今年も、あと二時間で今年も終わる。在宅介護は、元日は休みだが、ヘルパーさんには、交替で世話になる。看護師さんからは、異常があれば、すぐに、連絡をするようにだ。せめてもの礼の挨拶と思い、玄関に掲げる。今日のばあちゃんは、ご機嫌良好。ひとりおしゃべりをしていたので、廊下で、ガラス越しの、ヤクルトを飲みながら日光浴。話しかけてくるのだが、わからない。よく聞くと、「千冶は、父親。おこうは、母親。つぐえは、姉ちゃん、呉服店だあ。ノブアキは、あんちゃん。おっきな家。おっきな蔵。ただし兄ちゃんは、早稲田大学。もとよは、ねぇちゃん。死んじゃつたぁ」と、聞きとれる。「そうげぇ」と、もらい笑いをすると、ニコニコ顔は、もっとニコニコと声を出して笑っていた。大腸手術のあと、介護が始まった頃の機嫌の良いときも、「笑う門には福来る」と云って、笑っていた。このまま、百五歳に向かう。小生は、ここ三年前から、夕食を食べさせるだけ。大腸の手術で、約50間日入院。脳梗塞で、約20日間入院が、二回。初回の脳梗塞の時は、毎夜に面会に行くと、家に、一緒に帰ると、懇願されていた。これ以外は、ずうーっと、在宅介護。泣いたり、笑ったりで、もう、十二年になるなぁ。あと一時間30分過ぎると、街中の神社から、新年を迎える太鼓が、深夜の静まりを打ち破り、どんがどんがどんがと、響いてくる。いろいろあった一年だなぁと、懐古しています。拙いブログに、ご来訪賜わり、ありがとうございました。亥歳の老い道を、とぼとぼと行きます。毎回、支離滅裂ですが、よろしく、お願申し上げます。皆様方、どうぞ良いお年を、お迎えしますよう、祈念致しております。新年おめでとうございます。
画像は、江戸物売り圖から。NHKのラジオの真打競演を、たまぁーに聞いている。たまぁーにだが、江戸物売り声を、専門にて独演を聴くことがある。落語にも、「そば売り」の話しがあり、掛け声を聞くことがある。「くずぅい、くずぅい」と、くずを買い取る掛け声も、聞くことがーある。正月なのに、貧乏で餅がつけない。せめて、近所に、あの家は、餅をついていると、音を出すのに、女房の尻をたたいて、餅つきの音にする話し。餅をこねまわす仕草を、尻をこねまわす話し。江戸物売り圖の中に、「絵馬売り」があった。
一月にガラケーに、「未納料金がある--。法的手続き――」があり、五月になると、パソコンに、「トロイの木馬が――」とかが、7種の、わけのわからないが、入りこんだ。七月には、四種の、今月も、四種が、「今すく、アップロードをしろと」。「いまなら、50%割り引くとか」。二月頃、屋敷神のやしろを探して、ネットで、あっちこっちとクリックしていた。すると、パソコンが、全く動かなくなってしまった。回復の仕方は知らないので、電源を切った。スイッチを切るにしても、なにやら動いているのかも、すぐには、切りにならなかった。現在も、現れる。その兆候があったら、すぐに電源を、切る。ルーターとか、ゲートウェイとか、目にするが、繋がっているのだから、しょうがねぇべぇでいる。
年賀はがきが、仕上がった。絵柄は、素材集から選んだ。「寿楽」は、以前のを、再利用した。今回、「謹賀新年」とか、「賀正」とかを、書いたが、なんかだめだった。「春になれば--」は、何枚も書いてものから選んだ。印刷は、120枚。中学の同級生の分は19枚。だが、卒業以来、顔を合わせていない15人には、来年は送らないことにする。クラス会の案内をしていただけだ。同級生のそのほか、20数人は、死去や不明。別のこと。帯状疱疹は、まだ完治していない。年を越しても、駄目なら来る年は、良いことないなぁと、ちょっとがっっかりしている。体は、年齢なりに劣化をしていると、承知しているが、若いつもりが、駄目なのだろう。改めることを、自覚するべきだろう。なんか、今年一年、愚痴ばかり、書いたようだ。
