同じいわき市だが、福島第一原発から、20キロくらいのところに立っていた。赤色と白色が塗ってあるので、なにか理由があるのかも。原発事故があった時は、山間部で、人家もまばら、まばらのうえに、夜の生活の明かりも、まったく消え、あたりは、真っ暗闇だったとか。不安がると、不安が増して、いたたまれないほどだったとか。原発事故の前は、なにも気にしなかったが、今、見上げると、苦々しく感じる。まあ、電気の恩恵に、感謝はしている。
先日、仕事で、夏井川渓谷沿いに、走行した。帰り道、車を止めて、カシャッとした。走行中は、道幅が狭い箇所があるので、対向車に注意。ハイキング支度で、景色をめでている人もいた。まさしく、「花は山」だ。「人は里」は、人生経験の深い、味わいのある人にであえるのが「人里」。なかなかこうゆう人には、めぐりあわない。
こんな「ことわざ」がある。「人は武士」。今の時代に「武士」はいない。桜の花の、散りぎわの美を、昔の潔い武士にのことをいったのだろう。人の散り際などと、無粋のことなど、考えなくてもいいこと。きれいだなあと、楽しめばいいこと。
見上げて、ズ-ムして、カシャッとした。数日前なので、今日は、満開は過ぎた。一枝と思っても、高くて手が届かない。三月頃の拙いブログに、葬儀の祭壇に、桜の花を飾った画像を載せた。その時の桜は、少しずつ集め、冷蔵庫で冷やし、開花を送らして、葬儀の日に合わせて、空調で、一気に咲かせたという。三月は、桜が珍しいかった。自然に、満開になった桜も、見納めになる。
昨日で、桜が見納めかと思った。所用で、鬼が城の、すぐ近くに行った。「折角来たのだから、足をのばして、桜を見ていったら」と。「一目、千本」の桜、週末が見ごろのようだ。夜桜見物も、にぎわうようだ。提灯を取り付けていた。市街地から、約一時間の走行、同じいわき市でも、阿武隈山脈に近い山間部は、桜の満開は、これからだ
数日前は、つぼみだった。今日、見上げれば満開。「三日見ぬ間の桜」を、辞典には、「世の中の、移り変わりの、はげしくてはかないことを、―――」とある。そうだよなぁ。なんか、人生の一年は、一歳は、時速1キロの速さだたとか、そうすると、小生は、78歳、時速、78キロで、一年が過ぎるのか。自動車専用道路では、ちょっと、遅すぎる。一般道路のバイパスでは、速度違反だ。勿論、市街地では、危険きわまりない。難しいことを考えないで、のんびり、すごしたいものだ。行く春を惜しんで、皆さん、大きな声で、歌いましょう。「さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂いぞ出る いざや いざや 見にゆかん さくら さくら 野山も里も 見わたすかぎり 霞か雲か 朝日ににおう さくら さくら 花ざかり」。ご唱和、ありがとうございました。「この、あほぉ」っと、どなたか言ってませんかぁ。
花の見ごろを言うので、三月、五月は陰暦のこと。今のカレンダ-では、当てはまらないようだ。花をみて、まあ、春だなあ、夏になったなあと、季節を感じていれば、いいと思う。近くの神社の、一種類は、散り、片方の桜は、これからのようだ。画像は、先日、赤井岳に行った途中で、車を止めて、カシャッとした。走行中は、キョロキョロできない。止めて、あたりを眺めると、花盛りだ。季節の巡りを、めでている。
運転免許証の、更新日が近い。車を運転する免許証には、七十五歳未満と、七十五歳以上と区分があり、講習の内容が違う。車を運転するのに、注意すべきことが、指摘されるので、今まで以上に、注意することだ。前回は、注意される事柄は、無しだった。健康保険制度では、前期高齢者、後期高齢者、超高齢者に、区分がある。超高齢者は、制度ができた頃は、末期高齢者と言ってたようだ。末期は、あまりにもひどいので、「超」になったとか。制度の運用の言葉なので、「目くじらを立てる」こともない。平均寿命もあれば、健康寿命とよばれることもある。自分自身の、健康寿命は、日々、気をつけなければならない。この歳になると、体の健康と、頭の健康に、注意だ。頭の健康と、もっともなこと言っているが、毎回、支離滅裂なブログだぁと、笑っている。読んでいる皆様には、大変失礼なことと、思っている。
閼伽井嶽、常福寺の本堂の前の桜。これから咲き出すようだ。暖かくなれば、参詣の人も多く、アオ-キングで、訪れる人も多くなるのだろう。小生は、月に一度しか行かない。麓から車で登って、境内を散策。今の時期、変わるがわる、花が見ごろになる。気温は、町の中より、数度低い。写経場は、スト-ブで、暖をとっているが、膝元が、すうすうとする。腰には、ホッカイロを、両腰に貼り付けていた。それでも、寒かった。まあ、下界より厚着をしなければ、駄目だなあと。寒さをこらえるのも、修行の内かなぁ、と。
昨日、今日と肌寒い。境内の桜は、今が満開。日曜日には、イベントがあるようで、作業服をきた人たちが、ポ-ルを立てていた。参詣の人も少ないようで、時々、「ごおぉぉぉぉ---ん」と、聞こえる。普段、耳慣れている街中の騒音もなく、自分が、石段を登る音、境内を歩く足音だけが、聞こえる。ふうぅつと、風が頬をなでるだけで、木のざわつきも、聞こえない。なんか、俗世を離れた気分を、少し感じた。
手元にある先祖様が、残したもの。一つは、祖父、もう一つは、父のもの。効績章というのだから、それなりに、鉄道で効績があって、賞されたのだろう。祖父は、昭和20年の六月に死去した。子どもごころに、うろ覚えをしている。手元に残っている写真の一枚は、白い服に、帯刀しているのがある。鉄道の機関手だったと、聞いていた。いわき地方は、石炭輸送のために、蒸気機関車や馬車を動力にして、鉄路が敷設された。明治20年が最初だった。その後、明治39年に、国有化になり、現在の、JRに、変化したと、読んだ。どんなに、時代が変化しも、鉄路は、続いている。この歳になって、想い出すのは、こどもの頃、親に連れられて、上野動物園に、行ったこと、機関車の煙りで、鼻の中が痛かったのを。仕事をするようになって、鉄道を、利用した。当時の平駅から、上野駅まで、深夜の寝台車に揺られ、乗り換えて、名古屋、岐阜へは、よく利用をした。今は廃線になった、信越線の、軽井沢へ上る急こう配の車窓を、眺めた思い出もある。このバッチをみると、昔のことが、頭をかけめぐっている。
四月も下旬にさしかかり、二十四節気の「穀雨」になる。現在使われている暦では、二十四節気の日付けは、ほぼ、一定。二十四節気は、太陽太陰暦の考えなので、春三月の名称は、「清明」と「穀雨」。太陽太陰暦では、あとひと月が、春の期間だ。四月は寒暖を繰り返す。「四月のバカ陽気」もあれば、「花冷え」、「花散らし」もある。気が付けば、桜の花もおわり、若葉が次第に大きくなっている。画像は、閼伽井嶽へ上る途中にある神社。巨岩が脇にある。神社の名は、読み取れなかった。毎月、上り下りしているのだが、ちらり横目で、走行している。もうちょっと、余裕のある時間を持ちたいと、思っている。