八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

おもてなし

2014年06月30日 20時08分58秒 | Weblog
先日、写経のあと、「お茶どうぞ」と。画像の、涼感のお茶の子で、ありがたくいただいた。法話は、「よく食べて、よく眠って、体調管理を」とで、はじまった。仏像の写真集の一枚を開いて、「この仏像の目を、よく見てください」と。凡人にはわからず、なんのことかと、わからず見ていると、「目がロンパリでしょう」、と。仏語に「ロンパリ」があるのかぁと、思った。「正面を見据える目と、斜めの方を見る目、左右が違う方向を見ている」と。この仏像は、四方八方を、見回し、悪行をみつけると、懲らしめるという。悪行を見つけると、かかげ持っている剣で、悪行を絶つのだと。にわか信仰には、「目の正月」のように、感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧の閼伽井嶽薬師

2014年06月26日 20時41分25秒 | Weblog
梅雨の小雨にけぶる境内。画像の奥に、本堂がかすんで見える。写経にきた人が突いた鐘の音が、グウォっォっォ--ンと、流れる。鐘の音も、霧に消されて、余韻が残らないようだ。月に一度、季節のうつろいが、見られる。もう、六月も終わりになる。旧暦の梅雨の季節も終わり、「水無月」になる。暑い夏の季節が、めぐってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城平城の古図面

2014年06月25日 19時48分14秒 | Weblog
地元に居て、平城のことは、わからない。城跡の石垣を、何回か見たことがある。「いわき市史」をみると、戦いに敗れ、城に火を放って、炎上させたとある。その時の、戦火で、侍の屋敷や、町家が、焼失したという。ネットで、「お城めぐり」をしている人が、「旧城跡」の地名をたどった先は、民家が立ち並んでいたので、びっくりしたという。お城の名残りの、史跡は、少ないようだ。平城があった場所は、個人の所有なのだから、朽ち果ててしまえば、どうしようもないのだろう。画像でみられる「不明門」も、この図をみて、知った。あそこに「平城」があったと、いうことでだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城平城の三階ヤグラ

2014年06月22日 20時50分03秒 | Weblog
古図面から、撮ったもの。現在のJRいわき駅の北出口から、見上げた上に、そびえ建っていたのかも。三階建てで、物見、防戦のための、ヤグラという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城平城内外圖

2014年06月21日 20時06分30秒 | Weblog
にわか歴史調べで、拙いブログに記載した圖と、同じ圖が、今日から、「いわき総合図書館」の企画展示で、彩色されたものが、展示されている。図面の表題が、違う。ブログに載せたものは、「内藤左馬介政長家臣配家一覧」だ。展示されているのは、「岩城内外一覧圖」とある。同じ図面なのだが、ちょっと違う箇所があるようだ。「いわき市史」によると、封建性の形態で、領主は、領地の大土地所有で、家臣は、その分与をうける。農民は、土地の保有を、認められるが、領主、知行取に、年貢と労役の負担を、義務づけられた、とある。掲げた画像には、城を囲むように、苗字と名が、書かれている。細かいのは、名だけが、書いてある。「いわき市史」によると、「内藤政長」時代は、家臣が248人いたと、ある。画像から読み取れる名前と、「いわき市史」にある「政長時代家臣」の表にある名前と、一致したのが、「にわか歴史調べけ」には、分からない。今まで、行ったことがない図書館に入館して、閲覧を申し込んだ。係りのひとが、書棚を探した。書棚にはなく、「今日から、展示しています」と、言うので、びっくりだった。「いわき図書館の企画展示」は、九月二十八日まで、展示しているので、よく調べてみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城平城の内堀

2014年06月20日 20時28分22秒 | Weblog
平城の堀は、丹後沢がすぐに思い浮かべる。桜堀、白蛇堀もある。今の、磐城桜が丘高校、前は、「磐城女子高校」の前に、桜堀があった。大昔は、冬には、堀が氷って、下駄スケ―トで、遊んだことがある。73年前のことだ。戦争中は、「水戸」の先に居た。戦争後は、親の転勤で、戻った。その頃は、堀に水があって、魚釣りをしたことがある。ずう―っと過ぎてから、その堀に「あやめ」の花が、植栽されていたのかも。「白蛇堀」は、聞き覚えは、していた。現在は、木立に覆われているようだ。「にわか歴史調べ」をしていると、笑っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城平城内外圖