画像は、いわき駅前通りの、イルミネーション。ここのところ、雲が流されて、陽射しは眩しいが、空っ風が吹き荒れている。クリスマス寒波とか、年末の悪天とか、お天気が、変わるようだ。明日は、冬至。気象の本に、「冬至満月」とある。今年は、冬至が、22日。満月が、23日になる。「冬至満月」にはならない。冬至の日に、満月になると、「月食」が、見られるという。冬至は、太陽が北へターンする。日暮れの時刻は、少しずつ、長くなるのだが、「冬至十日」で、見た目は、さほど分からない。しかし、寒さはこれからで、「冬至冬中冬初め」という。うら淋しいく感じる年末だが、それでも、新年を祝う神札も、お供え餅も、準備をした。この歳になると、「門松は 冥土の旅の 一理塚」とかだが、年始の祝う行事が、前向きだ。後ろを見たって仕方のないこと。在宅のばあちゃんは、105歳に向かう。ばあちゃん専用の、「おせち料理」は、届いた。「冬来たりなば、春遠からじ」、そう思っている。年賀のはがきの、デザインを今日から始める。
雑多な箱に、入っていた。ずうーっと、20数年前、富士山周辺の観光の際、買ってきた。2L判の大きさ。よく聞く「赤富士」だが、撮影者曰く、富士山そのものには、見えないだったかなぁ。赤富士を、ものの本から引用です。「早焼の朝日に映えて、数十分間真っ赤に見える現象。晩夏から初秋にかけて、時々起こる。特に山梨県側から、見えることが多い」とある。モノクロの笠雲は、A4の大きさ。カラーもあったが、版権を売ったので、印刷物はあると言っていた。笠雲は、カメラ二台で、夢中でシャッターを押し続けていたという。数枚見せられたが、雲が動いていた。「赤富士」は縁起物なのか、油絵のもある。別のこと。帯状疱疹は、まだ、痛かゆい。数日間の、寒さかことのほか、身にしみる。体が寒さの冷えで、治癒が遅れているのかも。明日は良くなるだろうと、毎日考えている。
雅印を入れているのも、ひろげてみた。印の面についている、印泥を、拭きとった。雅印を一回、刻した時に使った、「のみ」刃が、大、中、小の三本。右下の黒い石は、大分前、物産展をのぞいたときに買った。印泥は、赤、朱赤、古色の、三種。今では、懐かしいの、一言。
写経会は、先月で終わる。筆を洗わなくてはと、今日手入れをした。筆は、1200円と、1800円と、3150円。その日の気分で、使い分けていた。硯は、雄勝石。蓋がついている。原石を、ぱかっと割ったようだ。手のひら、半分くらいの大きさ。画像にはないが、もう一つ、手のひらくらいの大きさのを、30数年前に、宮城県の松島に旅行に行った時、購入をした。液体の濃墨と水差し。水差しは、飾りものにしている。いつもは、弁当折りについていた、ちょっと大きいソースが入っていたもに、水を入れている。時計は、手巻きゼンマイで動くのと、仕事をしていたころ、電池きれで、その都度、買っていたもの。五、六年前に、別にある、手巻きゼンマイのを修理をした。長年動くよと、保障付きだ。必要時に、じこじこじこと、捲いて動かし、使っている。目薬は、眠気さましに。筆は、その時の気分でのを、披露するほどではないと、承知している。
画像は、いわき駅前通りの、イルミネーション。胸部が痛みだしてから、17日になる。お医者さんの、土日の休みがあって、七日目に受診、投薬が七日間。服用が終わってから、三日が過ぎた。右側の背中から胸部が、まだちくちくとしている。前掲に、「体が休め」と云うのかもと載せたが、毎日が休日なのに、これ以上の休息はない。しいて言えば、二年前までは、植木等の歌てはないが、「炊事洗濯まるでため、――、はい、それまでぇよぉ」が、炊事もするし、洗濯もする、掃除もする。すこし、手抜きするしかない。
