われた。同伴プレー者のあとの二人は、まったく知らない人。キャディ付きでプレーが終わり、最後のクラブ確認をした。スコア-確認記入堤出には、見知らぬ二人は、同席をしなかった。疑えば、パターは、すり替えられていたのだ。友人に、問い合わせてみたが駄目だった。盗難にあったパターは、グリップが、本革が巻いてあって、手になじむように、グリップが、楕円状になっていて、握った手に合うような形になっていた。今でも、惜しいと、思っている。
先掲の続き。汗をかいた後の疲労は気持ちがいい。普段使っていない筋肉が痛い。画像は、使っているアイアン。同じモデルを、買い替えて、使っていた。よく通っていた、打ちっぱなしのアシスタントプロが、当時、「難しいクラブ使っていんだねぇ」と、云われたことがあった。シャフトは硬いし、重たい。腕が悪いのを棚に上げて、あれこれと、買い替えていた。買い替えるたびに、高額になり、結局、このモデルになった。このモデルは、二回続けて、購入した。打ちっぱなしで、9番を打った。バックスピンも、忘れないで、打ち出せた。手になじんでいたし、しっくりしている、感触はいい。あの時、高いなぁと思って買ったのだが、これからも使える。
取引先のコンペの連絡があった。ひと月先のコンペだが、打ちっぱなしに、行ってきた。クラブを握るのは、一年ぶりだ。初めはアイアンの7番で、20球くらい打ってみた。感触はいい。アイアンの9番も感触はいい。左へ打ち出したり、シャンクもありで、グリップが、定まっていない。ウッドの3番は、ティアップして打った。初めの10球はあっちこっちに、打ち出して、ありゃ駄目かなぁだったが、グリップの修正で、まっすぐに飛んでいった。ウッドの7番、9番はまっすぐに打ち出せた。まあまあ、体が覚えていた。こうなると、すぐにでも、コースにでてみたい。震災後、誘いを断ってので、仲間がいない。画像は、7年前のもの。今日使ったシューズは、軽い。グローブも、今風のもの。明日から、筋肉痛なのかもしれない。たっぷりと汗をかいて、すっきりと、している。
毎回、写経のあと、お茶をいただく。手ふきのティッシュとか、菓子の袋とかを捨てる。その時、「どうぞ」といわれて、この箱に入れる。今日は、前掲の栗の一枝と、楓、二枝を、この紙箱に入れて、いただいてきた、「なるほど、なるほど」と、感心をしている。
もうすぐ、秋の彼岸になる。親しみを込めて、我が家には、生き仏様がいる。102歳が過ぎた。認知症だが、平常の時は、何かをしてやると、「ありがとう」という。ご飯のあとは、ごちそうさまねぇでと、終わると、「ごっつぉさん」と、いう。感謝の気持ちが、102歳でもある。こんな表情をみると、いろいろ教えられている。今日の法話は、お彼岸になるので、仏様に、なんでもいいから、話しをかけてくださいだった。今はあまり見かけなくなった花、彼岸花、「曼珠沙華」。文字をみると、仏教の言葉に見える。この花は、毒性があるので、お墓に、もぐら、ネズミが近寄らないので、お墓を守る花ともいう。大昔には、非常食として、水にさらして、毒を抜くと、澱粉質が多いので、乾燥して保存をしていたとか。自然の摂理なのだろう。
ちょっと、分かりずらいが、手拭の端が、手縫いしてある。聞くと、ばあちゃんが元気だった時に、手縫いしたものだという。そういえば、陽当たりのいい廊下で、メガネをかけて、針の穴に、糸を通しているのを、思い出す。その頃、下着のひざのあたりに、つぎ当てしてあったのを着たおぼえがある。へんに、肌触りが、悪かった。洗濯して干してあったのを見て、つぎ当てをしたといっていた。介護が始まって、タンスを移動したときに、引き出しに、端切れのひとかたまりがあった。今では考えられない、物が無かった時代を、経験したからだろう。今は、物が有り余る時代だか、物を大切にすることを、教えられた。介護が始まって、八年が過ぎた。これから先も、しばらくは、元気にしていられそうだ。
画像は、昨年のもの。ちょつと、おざなりだったが、季節の巡りを、愛でた気分でいた。昨年の、十五夜は、9月27日だった。今年は、9月15日になる。陰暦の、八月十五夜を、中秋の月。九月十三夜を、後の月見様と、大樹林で読んだ。お月見様には、月見団子を、芋を、栗を供え、穂の出たススキを飾るのが、通例と、読んだ。ものの本を読むと、満月までの二週間は、月からのエネルギーをもらい、体に蓄える、。満月から、少しずつ欠けていくときは、体内に蓄えてきたものが、出ていく感じがすると、読んだ。満月の頃、病気になると、治りにくいと、言うこともうるようだ。今日は、肌寒い一日だった。
山野は、初秋の気配になっている。下界は暑いが、境内は、涼しい風か、頬をなでていた。本堂への石段をのぼると、汗が噴き出した。木立が開けて、はるか遠くに、街並が見え、その先に、うすぼんやりと、水平線が見えた。まだ、空が澄みきっていない。陽足は、長い影を、描いてる。月はじめに、閼伽井嶽薬師寺の、夏大祭が終わり、秋の気配になった
陽あたりのいい廊下の温度計たが、34.5度だ。この時期は、こんな暑さもある。気象庁の季節区分では、九月の10日ころは、夏の終わりとしている。道端のすすきも、穂を出している。かけ足で、秋がやってきている。