2014年06月19日 12時03分36秒 | Weblog
元和八年八月とある。内藤左馬介政長家臣配家一覧とある。小生は、歴史は、はなはだ、わからない。この図は、興味がある。昭和50年に、発刊の、「いわき市史」、第二巻、近世によれば、「慶長七年、磐城を領した、鳥居氏は、二十一年間、領主として、磐城を治めたが、10年にして築城がなり、その功によって、山形へ移封となった」とある。かわって、この図が書かれた、「元和八年」、{1622年}に、内藤長政が、上総国{千葉県}から、磐城平へ転封し、楢葉郡、磐城軍、磐埼群、菊田郡の四郡の内を所領とした」、とある。その時の、平城の図面のようだ。この図面は、「珍しいと思うから、あげるよ」で、頂戴をしてきた。今は、JRいわき駅の北側にある、細い、急な坂を上ると、城跡の名残の、石垣がある。昭和45年に、著者、鈴木光四郎、「磐城平藩政史」が、刊行されている。その中に、「大阪城を摸して、広大な外濠をめぐらし、現在のいわき市平の本町にまで、及んでいた」とある。また、「奥州岩城平之城覚」 内藤家所蔵の「平之城覚書」は、内藤帯刀忠興が幕府に報告したもので、年号は記されていない。寛永末期{1643}のものである。鳥居氏が入部してから、40年後のものであるが、平之城の規模が正確に記入されている」、とある。この著書の年号と、比べると、この図は、20年前の、平城の図面かもしれない。なけなしの、手元にある、前述の、書籍を、ちらっと、ななめ読みしたので、誤まっているところもあるかもしれません。興味本位で、画像を載せました。画像は、大きめにしてみました。いろいろ調べてみっかなぁと、思っています。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉢植えのさつき

2014年06月17日 20時35分07秒 | Weblog
花も終わりになる。日中、夏の太陽が照りつけると、花は長持ちしないようだ。さつきは、鑑賞用もあれば、庭木もある。この時期、道端に、植込みがあり、きれいだ。葉が見えないほど、花が覆いつくしている。にわかに、風流なことを語っている。手入れの仕方が、わからない。知人が、さつきの盆栽を数多く持っている。ちょっと、前だか、「歳になって、手入れが出来ない」と言った。「俺、もらってもいいよぉ」と、返事をしたが、にやにやと、笑っていた。手入れができないのを、知っていたからだ。もらえば、地植えにでも、しようかと思った。別のこと。さつきでも、お天気の五月。五月雨、梅雨。今年は、陽性の梅雨なのか、ざあぁっと、降り出す。例年、いわきは、七月の二十日過ぎに、梅雨明けになると、いう。しかし、今年は、陰暦の五月が、あと十日で終わる。梅雨明けが早いのかも。今年は、陰暦の九月が、二回ある。早めに秋の訪れがあり、だが、だらだらとした秋が、続くのかも。お天気が、不順の年なのかも。異常気象と、言われる年なのかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さつきの鉢植えのこけ

2014年06月16日 20時54分59秒 | Weblog
花に直接水をかけるのは、よくないと、根元に水やりをした。水やりの回数が多くなって、苔も元気になった。拡大してみると、またまた、おもしろい画像になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しじみ千より、ほら貝ひとつ

2014年06月16日 20時26分33秒 | Weblog
題目は、ことわざにある。「役にたたないものが、たくさんあるよりも、役にたつものが、ひとつあればいい」と、いう意味だ。シジミは、体にいい。手っ取り早く、溶かしてたべるのもあるが、砂出しをして、煮るのが、美味だ。画像のしじみは、小指の爪くらいの大きさだ。ずいぶんと小さいなぁと。ことわざに、シジミは、役に立たないと、言っているが、体が欲しがっている、養分でもある。現代の栄養には、この、ことわざが、あてはまらないい。なにも、鍋の底を見ながら、むずかしいこと、考えなくて、いいべぇ-と、笑っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆の、迎え火

2014年06月15日 19時53分51秒 | Weblog
昨年、カシャッとした。お盆に、我が家の、お先祖様を、迎える火。ちよっと早いことだが、あと二か月で、お盆になる。お盆の行事で、送り火の有名なのが、京都の「大文字焼き」だ。「大文字焼きの」のほかにもあるそうだ。お盆には、精霊を迎える。今年は、在宅介護のばあちゃんが、八月十日で、満百歳になる。この祝のこともある。今は、元気にしている。眠たければ、眠いままに、水分や、ご飯は食べてないので、心配はしている。二年前の春に、ちょつと「駄目かなぁ」と、あきらめかけた。そお-っと、声をかけたが、反応がない。どうしたものかと。とっさに、耳元で、「かぁらぁすぅ なぜなくのぉ――」と、歌ってみた。すると、かすかに、頭を動かした。これなら、大丈夫と、アイスクリ―ムを、小さいカップを、小一時間かけて、飲み込ませた。最近は、時々、「死んじゃったぁ」と、言っている。昨日は、昼も夜も、今朝も、お昼も、食べていない。眠っているのと、怒りだしてしまう。ちよっと喉を湿すくらいしか、できていない。ぐっすり眠って、目を覚ませば、機嫌よくなり、食べる。これの繰り返しをしている。二か月後は、ばあちゃんの祝をして、すぐに、精霊を迎える。在宅介護は、延命措置だと、思っている。笑ったり、怒ったりの、日々だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳月、人を待たず

