八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

若い方がいい、市長選挙

2017年08月30日 20時15分42秒 | Weblog

この歳になると、利害はない。政策等の事の判断は、目に入ることだけなので、どちらとの主張も、そうかぁとだけだ。現職と、元職とから、にわかに、折込で、チラシが入っていたり、封書が来たりしている。「ひぼう」的に、読めるものもある。互いに、いろいろの事に、利害を主張している。以前は、議員様に知り合いがいたりで、国政や県議の、裏話しを聞いたことがあった。今では、人との交流も、途絶えているので、唯一票を、投票するだけだ。震災後が、落ち着きを感じるので、ごたごたしないことが、いいのではないかなぁと、思うだけ。市政は、若い方が考えること。若い人は、より長い年月の事を、考える。そうかぁ、今の市長は、若いんだぁ。

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秋茄子は--

2017年08月29日 19時27分55秒 | Weblog

「秋茄子は嫁に食わすな」と、云うのがある。姑からは、秋の茄子は、旨いから、嫁には、食べさせるなという、嫁いびりのことのようだ。しかし、茄子の種子が少ないので、食べさせるなと、いうこともあるようだ。ちょっと前の、お盆のお施餓鬼会に合わせた、法話では、秋の茄子は、食べると、体が冷えて、子宝にはよくないからと、いうこともあるだつた。物事は、いろいろあるので、片一方の考えだけでなく、四方八方を見回して、考えなくてはならないと、今頃、納得をしている。

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空襲警報

2017年08月29日 19時17分25秒 | Weblog

もう、空襲警報なんていう言葉は、死語なのだろう。今朝早く、メールがきた。情報は、空振りでもいい。ミサイルは、あっちの方だつぺぇで、よそ事だった。しかし、方向は、こっちの方で、びっくりした。なんか、怪しげな、時代になってきたのかも。

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こんなことあったなぁ

2017年08月28日 15時02分02秒 | Weblog

まだ八月なのに、夜になると、虫がないている。米騒動の時は、いつも届てもらっていた米屋さんは、心配することない。多量にあるといっていた。後日に聞いたことだが、あるスーパーでは、精米をして、棚に並べると、すぐに無くなって、すぐ補充する。精米日を印刷しない袋に入れて、どんどんと、販売をしたとか。在庫していた米は、この際、売りさばいてしまったとかだつた。ここのところのお天気は、米の不作になるお天気だなぁだ。

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生きている。

2017年08月28日 13時06分19秒 | Weblog

髪を梳いてもらい、すっきりした顔でいる。今も元気でいるが、介護になる前は、「枯れ木が枯れるように死にたい」と、終い方を考えていたようだ。「枯れ木が枯れる」とは、生きる力がなくなることなのだろう。生きる力の基は、よく食べること。これは、よくできている。環境も整えている。現在の状況では、枯れ木が枯れる状況ではない。肉体的には、生きられる。気力もある。物思いの顔を見ていると、終い方を考えているのかも。喜びや、怒り、悲しみの感情は、今もある。笑っているときは、一緒に笑い、怒っている時は、悲しんでいる時も、「みんな居るから、大丈夫だよぉ」って云って、肩をとんとんとんと、たたいて、慰めている。ばあちゃんの終い方は、知る由もない。自分の終い方も、知る由もない。今を元気でいるだけ。ばあちゃんは、時々、「じっちさん、ばっぱぁさんさ、行くんだぁ」って、べそ泣きをしている。

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お施餓鬼法話

2017年08月28日 12時33分48秒 | Weblog

お施餓鬼会での、横浜のお寺の和尚さんの法話。飢えている、鬼や餓鬼に、たくさん食べてもらう行事という。鬼や餓鬼でも、産んだ母親は、はぐくんで、育てたはずだ。どんな命でも、人に憎まれるようにはしない。どこかの道で、間違って、鬼や餓鬼になってしまったという。それらに、食べ物を、たくさん食べさせて、改心させようとするという。盆棚に供えられた食べ物を、腹いっぱいに食べ、ありがとさんと、感じさせる行事という。盆棚の四隅に立てる笹は、人間の世界の輝きを、笹の葉で、眩しさを、少し減らして、安心をして、食べられるようにという。家々では、お盆にお先祖様を迎える。どこの家にも帰れない、鬼や餓鬼にも、施しをする。鬼や餓鬼になってしまっても、親の愛を、もう一度、思ひ出させる行事でもあるという。施餓鬼会には、和尚さんが、20数人で、お經を唱える。しかし、自分の家の仏壇に、その家の人が、經をあげるのが、先祖様が、一番うれしいことですと。毎日、仏壇に手を合わせる。その日の、心の安らぎが、得られるはずだ。で、〆になった。

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秋霖

2017年08月21日 20時01分40秒 | Weblog

例年ならば、暑さからのがれて、涼みを楽しむのだが、下界も曇り空。車で駆け上がってきたが、雨が降ったり、止んだりしていた。10メートル先も見えない、霧が立ち込め、流れていたりだった。参詣の人の、祈祷の読経は、響いていた。梵鐘の鐘の音も、余韻が残らず、静か静かの、境内だった。月末には、大祭りがあり、賑わうことだろう。

