二月の中頃、山あいにを走行をした。雪道を走ってみたかったが、除雪がされていた。のどかな景色なのだが、校舎の前庭には、放射線を測定する機器があった。小1時間かけて、街に戻ってくると、走行する車は、大型トラックも、マイカーも、普段よりも多いように思える。街中を歩行するひとも、買い物か、散歩か、作業服を着ている人も、見受けなれる。やはり、普段よりも多いように思える。走行しながら見える仮設の住宅も、あちこちに出来ている。いわき市は、住みごこちがいいようだ。
新明解より。雲が空に流れ動いて雨が降り、万物をうるおして恩恵を施すこと。画像はこの意味と違う。今月の初めに載せた画像と、同じころの時刻に撮ったもの。明暗のコントラストが、目にはいった。もうすぐ、春になる。日中の陽射しも、日一日と暖かさを増している。寒暖を繰り返して、季節が移っていく。日当たりのいい土手の斜面の梅の枝に、ちらほらと、開花している。気分も少し、うきうきとしてきた。
前回に続いて。これも破棄をした。ずうっと前だったと、思うが、昔世話になったお医者さんのことを、ブログにした。その先生に診察をしてもらっていた。ある時、机の上に、古ぼけた本が、四、五冊があり、ひろげてもあった。聞かなければよかったのに、「古い本を集めてんですかぁ」って、聞くと、「学生時代に読んだほんだぁ」って。見ると、赤えんぴつで、アンダーラインが引いてあった。「基本は今も変ってないんだぁ」って。お医者さんになるので、一生懸命に勉強をしたことだろう。今は子息があとをついで、診察をしている。前の建物の待合室には、開業をした時に贈られた記念の品の、大鏡が飾ってあった。その鏡には、「医学博士」、「慶応大学--」と、贈り主の名前があった。古い本だからと捨てる。古い本でも、何十年も経ても、ひろげて勉強をする。この違いは、しょうがねえぇなぁって、自嘲をしている。去年の12月に、その先生に、何年か振りに、インフルの予防接種のをしてもらった。「やあぁ、元気かぁ」って。
古い本を捨てた。物の無い時代、大量に生産された時代、物が有り余った時代、消費の行動に変化があった時代、買う場所の変化、車社会の時代。さしずめ今の時代は、ネットの活用の時代だ。時代の変化の様子は、3年毎に発表される、「消費動向調査結果」で、読み取った。時代の変化が来るのに合わせて、仕事に必要で、課題ごとに、毎月、一冊のペースで、一年と四ヶ月かかった。捨てた本そのものは古いが、考える基本は、変らない。このことの数年後には、「販売士」という、物販業の、資格が制定された。販売士、一級になれば、大きな店舗の、経営のノウハウの知識のが、得られる。それからは、知識を武器に、知恵を働かせる。こんなことをやっていた40年前と、今の脳味噌は、くらべものにならないだろう。歳、相応に劣化、脳味噌の増殖は止まった。みずみずしかったざくろ状の脳は、水分も枯れて、すかすかっかぁっなぁ。頭をふったら、「あれぇ、かさかさって音がしたなあぁ」。こりぁまたぁ、失っ礼しぃまぁしたぁ。
画像は、豊間の海水浴場。冬の荒波に、監視塔の土台も、洗われている。街の中の大きな建物の周りも、地盤が沈下しているところもある。全体に地盤が下がっているのかも。このあたりの家屋も、大津波の被害が、甚大だ。いわき七浜の、新舞子浜の大陥没の道路も、走行ができる。それよりも、放射線の影響は、悪いなりに、落ち着いているのか。あの日、11日から20日までの、生活状態を、もう一度、再現をして、生活をしてみようと、思うと、ぞおぉっとする。街の中から、車も消え、人の姿も見えなかった。家の中にいた人もいれば、避難をして、脱出した人もいるのだろう。あの日の、15日の昼頃までは、避難は考えていなかった。昼過ぎになって、人づてに聞くと、また、市役所からのお知らせをみたりして、不安になった。隣組の人に、市役所からのお知らせを、渡している時に、聞かれても、テレビの情報を、頼りにするようにしか、答えられなかった。幸いに、電気の灯りは助かった。断水していたので、煮炊きは、不自由だつた。どうにも不自由な年配の人には、避難所へ行くように、話しをした。あの日の、11日、12日は、市役所からのお知らせは、給水場所の連絡があって、助かった。災害の時の救援の態勢は、一番ひどかったところからなので、体が動けば、まず、自分の安全の確保だ。そんなことより、放射線のことだが、このいわき市は、安全。人の姿も多い。行き交う車も、普段よりも、多い感じがする。普通に生活ができる、ありがたさを、感謝している。