昨日、三日分の薬を、処方してもらった。あと三日間、服用すれば、良くなると、お医者さん。発疹の痛みは、数か所ある。背中のは、こすりキズにしてしまったようだ。あした迄かと、ひと安心をしている。前掲げのなかに、「なにかのたたりだぁ」と書いた。「なにか」とは、自分に対してかも。「体が休めぇ」って、言っているのかも。毎日が休みの日だが、体力の衰えはある。「因果応報」という、良いことも、悪い事も、わが身に報いがある。生来、八十四年、付き合いの人を、不快にさせてしまったことがあると思う。だとすれば、これからを、どのようにすればいいのかと、悔い改めるを、自問している。画像は、写経会に行っている、閼伽井嶽薬師常福寺の、掲示板をカシャッとした。旨いまずいは別にして、食べることで、生きていられる。しかし、それだけでいいのか。こころのよりどころは、必要と思って、写経をしている。にわか写経でないようにと、思って、今年も終わる。
毎日、老体のとじこもりの解消を、少しでも歩けばと、駅前まで、散歩をした。金曜日の夜の、にぎやかさのようで、数人の、六、七人の、人の群れが、声高い談笑が、冷たい北風にのって、聞えてきた。すれ違う人を見れば、襟に顔を埋め、鼻水をすすりあげている。イルミネーションの光の反射で、顔が、青白くも見える。本格的な冬が始まり、師走の寒さが、身にしみた。
画像は、昭和39年朝日新聞社が刊行のもの。77年前の今日、真珠湾攻撃をして、戦争を始めた日。ちょっと思い出して、ぺらぺらめくってみた。「真珠湾を忘れるなぁ」とかで、アメリカ国民が、一丸になって、日本を敗北への路の日でもある。1950年に、戦乱突発の、朝鮮戦争のこともあり、そうなんだぁと、あらためて読んでみた。南北朝鮮のこと、日本の沖縄のこと、いろいろと、難しいことが、報じられるのをみている。どうなんだろうなぁと、考えてはいるがです。平安は願っている。
先月の27日火曜日の夜に、体調不全を感じ、土曜日の夜になって、うわぁ―、帯状疱疹だぁ。がくっとしていまい、日曜日は、動けず、床に臥していた。月曜日に、いつもの内科医院で診察。投薬は、四日分。発疹の盛りは、峠を越した。この一週間は、猛烈の睡魔だった。発症は、四回目。再発症の確率は、1パアーセントとか。四回目の再発症の確率は、100万分のⅠなのかぁなんて。老年の体力の減退なので、ガンバレェではなく、のんびり暮らすかぁ。体力の変調の時、たまぁーに、グラフを打ち出してみる。体力のリズムは、高調期から、低調期に向かっている。回復は、順調かぁと、なかめている。仕事をしていた頃は、物事を考える時は、知力のグラフを見ていた。低調期には、「下手な考え、休むに似たり」だぁと、していた。別の話し。パソコンを使い始めたころ、街の文化祭に、使い勝手のいいソフトの、説明会の手伝いをしたことがあった。バイオリズムに興味があった高校受験の中学生が、自分の一年間のバイオリズムをプリントして、持ち帰った。そのプリントは、業務に使っていた、カラーのドットプリンターで、じゃじゃじゃじゃって、プリントをした。ちっぽけな会社だったが、パソコンは、六台。プリンターは、切り換え機を使い、五台。老いの懐かし語とに付き合っていただき、ありがとうございました。
突然画面に、どばっと、現れる。この時は、電源を切る。少し時間が経てから立ち上げる。インターネット一時ファイルの履歴を、削除をする。削除によって、消えている。別の数種の、なんか変なものに、取りつかれている。
数日前にカシャッとした。十二月の三日になった。落葉した木もあれば、緑色が残っている木もある。物の本をぺらぺらしたみたら、「青落葉」、「黒もみじ」というのがある。今年のお天気の、異常のの影響しているのかも。「植物季節の観測」の秋は、「イチョウの黄葉、一本の木、全体が黄色に変わった状態を観測するという。そのほか、秋は、コスモスの開花、紅葉の見頃がある。冬は、スイセンの開花を観測するという。冬の始まりは、今年は、十二月七日から、来年は、少し早く十一月二十七日から。旧暦の日々の気温表も、自己作成していた。仕事をしていた頃は、この冬の到来が、毎年変わるので、苦労をしていた。いまでは、どうでもいいことだぁ、です。