当いわき地方の、日の入りは、17時28分というので、冬至の頃と比べると、一時間くらい、日の入りが遅くなっている。暦の上での春は、立春から立夏まで。春分から夏至までという区分もある。太陽の光が、気温に変化するのに、四十五日かかるというので、そろそろ、春の訪れを感ずる。日本列島、北から南と、細長い。それぞれ地の季節感は、いろいろなのだろう。もうすぐ、三月になる。夕方、カシャッとした。西の空は、画像より、赤色が強かった。
前掲の、外部被バク推計結果に、添付されていた、日ごとの放射線量の表。今、改めて見てそうだったのかぁくらいしかの、感想だ。大量の放射線が降りそそいだ15日は、福島市の妹の所へ、トヨタハイエースに、介護中のばあちゃんが使うものを、ポータブルトイレや、車椅子、介護用マットレス、数種類のおむつを、荷台一杯に積み込んで、車の燃料は、片道分とちょっとしか入っていないまま、午後三時半ごろ、出発した。後々知ったことだが、いわきより、福島市の方が、たいへんだっのだ。大震災と、原発事故のことの、当時を思い出すと、背筋が凍る。
画像は、以前に、福島県からの、外部被ばくの推計結果のお知らせ。放射線量のことは、当時、市役所に、市役所からのお知らせを、午前と午後の二回、自主防災会と名が入っていたヘルメットをかぶり、自転車で、取りに行っていた。推計数値は、当時、戸外に出ない家族と比べると、高い。原発事故があった当時は、市役所からは、放射線に関しては、別に知らせが無いので、普通の生活をしていた。当時、テレビの報道は、原発事故を終日放送しており、大丈夫なのかなぁと、不安がつのってきていた。今は、市役所からのお知らせは、防災メールで、パソコンに入ってくるし、ガラケイにも、入ってくる。これは、助かることだ。原発事故があった時より、数年前、町内会には、自主防災会が、組織された。ヘルメットだけは、町内会の役員に渡しておくようにと、強く申し入れをしていた。そのヘルメットをかぶっていくと、「ご苦労様です。新しいお知らせはこちらです」なので、助かったものだった。
22日に、今年の夏はと、ちょつと分かりずらい、グラフを載せた。画像はグラフにする前の、数値の表。閏月がある季節は、118日と長い。今年の夏の始まりは、5月26日からで、9月19日まで暑いかも。ことわざに、「暑い寒いは、彼岸まで」と言われるいる。残暑が厳しいかも。勝手な予測では、夏の始まりは、肌寒い日が多いと思うが、テレビのお天気予報の、六月、七月、八月の夏は、暑いと報じている。
入浴サービスに合せて、妻とで、散髪をした。在宅介護が始まって、冬になる前と、冬が終わる頃と、暑くなる前に、散髪をしている。髪を切る専用のハサミを買ったが、使い勝手がいいのは、切れるたちはさみがいい。後ろの首あたりは、髭剃り剃刀を使ってする。蒸しタオルを当てると、気持ちがいいのか、眠ってしまった。画像のあと、仕上げに頭を動かすと、眠いのを起こされて、怒り出してしまった。髪をよく見ると、黒髪が多い。健康状態は、良好と思う。百二歳と、六か月が過ぎた。
画像は、自分勝手な予測。日中の最高気温の平年値[緑色の折れ線]と、予測をした旧暦での[白線の折れ線]と、比べてみたもの。七月に入ってから、八月下旬まで、気温は、低く経過するのかも。暑さのピークは、九月かも、残暑厳しく、十月以降も気温の高い日が多く、本格的な冬の訪れは、年が明けてからかも。商売を左右するのは、お天気七割、景気三割と言われて、久しい。お天気によって、消費行動を、読み解く。季節の商品を扱っている業界は、良いにつけ、悪いにつけ、判断が難しい年だろうなぁと、グラフを見ている。当るかなぁ。
きのう今日と、目まぐるしく、お天気が変わる。画像の縦軸は一年を四等分した。0.00は、一月一日。91.25は、四月一日。182.50は七月一日。273.75は、十月一日。365.00は十二月31日。グラフの春夏秋冬は、旧暦の春夏秋冬の期間。24年の春の期間と、26年秋の期間と、29年夏の期間が、長い。旧暦の閏月があるので、長い。例えば、今年、29年は、旧暦の五月が二回入るので、長くなる。これが、今年の夏は、雨がおおいのかと、みた。旧暦では、1月2月3月が春。4月5月6月が夏。7月8月9月が秋。10月11月12月が冬。太陽太陰暦は、今から4000年も前に、農暦として、大陸で、使われたという。日本は海洋国なので、太陽の熱が、季節の熱に変化するのに、30日くらいかかるという。これを計算に入れて、自分勝手に予想をしたもの。当たりはずれは、ご容赦のほど。