昨夕、さあぁって降ってやんだ。今朝、太陽がのぼって、雪は消えた。日本海側とか、豪雪地帯は、雪で難儀をしていると,テレビで見る。ずいぶん前に、小名浜測候所で、当地方の気象について、講演があった。その時の資料をひっぱりだして、読んだ。その時では、小名浜での年間の、積雪量は27センチとある。近年、積雪はない。でも、当地方の山間部には、雪が積もっている。先日、49号線を、郡山方面へ走行した。同じいわき市でも、「トンネルを抜けると雪国だった」。また、知人が川前町から、双葉郡の川内村へ走行をした際の、動画を見た。一面、雪景色。数年前に、仕事で同じ道を走った時も、白一色だった。ちょっとした上り坂で、立ち往生。チェーンを巻いた。余計な話しだが、車を替える時は、その車に合った、純正のチエ-ンを、購入をした。もどって、当地方の小名浜は、サンベルト地帯の北限という。冬の季節でも、日照の多い地帯の、太平洋側をこう呼んでいる。冬でも、海洋の影響を受けて、気温もさほど低くならない。日本を、亜寒帯、冷温帯、温暖帯、亜熱帯と、区分をしている。暖かさの指数は、99。このような指数は、作物の生産に役にたっているのだろう。気象と消費の関係は、1980年代頃から、「お天気7割、景気3割」と、気象で変る消費者の心理を知るのが、すべてだと、云われていた。たまあぁ-に、食料品の買いだしに付き合って、ス-パ-の店内を眺めていると、面白い。小名浜での、生物季節では、「梅の花の開花」は、二月十五日」とある。日当たりのいい所では、梅の花を見られるのは、もうすぐなのだろう。
立春が過ぎ、ちょつとは、陽射しが柔らかくなった。節分のならわしの、豆まきは、この歳だから、小声で、「ふくわあぁうちいぃ」って。翌朝、道路のまいた豆を掃きいた。豆の枝に、いわしの頭を、ヒイラギの葉を挟んで、戸口に差した。子どもの頃の記憶に、庭に植えてあった、青々とした葉を、挟んだ覚えがある。冬から春の変わり目、気分的にも、明るくなった。一年を、七十二候にわけた、季節のことばがある。立春の第一候は、表題の「東風解凍」がある。暖かい風が東より吹きはじめ、氷をとかしはじめる、という。一年、365日を、五日単位で、季節の表現をしたものがある。まぁ、たぁいしたもんだの、一言だ。例によって、小林弦彦著から、引用をしました。画像は立春前の、夕暮れ。明暗のコントラストが鮮やかだった。当地方の、日の入の時刻は、17時過ぎだ。だんだんと、日の入の時刻が遅くなってくる。復旧した、火力発電所の煙突からの煙が、なびいている。「はあぁるよこいぃ、はやぁくこいぃ--」って、歌ってみっかぁ。
仕事で海岸線を走行した。日本海側は大雪。冬の荒れの波が、すぐ足元に打ち寄せる。砂浜が波に洗われ、浸食が激しい個所のようだ。それよりも、この海の地下深いところが、震源となつた地震、大津波の発生。先日、家屋の破損個所の調査があつた。調査にきた係りの方の腕に、「高松市」の腕章をつけていた。「はるか遠くからの支援で、お世話になります」っと、挨拶はした。いわきだけでなく、震災の被害があつた、東北地方の各地に、全国からの支援があるのだろう。この「いわき」には、原発事故の影響で、避難してきている人も多いという。今日も、20キロ圏内の知り合いが、ちょつとお茶を飲みにきた。母親は、ディサ-ビスに、妻と子と孫は、岐阜の方に。この「いわき」に、一緒に住みたいと、住宅を探していると云っていた。気の毒に思う。
グラフついでに。月別のデーターをグラフにしたもの。例えば、数値が、毎月増減があって、その傾向がどうなのかを、一目瞭然に分かった。右肩上がりがいいのか、右肩下がりがいいのか、傾向がわかる。この折れ線グラフは、移動平均を求めたもの。12か月分を合計する。移動量を12で割って、移動平均がでる。それをグラフにする。この作業が、簡単にできるので、仕事に助かった。季節の予測に、旧暦の日ごとの気温の数値を割り出すのに、この移動平均が簡単に打ち出せることが出来た。まあ、遊び半分ですがねぇ。