八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

車のライト

2017年03月31日 20時23分20秒 | Weblog

前掲のついでに、ヘッドライトをカシャッとした。こうなってんのがぁと、あらためて見てみた。最近は、洗車をしたことがない。ガソリンスタンドで、洗車してねぇで、置いてくる。仕事をしていた時は、ハイエースの貨物車ばかり乗っていた。目線が高いので、乗用車より楽だった。ボディが紺色だったので、泥汚れが目立っていた。今乗っているのは、グレー色。これの前は、マークⅡの紺色。泥汚れが目立っていた。当地方は、積雪が少ない。でも山間部には、雪が積もる。雪道を走行して、車体は、紺色と泥色の、ツートンカラーだぁなんて言って、洗車をしないで、笑っていた。

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明日から四月

2017年03月31日 20時06分13秒 | Weblog

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれているが、今日は肌寒い一日だった。季節区分の七十二候でも、「桜始めて咲く」から、「いなびかりがあるころ」となり、四月四日は、「清明」、「旧暦はくらしの羅針盤、小林弦彦著」によると、万物が発生、清く明らかになるころ」とある。テレビの報道も、桜の開花が近いとも。画像は、夏タイヤーに交換をした。遠方に出かけることもない。安全運転は、心がけている。右折で、停止していたら、「早く行け」というのか、クラクションで、追い立てられた。対向車は列をなしていた。その切れ目を見て、交差点に進入するので、待っていたのだった。「急いては事を仕損じる」。まぁ、これでいいんだっぺぇ。

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ヒヤシンス

2017年03月27日 20時18分56秒 | Weblog

バアチャンの部屋に置いてある。つぼみのうちに買ってきた。プラスチックの鉢が紫色だったので、「紫の花ですか」と、聞いて買った。彩えた色が珍しい。花のことも無関心だが、ばあちゃんの部屋を飾るのにはいいかぁだ。毎日毎日、ヘルパーさんや看護師さん、入浴サービスの世話になっている。少しでも、飾って、なごめばいいかぁだ。

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ばあちゃんの笑顔

2017年03月27日 20時05分01秒 | Weblog

ばあちゃんは、102歳と7か月になった。午前中のヘルパーさんに、車いすに移乗してもらい、半日過ごしている。ご機嫌伺いに、顔をだしてみると、うれしそうに話しをしていた。言葉は聞き取れないが、子どものころ、小学校のことのようだ。「飯野尋常小学校げぇ」と聞くと、「そうだぁ」と、嬉しそうに答えていた。ばあちゃんの兄や姉のことも、よく話しをする。遠い遠い昔しの、楽しかったことを、想いだしているようだ。ちょっとの間、話し相手をしていた。

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火をだした家

2017年03月25日 21時10分40秒 | Weblog

画像は、三月七日にブログをした、「近くの火事」の、その後。普通の家とは違った様子。ゴミに見えるが、家人は、財産だと言っていたようだ。たまぁーに車で走行時に、ちらっと見ていた。家人の所有物なので、価値があるのだろう。寝食は、どうしているのか。財産に囲まれて、満足しているのだろう。他人のことなので、とやかく言うべきではないと、承知はしている。

 

 

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春まだ浅し

2017年03月25日 20時52分36秒 | Weblog

車の冬用のタイヤーを、はずした。ガソリンスタンドから、歩いてもどる途中に、街路樹のモクレンをを見上げた。一週間前とおなじ大きさのようだ。秋に落葉をして、春になると、葉より先に、六弁の花が開くという。当地方、暖冬だったように、記憶をしている。経験則で、暖冬の後は、寒い春になることが多い。ここのところ、冷たい来た風が吹くなぁと思っている。消費行動は、暖冬の時は、活発になるとか。交通事故も多いとか。野菜の価格は、どうなんだろうか。暖房用の灯油は、値下がりなのかも。でも、寒い春が続くと、灯油を消費する期間が長くなる。値下がりはありがたいが、長期に使えば、家計の光熱費が、かさむようになる。まあ、どっちかどっちかだなぁ。

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のどかな早春

2017年03月20日 21時11分38秒 | Weblog

先日、親戚の葬儀があった。納骨の儀に行った途中の、のどかな風景。葬儀の列に、ヤギも驚いたのか、メエェーメエェーと啼いていた。古木様の幹からの枝先に、梅の花も咲く早春の風情。小生の歳になると、血縁関係は、数人になってしまい、淋しい思いもしている。

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原発事故から十日目

2017年03月20日 20時55分19秒 | Weblog

車の燃料が、20リットル補充ができ、避難で六日間世話になった礼もそこそこに、一路いわきを目指した。途中道の駅で、トイレ休憩、アツアツの山菜そばは、ありがたかった。ばあちゃんは、いただいてきたおにぎりで、お昼ご飯にした。事故があった当時は、原発は悪いなりにでも、落ち着いてきたようで、安心をしていた。東京電力、その協力会社、自衛隊、消防関係の方々に、感謝致します。画像は、事故から10日目と11日目に、市役所からのお知らせをつづった、その表紙。隣組と、近辺の家に、配布をして歩いた。避難をしていた間のことを、ブログしようとしたが、あまりにも事故が大きくて、まとめ切れないのと、親戚の葬儀に立ち会うこともあった。ブログも、ご無沙汰をしていた。

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原発事故から六日目

2017年03月16日 20時57分31秒 | Weblog

画像は、原発事故があった、三月十四日と十五日の、福島民報の見出し。車の燃料の補充で、ガソリンスタンドを探してみたが、どこもダメだった。原発がどうなるのか、不安の毎日だった。テレビの報道で、絶望的なのか。水で冷やせば、最悪はさけられるという。原発事故から、六日目になって、水の投下や、海水の注入で、冷やすのを報じていたので、最悪はさけられたのかぁと思っていた。原発の建屋を、見上げたことがあるので、あの建屋が壊れるとは、テレビの映像はうそだろうと、思うほどだった。

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原発事故から五日

2017年03月15日 20時36分18秒 | Weblog

当時、急きょ非難をすることにした。仕事で使っていたハイエースバンの、後部座席を外して、介護用マット、車いす、ポータブルトイレと、必要なものを、満載して、出発した。自動車道路は、通行ができないので、国道を走行した。途中、ガソリンスタンドで、給油待ちの列で、停車になってしまった。暗闇がせまり、不安はつのってしまった。予定より2時間遅れで、道の駅に到着。ようやく、出庫する車の跡に停車。屋内は、避難をしてきた人だろうか、毛布にくるまって、寝ていた人もいた。日本各地に、原発がある。原発の安全神話があったように、二度と事故が無いことを願っている。

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原発2号機

2017年03月14日 19時52分26秒 | Weblog

画像は、原発事故があった当時、2号機のことで、市役所からのお知らせ。後日知ったことだが、当時、広報車から聞いたという人もいた。広報車が、走っていたが、なんのことだか、わからなかったという人もいた。結果的には、放射性物質のことは、ほとんど影響はなかった。

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原発事故から四日目

2017年03月14日 19時13分37秒 | Weblog

その日は、午前中、大津波が、床上20センチ浸水をした取引先を、見舞いに行った。昼近く前、給水場所、ゴミ収集のお知らせなどをコピーして、隣組に配布して歩いていた。午後は、トイレ用の水を、少し離れたところにある古井戸から、汲み上げてきた。近所で、水が不足している家にも、あげた。知り合いに、水はと聞いたが、間に合っていると。もう一軒は、避難をしてしまったという。原発のことが、不安になってきていた。テレビでは、原子炉を水で冷やし続けるようにと、解説をしていた。後日知ったことだが、原発2号機が損傷をして、大量の放射性物質が拡散し、首都圏も避難をせざるを得なくなる事態が想定されたと。放射性物質のことは、「知らぬが仏」だった。実態を知らずに、のほほんとしていた。日常生活の水も、原発事故対応の水も、「水の恩ばかりは、報われぬ」というように、水の恩恵は、計り知れないものだなぁと、思っている。

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原発事故から三日目

2017年03月13日 20時37分40秒 | Weblog

放射線のことは、まったく分からなかった。事故から現在まで、直接的な影響はないようだ。当時、隣組の家に、お知らせを配布しながら、声をかけて歩いていた。放射線のことを聞かれても、大丈夫だっぺぇと、云っていた。後で知ったことだが、この日は、福島第一原発から、30キロ圏内のいわき市の一部が、市役所の判断で、避難をした。前日の夕刻には、20キロ圏内に居住していた知人が、避難をしてきたので、びっくりした。この日も、家の中のかたずけや、余震のたびに、近隣の見回りをしていた。夜は、飲み水を給水場に、取りに行った。事故があった原発の映像を、テレビで見ていた。どうなることやらと、不安はあった。電気とガスが使えたのか、ありがたかった。

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あの日。3、11

2017年03月12日 16時01分15秒 | Weblog

前掲の続き。バイパスをおり、一般道で帰路すると、渋滞、脇道を抜けようとすると、ブロック塀が倒れ、車線をふさぎ、電線が切れて、垂れ下がっていた。まずは、幹線路にむかい走ったが、ところどころで渋滞。晴れていた空は、一転暗雲になり、雪がふっかけてきた。約30分で、たどり着けるのが、1時間30分かかって帰着した。家の中は、倒れた家具はない。すぐに、水道から、水の確保、風呂のバスに、水道水を貯めた。ウインドウカラスが破損。社の者とかたずけ、家族の安否と、家の中の点検もあるだろうと、退社させた。余震のたびに、隣組のみまわりと、声を掛けて歩いた。テレビでは、大地震のことと、原発事故のことが、報じていた。不安になり、夜になったが、市役所に行ってみた。入口で、お知らせするものはないと。市役所も、外壁が崩れ、外に面したガラスが割れ散乱、床はめくれはがれていた。画像は、翌12日に隣組に配布をしたもの。大震災の長く続く深刻さも、原発事故の重大さも、その時はまだ、わからなかった。

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あの日。3、11

2017年03月12日 15時36分51秒 | Weblog

大地震発生時は、車で走行中。バイパスの小高い平坦の所では、ハンドルが取られるなぁと思い、停車。地震かぁで、また、走りだした。長い下り坂にさしかかった時に、カーラジオが叫びだした。揺れがひどくなり、路側に停車。なだらかな長い下り坂、谷には、跨道橋がかかって、その先は、上りになっている。その小高い岡が、ぐぅぅっーと揺れ、左右に沈み、小高い岡全体が、沈み込んで、眼前に、迫ってきた。五度、六度とくりかえす様は、車が滑り落ちてしまうほどだった。跨道橋に立っている街路灯は、折れんばかりに上下左右に、激しく振りまわしていた。長い時間だったように思える。地震がおさまって、また、走り出した、その時は、眼前、7、800メートル間の道、バイパス上には、車は、一台も見えなかった。最初の揺れ初めの時に、退避したのかも。

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