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施餓鬼会

2017年08月21日 19時28分17秒 | Weblog

盆の18日に、菩提寺の施餓鬼会で、卒塔婆に、閼伽水を、蓮の葉に貯めた閼伽水を、振りかけて、法要をしたのを、カシャッとした。施餓鬼会には、和尚さんが、20人ほどで、読経があった。葬儀とは違って、荘厳。施餓鬼会は、ご先祖様の供養と、ご先祖様以外の霊の、供養をする法会という。お盆の行事が、終わると、来月は、秋の彼岸になる。

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ほどほどに

2017年08月21日 16時31分24秒 | Weblog

画像は、送り火が、燃え尽きるとき。小生、よわい八十一歳になる。どのように燃え尽きるのか、分からない。ならば、どのように、生きていくのかだろう。今の老体をいたわりながら、粗食でも、食べれるのに、ありがとさん、なのだろう。粗食していれば、経済的にも、健康的にも、労はないのかも。願望の一番は、ボケないこと。寝たきりにならないこと、そして、ほどほどに、おさらばをする。俗世間では、願望が叶わないという。でも、願いだけはする。

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お仕事ご苦労さん

2017年08月15日 19時56分22秒 | Weblog

バツテリーについての、お知らせにしたがった。放電には、約2時間かかるようだ。そして充電になる。まあ、ほんとに、お仕事、ご苦労さん、だぁ。

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またまた迎い火

2017年08月15日 19時32分52秒 | Weblog

盆の十五日。最後の迎い火をした。まだ明るさが残る時刻だ。やませの風で、勢いよく、吹き上がる。いつもは、近くの神社の、木立から、セミの鳴き声が、聞こえてくるのだが、まったく鳴き声は、聞こえない。火の番をしながら、カシャッとした。

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サムサノナツハ

2017年08月15日 16時36分56秒 | Weblog

「サムサノナツハオロオロアルキ」は、「雨にも負けず」の一節。ここのところ、肌寒い日が続いている。へぼ予測通りのようだ。盆の十五日といえば、夏の風物誌の、じゃんがら念仏踊りの、鐘や太鼓を、打ち鳴らす音が、聞こえてくるのだが、静か静かだ。例年ならば、新盆の家への、挨拶も終わり、クーラーの冷風で、午睡と決め込んでいるはずだ。今日は、長袖のシャツを着用している。「サムサノナツハオロオロアルキ」というので、冷夏のことなのだろう。ここのところ、すつきりとした、夏の風情はない。日照時間が少ないようで、これから、稲の花が咲くころと、思う。影響がでてくるのかも。画像は、三年前のもの。この時も、閼伽井嶽薬師寺の境内も、小雨にけぶっていた。夏は夏らしくしろなんて言っても、お天気様は、どうにもならない。八月下旬ころから、残暑が続くのかも。

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残り火

2017年08月14日 20時43分34秒 | Weblog

在宅のばあちゃんは、103歳になった。元気に、朝晩の食事は、美味しく食べている。昼は、軽食で、どれもが、体力の維持に役立っている。臓器は、すべて調子がいい。老衰の心配はない。画像は、迎い火が、燃え尽きる直前。生命が燃え尽きるのに、あと一年か二年、三年になるのか、計り知ることはできない。話し言葉は、意味がわからない。でも、話しかけてくることもある。そんな時は、分からなくとも、聞いている。今、何を考え、何を思っているのか。頭の中を、覗いてみたいものだ。

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お迎え団子

2017年08月14日 20時24分01秒 | Weblog

十三日の、ご先祖さまを、迎い入れた。十三日は、迎い団子を供えて、供養する。十四日は、「おはぎ」を供えるという。当地方のお盆の風物に「ジャンガラ念仏踊り」がある。そのはやし言葉に、「じゅうろくささげのよごしはどうだい」がある。漢字では、十六大角豆。長いさやに、豆が入っているという。それは、食用にもなるという。旧暦の盆、七月十五日は、今年は、九月五日になる。「九夏三伏」という、暑い期間は、八月の20日で、終わる。

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迎い火

2017年08月14日 20時11分03秒 | Weblog

月遅れのお盆。精霊様を迎える「迎い火」を焚いた。画像の火炎は、松根で焚いた。油分が多いので、黒煙が立ち上った。盆の、迎え火、送り火は、「おがら」でという。「おがら」は、皮をはぎ取った麻の茎という。松の根を焚くのは、間違いだ、「おがら」は、すうっと、燃えてしまう。煙にのって、家に入るというので、黒煙りが、いいべぇが、間違っている。炎を消すのには、萩の葉に、水をつけて、ふりかけるいう。水は、蓮の葉に、貯めたものを、使ういう。ひとつ一つに、決りがある。

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