ばあちゃんのおかず。朝と夜のご飯に一品添え、少量だが、刻みのおかずを、二品か三品を、食べさせている。今も、美味しそうに食べている。高いので大変だぁというが、死んだら食べさせられないぞだ。93歳の時、大腸腫瘍の切除をした。その一年後、腦梗塞になった。口から食べることが一番だ。脳梗塞になった時は、様子が変だと、かかりつけのお医者さんへ行き、すぐに脳外科へと、促された。でも、脳外科では、新患はお断り、車の中に居るのでと懇願しても、お断りだった。かかりつけのお医者さんに戻り、応急の点滴。その間に、脳外科がある病院に連絡、問い合わせ。翌日、診察、入院をした。いつどうなるか、わからないので、食べられるうちは、ちょっと無理でも、美味しいものを食べさせている。前掲げの「延命措置」に書いてあるお医者さんは、その時は暮れの29日、かかりつけのお医者さんは、外出中。すぐ近くのお医者さんには、お断りされた、。往診をしてくれたお医者さんは、新米開業医だと言いながら、往診してもらった。小生は、39年間、世話になっている。今は、子息がお医者さん。
画像のこととは違うこと。39年前、義父が深刻な終末になったとき、あきらめるか、あきらめないかと、お医者さんに問われた。本人も家族もたいへんだよと、言われた。なんとか、生かしていられるかと、返答した覚えがある。これが、苦難の10か月になった。入院が始まり、意識は、混濁、管で養分を流し込み、床ずれがひどくなった。交代しながら、付き添っていた、義母と娘は、疲れ果ててしまっていた。今と違って、医療費がかさみ、家計費もかなり深刻だった。今、在宅介護中の義母は、延命させていると思っている。終末期になったら、成り行きにまかせるとしている。今日も元気にしている。毎日、娘が作ったお昼は、カステラとクッキーに牛乳、リンゴ半分をすりおろしたのを、食べた。「美味しかったげぇ」と聞くと、「うまい」と返事をした。新聞に載っていた広告をみながら、考えさせられる。
結構使っている。在宅介護中なので、なにかと雑用がある。ちょっと高額だと思ったが、長く使えればいい。「念入りに、やれっ」と、スイッチを押す。狭い部屋ごとに、使っている。一部屋は、手動式の掃除機ならば、ものの、5分で終わる。考えれば、高いものについているなぁだ。
画像は、先日の午後、雪が降った。近年、積雪が少ない。以前は、除雪をするより、水で溶かそうと、散水をしたが駄目。側溝に落とし入れたりしたが、入りきれずなので、雪解けを待った。画像では、雪が積もるようにみえるが、地面では、溶けてしまっている。それにしても、今年の冬は、北風が吹き荒れる。
へぼゴルフ記の裏表紙。昨年の初冬に、六年ぶりに、コースにでた。拙いブログから、ゴルフのことを拾い集めて34ページの小冊子にした。自分ひとりよがりだが、楽しい思い出になった。贈呈には、返信不要のことわり書きをいれた。へぼに付き合っていただいた礼なので、気持ちの礼が、伝わればそれでいい。未だ歩けるので、コースにでて、ラウンドしてみたい。
いただきものの夕食。こうゆうものがあるんだぁで、味わった。落語の話しに、ウナギやさんの店先で、かば焼きのにおいを、胸いっぱいに吸い込み、急いで家に帰って、ご飯を食べる。月末に、ウナギ屋さんが、ウナギの匂い代を、請求にきた。すると、お金を数えてみせて、お金をもらったつもりでと、やりかえした。こんな話しのようにして、暮らしていれば、生活費は抑えられる。しかし、生きていくためには、健康。体に十分の栄養をとる。消化器系の内臓は、今のところ異常はない。ほどほどに、美味しくいただくのが、健康の基本なのだろう。
うそか本当かは、わからないが、退屈まぎれにみていた、ネットのニュース。国が所有している9億円の土地が、1億数千万円で、売却とか。なんか、言ってることと、やっていること、とうなんだろうか。「驕れる平家は久しからず」かぁ。爪に火を点して、日々暮らしている。まぁ、別世界のことだぁなあ。
画像の、豆の事。昔ぁーしの言い伝えに、「節分の豆を、初雷に食べると、かみなりに打たれない」というのがあった。雷に打たれないというのは、農耕の時の、注意することなのだろう。寒雷は、豊作だという、言い伝えもあるようだ。雷は、夏の訪れを知らせるのかも。テレビの天気予報でも、雷の発生の予報も見られる。雷の多発地帯もあるという。「まめに暮らす」のまめは、「忠実」のこと。節分の豆から、あっちこっちの話しになった。