2014年06月15日 19時17分26秒 | Weblog
自画自賛の、同級生に送った冊子の、第二号。クラス会を一年前に、スパリゾ―トハワイアンズで、開催をした。その時の、幹事が、「背戸峨廊」と、名を付けた。画像の右側が、昨年、カシャッとして、冊子に、綴り込んだ。昨今の新聞には、いわきの夏祭りの行事の予定が、報じられている。「いわき踊りが」、各地で。合わせて、小名浜では、花火大会。平地区では、「七夕飾り」が、夏の終わりの、「夏井川の灯篭流し」と、花火大会がある。お盆には、「じゃんから念仏踊り」の、鐘と太鼓のにぎやかな音が、街中のあちこちから、聞こえてくる。近年、街中は、居住が少ないので、「じゃんがら念仏踊り」は、あまり見られない。歳のせいで、「光陰、矢の如し」を、実感している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喉元過ぎれば、熱さを忘れる

2014年06月12日 19時34分49秒 | Weblog
別に変らない、500円硬貨。上下水道料金、電気料金、ガス料金、検針の時に、使った量と金額がわかる。季節によって、使用する量が変わる。快適な暮らしをすれば、それだけ使う量が増える。使うことによって、金額が増える。光熱の料金は、預金通帳から、振り替えて、支払う。どんなんかなぁと、調べてみたら、一日あたり、500円硬貨が3枚必要だ。大震災の後は、節電、節電だった。画像の500円硬貨は、別に珍しいものではない。500円の価値は、なぁぁ―んて考えてみた。10000円の買い物をして、その消費税は、800円になった。今、デフレ脱却とかで、物価上昇率を、2パ-セントを、目標にするとかを、報道で見る。単細胞の脳みそで、考えると、今、500円で買えるものは、5年後は、550円になってしまう。この計算は、消費税は、計算をしていない。計算で、ことがうまく回れば、ありがたいが、計算で生活はできない。まぁ、節約節約で、日々を過ごす。ことわざに、「達者百貫目」というのがある。「心身ともに健康であることが、なににもまして価値があること」とある。健康、それは、美味しく食べれることだなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばあちゃんの同級生

2014年06月10日 20時53分05秒 | Weblog
八月で、百歳になる。昨日と今日は、眠る日。ヘルパ-さんが、体を動かしても、訪問看護師さんが、声をかけても、ぐっすりと眠っている。寝言が聞こえた時に、ポカリを飲ませ、ご飯を食べさせようと、ベットを立てる。眠っているので、不機嫌になる。水分不足を、心配する。誰でも眠いのを、邪魔されれば、不機嫌になるのは、当たり前。不機嫌になった時は、ほっぽっておくのが、薬で、一番いい。認知症なので、喜怒がはっきり、あらわれる。話が変わって、画像は、ばあちゃんのありのまま。百歳になるが、「尋常高等小学校」、「女学校」の、友達の名前。「算数もあったょ」、「国語もあったよ」、「習字でめんごいめんごいってだぁ」、「マラソンもいちばんだぁ」と、話す。姉のことは、若くして亡くなり、ショックだったのか、頭に残り、二人の「姪」の名を言う。ばあちゃんの頭の中は、子どもの頃遊んだことが、浮かんでくるのだろう。あるとき話したのは、「鼻どり」で、あんちゃんに、「こらあっ」って、怒られたという。農家育ちなので、田植えの前の田んぼをならすのに、馬の鼻に竹棒をつけ、馬の動きを、導いたようだ。人馬一体で、「鼻どり」は、子どもの仕事だったようだ。手の付けられない状態が終わると、泣きべそをする。たぶん、認知症で、「罵声」をしたことか、自分のふがいなさを、思っているのかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同級生の句。

2014年06月08日 16時28分22秒 | Weblog
前掲の冊子に綴りこんだ「句」。クラス会に出れないと、電話してきた。卒業以来、会ったことはない。埼玉県に住んでいる。近くには娘さんがいるが、ひとり暮らしだという。一日が終わった時に、「句」みたいなのが、浮かんでくるという。恥ずかしいと言ったが、是非にと。便箋に書いのが、届いた。筆書きするのも、いいかなあって書いて、冊子に綴りこんだ。この冊子が届くと、恥ずかしさが、増したと、電話をしてきた。「一生懸命に考えたのだから、立派だよぉ」と。「自分が、楽しめれは、それでいい」と、伝えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする